サルベージ   作:かさつき

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事務室で鍵を借りた。津田さんが何かを悟ったように微笑を見せたのが気になったが、ひとまず打ち遣っておくことにした。庁舎を出て、あのプレハブ造りまでは、20メートルもない。太陽の熱に霜が解けて、ゆるくなった地面を踏んで歩いた。

 

「やっぱり、やめようよぉ……」

朝とは異なった歩き難さ。私があそこへ行くのを、何としても阻止しようとするかのようである。

それでもずんずん歩を進めていると、那珂さんが後ろから声を掛けてきた。庁舎と格納庫、その中程辺りのことである。

 

縋るような目つきだった。あの中を見られてしまうことで、自分の生が終わってしまう訳でも無かろうに、彼女はかなり切実な声で訴えてきた。私は、彼女に向き直った。

「皆の命を守るための道具の所在や状態を、上官が把握していない等、常軌を逸しているとは思いませんか」

 

「そ、そうかも知れないけど……」

ーーこんなこと宣う私が、前任基地で工廠への出禁を食らった人間だと知ったら、那珂さんは途端に口を尖らせることだろう。

 

「互いの不利益になりかねない隠し事は、減らして行きませんか?」

私も、他人のことを云えた人間ではありませんが、と付け加えた。今日は、口が良く回る。結構勢いよく歩いたから、体温が上がって口筋がうまく動いたからだと思うことにした。今後何か彼女らの前で演説をするのならば、ちょっと体を動かしてからにしようとも思った。那珂さんは、うんうん唸りつつも、重い足取りでついてきた。

 

 

 

格納庫には、電線が引いてあった。照明が入っていることが伺い知れた。中で何か作業でもするのだろうか。しかしその割には、窓が無い。いや、違う、それは間違いだ。窓は、在る。付いているには付いているが、奇妙なことにすべて中から塞がれていたのである。遠目には分からなかったが、窓と言う窓にくすんだ色の板が打ち付けてある。近くに寄ってよく見てみると、その光景に薄ら寒さすら覚えてきた。那珂さんの言葉も相まって、どうもきな臭い。

 

格納庫の入り口にあった金属製の引き戸は錆び放題で、それを封じていたのは、潮風に晒され、やはりボロボロに錆びた南京錠であった。滑りが悪くなった錠前は、一頻り苦労して漸く、解くことができた。

 

そうしてこじ開けた扉の奥は、薄闇だった。何かが積み上がっているらしいことだけが窺い知れた。入り口からの明りを頼りに、電灯のスイッチを探して壁を伝った。指にプラスチック製の何かが触れた。力を込めると小気味のいい音がして、バスの車庫くらいはあろう広さの格納庫に、たった1つしかない電灯が灯った。

 

 

「な、なんです……これは」

有体に言って、混沌であった。

 

まず、目についたのは服。

私服だ。全て女物。

ざっと見て6、70はあろうか。落ち着いたデザインのものから、いつ着るのか想像もつかない突飛なものまで、ハンガーラックに引っ掛かってズラリ、である。

 

次に、大量の粗大ごみ。

引き出しが半分なくなっている箪笥、中からスポンジのはみ出したソファ、扉の閉まらない冷蔵庫、底抜けの大鍋、ひん曲がったハンガーラック、足の無い椅子、「第1号ー故障」と貼り紙のされたストーブ、骨の折れた傘、へしゃげた自転車、電源コードが千切れた掃除機、等々。

 

更に、書物・資料の類。

立ち並ぶステンレス製の本棚に、いつの時代からあるのだろう、ぎっしりと鎮座している。

ざっと見て数百、いや千を超えるだろうか、かなりの数のファイルや、新書、文庫に雑誌、果ては漫画。邦と洋との別を問わぬ有象無象が、たっぷりと埃を蓄えているのだった。

 

そして………そして?

なんだこれは。一抱え程の木箱の中に、夥しい小物、玩具、娯楽品の類。

誰かの私物だろうか。ビー玉、ビーズ、お手玉、スーパーボール、目玉が片方取れたぬいぐるみ、けん玉、壊れた携帯ゲーム機、小さな水上機の模型、しぼんだ浮輪、種々のパーティーグッズ、そしてこれは、カラオケセットか?小ぶりのオーディオ機器に、マイクとマラカス、タンバリンまで。おもちゃ箱というのか、えらくレトロなものから、ほんの少し前まで現役だったであろうものまであるが、やはりどれも埃を被っている。

 

最後に生活雑貨。蓋の閉まらぬ段ボールにこれでもかと、詰め込まれている。

目覚まし時計、電気ポット、剃刀、食器類、筆記用具、片方だけの靴、懐中電灯かと思ったら何故か探照灯……。

 

列挙するのもうんざりする程、莫大な数の物、モノ、もの。目に見える範囲でこれだ。

モノのジャングルの奥に目を遣れば、さらに色々、多種多様な物品がある。私は思わず、顔を顰めた。窓が全て塞がれているせいだろう、奥は真っ暗だ。よく見えないが、別に見たくもなかった。

 

そして入り口にごく近い場所、ごった返す格納庫の片隅にジュラルミン製のケースがあり、緩衝剤に包まれた艤装が申し訳なさそうに収まっていた。誰が見ても、これを艤装の格納庫とは、云わないだろう。物置、否、ゴミ集積場の片隅に、ついでに艤装が置いてあるだけだ。

 

ーーー苦笑いを抑えきれない私が、那珂さんに説明を求めようとした、その時である。

 

「あら、那珂さん?如何なさったのです?」

目を逸らして冷や汗を流している那珂さんに、後ろから声をかける者があった。

芯が一本通ってはっきりしたような、かといって騒がし過ぎず、寧ろ緩やかさを感じるような、上品な和楽器の音色のような声だった。流れるような黒髪に、瀟洒な和服がちらりと見えて隠れた。声の主は、瑞穂さん。水上機母艦・瑞穂の記憶を受け継ぐ艦娘だ。

 

「て、提督!?こ、こん、にちは……」

格納庫の中にいる私を見つけると、彼女は直ちに背筋を伸ばし、上ずった声で挨拶してきた。彼女は確か、本日の午前シフトに組み込まれていた。それにしては帰投するのが、少々早いように思えた。腕時計の針はまだ、11時前を指している。日にもよるが、遊漁船の出港は7時から8時の間で、そこから約4時間程度航海した後、帰港するのが常だ。護衛の帰投は更にもう少し遅い筈なのだが。

 

「ええ、護衛任務、お疲れ様です。帰りが早かったようですが、何か在りましたでしょうか」

瑞穂さんに拠ると、遊漁船の航海は3時間にて切り上げられた、とのことだった。昨日の神通さんの報告にあったように、深海棲艦も然ることながら、冬の日本海はもう、それ自体が脅威だ。冷え込んだ海に投げ出されればそれまでなのである。漁協に話を聞いたところによると、来週辺りには、冬用のタイムスケジュールに移行する予定らしい。夜間の出港は控え、午前・午後の2回のみ。また海の様子も見つつ、それぞれ1時間短縮の航海をするという。

 

「あの……お2人はここで、何を……」

先ずもって夜襲の心配が霧消したことに、私が胸をなで下ろして居ると、瑞穂さんがおずおずと尋ねて来た。

 

「ああ、そうでしたね………。この状況は全く、どうしたことなのでしょう。此処は話に拠れば、艤装の格納庫では………?」

私は先刻の苦笑いを顔に戻して、プレハブ造りの中を指し示した。那珂さんから今の状況について補足を受けると、瑞穂さんは得心が行ったような面持ちである。2人はこの格納庫、というかほぼゴミ集積場と化した建造物について、説明してくれた。

 

****

 

この基地が、現在の特殊な施設となる前、まだ「普通」の基地だった頃のこと。

この建物もやはり、艤装の格納庫としての役割を「普通」に果たしていたらしい。〝らしい〟というのはつまり、それを知っているのが神通さんだけで、那珂さんらも又聞きなのだ。

 

その頃はまだある程度の数、艦娘が所属していた。今後増員される可能性を見越して、格納庫は少し大きめに建造された。当然、最初の頃は広さを持て余し、艤装以外にも、基地の備品ならなんでも保管する倉庫として使われることになった。また、当時所属していた艦娘たちが、内緒で私物をしまい込んでもいたようだ。面積が余っていたこともあって、上官には見逃されていたという。

 

暫くして、中間体の存在が発覚。所属していた艦娘たちは様々な物品を処分することなく各地へと転任していき、結局最後には、神通さん1人と、当時の上官が1人ーーつまりたった2人のみが、基地に残ったのであった。

 

因みに。その上官だったという人物は1年程、基地の最高責任者を勤め上げ栄転し、この地を去ったらしいが、詳しくは那珂さんたちにも分からないと言う。彼を知るのは神通さん、正式に観察・収容施設として運用されることになって、中央から派遣された津田さん、中間体第2号である赤城さんだけ、とのこと。

 

神通さんが中間体と知れたのが大体5年前、その半年後に津田さん、ほぼ同時期に、赤城さん。赤城さんの1年後に那珂さん、そこから半年以内に瑞穂さん、萩風さん、ヒトミさんの順で着任したというので少なくとも、皆3年程度は、この地で暮らしていることになる。

 

その上官であった人物が転任してしまってから、異常が続いた。4年の間に20人、上官のクビが挿げ替わった。単純計算でこの基地に着任した司令官は皆、3ヶ月以内に辞めていったという計算になる。

 

その20人のうち、最初に着任した老齢の司令官は、大変に厳しい人だった。

官舎の私室に無用の私物を置いてはならぬ、最低限の衣類と生活必需品以外処分せよ、とのお触れが出て、各自の個室を回って所持品検査すら行っていたと言う。その時、彼女らは私物を格納庫へと避難させた。元々かなりごちゃごちゃしていた所へ、無理に物を詰め込んだ結果、今の状況が出来た。彼が退職した後、折を見て戻そうとも考えていたが、何となく機を逸してそのままになっているという。その後の司令官たちに、決して見せないようにしていたのは、その彼のことが頭にあったから、だそうだ。

 

****

 

「はぁ、成る程……この小物類も、全て私物ですか?」

木箱を指して尋ねる私に、彼女らは顔を見合わせて答えてくれた。

 

「ええ、そうですよ。このカラオケセット、那珂さんのものですよね?」

「うん。このお手玉なんて、瑞穂さんの手作りだよね」

 

なんだか妙に息があっていた。2人は特別仲良しと見える。

「むぅ………。処分、しませんか?特にあの粗大ゴミは……流石に如何なものでしょう」

 

「でもこの町、回収車とか、無いよ?」

それはある程度、予想がついていた。他所から業者に来てもらうしかないだろうが、その旨を彼女らに伝えると、難しい顔で返された。

 

「うー……ん。多分、お金が……」

確かに物品の数は多いが、一気にやらなければいけない訳でもない。それ程財政が厳しいのか。私はあずかり知らぬところだが、どんな業者に頼んでも、せいぜい数万円程度であろうに。

 

「まぁ、ごみは兎も角として。私物は戻して頂いてもいいですよ。私は別に、自室についてとやかく言いませんから」

取り敢えず格納庫を、格納庫へと戻す所から着手しよう。衣類程度ならば、皆直ぐにでも持っていけるのではないだろうか。特別欲しがる者が居なければ、資料等は残して、全て処分する方針で行こう。断捨離、という奴だ。少し気の早い大掃除。着任最初の作戦行動は、やはり施設整備となるようだった。私の言を聞いた2人は、また顔を見合わせ曖昧に頷いた。

 

「その………提督?そろそろ護衛任務の報告をさせて頂いても、宜しいでしょうか………」

艤装を片付けた瑞穂さんは、そう申し出た。私は首肯し電灯のスイッチを切った。格納庫の扉をくぐると那珂さんが、鍵は閉めておく、と云ってくれた。私が謝辞を述べ、瑞穂さんと共に、庁舎へと向かおうとした、その時のことである。

 

 

ぐぉるるる………。

 

 

背後から微かな音が聞こえた。唸り声の様にも、雷鳴の様にも、重いものが引き摺られている様にも聞こえた。

 

ハッとして振り向いても何もない。音の正体は、定かでない。倉庫の奥に目を凝らしても、そこに広がる暗がりは、ひたすら光を吸い込んでいくばかりである。

 

「今の音は、一体………」

疑念がまた湧いた。

過去数年の間、この惨状が発覚しなかったというのは、どう考えても異常である。というか、幾ら上官の眼が怖いからと言って、採光用の窓を塞ぐ必要があるのか。上官が2階の高さまで飛び上がって、中を覗き見るというのか。その真相が何であるにせよ、やはり、あの中は隅々まで見ておくべきだ。そう信じた私は、踵を返した。

 

「奥を、見せて頂きます」

急に険しい顔を見せた私に、2人はしどろもどろであった。

 

「な、何も御座いません………」

「そ、そうそう!何も無いよ?」

 

ーーーあ、怪しい……。

 

見ればこの2人、額に薄ら汗を滲ませている。先ほどの話も、何処まで本当か分からないし、このモノのジャングルは、本命を隠すためのカモフラージュかも知れない。私は先と同じく問いかけた。

「先ほども那珂さんに言いましたが、ね?ーーーお互いの不利益になる隠し事は、減らしませんか。長い付き合いになるかも知れませんから」

 

しかし。

 

「長い付き合いには、しないよ………絶対に、させない」

哀しい顔で、哀しい声で、哀しいことを断言したのは、那珂さんだった。

 

瑞穂さんは伏し目がちだ。那珂さんの言を否定もせず、肯定もせずであった。

 

そんな彼女が急に血相を変えて叫んだので、私は少なからず狼狽した。

 

「出てきてはだめです!」

瑞穂さんの視線は、倉庫の奥を見据えている。それを追って暗がりに目を凝らした。

 

闇の中に明滅が2つ、それは丁度、目玉の様でーーー。

その瞬間、何かの衝撃と共に、私の視界は消失した。

 

 




はい。21話です。


次か、その次で、この日は終わりですね。

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