サルベージ   作:かさつき

19 / 80
19

朝、寒さに起こされ、部屋の障子を開けた。

 

カリカリに凍り付いた窓を、指で溶かしながら外の様子を覗ったが、雪は降っていなかった。昨日空一面に広がっていた雲はもうなかったし、晴れ間が覗いていた。その代わり放射冷却でこれ以上なく冷えた地面には、朝霜が降りているようだった。

 

さて、もうそろそろ食事を摂らないと、始業時刻に間に合わなくなる。冬用の制服に袖を通した。室内とはいえ、夜は寒くなる。ひんやりした制服に体温を奪われながら、押入れ奥に隠れていた、電気ストーブのタイマーを使っておくんだったと後悔した。そして、あの旧式の暖房器具には、そんな便利な機能は搭載されていなかったことを思い出した。オンボロ官舎の廊下は風通しが抜群に良くて、もっと寒い。戸を開け一歩踏み出すと、靴下越しでも足が痺れた。

 

震えながら廊下を進んで談話室前まで来ると、部屋の電気が点いていた。扉を開けると暖気がじわりと流れ出て、強張った体を溶かしていった。中には既に、4人いた。

 

「どうもおはようございます、海佐」

津田さん。

 

「あ……おはよう、ございます」

ヒトミさん。

 

「ど、どうも……」

黒髪の西陣織さん。例のシフト表から推して、彼女は瑞穂さんか。日本国の美称を冠する旧帝国海軍の水上機母艦に、確かその名があった筈。

 

「あ……ぅ……」

口籠ったのは、那珂さん。今日はお団子を解いている様で、薄茶の混じったセミロングは、昨日とまた違った印象だった。

 

「お早いですね、皆さん」

彼女たちはテーブルを囲んで、各々の朝食を摂っている。私は私でいつもの通り、冷凍庫から冷や飯と魚の切り身を取り出し、解凍にかかる。切り身はもう、残り3枚だ。今日の朝昼晩と食べてしまえば、もう味海苔と米のみ。明日の朝、少々早起きして魚を釣りに行くか。防寒具が不十分だから、風邪をひかぬよう気を付けなければ。そこでふと、匂やかな醤油と出汁が鼻腔をくすぐった。ガスコンロを見てみると、鍋が置かれている。誰かが煮物か何か、作ったらしい。素敵だ。

 

塩を揉んだ切り身2つを強火で炙りながら、尋ねた。

「そう言えば、皆さん。食糧の調達は普段どのように?現状ほとんど自給自足で、少々苦しくなってきたのですが……。やはり隣町まで、買い出しに?」

 

「ええ。買い出しは、日曜の午後に私が行ってきます。欲しいものがあれば、そこの買い物メモにご記入を。とはいっても一度に余り多くは買えません。まあ、他の日に急な入用があれば、町内の店でなるべく都合しますよ。ちょっとした野菜とか、魚とか、その程度ですが」

津田さんが答えてくれた。指差した方を見ると、小さなメモ帳が冷蔵庫の横の壁に、フックで以て掛けられていた。成る程、と返しつつ、冷や飯を電子レンジにかけた。設定は1分。メモ帳の内容をぼんやり眺める。

 

「ヨーグルト大:7カップ、お豆腐:7丁、お醤油(減塩)1000 mL:1本、もずく酢:7カップ  萩風」

「菓子パン(できればメロンパンがいいです):10個、インスタントココア(いつものやつです)20袋入り:2箱  伊13」 

「麦茶2リットル:5本  神通」

「お煎餅:20袋  赤城」

文章には性格がでるな、としみじみ感じた。

 

その他にも、幾つかの要望が書き連ねてある。恐らく1週間分を一度に買うのだろうが、津田さんの言う〝余り多く〟とは、トラック一杯くらいを指すのだろうか。それはいいとして、日曜日というと次は5日後、暫く先のことだ。明朝の始業前、海岸沿いで寒さに震えることは、どの道運命づけられていたようだ。

 

レンジの電子音が、1分経過したことを知らせた。いい具合に焼きあがった魚は、片やラップで包んで、タッパーに。片やそのまま、皿に。私はそれぞれをあるべき場所へと納めた。ホカホカの米飯と、焼き魚と、味海苔とを従えて、テーブルの端に座る。そこでふと、那珂さんと目が合った。

 

「今日は、宜しくお願いしますね」

飯を口に運ぶ前に挨拶をしたが、彼女は慌てて目を逸らし結局何も言ってくれない。また少し、違った具合に不信感を表されてしまった。神通さんや萩風さんは、直球に敵意をぶつけて来たが、どちらかというと此れは怯えというか、拒絶に近い。それはそれで、心にずっしりと〝くる〟ものがあった。私は悪人面なのか、と少々萎れつつ朝食をモソモソ咀嚼した。

 

焼いた魚は、塩がききすぎだった。舌を痺れさせながら、手早く朝食を済ませた。

 

 

======================

 

 

この基地で饒舌なのは、赤城さんくらいである。基地に蔓延した鬱屈とした気配がそうさせているのか、或いは私という上官のせいか、皆が皆、言葉少なである。

 

瑞穂さんは午前、ヒトミさんは午後のシフトにそれぞれ入っているとのことで、談話室で別れた。私は那珂さん、津田さんと連れ添って、庁舎に向かった。足元でガリガリと音がする。霜がはって、歩きづらかった。事務室前で津田さんから、執務室の金庫の鍵を受け取って、執務室に向かう。

 

その間も私と彼女との間に会話は無い。

ーーー困った。これは、どうしたものだろうか。

 

全員が十全に満足のいく組織というのは、現実的でない。価値観の違う者が、最大公約数的な規律・規範の中に押し込められるのだから、不満など出ない方が不自然だ。だが少なくとも「前よりマシだ」とか、「ちょっとは良くなったぞ」とかいう改善を繰り返していくのが肝要だというのが、私の持論だった。私は、個を蔑ろにする総体をどうしても認めたくない、餓鬼であった。

 

ただそれを実現するには、こちらとあちら、双方からの〝歩み寄り〟が必要になる。私は残念ながら神様ではない。それどころか、若造といって差し支えないほど経験の浅い男だ。神通さんや萩風さんのように言葉ーー言われた後は心に〝くる〟ので、ある程度選んで欲しいがーーに出してくれれば、不満も不安も共有できる。しかし私には、それらを引き出す技能が、如何せん足りていないのだった。口下手な私にとって不満、まして自分自身に対するものを聞き出そうというのは、少々荷が重い仕事だ。

 

それでもやるしかないのだが。

 

那珂さんと共に執務室に入り、いつも通り達磨ストーブに火を灯そうとしたが、甚だ旧型で、手も悴んでいたから点火するのに時間がかかった。

 

「おはようございます、海佐。本日深夜のシフト報告に参りました」

私の後ろで、ノックの音が聞こえた。神通さんがやって来たようだ。いつも通りに、どうぞ、と返す。

 

例にもれず凛とした彼女の敬礼は、やはり美しく整っている。

「お疲れ様です。暫く待っていてください」

 

しゃがんだ体勢で未だ手こずる私の背後で、彼女らは小声で会話していた。

 

「お姉ちゃん、談話室にご飯置いておいたよ」

「ありがとう、那珂ちゃーーー那珂。でも、業務中にお姉ちゃんは止めなさいね?」

彼女らは「お姉ちゃん」、「那珂ちゃん」と呼び合うらしい。そう言えばこの間、事務室で初めて会った時、聞いた気がする。

 

大変仲睦まじい様子に心が温まる。那珂さんにも、ちゃんと気の許せる人がいたようだ。誰かに不満を吐露できる環境があれば、深刻な問題に発展する心配は少ない。それと同時に、あの神通さんが柔らかい声を出したことに、失礼ながらギョッとした。

 

かれこれ20回はやり直して、漸くストーブに火がついた。

この基地は、壊れるまで物品を使いきる方針のようで、何処を見回しても公用品は旧型ばかりだ。ヒトミさんの部屋に置いてあった品々は、自前なのだろう。財政が苦しいことは聞いているし、公務員としては模範となりうべき態度だが、これだけ使い難いものはもう、壊れていると見なしてよいのではないだろうか。

 

「お待たせしました。執務を開始しましょう」

待たせたことを詫びて、執務机に着いた。神通さんに促され、那珂さんも所定の位置に着く。私がいつも通りにファイルを開いた頃合で、神通さんの報告が始まった。

 

「昨日深夜一一〇〇、抜錨。護衛任務開始」

「遊漁船、一一三〇にポイントに到着。昨日の一件のためか、岸から離れることを忌避したようです。普段より港に近いポイントにて、魚寄せのライトを点灯しました」

「一二四七、海が時化始めたため、帰港時間を繰り上げ、遊漁船回頭開始」

「一三一二、漁港に到着。乗客乗員、全員の上陸を確認した後、帰投致しました」

 

我々の再三の勧告は、時化一つに劣っている、と。自然には勝てないということか。

理由は何であれ、彼らにも少しずつ危機感が芽生え始めているようだ。これもいずれ「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」ことにはなろうが。

 

「わかりました。報告、お疲れ様です」

 

「………海佐。解っていますね?」

私の労いに会釈を返した後、神通さんの口からは、あの冷え切った声。余計なことを聞くなーーもう一度言われた気がした。

 

「………弁えます」

那珂さんも怯え気味なことに気付いたのか、私の返事を聞くと直ぐに、その処刑人みたいな雰囲気を引っ込めた。

 

「では、そのように………。失礼致します」

彼女はまた、端正な敬礼を寄越して部屋を辞した。出がけに那珂さんが、小さく手を振っていた。

 

さて、昨日に引き続き、もうやることがない。神通さんは何やら書き物をしていた。不謹慎ながら暇つぶしが必要かも知れない。演習を行おうにも、燃料や弾薬に余裕がないし、艤装のメンテナンスを行おうにも、そんな上等な設備がない。神通さんに釘を刺された直後も直後だが、私には私の仕事がある。鬼の居ぬ間に洗濯とも言うし、那珂さんとも話しておかなければ。

 

彼女らは普段、何をして過ごすのか聞いてみることにした。

 

「あの、那珂さん」

 

「ひっ……」

だが、そう簡単に会話はできそうになかった。完全に怯えられている。唯でさえ小柄な彼女が、より小さくなってしまった。朝もそうだったが、顔を見ただけで怖がられると落ち込む。昨日の赤城さんに心中で懺悔しながら、那珂さんに弁明を試みた。

 

「だ、大丈夫です。取って食ったりしませんから」

 

「う、うぅ……本当に?」

彼女は怯えつつも、話してくれた。この機を逃してはならない。

 

「ええ、勿論です」

なるべく清廉潔白で、柔和な雰囲気を出す様に努めて答えた。

 

「でも萩風ちゃんが、海佐は、へ、へ、変態だって」

思わず頭を抱えた。同時に、今朝からの那珂さんの態度全て、合点がいった。

 

「誤解です。もう全く、誤解です」

知らず眉間に皺が寄っていたようで、また那珂さんは縮こまってしまった。今にも逃げ出さんばかりに、彼女の体は半分くらいドアの方を向いて、顔だけで此方を伺っている。

 

「まぁ……そう思われても仕方のない場面を、見られてはいますが……」

 

「や、やっぱり……そっちの?」

どっちか分からないが、多分そっちではない。彼女の言を訂正してから、私は先日の一件を説明した。未だ半信半疑といった雰囲気だが、取り敢えず話くらいは聞いてくれるようだ。彼女は、少しだけ此方に向き直って聞き返してきた。

 

「え、と。倒れた、ってなんで?」

当然の疑問だが、あの時のことは、本当に現実であったのかさえ自信がない。少なくとも私には、不思議な見た目の妖精さんがいたこと程度しか保証できないのだ。出来れば私のほうが教えて欲しいくらいだが、体調を崩した、と誤魔化した。訝しむような表情を浮かべた彼女は、私の顔を見ながら唸っている。私の顔を矯めつ眇めつする割には、目が合うとすぐに逸らすのはどういう訳か。

 

「あの、私はそんなに悪人面でしょうか……」

 

「え……うぅん……割、と?」

恐る恐る訊いてみたところ、言葉の刃でグサリとやられた。流石神通さんの妹だけあって、将来有望。人の心の斬り付け方を、正しく心得ている。見るからに落ち込んだ私をみて、彼女はひとまず警戒を解いてくれたようだ。

 

「うぅん………変な人だけど、変態じゃない、のかな……」

 

「ああ……もう、それでいいです………」

変態よりは、変人のほうがマシか。一言多いのは、どうにかならないのだろうか。だが取り敢えず、怯えるに値しない人物だと認識されたようだ。予定とは少々異なるが、結果同じなので文句は言うまい。話ができるのならばそれで良い。当初の目的を果たすべく、私は会話を続けた。

 

「ところでこの基地、非常に業務が少ないですが、シフト中以外は皆さんどのように過ごしておられるのですか?」

 

「ん……普段、はーーーお昼寝したり、暇な娘たちで、一緒にお茶したり……?」

 

素晴らしき哉、スローライフ。いや、違う。そういうことではない。

 

やはり、艦隊運営ができるような状況ではないようだ。

この基地の特性上、それはやむを得ないのかも知れなかった。早くも忘れそうになっていたが、私の業務は彼女らの観察なのだ。深海棲艦の姿にもなれる、極めて特殊な体質をもつ彼女らに、武器や燃料を供給することは、国からすれば、不利益につながる可能性すら孕んでいる。私からすれば、彼女らは艦娘だという認識だが、彼女らに対してそう思える者は、この国、いや世界にすら少ないかも知れない。

 

ーーー見た目は、好む好まざるに関わらず、周りから見たその人の印象を、直ちに規定せしめる。

 

手前味噌乍ら私は、自分をそこまで悪人ではないと思っている。しかし今朝、談話室で会ってからこっち、那珂さんには私が悪人、乃至変態に見えていたらしい。それはひとえに、那珂さんをして「割と悪人面」と言わしめる、この顔のせいだーーと信じたかった。蜘蛛を害虫と決めつける様に、上辺しか見ない大多数の人間によって、世の中はできている。私も、その1人だった。上辺からほんの少し踏み込めば違うものが見えるのに、それが成されるかどうかは、偶然とか運による所が大きい。やるせなさを感じた。

 

ただ1つの救いは、この基地の艦娘たちが余り思い詰めず、自分たちにできることを、健気に続けていることだった。

 

「成る程。仲がよろしいのですね。特殊な環境でもう少し雰囲気がギスギスしているかも、と不安だったのですが。杞憂でした」

彼女の返答に、素直な感想を述べる。皆で集まってお茶する仲良しさんたちに、私が横から入るのも野暮ではあるまいか。赤城さんには悪いが、鍋は1人でやればいいかと思い始めた。

 

「特、殊……?ギスギス……?確かに、冬は寒い、けど」

私が妙に満足気なので、那珂さんは困惑気味に問うてきた。

 

「いえいえ、そうではなくて、中間体とかそこら絡みで、です」

 

私の言を聞いて、彼女は弾かれたように立ち上がった。

「な。な。な。」

 

ーーーな?唯でさえ大きな両目が、今にも零れんばかりに見開かれている。

 

「な、な、なん。何でそれ、知ってるの……!?」

 

仲良しさんではあるのだが、情報共有は上手く出来ないらしかった。

 

 





はい、19話です。

赤城さんには悪いけど、鍋はもう暫く、お預け。

10/18 文章を加筆・修正致しました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。