サルベージ   作:かさつき

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神通さんを愛してやまない方々、この物語はフィクションです。


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ヒトミさんの報告を聞き終え、書類を印刷し印を押す。報告書、出撃許可書、作戦要項をひとまとめにし、津田さんに提出、保管をお願いした。それを終えるのに、たった十数分を要するのみであった。報告が終わるとヒトミさんは、部屋を辞していった。

 

次の業務は、数日後に行われる出撃任務の確認。書類とシフト表を見比べ、艦名、日付、時間帯が相違ないことを確認。決裁印を押して決裁済み書類の一時保管庫に滑り込ませた。それを終えるのには、数分を要するのみであった。

 

そこまで終えた瞬間、神通さんはこう言った。

 

 

 

「お疲れ様でした。午前の執務は、全て終了です」

 

「…………はい?」

 

 

 

最近耳掃除が不十分だったろうか、などと思った。だが耳掃除の如何で、聞こえる内容に変化が出ることはない。喜ばしいことに、私の耳は正常である。本当に不十分なのは、この基地の〝手持無沙汰具合〟に対する私の理解であった。

 

「あの……本当に…………?」

 

「はい、午後までのんびりなさっていてください」

 

「のん……びり………」

相も変わらず抑揚のない声で、然も当たり前かのごとく、神通さんは言い放つ。

 

凶悪無比の肩透かしを急所に喰らい致命傷を受けた私は、先ほどまでそれはもう、やる気満々であった。例えるなら、ランドセルを買ってもらった幼稚園生、席替えでクラスのアイドルの隣を狙う男子中学生、レギュラーを狙う名門野球部の2年生、大学デビューを目論む女学生、出世欲に溢れた1年目の社会人。いや、それら全てが裸足で逃げ出すほどには、気合十分であった。しかし、いまや私は魂が抜けた状態である。仕事を振ってみようなどと考えていたのが懐かしい。振ろうにも振るものがないではないか。

 

「な、何か……。本当に、何もないのですか……?書類の整理とか……施設整備でも良いのです」

 

「……御座いません」

さながら禁断症状を催した、薬物中毒者の如き私の様子を察したのか、神通さんは面倒臭そうに答えた。

 

まだ私が新米だった頃、激務に追われる傍ら、昼休みの食堂で流れていたテレビ番組を思い出す。ワーカホリックの特集だ。その時は、そんな物あり得ないと思った。休みがあると不安だ、などと。だったら私と代わってくれーーーそんな言葉にならない心の叫びは舌打ちになり、間宮さんを怖がらせた。

 

私は今、その番組に出演していた顔色の悪い男性会社員と同じ轍を、大変丁寧に踏んで、前に進みつつあるのであった。まだ言うことを探している私を見たーー実際は顔を向けただけだがーー彼女は、小さく息を吐いて言った。

 

「では何か、お喋りでも致しましょうか」

 

「……え。ええ、是非そうしましょう……!」

やはり冷めた口調で為された、突拍子もない提案は、意外と私に対して効果があった。

先刻質問を受け付けたが何も無かったとあって、本基地の円滑な集団形成には、コミュニケーションの充実が目下、最大の課題であると考えていたからだ。何らかのきっかけになれば良いと思い、喜んで勇んで提案に乗った私は、神通さんにしてみれば、とんだ間抜けに見えていたことであろう。

 

 

 

「海佐は何をなさって、左遷されたのですか?」

 

 

 

「は………」

一番聞きたくない、一番答えたくない言葉が聞こえた。コミュニケーションがどうのとか、偉そうなことを考えていた私は、そのたった一言で二の句が継げなくなった。過去の過ちを、人一倍覚えている私の、ごく単純な性質が、早くも見透かされていたらしい。神通さんは、こう言えば私が黙ると解ってやったようで、薄く歪んだ唇に嘲りが見えて隠れた。

 

 

彼女は、畳みかける。

 

「いえ、いえ、良いのです。答えて頂かなくても。興味も御座いません」

 

「海佐、ご存知でしょうか。本泊地に着任される方々は、有難いことに皆様悉く、熱意に満ちて居られるのです」

 

「しかし其れは、ごく最初の内だけ。皆さん、不思議と直ぐに辞めてしまう……全く迷惑なことですね?私たちからすれば、上官が目眞狂しく代わるのですから」

 

「でも、それはきっと、致し方の無い事と存じます」

 

「何せ皆様一様に、抑も何かしら、他人様に迷惑をかけて、こんな場所まで流れついて居られるのですから」

 

「寧ろ、自然な事。迷惑な者は、何処に行くにせよ、何を為すにせよ、迷惑。この神通、然う考えて居ります」

 

「しかしながら同時に、迷惑な者も、迷惑な者なりの、良心も正義も持って居られることと存じます」

 

「ですから私としましては、そういった方々が、せめて禍根を残さず消えて頂けますよう、お勤めを果たす、所存」

 

「詰る所、私が全体何を申したいか、まとめますと、海佐。貴方はーーー」

 

「仕事など、探さずとも、良いのです」

 

「私たちの声を聴こうなど、気を揉むことは、ないのです」

 

「私たちの助けになろうなど、思い上がることは、全くの余計なのです」

 

「何も為す必要は、御座いません。貴方が何かを為すことは、他者へと迷惑をかけることと、その意を等しくしているのですから」

 

「出来る限り、早く、出来る限り、潔く、出来る限り、何も為さず、居なく成って頂けますと、この神通、恐悦も至極に存じます」

 

「それこそ、お互いがお互いの、ひいては我らが基地、皆が皆の、幸福を生くることと確信して居ります」

 

「せめて、お疲れの在りませんように。私も、お手伝い致しますから、ね?」

 

何時か、何処かで、聞いたことのある締めくくり。

妙に馬鹿丁寧な言葉を紡いだ彼女の唇は、氷点下の微笑を浮かべていた。

 

 

 

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〝かえし〟が付いた言葉の刃で、しこたま抉られた私の心は、今朝感じた寒々しさを取り戻していた。腹に穴が開けられ、臓腑に隙間風が入り込む様で、体が芯から冷えていた。無力感と虚脱感に支配された私は、古い椅子に体を預けていた。筋肉が弛緩して、立ち上がるのが億劫だ。もうやることも無いから、虚ろに空を眺めていた。

 

何も、言い返せなかった。

 

駄目だ。これではいけない。下官の明確な雑言に対して、毅然としていられないようでは、駄目だ。どうも私は、上に立つには、向いていないようだった。先達の充分な教導あってこそ、前任基地は成り立っていたことを痛感した。

 

 

横目でチラリと神通さんを覗いて見た。

彼女は探照灯を磨いている。その顔には、先ほどのような冷たさを感じなかった。自分の大切な道具を慈しんでいる風だ。白い布と擦れる甲高い音が、部屋の中を跳ねていた。夜戦などないこの海域でも、漁業支援で必要になるのだろう。

 

 

ーーー夜戦、か。

 

ふと昔を思い出して、懐かしい気持ちになった。

 

夜戦を敢行しボロ雑巾みたいになって帰投した軽巡洋艦娘、川内を担いで、入渠ドックに駆け込んだことが前にあった。身体中傷だらけなのに、彼女は屈託無く笑っていた。

何隻沈めた、とか、いつもより頑張った、とか言いながら、私の背中にしがみついてはしゃぐ姿に危うさを感じた。それでも、沈まなかった。いつも通りボロボロになって、いつも通り誰かに担がれて、いつも通りはしゃぐのだ。

 

あれは何時だったか。妹に情けないとこ見せられないーー珍しく思いつめた顔で、そんなことを言っていた気がする。その妹に手酷く拒絶され萎んだ、今の私を見たら彼女はどう思うのだろう。軽蔑されるだろうか、情けないと罵るだろうか。

 

私は異動になってしまったから、その答えを聞く機会も、あの表情の意味も、聞ける機会はないだろうと思う。恐らく永久に。

 

元気にやっているだろうか。多分元気だ。きっと今夜も、誰かの背中にしがみついて、子どもっぽく破顔しているはずだ。

 

 

昔を懐かしむ以外、本当に何もしなかったので、時間は、実にゆっくり過ぎて行った。午前シフトに入っているはずの萩風さんから、緊急の入電が来ることも無く、その間あったことと言えば、時計が4回程鳴ったくらいのものだった。

 

 




神通さんを愛してやまない方々、ごめんなさい。

もう少しこの日が、続きます。

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