サルベージ   作:かさつき

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ヒトミさん謹製のハウリング音を特等席で聞いた私の頭は、どうせいつも使わないんだから、と猛烈な痛みを走らせていた。先ほどの悲鳴は、聞いた方が驚く代物であった。隣にいた妖精さんも、なんの比喩でもなく飛び上がっていた。

 

「な、なに……!大丈…!しれ……!だれ…か……!」

ヒトミさんは鍋を机に置いて、私に縋ってきた。驚きのツボが浅いうえ、狼狽えぶりも光るものがある。見ていて飽きがこないな、と呑気にも思った。

 

「ああ、ヒトミさん、先ほどぶりですね」

痛みを堪えつつ、手を挙げて挨拶をした。狼狽えている人を見ると、反対に冷静になってしまうのが人情だ。或いは、自らに起きた事態の荒唐無稽に、頭の整理が追い付いていない私がいるだけかも知れなかった。こんな異常に直面したときは、今のヒトミさんの態度が正常なのだろう。あの夜の私はまだ正常だった。

 

「喋っちゃ……だめ……!」

ヒトミさんにしては珍しく、随分厳しい顔だ。

笑顔を見せてください、などと歯の浮く恥言を吐いておき、その直後も直後に、面と向かってそれを言った女性が、この顔。それこそ顔が火を吹く恥で、臍で茶の沸く馬鹿話であるが、体を動かすとどうにも耐え難い痛みが生じるので、干上がったミミズばりに、床へとへばりつくしかなかったのである。

 

「大丈…夫…?どこか、痛く…ない……?すぐ、医務室、に……!」

この基地には、医務室などという上等な施設があったらしい。

 

「ああ、大丈夫ですよ。頭が少々痛いだけです」

実際少々どころの痛みではなかったが、そこはそれ、最後の意地であった。

何とか彼女を安心させようにも、梃子でも動かぬ自らの体が、その言をいの一番に否定していた。その心苦しさからくるものか、胸に閊えるような、息が詰まる心地だった。

 

「だ、大丈夫、じゃ……ないです……!お願い、だから……喋ったら……だめ……」

消え入りそうな彼女の声に切言された。部下となる者に、この顔をさせる自分が情けなかった。

 

「ごめんなさい……。医務室まで、お願いします」

 

「はい……」

妖精さんは、その様子をじっと見つめ、なぜか薄く笑った。

 

 

 

さて、迂闊にも私は〝医務室まで、お願いします〟といってその方法を指定しなかった。「肩を貸してもらって歩く」程度のことを私は想像していたのだが、ヒトミさんと私の間には、「お願いする」という言葉の解釈に関して、齟齬があるようだった。

 

なんと彼女はしゃがみ込んで、私を背負い歩く準備を始めたのである。

 

大の男が、少女と言って差し支えない程度の女子の背中におぶさっている様子は、なかなかの珍景であろう。事情を知らない者からしたら、通報を検討して然るべき場面である。確かに彼女が、ある程度人並みならぬ腕力をもつのは確かだが、艦娘にもピンからキリまでいる。潜水艦は比較的小型の艦艇、馬力も知れている。ヒトミさんは非力だ。私を一人で背負うのは、文字通り荷が重い。

 

「いえ、あの、ヒトミさん……」

息を切らせて、何とか私を持ち上げようとする彼女を見かねて、声をかける

 

「喋っちゃ……だめ、です……!」

が。彼女は彼女で必死なのであろう。ピシャリと注意を受けた。

 

 

 

その時である。

 

 

 

「なんですか、今の悲鳴……!」

扉が開き、誰かが入って来た。

 

まず目についたのは、横で束ねられる紫がかったセミロング。豊潤で、柔らかなことが見て取れた。白手袋に黒を基調としたセーラー服。透き通った声も印象的だった。

 

「は、萩風、さん……」

ヒトミさんが、息を切らせて口走る。彼女はハギカゼさんというらしい。先ほど神通さんも同じ名を口にしていた。私は先ほどの懸念が結実したことを悟り、青ざめた。

 

 

いま、この状況は、事情を知らない者からしたら、犯罪の一場面である。

 

 

二人しかいない部屋。しゃがみ込み、顔を上気させ、荒い呼吸をする、涙目の美少女。そこに後ろから覆い被さる見知らぬ男。ハギカゼさんの顔が、夜叉へと歪んだ。

 

「こ、のっ……狼藉者ぉ!!」

 

右フックが、ひと薙ぎ。

痛みに喘ぐ脳髄を残酷に揺らし、意識を容易く刈り取った衝撃は、滑らかな絹の肌触り。

 

本日最後の記憶であった。

 

 

 

因みにヒトミさんは、上手く躱していた。

 

 

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私は前任基地で、主に水雷戦隊を指揮・指導していた。

 

比較的小型で足の速い艦艇ばかりが集まる部隊。軽巡洋艦娘を旗艦とし、そのほとんどは駆逐艦娘で構成される。

その部隊の特徴は、悪く言えば地味、良く言えば縁の下の力持ち。

 

この世には、地味で、皆が忌避するような内容でも、欠けてはならない職業が幾つもある。

便所を清掃する者がいなければ、終にその便所は一生詰まったままである。どこの誰がひりだしたかも判らぬ糞小便の悪臭に、こみあげるものを呑み下しては、せっせと勤める公衆衛生の守護者たちは、一体どれほど給料を得ているか。世知辛さと感謝が胸をついた。どうか頑張ってほしいものだ、と着任当初の右も左も判らぬ阿呆の私は、激務に追われながらしみじみと感じていた。

 

駆逐艦娘は、特に数が多い。その分水雷戦隊も多くなる。また、その仕事はもっと多かった。その小回りの良さを生かして、艦隊戦の援護であるとか、輸送船の護衛であるとか、遠征による資源の回収であるとか、近海の哨戒であるとか、まず仕事には事欠かなかった。小回りが利くことはそのまま、あちこち便利に引っ張りまわされることと、その意を等しくしていた。

 

艦娘たちの朝は、体を動かすことから始まる。

 

ランニング・体操を終えた後、朝食。準備運動をした後、艤装の装着訓練、模擬弾頭による射撃訓練。これが昼まで行われる。昼食後、筋力トレーニングを行って、今度は座学、また射撃訓練、そして夕食の後、風呂に入ってから自由な時間がとられ、消灯。

 

これは出撃のない者の1日であり、水雷部隊において、そう過ごせるのはむしろ、楽で得した日である。

 

出撃には、昼も夜もありはしない。敵は待ってくれない。迅速果断が肝要である。

「仕事があるときは、仕事をする」「仕事がないなら、仕事はしない」という、ともすれば、気ままな生活・スローライフを表し得る素敵な言葉は、我らが水雷部隊に限っては、月月火水木金金と聞き変ずる必要があった。

 

仕事がない日は、無い。出撃後の艦娘たちは、身も心もへとへとーーいかに間宮さんと鳳翔さんが、基地全体の士気の維持に貢献していたか、実感したものである。

 

 

そして彼女らの上官たる私もまた、仕事があるときは、仕事をしていた。

 

私の朝も、やはり体を動かすことから始まった。それはランニングや体操等という高尚な運動とは異なる。

鉛のように重く、力の入らぬ自分の体を、ベッドから起こすことが、日のはじめに行う私の大仕事であった。

そして寝ぼけ眼を擦りつつ朝食を摂り、本格的に業務が開始する。自衛隊の仕事は、艦娘たちが現れて変わった。とはいっても、我々が公務を担うのには変わりない。早い話、基地はお役所なのだ。何をするにも書類の応酬である。

 

どこそこで大きな戦闘がありそうで、そのための作戦はこのようで、その作戦にはこれこれの艦種に、これこれの装備を持たせて、このくらいの期間をかけて攻撃し、そのとき予想される損耗はどれぐらいで、そこを補填するために資源や費用はこれぐらい必要で、それを回収するためにこの辺りに遠征に行くのが良いが、その海域を解放するために、また大きな戦闘が必要になるから、そのための作戦は……と続いていく。

 

これらの処理に、一つ一つ書類の要がある。

 

作戦実施に必要な艦種の出撃許可伺いと、その理由書、目録。

足りない場合は、他部隊、乃至、他基地への必要艦種の協力伺いと、その理由書、目録。

作戦実施に必要な装備・艤装の使用許可伺いと、その理由書、目録。

足りない場合は、他部隊、乃至、他基地への装備提供伺いと、その理由書、目録。

予想される資源の消費量と、補填方法案。補填に必要な遠征部隊の編成案と、遠征のシフト案。

 

約2か月後にある作戦の要項には、大小の別なくこれくらいの書類が要る。これを午前中に、1日1作戦分ーー艦娘が現れて以来、輸送船は毎日数便出るようになったーー用意して、まず基地内で決裁を回す。基地内便では遅いので、自分で歩いて回す。それが通ったら次は、協力を要請する基地にファクシミリで送信。

 

この業務で、午前が終わる。

 

昼食後、先日に送信した作戦案が、真っ赤になって戻ってきている。この艦は貸せない、この武器は貸せない、この作戦のここをこうして、ああして、等々。先方は基本的に、基地の隊員・艦娘たちの負担が減るように、やんわりと要請してくる。今度はそれらを一つ一つ加味してから、案を修正。また基地内で決裁を回して、通ったらファクシミリで送信。返答を待つーー因みにこれが後日返って来た時、先と違う部分に要求を加えられるので、また修正、決裁、送信。2回ほど繰り返して書類が通り、目出度く作戦は決行可能な状態へと漕ぎ着ける。

 

この業務で、日が暮れる。

 

その時間帯には、出撃部隊、遠征部隊、哨戒部隊の帰港が始まる。彼女らの報告を一つ一つ聞き、書類にまとめ、MVPには間宮券を配るなどして、彼女らを労う。夕食後、直近の作戦概要を説明する会議が始まる。彼女らの士気を高めるため、演説の真似事を行う。それが終わると、基地内、官舎内、庁舎内に関わる要望書に目を通す。

訓練施設使用許可願いと、その内容。訓練の実施要項。厚生施設使用許可願いと、その理由書。装備改修伺いと、その要項。装備開発伺いと、その要項。装備の修理届けには、故障の症状や時期を付してある。外泊伺い。外出伺い。出張伺い。各部隊の司令官全員の決裁が必要な書類を確認、押印。

 

この業務で、日付が変わる。

 

最後に一日のまとめとして、基地内を見回る。防災、防犯の確認、追認。

駆逐、軽巡の官舎は要注意である。いくら歴戦の艦艇群といえど、中身は年端もいかぬ少女と同じ。油断すれば夜更かしするし、夜になると騒ぎ始める川内という軽巡洋艦娘もいた。いくら注意してもやめることはないだろうが、何もせぬより万倍マシと思いつつ、見回りを続ける。見回りを終えれば、自室に戻り、明日の予定を確認する。

 

ベッドで気絶して、1日を終える。

 

これが当時の平均的な、私の一日であった。部隊司令官に着任したての者が、3ヶ月これを一人で続けた。繁忙期に入ったら頭に円い禿ができて、体重が17キロ減って、胃に穴が開いた。

 

病院で大淀さんが、

「秘書艦制度使いなさい様式作りなさい誰かに頼りなさい休みなさい死ぬ気ですか馬鹿ですか」

と、酷い剣幕で罵ってきた。

 

だってわからなかったんです、と私はほとんどべそをかいていた。

夜中に官舎の廊下で倒れた私の第一発見者にしてしまった川内もべそをかいていた。

自分の責で艦娘を泣かせたのは、あれが最初で最後だった。

 

 

誰かに頼ることを弱さだと考えていた阿呆は、一時の不健康と引き換えに、多くを学んだ。

 

 

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頬に走った痛みに、意識を引きずり出された私は、白い壁紙に囲まれた部屋に置かれたベッドの上に自分を発見する。

達磨ストーブの上に乗った薬缶が、シゥ、シゥ、シゥと鳴いている。時計は午前1時を指していた。

世界を狙えるであろう黄金の右拳と、日に2度目の失神とを、一挙両得にも拝受した変質者は、頭痛が収まっているのに気づいた。あの妖精さんは、どこかに消えてしまっていた。

 

 

懐かしい夢を見た。まだ私が、真の阿呆であった頃の夢だ。

 

労働環境の劣悪な企業や法人、団体の頭には、なにかと「ブラック」とつけるのが流行りだが、あのときの私など、黒も黒だった。私の労働環境が将来変わるか、いずれ変えられるかという問いに、当時の私は答えを持ち合わせなかった。敵は待ってくれない。夜中にたたき起こされるのが嫌でも、殺されるのはもっと嫌だ。基地という特殊な場では、月月火水木金金もある意味で已むを得ないのかも知れないと思っていた。半ばの諦めと、半ばの意地があった。

 

だが、それも。なにも一人でやることはあるまい。あの後ベッドの上で思いのほか単純な結論が、私の中に落ち着いた。

 

無用の孤独に、不要な苦労は、背負うものではない。他力本願は浅慮に過ぎる。だが適材適所は熟慮する。〝誰かと助け合おう〟などという子どもじみた解決に、私は大きめな授業料を払った。結局あれは、例えるなら、誰にも見られぬ書初め、或いは一人でやる羽根つきであろう。自分一人で勝手に塗りたくった、自己満足の墨汁がつけた色だった。

 

あの夜、ヒトミさんを助けたとき、祖父の言葉になぞらえて私を説得したものは、この経験に違いなかった。

 

さて、今日が私の着任日である。

 

枕に頭を預けて、思案を巡らす。

 

挨拶の後、ちょっと仕事をふってみようか。

基地の整備がいい。それを最初にやろう。私もできれば一緒になって。環境を少しずつ良くしよう。

 

 

またも、子どもじみた目標を立てた私は、薬缶の鳴き声を子守唄に微睡へ落ちた。

 

 

 

 






この辺りで一つの区切りです。

これが全体の、4分の1くらいかなと思います。

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