サルベージ   作:かさつき

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読む人によっては、一部不快感を催す表現がございます。

轟沈描写など。

ご注意ください。


13

談話室に到着した私は、なんだかここに来てから飯ばかり作っているな、と思い、ため息を吐いた。

 

普段は食堂を利用できるから、料理をすることはそれほどないのだが、どうにもこの基地では、米の消費が尋常でない勢いだ。全く自分のせいだが、いよいよ食料の調達を真剣に考えねば、と思っていた私に、微かな音が聞こえてきた。それは、何かをカリカリと擦るような音だった。

 

 

部屋を見回してもなにも変わった所はなかった。

健気な換気扇は、また来たな、と元気いっぱいの死に体だ。

赤城さんと話した時と何も変わっていない。

換気扇の音とは違う。不規則な何か。どうやら、音は外からだ。猫でも入ってきたかと思い、ドアノブを回して扉を開く。薄暗い廊下には、何も見えなかった。少なくとも私の目線の高さには。

 

視線を下にさげるとそれこそ、猫ほどの大きさの何かが、部屋に入ってきた。

 

 

2頭身の小さな体躯。

その体に不釣り合いの大きな頭。

そこにくっついた、餅のように柔らかそうで、ほんのり朱のさした頬。

幼子の絵に出てきそうに、くりくりとつぶらな瞳。

 

 

妖精さんが、そこにいた。

部屋の中を珍し気にきょろきょろ見回している。

 

 

妖精さんは、艦娘たちの力の源、不可思議な力の原動力である。その力の原理は誰にも未だ、説明できない。

人間はおろか、艦娘も、そしておそらく妖精さんもだ。この存在は、神出鬼没、どこからともなく現れて、どこかへ消えてしまう。しかし、普段科学者たちに喧嘩を売るかのように、存分に不条理を見せつける癖に、壁抜けの術はまだ未習得であるらしい。さっきの音はこの子がドアを引っ掻いていた音だったようだ。ドアノブに手が届かなかったのだろう。

 

 

一般的に、この子たちは、不思議か、不気味に思われるのが常らしい。ただ私としては、この子たちに餌付けをするのが前任基地での趣味であったくらい、愛らしい存在だという認識だった。

 

 

前任基地で、私のポケットには常に、お菓子が忍ばされていた。

週に一度、昼休憩になると、1袋108円の安物のビスケットをこの子たちに配るのが、私の密かな楽しみになっていた。カサカサと音を立ててビニール袋を取り出すと、それはもうわらわらと、全体何処にこれが隠れていたのかと思う程の妖精さんが現れた。そしてこの子たちは行儀良くも、ピシッと音が聞こえそうな、整然とした1列縦隊を形成する。そして粛々と、一人一つずつ貰っていくのだ。

 

 

受け取ったビスケットは、両手でしかと持って、ニコニコしながら食べるのが作法だ。

ほっぺには必ず食べかすを付着させる義務がある。

仲間と5人くらいでテーブルの淵に仲良く並んで食べるのが嗜みである。

最後に私に向けて敬礼してから、昼の休憩を終了するのが常であった。

 

 

そんなのを見てしまった私は、よりにもよって、小動物に目がない男であった。私は味を占めて、必ず4袋買っていくようになった。ビスケット切れでもらえなかった子が、文句も言わず、落ち込んだ様子で去って行くのを見ると、自分の良心からひり付くような呵責を賜った。昼休憩の時間には長い列ができるようになった。大島海将命名の「樋口ライン」という名は、二日くらい流行った。

 

その時に余った分は、こっそり工廠勤務の妖精さんに渡していたりもした。一度それが工廠担当の明石さんにばれて、説教を食らったことがある。彼女に曰く、海佐が工廠に来られると妖精さんたちがそわそわして危ないのであまり来ないでください、と。工廠出入り制限を命ぜられた。私と一緒になって正座させられた子たちをみて、思わず私が笑顔になったので、普段気さくな明石さんが火砕流が如き苛烈さで激怒したのは、苦い思い出だ。

 

 

そんな私には、ある特技があった。

 

妖精さんにビスケットを渡すとき、色んな子を見比べる過程で培ったのだが、一人一人の今日の機嫌や調子が、雰囲気から分かるようになってきたのである。

 

機嫌の良い子は工廠で、調子の良い子は海戦で、それぞれに結果を残す。

 

私の予想と妖精さんの働きぶりに、なにやら相関があるようだということは、いつのまにか知れ渡ってしまっていた。艦娘たちはそれに自然と気づくようだが、人間でそれができる者はーーやろうと思えば誰でもできるだろうがーー少ないらしい。みんな同じ顔に見えるから仕方のないことかも知れない。手間と時間をかけるなら、艦娘たちに任せておけということだろう。何かにつけて基地所属の隊員から、今日はどの子に任せるのが良いか、などと世間話ついでに相談を受けるようになった。大島海将命名の「違いがわかる樋口」という名は、半日くらい流行った。

 

 

一口に妖精、といってもよくよく見れば、種類が様々だ。趣味嗜好もそう。十人十色。千差万別。多種多様である。ビスケットは、例えるならプレーンヨーグルトやバニラアイスのようなものである。美味は美味だが、たまにはアクセントが欲しくなろうというもの。間宮羊羹のおいしさは疑いようもないが、3食それでは、いずれ飽きが来るわけだ。

 

例えば偶に趣向を変え、麦チョコなど持っていったら、皆いつもより調子をあげた。

しかし、工廠では、手が汚れるとかで少し不評ーー因みに明石さんにばれたのはこの時ーーだった。

ピーナッツは、みんな微妙な顔だった。しかし、飲んだくれたちーー妖精さんにもいるのだがーーには歓迎された。和風のものを好む子もいて、金平糖をあげたときは、食べるに惜しいという顔をしていた覚えがある。

マシュマロは概ね好評。内容量が少ないので一度だけだったが。ポップコーンも割かし好評。食感が良かったらしいが、歯に挟まるのは気にいらなかったようだ。贈り物で貰ったマカロンは大好評。量が少なかったので、工廠の子たちだけにこっそりあげた。明石さんにもあげた。ついに、二度と来ないでください、と言われた。工廠への出入りが禁止された。

 

色々試した、楽しい思い出である。

 

さて、この子はどんな子だろう。

私は、今談話室に入ってきた子を観察し始めた。

 

 

中間体に関わる妖精さんは、こういう子ばかりなのだろうか。

 

何より目を引くのはその容姿。深海棲艦がそのまま小さくなったようだ。

白い髪。白い肌。着ている服まで純白だ。ぼんやり光る体、そして紫色の瞳。何時だか家族で行った植物園のラベンダーの花に似た色だ。

 

 

この見た目で、私が恐怖を覚えなかったのは、その仕草のせいかと思われた。

よちよち歩きで、どうにも足元が覚束ない。辺りをキョロキョロ見回して歩いていたせいで、前方不注意にも、机の脚に気付かず、頭をぶつけてうずくまってしまった。ひとしきり痛がると、また立って、よちよち歩きで、部屋をぐるりと回って、私の目の前で立ち止まった。それがなにか、恐怖よりも庇護欲を掻き立てた。

 

その子は私を、じっと観察している。

 

私はゆっくりとしゃがみ込んで、彼女と目線を同じくした。ペットにおいでおいで、とやるように、人差し指の腹を天井に向けて差し出した。初対面の子に私がよくやる常套手段だ。軽くくすぐってやると喜ぶ子が多いことを、私は経験的に知っていた。

 

その子は恐る恐るといったように、ゆっくりゆっくり近づいてきた。

片腕を伸ばして、私の指に触れようとする。その子が、私の指に触れた瞬間だった。

 

 

その子が、私の指に触れた瞬間だった。

 

その子が、私の指に触れた瞬間だった。

 

その、ここぉ子ぉぉが、ゆびにに、触れた、ふれぇ、ふれたたぁ、た瞬、かんだたった。

 

ぼ、ぼう、だ、だ。ぼうだ、いぃななぁぁ、じょじょ情、ほ報、がな。流ぁれここ。こん。あ、たま、中にあっ、なが、込むむぅう。

 

そそぅぅの、っだだ濁く、るる流りゅ、溺るるれ、潰、押し、され。

 

なん何、混ざっざるうぅ。なぁ、にか合うぅ混ぜ、私、は解、とけ、てぇぇ。

 

あ。

 

 

 

 

 

暗転。

 

 

 

意識を取り戻すと、私は私だ、そのはずだった、いや私はわたしか。わたし?わたしとは誰だ誰だれだれだおまえは。私は私だ。いや違う。私は私だが、そうではない。私がいまいるわたしは私ではない。それは違う者だ。わたしと私は違う者だ。しかし私は私のはずだ。なぜわたしと私は同じなのだ。私は今、何を見ているのだ。

 

まだ混乱している。

 

 

 

暗転。

 

 

 

ここはどこだ。私はどこだ。どこにいる。何処かにいる。私は談話室にいる。いや違う、ここは違う?暗い、寒い、冷たい。何かまとわりつく所。水?わたしがいる場所は水だ。私のいる場所ではない。私のいる場所ではないのに私はわたしがいる場所にいた。どこだここは。暗い寒い冷たい痛い。痛い?今はわたしが痛い。さっきまでの私は痛くない。これはわたしが感じている痛みを私が感じて。下がる、落ちる。下まで。着いた。今はそこにいる。どこだ?底にいる。ここは底だ。暗い寒い冷たい底だ。海の底だ。痛い痛い痛い痛い。沈んだ、沈んだ。沈む?私は談話室に沈む?いや違う。わたしが海の底に沈むのだ。そうか、そうだ。海に沈むのは、人だ。あと船も沈むか。太陽や月も沈むが。私は人だ。では船だ。わたしは船だ。もともと海の中にいて今は底にいる。潜れる船だ沈んだ船だ。

 

わたしは沈没した潜水艦だ。

 

 

 

暗転。

 

 

 

わたしと私の目が覚める。白い手が見える。わたしは船だ。わたしは船、船?船に手はない。私は人だ。だから手がある。私の手だ。私の手?違う。こんなに細くない、こんなに白くない、これは違う女の手だ、若い女だ。人の手だが私の手じゃない。だから、これはわたしの手だ。おかしいわたしは船?わたしは人?ああそうか、人の形の船だ。船で、人だ。私はわたしをわかった。いつも会うあれだ。わたしは艦娘だ。わたしもわたしがわかった。いや違う。こんなに白い手ではない。骨のような手は艦娘ではない。わたしはなんだ。わからない。白い手の人?ああそうか、次はほんとにわかった。わたしは船で、人で、白い。わたしは海の底の船で、白くて人だ。深海に棲む艦艇だ。

 

深海棲艦。それがわたしだ。

 

 

 

暗転。

 

 

 

痛い、死体。いたいというわたしを傍観する私は、どこだここは。海の上の深海棲艦が死んでいた。沈んで死ぬ。今からわたしも死ぬ。爆音。痛い。当たった。つぎでもう。あそこに立っている。いるのは、人だ。人ではない?海に立っている?あの人は、人でない。あれはそう。艦娘たちだ。艦娘たちの仕事は、殺して殺すことだ、今やっている。わたしを殺す、敵だから。私も殺す、のは、仕事だから。いたい。せめてあの子は。あの子?あの子は家族、海であった、また会えた。家族、深海棲艦にも家族?妹だから。お姉ちゃんが助ける。

 

どこ、どこ。今行く。待っていて。やめろ、あの子殺すな、殺すぞお前ら。

 

 

 

暗転。

 

 

 

いた。そこ。待って。やめて。殺すな。

私ができることは、何もない。わたしができることは、何もない。

轟音爆音爆ぜた音焦げる音沈む音、死の音。赤い目が笑った赤い目が見えて最後に。あの子は笑って殺された。死。息が苦しい。殺す。息が苦しい。殺したから殺す。息が。

 

お前ら、全員、殺す。

 

 

 

暗転。

 

 

 

指が爆ぜ腕が千切れ腹が裂け終わりこれでもう終わり。わたしは殺され破裂轟音死の音終わった。わたしが終わった。私は終わらない。わたしの行く水底は冷たい。終わらない。わたしは冷たい底で眠る。終わらせない。聞こえる声が。声?誰か声が聞こえ。起きろ死ぬな目を覚ませ。まだ私は。生きろ生きるんだ。私はわたしをまだ諦めない。私はわたしを掬い救う必ず。

 

浮く。うそ。揚がる。水面に。ああ、綺麗。世界が。

 

 

 

明転。

 

 

 

私はまだ、わたしだった。しかし手が人の手が見えた手は白くない。次は船で人だ。艦娘がわたしだ。ここはどこだ。人がいる多くの艦艇も見えて此処は陸。土の感触懐かしいここは陸の基地だ泊地だ。懐かしい日の本の国に戻るわたしは。次は守る戦うことが私のわたしの仕事だ次は次こそは。国を、人を、仲間を、友を、守る。戦う。ここで。

 

きっと、次は、必ず。

 

 

 

再び、暗転。

 

 

 

夜。夜戦。わたしは潜水待ち伏せを。魚雷。一、二、三、とどく当たる爆ぜる。勝利。夜、海、これで終わり。私は恐怖する、何に?予感。また戻る基地に、暖かい所、温かい人帰る場所。違う、逃げろ、嫌な予感。今のわたしは今はある家に。帰るな、逃げろ、悲しい予感。悲鳴。悲鳴?周りの声、驚き、悲鳴、怒り。何?何が?わたしが?手が白い。またわたしは手が白い。わたしは帰るのに土へ家へ帰るのに、わたしはまた深海の。また?前もわたしは深海に?悲鳴、わたしの悲鳴。逃げろ早く早く早く逃げろ。

 

仲間は、魚雷を、機銃を、わたしへ。

 

 

 

さらに暗転。

 

 

 

夢?土。家。入渠。痛い。誰か。目を覚ます。昼、太陽、眩しい。今は、わたしの手は白くない。夢?夢ではない。拘束されて痛い。仲間がまた、わたしへ機銃を。ここは基地。違うのわたしは知らないの信じ。発砲、恐怖。ちが。発砲、恐怖。やめ。発砲、痛い。やめろやめろ仲間だろ君らの仲間。わたしは仲間のはずなぜ、やめろ撃つな撃つんじゃない。息が苦しい熱い痛いやめてやめろ。

 

私は見ている私は何もできない。

 

 

 

また暗転。

 

 

 

寒い薄暗い寒い北の土地。基地新しい家。わたしの家は変わった。寒い家。悲しい家。もう戻れない。

ずっと寒い、ずっと悲しい。人も、家も、わたしはもう帰れない。帰る場所はもうない。寂しいまま。家族も仲間も家もない。息が苦しい。詰まる息が、息ができない。

 

ずっと。ずっと。ずっと。

 

 

 

少し、明転。

 

 

 

目の前に、私。私?なぜ。今私はここに。なぜいる私と目の前の私は違うのか。わたしは、話している。酷く冷めて話している。ずっと寒いずっと悲しいずっとずっと。ふと、ノイズが走る。ずっとずっと寒い所にノイズが走る。目の前の私はノイズ。寒い所に生まれたノイズ。悲しい所に生まれたノイズ。温かいご飯、お粥、温かい人、言葉、暖かい。少し暖かい、変わる何か変わるかも知れない。

 

この人なら。

 

 

 

 

明転。

電灯。天井。眩しい。

「は?」

私は、仰向けで談話室の床に倒れていた。体を起こそうとすると、酷い頭痛が走った。

 

 

今のは何事だ。一体何が起きた。

 

 

妖精さんの手に触れた瞬間、私に何かが流れ込み、何かに押し流され、何かと解け合い、何かを見た。

私は夢を見ていたのだろうか。白昼夢というあれか。何か酷くノイズの多い映画を見ていたような。ノイズの割に臨場感があったが。頭痛が走って、いまいち頭が回らない。痛む頭を右に傾けると、私の傍らに先ほどの妖精さんが立って、私の指を握っていた。今のは、この子が見せたのだろうか。意識ははっきりしているが、体が思うように動かせず、寝ているままで、ひどく居心地が悪かった。手慰みに指を軽く動かして擽ってやると、妖精さんは心地よさそうに目を細めた。

 

「今のは、君の仕業か。君が見せたのか」

頭痛を堪えながら聞いたが、答えはない。ただ、自分を擽ってくる私の指にしがみついて、楽しそうに笑っているだけだった。妖精さんから発していたぼんやりとした光が、いつのまにやら消えていた。その眼に湛えた紫色は、なぜか深く、濃くなっているような気がした。

 

 

 

その後、ヒトミさんが鍋を返しに来るまで、私は動けず、談話室の床に転がったままであった。

 

彼女は私の様子を見て、官舎に響き渡る程の大音声で悲鳴を上げた。そんなに大きな声が出せたのですね貴女は。

 

 

 

その悲鳴は、私の頭痛を絶妙に刺激した。そして、今見た白昼夢で聞いた誰かの悲鳴と、似ていたような気がした。


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