サルベージ   作:かさつき

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事務室を辞した後、取り敢えず何処かに腰を下ろそうとふらふら歩いたが、遂に見つからず、談話室に戻ってきてしまった。

 

自室に戻ろうかとも思った。

しかし、そうしてしまうと、もう二度と部屋から出られないような、そんな気がしてやめた。

それは、すごく勿体無い気がしたのだ。

 

改めて思うが、官舎談話室の換気扇はボロだ。

 

何かを引っ掻くような、カリ、カリ、カリという音を、朝晩問わず絞り出しながら、健気に動作している。余り盛んに出すものだから、先刻迄誰もいなかった部屋へ、私がきたことに歓喜しているような気さえした。其の一方、ここぞとばかりに、ぼろぼろの体に鞭を打って、自らの体を無理やりに回し、今にも息絶えてしまいそうで、少し寂しさを覚えた。

 

見向きもされないのに、勤めを果たそうとする姿に、何かを重ねたのかも知れない。椅子に腰を下ろすと、朝食に食べた残り物の炊き込みご飯の香りが、まだ少し残っていた。やはり、あの健気な換気扇は、死に体なのかと実感して、また寂しくなった。

 

 

 

津田さんとの会話を思い返す。

 

話を要するに、よく解らないものがいたから監視しよう、だ。

……聞けば分かると思った自分が浅はかだった。

津田さんも、艦娘の皆さえ、知らないのだ。

 

解らないものは、残っている。しかし私は、ほんの少しだけ安堵していた。

不安は消えていないが、それに一人で立ち向かうわけではないのだと、そう思えた。

自分だけではない、という意識が心地よかった。

 

解らないことではなく、孤独なこと。

私は、自身の不安の肝に、今更気付いたのだった。

 

 

この後どうするか思案しつつ、ぼんやりと天井を見上げていると、扉が開く音が聞こえた。見ると、紅袴の美人が立っていた。確か赤城さんだったか。

 

「こんにちは、昨晩はどうも」

彼女は穏やかに笑いかけてきた。

 

しかし、私はその目の奥に、何か鋭い物を感じた。自然と体が強張る。

私は「こちらこそ」と返した。

 

「……津田さんに、色々と聞いてしまったそうで……」

そう云いながら、私の正面に彼女は座った。

 

その瞬間、目の鋭さが一層増し、強烈な寒気を感じた。

 

飢えた人喰い熊に、睨まれたような感覚だった。

目をそらしたら、瞬く間に食い殺されそうな錯覚に陥った。心臓が早鐘を打って、逃げろと訴えているように思えた。昨晩の空母棲姫の姿より、微笑みを湛えた今のほうが数倍も恐ろしかった。

 

殺気というものを、直に感じたのは初めてだった。

 

私が津田さんに聞いた話は、彼女にとって、何か物凄く重要な意味を占めるものだったのだろうか。

私への敵意を抑え切れないほど、彼女の怒りは激しいということか。

 

 

「何か……まずかったでしょうか」

恐る恐る、しかしそれと悟られないように、なるべく彼女を刺激しないように、尋ねた。

 

「ええ、それはまあ。一応機密事項なのですからね……」

彼女は、周囲をチラチラと伺っている。

 

恐ろしい単語が、想像が、私の脳裏に浮かんだ。

 

暗殺ーーー。

機密を知った者の口封じ。

彼女は、周囲に人の気配がないか確認している……?

 

一度考えてしまうと、もう止まらなかった。

背中に冷たい汗が流れる。

まずい。まずい。まずい……!

 

さっきまでの安堵は消え失せ、代わりに命の危機がやって来た。

そこで彼女は、微笑んでこう云ったのだった。

 

 

「知らないほうが、良かったのに」

 

 

ーーー最後通告だ、そう思った。

 

 

 

「わ、私は……!」

 

椅子が倒れるのも気にせず、夢中で立ち上がった。

 

 

何が彼女をここまで怒らせたか、それは解らない。

ひょっとしたら、何人にも絶対に、知られたくないことだったのかも知れない。

 

 

だが、何も為さず、死ぬのは嫌だった。

 

この基地に来て、ひどく悩んだ。

未知という渦潮の中でもがいた。

 

漸く、進むべき方角が、わかった気がしたのに。

この基地で何を為すか、何を成したいか、掴みかけていたのに。

 

何も成さず、死ぬのは嫌だ。

 

「ど、どうしましたか……」

赤城さんは、面食らったようだ。鋭い殺気も感じなくなっていた。今だ、と思った。

 

「私は……ひ、必要だと、思ったのです」

 

「はい?」

 

「あなたたちを、知るために、必要だと、そう思ったのです」

いつもの激情に任せ、私は必死で、切れ切れに言葉を紡いだ。

 

「貴女方が、なにを感じるのか。何が好きで、何が嫌いで……どんなことに喜び、どんなことに悲しむのか。一体何がひ、ひと、ヒドミさ、うぇ、げほげほごほ」

 

私は、噎せた。

慣れない早口をするものじゃないと思った。

 

「あの……ゆっくりで、いいですよ。聞いてますから」

 

「は、はい、すいませ、げほ、んんっ」

全く締まらないところは、いつもの私だと思った。

 

「つまりその、一体。一体何者が、ヒトミさんの、あんなに素敵な笑顔を、恐怖と悲しみに染めてしまうのか」

 

「そういうことを、知るためには、必要だと思ったのです。この基地に横たわる事情とか、貴女方という存在の正体とか、私の役割とかを、知っておくことが」

 

 

ややあって、彼女は口を開いた。

 

「えー…と、なんだかよくわかりませんが、わかりました」

彼女は、曖昧にそう言ってから、

「それで、それらを知って貴方は……その後、何をしたいのですか?」

と、問うてきた。

 

この基地で、何を為したいか。それだけは、もう決まっていた。

別に、この基地でなくとも、自分が自分である限り、それだけは変わらないと思う。

 

「この基地を、この基地の人たちを、支えられる。そんな立派な司令官に、なりたいです」

 

 

 

無表情だった赤城さんの小さめな目が、少しだけ大きくなった気がした。そして、

 

 

「ばふっ」

 

 

破裂するような音がして、私の顔に、何か冷たいものが、ぴち、と飛んできた。

 

彼女が、盛大に噴き出したことを理解するのに、3秒ほど必要だった。

 

 

「うぇふっ、ごめ、なさ、いひふっ、ふ、ふふふ」

彼女は、口を押さえ、肩を震わせて笑っている。

そんな様子を見ていると、確かに、凄くこっ恥ずかしいことを言ってしまったような気がしてきた。

でも、そこまで笑わなくてもいいじゃないか。

 

「な、なぜ笑うんです………!」

不平を溢す。怒りと恥とで顔が真っ赤になった。

 

「す、すいませ、んふぅ。ふっふふ、けほけほ」

彼女は遂に、机に突っ伏して笑い始めた。依然として、笑いを噛み殺すのに失敗し続けている。

 

結局、彼女はそのまま、3分ほど笑い続けた。

あんまりだと思う。

 

 

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ようやく落ち着いたようだ。赤城さんは、ふぅぅ、と長い息を吐いた。

 

「ごめんなさいね。あんまり子どもっぽいことを言うものだから、つい………」

 

私は椅子に腰を落ち着けて、少々憮然としながら、「ええ」と返した。

「津田さんが、仰ってました。貴方は、変な人だって」

津田さんまでも、私を馬鹿にしていたらしい。この基地の人達は、いくらなんでも、酷くないだろうか。

 

「それには、私も同感です。でも」

彼女はそこで少し言葉を切って、先刻の微笑を顔に戻し、言った。

 

 

「あんまり、悪い人じゃなさそうで、良かった」

 

 

「……まあ、そう思って頂けたなら…」

さっきの赤っ恥も、無駄ではなかったと思うことにした。殺気もすっかり消えている。

結局、怒りの原因は何だったのだろうか。

 

「今迄の人達は、あまり私たちと関わろうとは、してくれなかったので」

少しだけ寂しそうな顔をして、彼女は言う。

 

「そうでしたか……」

さっき津田さんに話を聞くまでの、酷い不安の渦中にあった自身の心情を思い返すと、余り前任の者たちを責めようとは思えなかった。私だって、同じような道を辿っていたかもしれない。

 

「私たちのことを知ろうとして頂けるのは、嬉しいです。でも」

彼女は、自分で言うのもなんですが、と前置いて、

「この泊地の娘たちは、結構面倒くさいですよ」

と、そう言って、頬をぽりぽりと掻いていた。

 

「……と、言いますと?」

彼女は、「なんと言いましょうか…」と苦笑いした。

 

「津田さんに、中間体の話は聞かれましたよね」

私は「ええ」、と返す。

 

「中間体の発現は、ある日突然、一切の前触れなくやってきます。ここの娘たち、全員がそうだったみたいです」

先ほどの話、神通さんの身に起きたことを思い出した。

 

「私たちは、光源の少ない、暗い場所に行くと、自然に深海棲艦の姿になることが、いままでのところ、分かっています。夜の廊下、夜の海、どこであろうと。多分、寝ている時も。月光や、夜間に点灯する街灯の光程度では、戻れません」

 

「でも、反対に明るい場所にいくと、艦娘の姿に戻る。それは昨晩、貴方も見た通りです」

恐らく一生忘れられないであろう光景が、フラッシュバックした。

 

「つまり大抵の場合、中間体の存在が発覚するのは、夜。考えてみてください。戦闘を目的としたある集団の中に、敵の姿をした者が突然現れるのです、真夜中に。どんな事態になるか、想像はつくでしょう?」

 

「……」

神通さんは、殺されかけた。

 

もし仮に、自らの正体を証明できたとしても、異形の姿をした者がその集団で、どんな扱いを受けるか。

疎外されるだけなら、まだ有情。不気味がられ、迫害される。ーーーきっと、昔から変わらない。

 

「どんなに上手く立ち回っても、人の心までは変えられません。昨日まで背を預けていた仲間に、気味悪がられ、はじかれ、途方に暮れて。そうして、ボロボロになった心を引き摺って、ここに流れついているんです。みんな、そう」

そして流れついたこの基地でも、決して暖かく迎え入れられた訳ではないのだろう。少なくとも今までは。

 

「だからきっと、貴方に冷たい娘が多いですよ。そう簡単に、心を開いてくれるとは、思えません。沢山辛いことがあったから、傷つくのが怖いから、自分の弱い部分は見せまいとすると思います」

まぁ、多いと言っても母数がそもそも、少ないんですが、と彼女は付け足した。

 

「彼女たちに歩み寄ろうとすれば、その分、貴方のストレスが増えると思います。彼女たちを蝕んでいるものに、貴方も蝕まれてしまうかも知れません。風邪みたいに伝染するんです、負の感情というものは」

彼女の笑顔が、疲れて見えた。それは、私の勘違いではないと思った。

 

「だから、結構面倒くさいと、思うんですよ」

 

「……そう、でしたか」

根が深そうな問題だ。一朝一夕で解決はできそうにない。しかし、私がしょぼくれて居るわけにもいかない。負の感情が伝染するなら、誰かが正の感情の感染源になれば良い。私が成すと、決めたのだ。

 

「それでも、私は頑張りたいです。この基地のために」

 

「………そう」

あまり期待はされないのかも知れない。或いは、拒絶されるかも知れない。

だが、めげるわけにもいかないのだ。自らの意地にかけて。

 

 

結局その話は、それきりだった。

 

 

 

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「ところで」

と赤城さんが切り出した。

 

 

再び、ぞぞ、と寒気がした。

 

 

肌が粟だつ。先ほどの殺気のような感覚がまた戻ってきたのだ。

目にも鋭さが宿っている。彼女の怒りは、まだ収まっていなかったということか。

 

「な、なんでしょう」

肺を直接掴まれて、空気が無理矢理に押し出されるような重圧に耐えながら、答える。

 

「今日のお昼は、何を食べられますか?」

 

「え……ええ、と。昨日作った残り物がありますので、それを」

依然、彼女は獲物を見つけた人喰い虎のごとく、私を視界の中心に捉えていた。

 

「まあ。お料理をなさるのね」

妙に芝居がかった仕草で、彼女は口に手を当てた。

 

「ま……まぁ。人並みには」

いまいち、彼女の意図が汲み取れない。何だというのだろう。

 

「私、こう見えて、和食が好きなんですよ」

はぁ、と曖昧に返事をする。どこからどう見ても、和食以外食べなさそうだと思ったのは黙っておいた。

 

「因みに。昨日は何を作ったのですか?」

 

「白身魚の炊き込みご飯ですが……」

 

「あら、あらあら!私の好物です!」

 

これは、まさか……。

いい加減、感付いたので、聞いてみた。

「あー……試してみます?」

 

「是非!」

彼女は私を真っ直ぐ見つめ、淀みなく答えた。

 

 

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私は、炊き込みご飯を小さな茶碗によそって、電子レンジで温めた。

その間、背中にずっと、赤城さんの劇甚たる重圧を感じていた。

 

茶碗を前に置かれると、彼女は上品に手を合わせた後、一口目を口に運んだ。

 

 

ろうそくを吹き消したように殺気が消え、ひまわりのような笑顔が咲いた。

 

 

「とっても美味しいです」

何度見ても美人の笑顔は素晴らしい。

というかさっきまでの重圧は、まさか殺気でなく食い気だろうか。いや、そんなことが……。

 

「ごめんなさいね、なんだか催促したみたいで」

 

「いえいえ、大丈夫です」

私にそのような意識は全くなかった。どちらかといえば、催促というより、脅迫・強請の類である。ふと気になって、少し思いつきを試してみることにした。

 

「もし良ければ、また作りましょうか」

 

「是非!」

また、淀みのない答えと、さっきの重圧がもどってきた。

やっぱり食い気だった。

 

 

 

しばらくの間、口一杯に頬張ったハムスターみたいな赤城さんを眺めた。

 

彼女があんまりいい顔で食べるものだから、ついついお代わりを奨めてしまった。

 

そんな私の今日の昼ご飯は、白米に味海苔、とつつがなく決定したのであった。

 

 

 

 

 

 




羽虫くらいなら、殺せる食い気。

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