陸上進化。イ級改め、イロハ級 作:あら汁
――その日、姫は発狂した。
繰り返す、姫は発狂した。
「い、イロハがおかしくなったーーーーーー!?」
元は、鎮守府でちょっとした艤装テストを行った快晴の日の事。
湾内で試験を行う艦娘達に立ち会ったイロハが、空母たちや重巡たちを見つけて溢した一言。
「艦載機……いいなー」
それは要するに、駆逐艦でありながら艦載機を搭載したいと言う兄の欲望。
傍で聞いていたレキが、工厰に入り明石に相談した。
「明石さん、お兄ちゃんに艦載機って搭載できないかな? わたしのデータ流用していいから」
レキの純粋な兄の願いを叶えたいと言う思いが、妙な方向に火をつける。
夏バテを起こしてやる気の入らない明石に、その話題は禁句だった。
面白い夏休みの自由研究を発見した小学生の如く。活性化した明石が暴走。
数日後。見事にイロハの飛行甲板が出来上がって乗っけたイロハがおおはしゃぎ。
「……レキ、正直に答えて。何をしたの?」
「お兄ちゃんに飛行甲板つけられないか、明石さんに相談したの」
何も知らない姫が、ラジコンを飛ばして喜ぶ彼氏に絶句する。
妹に聞けば、明石の暴走であると目に見えていた。
確かにイロハの背中は大きいし、人も余裕で乗れる。
今、そのスペースは平べったい甲板になっていて、のったのったと走り回る黒いオタマジャクシの上でラジコン飛行機が飛んでいる。
……駆逐艦だよね?
「提督さんがね、お兄ちゃんは『航空潜水駆逐艦カッコカリ』っていう機種にするって」
レキ並みに正式名称が長かった。駆逐イロハ級の頃が懐かしい。
提督もイロハの魔改造っぷりに胃痛を覚え始めた。最早イ級の名残すらない。
潜水艦よりも硬く、速く、強く。艦載機を飛ばせて主砲も魚雷も対空も出来る駆逐艦。
「イロハみたいな駆逐艦がいるかーっ!!」
「て、提督! 落ち着いてください!!」
執務室で書類見て叫ぶ提督。大和が何とか落ち着かせる。
夏の暑さも本格化してきた七月の中旬。皆さん暑さで頭がアッパッパーになっていた。
「姫さん、姫さん! 見て、艦載機飛ばせたよ俺! カッコいいでしょ!」
無邪気に見せてくるイロハ。言葉を失い、頭を抱える姫。
駆逐艦って何だっけ……?
此のときはまだ、イロハは喜ぶだけだった。交換式飛行甲板が正式装備になって、然し飛ばせる艦載機の予定はない。
そんなとき、鎮守府に一人の艦娘が現れた。艦載機の伝道師、通称――師匠と呼ばれる女が。
「君か。最近、艦載機を飛ばせている駆逐艦とは?」
「……?」
彼女は夕立の中、傘をさして歩いていた。
イロハは涼むために雨の中を濡れて鎮守府に向かっていた違う日の夕方。
「話は明石から聞いたよ。成る程、史上初の航空駆逐艦か。夢があるな」
膝をおって、歩道の真ん中でイロハを見下ろす女性。
土砂降りの中を法被をきて歩く彼女は何者?
名を尋ねると、
「私か。私は……そうだな、師匠とでも呼んでくれ。君に艦載機を紹介してくれと明石に頼まれた」
師匠と名乗る女性は、イロハにそういって懐から飛行機の模型を取り出した。
あれは……水上偵察機の模型だ。
「率直に聞こう、イロハ君。君、これ飛ばしたいと思わないか。カッコいいだろう?」
「おぉー……!!」
鎮守府まで案内すると師匠はイロハを先導する。
隣をイロハは歩く。何か凄いカッコいい偵察機だった。
「偵察だけじゃない。こいつは、実際航空戦にも使える傑作品だ。素晴らしいと思わないか、このデザイン」
「かっちょええ!」
「フッ……。イロハ君、君はロマンの分かる奴だな。そうだ、こいつはカッコいい」
不敵に笑う師匠。そのまま、鎮守府につくまでの道中、もう洗脳レベルでこの飛行機の魅力を刷り込まれたイロハ。
最後に、この艦載機の名を聞いた。師匠は腕を組んで、どや顔で告げたのだ。
「イロハ君、しっかりと脳裏に刻もう。こいつの名は――」
――瑞雲。
そして。
イロハは、壊れた。
「瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲」
何がどうしたのか、姫の部屋に小さな瑞雲の模型を置いて、それを崇拝するようになってしまった。
段ボールの中で、ひたすらに瑞雲と繰り返す光景は夏の暑さも忘れるほどにホラーだった。
「お兄ちゃん、ご飯だって」
「瑞雲」
っていうか、日常会話が全て瑞雲の一言で集約されて会話不能になった。
現在、イロハとコミュニケーションが可能なのはレキだけだった。
「瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲瑞雲」
「お願いイロハ、我に帰って!!」
模型を崇拝するイロハから、模型を取り上げると必死になって抵抗するので姫も強引にできない。
鎮守府で何があったのか明石に問いただすと、
「……師匠が洗脳していったんです。恐ろしい、瑞雲教へと」
死んだ目でそう説明された。明石にも理由はわからない。
確かにイロハがおおはしゃぎしていたのは知ってる。が、これは酷すぎる。
提が、督鎮守府にきてまで崇拝するイロハを捕まえて瑞雲を引ったくる。
すると、今度は違う艦載機のラジコンを装備、そのまま提督に突撃させた。
「ぐあああー!!」
そしてイロハ本体も突撃し、提督を薙ぎ倒す。
工厰内で倒れる提督に凄むイロハ。
「瑞雲……その基本はぁ、発艦して俺も突撃、超完璧……」
血走った目で、のっしのっしと近づいてくる。
その背中には、マジものの瑞雲が既に発艦しようとしていた。
「お兄ちゃん、瑞雲以外にも水上偵察機あるよ?」
艦娘が割って入って、提督が持っていた模型をイロハに慌てて返す。
レキが能天気に頭の後ろで手を組み、言うとギョロっと振り返るイロハ。
「瑞雲がオンリーわん、ナンバーわん!」
「さいですか。まあ、わたしも瑞雲飛ばそうかなって思ってたしちょうどいいか。ただ、お姉ちゃんの言うことは聞いてね。瑞雲ばっかりじゃ会話できないよ」
「分かった瑞雲」
語尾に瑞雲とついたが、何とかイロハとの意志疎通はレキのおかげで取れるようになった。
しかし、依然イロハは瑞雲を信仰する新手の宗教にハマって、出てこれない。
「イロハがああなったら、あたしもああなるしかないわ!! 明石、あたしにも飛行甲板をつけて!! そしてあたしも瑞雲を乗っけて頂戴!!」
「落ち着いて姫ちゃん!! 無理、姫ちゃんには無理だってば!!」
イロハが狂っても見捨てない姫は、自分だけ瑞雲が使えないと気付く。
レキは尾っぽがカタパルトになっていて瑞雲を使える。イロハもいけるなら姫も同じになりたい。
理解したいがために姫も暴走。夕立と長門、天龍が制止する。
「お前まで瑞雲がどうとか言われたら困るわ! 何を信じようと姫の勝手だけど、あのレベルはヤバイから!」
「そうだぞ、姫。お前はそもそも、甲板をつける余裕はないだろう?」
姫の艤装である義足にはそんなスペースはない。
すると、
「だったら胸でも何でも使うわ! 平たいならいけるでしょ明石!?」
「無理ですから!! 半泣きになって怒らないで下さいよ!」
胸囲を使うとまで言い出した。微妙に泣いていた。
……此処だけの話、姫の胸囲の発育は……お察しください。
レキ、夕立、天龍、長門。割とある前者二名、豊満な後者二名。
では、姫は? 悲しいかな、フラットトップでした。
「平たいのなんて、こう言うとき以外にしか出番なんてないのに……」
「お姉ちゃん、ドンマイ」
暴走した挙げ句に自爆。現実に惨敗し大敗。
工厰の隅っこで膝を抱えてしくしく泣き出す姫をなんとも言えない顔で慰める妹。
意外と、気にしていたらしい。変なところで発露した。
「なんか……すまん、姫」
「うむ……申し訳ない、でいいのか? この場合は」
天龍と長門にも謝罪されて、最後には姫は拗ねてしまった。
夏、薄着で過ごすことが多い季節。体型がバレやすい季節でもある。
……話がずれてきたが、今はイロハの瑞雲教の方を何とかしないといけないのを思い出す。
「レッツズーイウウウウウウン!! イヤッハーーーーーーーー!!」
何か悪化していた。瑞雲使って飛行機ごっこまで始めている始末。
このままで愛しの彼氏が、兄が、瑞雲バカになってしまう!!
アッパッパーになってしまったイロハをどうするか、皆で考える。
無理に引き剥がすと暴れだす。違う艦載機も興味なし。
瑞雲一筋。一発殴って元通りにならないだろうか?
「おっし、殴ってみるか」
気絶させてみることにした。天龍が意気揚々と腕を捲ってイロハに近づく。
「ああっとイロハ、あっちにデカイ瑞雲が飛んでるぞ!!」
わざとらしい陽動で指を指す天龍に釣られて、
「瑞雲!?」
イロハは見事に反応。隙を見せた。無防備な尾びれ。
(今だ!)
飛びかかって自慢の刀で峰打ち、と思ったら。
なんとイロハ、素早く瑞雲を発艦させて察知、その行動を先読みし、華麗に回避。
スッこける天龍に、尾びれで凪ぎ払って吹っ飛ばす。
「うぉ!?」
慌てて防御して体勢を立て直す。距離を離す二人。
「瑞雲、なめるなし。偵察機は伊達じゃない!」
堂々と宣うイロハはまるで某悪魔のように強そうだった。
「いいぜぇ、やる気かイロハ! 久々に燃えてきたぜ!」
不意打ちが通用しないと分かったら、天龍も正面突破する。
面白くなってきた。強くなったなら相手してほしかった所だ。
夏バテ防止に、ちょいと暴れてやろう。
「外でやれよ、頼むから!」
提督に言われて、イロハを陽動する一同。
こうなれば、みんなで殴って気絶させる。
隙を見て、レキが模型を奪取。そのまま逃げる。
「瑞雲が!!」
直ぐに追いかけるイロハが外に出た。
艦載機の瑞雲はまだ装備している。
「いい加減、目をさましてイロハ!!」
姫が先陣を切って突撃。
「あたしも続くっぽい!」
「私も出るぞ!!」
夕立、長門も飛びかかる。
姫がカタパルトに飛び乗り、夕立が顔にしがみつき、長門が尻尾を押さえる。
発艦する前に瑞雲を回収、投げ渡された瑞雲を明石が工厰にキャッチして持ち帰った。
「お、俺の瑞雲が!! やめて、俺の瑞雲様を返して!!」
暴れるイロハに追撃の天龍とレキも加わる。
そのまま、一匹の怪獣を女の子数名で取り押さえるシュールな光景は続く。
「でも、お兄ちゃんがここまで執着するの、初めてじゃないお姉ちゃん」
ひっくり返され抵抗するイロハのお腹にのって、座り込むレキが姉に問う。
確かに今まで無趣味だったイロハがここまで洗脳されたとはいえ、欲しがるのは初めてだった。
……洗脳されているからかもしれないが。
「ず、瑞雲……あのパーフェクトぼでーが、俺を呼んでいる……!」
いかん、取り押さえたのはいいが、禁断症状らしいのが出ている。
痙攣して瑞雲と繰り返し始めた。
「真面目に不味いな、これは……医者に見せるか?」
「深海棲艦の医者っているっぽい?」
医者なんかいる分けない。長門のずれた発言に気が抜ける姫。
夕立のツッコミ通りだ。
「イロハ、さっきの動きは最高に良かった。今度また手合わせしようぜ」
「瑞雲ありでいい?」
「勿論だ。いや、瑞雲ありじゃないとな」
こっちじゃこっちで、試合の約束してるし。
天龍が宥めたおかげでイロハが若干、大人しくなった。今だ。
「目を、覚ましなさい瑞雲バカッ!!」
止めに、何とか起き上がったイロハの脳天に、姫必殺の踵落としが炸裂。
「ずいうん!?」
変な悲鳴をあげて、イロハは失神した。
ぐったりするイロハ。姫は荒い呼吸で、目をバッテンにしたイロハを見下ろす。
漸く静かになった。数時間経過した頃、目覚めたイロハ。
「うーん、何か変な夢を見ていた気がする」
「夢よイロハ。瑞雲なんてダメだからね」
首をかしげるイロハに教える姫。彼はよく覚えていなかった。
結局、正式採用されていた瑞雲はイロハ装備になり、だが彼は過剰に反応する事もなくなった。
ただ、今でも姫の部屋には日当たりのよい場所に瑞雲の模型と、ボトルシップの瑞雲が置いてあったのだった。