陸上進化。イ級改め、イロハ級 作:あら汁
歩く深海棲艦イロハ級
この海は平和なものだ。
謎の海洋生物、通称『深海棲艦』の脅威が近辺にある海軍防衛施設、鎮守府によって守られている田舎の漁港。
鎮守府が誇る人形秘密兵器、『艦娘』なる存在のお陰で少なくても、近海は平穏を保っている。
まあ、一般人からすれば艦娘も、深海棲艦も得体の知れない存在であることには変わらない。
軍事機密の塊である艦娘の情報も、突如として海を侵略し始めた深海棲艦も、民間が知れることは少ない。
無論、深海棲艦たる俺も、何故自分が深海棲艦という存在なのか。艦娘さんたちと同格の自我を持つに至ったのか。
その理由は分からない。ただ、幾つか言えることがある。俺は、人類の敵じゃない。
人を脅かす、害悪にはなりたくない。勝ち目の薄い戦いをするほど、自我の発達した今の俺は愚かではない。
たとえ、お偉いさんのモルモットだとしても。それで何かがわかるのなら。俺は喜んで身を差し出そう。
ああ、でも無事に帰りたいな。マスターのいれるコーヒー、まだ飲みたい。
だから、殺さないでほしい。話し合いには応じる。だから、俺を。
――殺さないで。
俺は深海棲艦と呼ばれる海洋生物の一種だ。
生物と海に沈んだ戦争の悲しき記憶が融合した、謎の侵略者『深海棲艦』。
突如として出現した海の悪魔に、人間の海路はあっという間に絶たれてしまう。
そのすべてが不明な彼らに対抗するために、軍隊が開発したという新兵器。それが艦娘。
若い女性と戦艦などを融合させた、高次元の兵器。ただ、その扱いは面倒だったと聞く。
詳しいことは最高レベルの軍事機密。
艦娘を指揮する司令官、提督と呼ばれる役職ですら詳細は明かされない。
申請することで本部から送られてくる艦娘を使うとかなんとか。
都合の悪い事実でもあるんだろう。本人たちも、記憶操作を受けているのか思い出せないと言うし。
……仕方ないとは思う。海底から、得体の知れない化け物が突然世界中で現れて、我が物顔で泳いでいる世界だ。
酷いときなんか、海辺の街を爆撃して壊滅させることだってあるらしい。主に艦娘運用施設、鎮守府を狙って。
しかも深海棲艦には人間の女の子に似た存在もいるのだと。
恐ろしいことに現代兵器の効果が薄く、下手すると一人で艦娘で構成された艦隊をも滅ぼせる。
俺のような独自進化、鎮守府のよる独自改造でもされない限り、奴等と対等に戦える艦娘は一部だけだ。
……ああ、話がずれた。深海棲艦のなかでも人間に似た連中は片言とはいえしゃべることもできる。
但し、意志疎通は不可。敵対意識しかない通常の深海棲艦には喋るだけ無駄だ。戦うしかない。
で、民間では艦娘はイコールで人間という意識。装備をはずして街を歩けば単なる女の子だ。
たとえ中身が、人と似た何かだとしても。だが軍はそうはいかない。艦娘とはただの戦力。
もっと言えば戦う武器でしかない。だから兵士ではなく、道具であり、兵器であり、消耗品。
人権なんて当然、ない。求められるは戦果と効率。犠牲を少なく、消耗を抑えて、敵にダメージを。
そう、これは侵略者との海を巡る戦争なのだ。戦争ならば、効率優先をしても寧ろそれは当たり前。
俺はその理屈にヘドが出る。
本来なら敵たる深海棲艦の端くれ、雑魚の俺まで使って領海を取り戻すために躍起になる。
人間には最早余裕はない。艦娘のことを割りきらないと、戦いをすることすらできない。
彼女たちを死地に送り、一人離れた母港の執務室で指揮を執る提督だって取り繕っている。
そうしないと、戦えないから。終える度に傷ついて戻ってくる少女たちを見て、誰が兵器と扱えよう。
無邪気に慕う彼女たちを戦争に放り込む外道は誰だ。
自分の指示、指先で失われるかもしれない命を、代えの効く消耗品と言い切れるゲスは誰だ。
俺の知っている、引退した年老いた元提督は言っていた。毎日、敵襲の知らせを聞く度に頭痛がしたと。
自分が戦えればどれだけよかったかと。
戦果と言う結果のみを追求する、求められる理想と目の前にある現実の板挟みでおかしくなりそうだったと。
……提督には、提督の悩みがあった。俺は敵にも事情があったのだと知った。
海軍と民間の艦娘に関する衝突は社会問題になっているし、そのへんは置いておこう。
少なくても地元の鎮守府は、ある程度の戦果をあげつつ、持続的な結果を出せるように頑張っている。
最近では轟沈したという話も聞かないし、大丈夫かと思っていたんだけど。
その日。鎮守府近海を散歩という手前で哨戒していた俺は、一人の女の子が沈みかけているのを見つけた。
……誰だろうか。気をつけて近づく。この辺で俺のことを知っている鎮守府の艦娘さんだといいが、知らない場合は襲われる。
距離をつめる。すると、武装から黒煙をあげている破けた服装の女の子だった。
(……雷さん?)
それはよく知る俺の恩人によく似ていた。力なく海面を漂うその人を慌てて背中に乗っける。
よかった。まだ、死んでない。派手に大破して気絶しているけど、たぶん生きてる。
……このまま放置しておいたら俺の同類に餌にされてしまう。どうやら、一部の深海棲艦は雑食で、俺のような駆逐と呼ばれる種類は大破した艦娘を主食としているらしい。
だから人間たちが分類する種類――俺なら駆逐だ――のうち、イ級などは激戦のある海域に生息していることが多いと聞いた。
近海は平気だけど、隣の鎮守府が担当する海域は怪物が毎日出没する激戦地区。
彼女、潮の流れからして、向こうから流されてきたのかな。
然し、本当に恩人に似ている。
茶髪の髪の毛も、幼い顔立ちも、着ている服も何処と無く。
でも、あの人がここにいるわけがない。
あの人は既にマスターと共に鎮守府を退役して、喫茶店で働いているはずだ。
それでもって、俺はその人達と生活している世界でまれに見る人と生きる、深海棲艦。
一応、鎮守府の明石さんという艦娘さんに改造されて今は非武装にしてもらっているし、鎮守府を通して海軍にも許可をもらっている。
その代わり、こうして定期的に近海の哨戒を担当しているわけだけど。
轟沈している艦娘を発見した場合、サルベージしてこいと命じられている。
救助じゃなくてサルベージ。嫌な言い方するよね。そういうの、嫌いだな。
とりあえず鎮守府に届けておこう。俺は陸に向かって泳ぎ出す。
独自進化してるからか、普通のイ級と呼ばれるタイプよりも俺は大型だ。
そりゃ、栄養状態は良いからな。旨い飯を毎日たらふく食えるし。
因みに俺は種類上、駆逐イロハ級と呼ばれている。他の駆逐深海棲艦よりも大型で陸上での活動もできるから。
まあ、尾びれはあっても背鰭はないし、形には恩人いわく、魚雷がオタマジャクシになったとか言われるし。
手足生えてるし別物ですからね。仕方ないです。
四肢を折り畳み、警戒に泳ぎ出す。
やろうと思えば水面を蹴飛ばして走ることも出来るけど、怪我人乗っけているので慎重に急ぐ。
艦娘さんはすごい。水面をスケーターみたいに華麗に舞う。一回見せてもらったけど綺麗だったな。
まさに戦乙女、って感じでさ。この子もそんな風に戦っていたのかな。
ついでに、同類のせいで漁業出来ない漁師にかわって、魚とりなんかも最近バイトでやってます。
深海棲艦ってば、軍艦だろうが漁船だろうが見境なく襲って撃沈させちまうから、今のご時世海の幸は高級品なのだ。
養殖場なんかも襲撃されて、食卓から海の幸が並びにくくなったそうだ。
幸い、内陸部には川魚がいるんで専ら魚といえば今は川魚メインである。
でもシャケとかウナギ食えないのって辛いよね。なので俺は海魚を捕獲してはもって帰っている。
恩返しのつもりだし。こうして万が一敵と遭遇しても俺なら艦娘さんよりも逃げ足早いし、確実に逃げられる。
そもそも、戦うために海に出てる訳じゃないからね俺。海の幸回収と哨戒が目的だから。
怪我人を背負った俺は、そのまま地元の鎮守府に艦娘を送り届けるのだった。
寄り道してたらお腹すいた。早くマスターんとこ帰ろう。
鎮守府が置かれた田舎の長閑な海沿いの町。
そこで、退役した元提督と元艦娘が経営する喫茶店がある。
名前は楽園。小さなカウンターしかないお店で、レトロな内装をしている、今の俺の住み処。
裏口から慣れた手つきでドアを開ける。後ろ足で立ち上がり、前足でドアノブを回す。
オタマジャクシよろしくの体格なので、うまく出来ないが慣れ。
海水を吸い込んで膨張した身体も元通りになったし。
深海棲艦はどうやら陸上で生活を始めると、身体が収縮していくようだ。
理由としては、水分が抜けて軽くなるから。陸上でのサイズは猫サイズだ。
逆に本来の大きさは大体、大きなバイク程度だろう。普通のイ級はもう少し小さいけど。
厨房から戻った俺は施錠しキッチンを通り抜けて、二階の住居に向かう。
四つ足だと結構床の汚れ見えるんだよな。厨房で誰か、コーヒー溢したみたい。
後で拭き掃除するべ。ま、それはいいとして。
階段を上がって、廊下を通ってお姫様たちのお部屋と伺う。
ふすまをノックして、返事があったので開ける。
「ふぁー……。あっ、おはようイロハ。早いじゃない」
「おはよう、雷さん。今朝の哨戒のついでにワカメ採取してきたよ」
畳に敷かれた煎餅布団。広くはない和室で寝ていた、寝癖の茶髪を整える女の子。
寝間着もちょっと着崩れしてるから、寝起きか。彼女は元、駆逐艦の艦娘『雷』さん。
俺の命の恩人の一人であり、現在同居している喫茶店のホール担当。
「ワカメ? 漁業組合の人に頼まれた?」
「うん、現物支給でバイトでさ。少し分けてもらったよ。店で使える?」
「んー……。マスターに聞いてみないと分かんないわね。神通と榛名がモーニング作ってるから、詳しいことは二人と相談してみて」
欠伸をしながら、持ち帰ったバイトの報酬である天然ワカメを入れた袋を持っていく。
地元の人たちとも俺はある程度上手くやっている。主に漁業代理。魚介類の入手を。
お金は貰えないけど、少し現物貰えるから有難い。報酬としては破格だと思う。
一応、同類とはいえ襲われるから命懸けだし。
「ちょ、イロハ。あなた、ちょっと臭いわよ。お風呂入ってきたら? 準備しておくよ」
嫌そうな顔で雷さんに言われた。そりゃさっきまで、海泳いでましたから。
世話好きな彼女に抱き抱えられる。うーむ、小柄な雷さんですら軽々とか。
最近、体重減ったかな。干上がってるのもあるけど軽すぎじゃないか、俺。
「あー……少し汚れてる。もう、仕方ないわね。私が綺麗にしてあげるわ」
「お手数をおかけします……」
苦笑する雷さん。項垂れる俺はそのまま風呂場に直行。
寝間着のまま、腕捲りする雷さんに、全身を束子で洗われる。
お湯をかぶり、みるみる巨大化する俺。次第に悪戦苦闘する恩人。
最後は浴槽にお湯を溜めて、入浴。ギリギリのサイズなので狭い。
「相変わらずお風呂になると大きくなるわね。やりがいがあるわ」
大きさの逆転をしてつっかえながら脱衣場に出た俺を、バスタオルで丁寧に拭いてくれた。
「ありがと、朝っぱらから」
「いいのよ。もっと私を頼っても」
「そんな、これ以上はおそれ多くて」
雷さんは、面倒見のよい姉貴分。ホント、カッコいいぜ。
笑いながらやってくれた。俺はそんな雷さんに何時も感謝しながら生きている。
この物語は、陸に上がった駆逐イ級と元提督と元艦娘が贈る、日常の物語。
戦いから離れた俺達の、ありふれた日常のストーリーである。