林間学校
「あーもう、腰が痛てぇ……」
僕の隣で前屈みに歩いていた花村がぼやくように呟いた。もう何度目だろう。僕らがやっているエリアはもう三人いる。一条と長瀬、そして鳴上。里中と天城は別のエリアだ。
一条も同感だったようだ。曲げていた腰を伸ばし、いささか年寄り臭い仕種で、とんとんと拳でそこを叩く。
「せめてアレ使わせてくれよな、何ての、ゴミ挟んで拾う、トング?」
「そんな予算が八高にあるわけないだろ」
一条に釣られたのか、長瀬も同じように体を起こしてとんとんと腰を叩いた。
「つーかマジ詐欺だろ、林間学校っつったら楽しくキャンプとか、オリエンテーリングとか、せめて伝統工芸品体験製作とか、そんで夜になればキャンプファイアーとか肝試しとかだろ?
何が悲しくて汗水垂らして昼間っからゴミ拾いなんてしなくちゃなんないんだよ?」
花村のこの台詞も、かなり聞いた。僕は疲れたアピールでため息をつく。
「でもさ花村。事前に里中と天城から言われたでしょ。ゴミ拾いしかやらないって」
「そりゃ言われたけどさ。でも林間学校なんて言われたら期待するっての。二学年合同、普段面識の無い他のクラスの女子とか、一年生の女子とかと親密になれるいい機会じゃねぇか。
慣れきった学校から遠く離れて、見知らぬ土地で気分も開放的になり……」
「いやここ学校から歩いてすぐだから」
「地元だから」
僕と一条がいちいち律儀にツッコミをしてしまうのは、そうでもしないとゴミ拾いという作業に飽きてしまうからだ。ホントにめんどうなのだ。
「女子と話なんて、面倒臭いだけだろ」
長瀬がつまらなさそうな顔で口を挟む。花村が茶化すとさらに面白くないような顔になった。流石に不味かったかな。長瀬はスポーツ、というかサッカーバカだから。
「しっかし、キリ無いよなー。袋の中結構パンパンになってきたのに、まだこんだけしか進んでないぜ」
そう言いながら振り返った一条に釣られ、僕らも振り返る。そしてまた四人揃って顔をしかめ、大きくため息をついた。
全然、進んでいなかったのだ。
僕たちに割り当てられたエリアは道のなだらかなハイキングコースだった。
「ここなら歩くの楽だし、もっと奥の方に入らないといけない場所に振られるより運がいいと思ってたけど」
花村がもう一度ため息をつく。
「歩くのが楽な道って事だから……それだけ人が多くて、ゴミが多いって事だよな」
僕が呟くと一条がウンウンと頷いていた。
とにかく、作業を終えてしまわないと帰れない。僕らはいやいやながらにまたゴミ拾いを再開した。
空き缶、ペットボトル、スナック菓子の袋に弁当のトレー、おにぎりの包みにコンビニのビニール袋。道の端々にそれらのゴミが投げ捨てられている。錆びきった自転車まで転がっていたが、さすがにこれはごみ袋に入らない。後で別途集合場所に運ばなくてはならないだろう。
「ったくマナーの悪い奴がいるもんだな」
仏頂面で、長瀬が地面にこびりついたティッシュの残骸を拾い上げた。
「見ろよ、まーた煙草の吸い殻とか。何で健康的にハイキングしに来て不健康にタバコ吸うんだか意味わかんねぇよ。つか山火事になるっての」
花村もげんなりした様子でぶつぶつ呟きながら、それを自分の片手に握ったごみ袋の中に投げ込んだ。
「オレもあっちのが楽だったかなぁー……」
一条は何となくハイキングコースから山頂方面へ道を外れた方角へと視線を向けた。
背の高い草や木々で隠れてしまってここからでは見えないが、向こうにも何人か同じ八十神高校の生徒がいるはず。
今、鳴上は別の場所にいる。草木の間に埋まった古タイヤを見つけた一年生の女子生徒たちが、自分たちでは無理だと彼を連れてった。
一条たちも手伝おうかと申し出たのだが、スコップがひとつしか無いからいらないと断られたようだ。何故他人事なのかって? 僕は別に申し出ていないからだ。
「あの後輩女子たち、有里も連れてこうとしたよな」
花村がそう言うけど僕は別に頼まれても行く気はなかった。どうせ鳴上が行くだろう、そう思っていたからだ。そして、実際にそうなった。
「スコップがもうひとつあったらな……。とか呟いて去っていったけど、別にスコップがふたつあっても行かなかっただろうね」
ここで花村たちと一緒に喋りながらゴミ拾いしていた方が楽チンだし。
……何か一条と花村の目線が少し恨みが混じっていたけど理由が分からないので気にしないことにした。
「どっちにしろ面倒なのは一緒なんだ、こうなったらトレーニングのつもりで前向きに取り組もう」
愚痴を嫌ってか、長瀬が力強く言うと、腰だけではなく膝も曲げて地面に落ちているゴミを拾い始めた。勢いづけのつもりらしく、「うおおおおお」と雄叫びを上げている。
それに釣られて一条も勢いよくやりだした。
「有里、お前運動部だろ」
「僕、自宅警備員が夢なんだ」
「ようするにサボりたいだけだろ。ダメだからな」
花村のケチー。
一条と長瀬の勢いがもったのはほんの十数分の事だった。
「しまった。誤算だ、余計疲れた……!」
「いやちょっと考えれば分かるだろ。普通に」
ぜいぜいと肩で息をして動きを止める運動部組に、追い付いた花村が呆れたように感想を述べた。
結局僕たちは元どおりうんざりした仕種になって、またゴミ拾いを続ける。
無駄な動きをして疲れたせいで黙りがちになる一条と長瀬に退屈したのか、だらだらと空き缶を拾いながら花村が口を開いた。
「……なぁ、お前らは好きな女子いる?」
「急に何訊いてんの?」
僕は思わずツッコミをいれる。
「いいじゃん、宿泊イベントの醍醐味だろ」
「そういうのはせめて消灯時間後に布団入ってからにしようぜ」
「有里とは同じだけどお前らとはテント別じゃん。なぁ、教えろよ。いんの? いないの?」
ためらう一条に、花村は答えを聞きたいというよりも、反応を楽しむような態度で訊ねた。
一条は何となく困って長瀬や僕の方を見たが、長瀬は特に救いの手を差し伸べてくれる事もなく、何食わぬ顔で黙々とゴミ拾いを続けている。もちろん、僕も。
「……好きっつーかぁ、まぁ気になるっつーか……人は、いるけどー……」
「誰? 同じクラスのやつとか? それとも一年? 三年? まさか先生? もう告った? どんな子? 可愛い?」
ぼそぼそと答えた一条に、花村は身を乗り出しながら畳みかけるようにして質問を重ねる。……てかうるさい。完全に面白がっている。
「ほんとちょっと気になってるだけだって! まだ好きとかそういう段階じゃないって!」
「つまり、告白なんてまだ先の先。好きなのかも現時点では分からない、と」
僕がそう言うと一条は「そ、そういう事だ!」と頷いた。
「ふうん、でもま、お前にならどんな女の子だって好きだーとか言われたら喜ぶだろ、“コーちゃん”」
「やめろよ、お前が言うと気色悪いんだよ」
学校の女子生徒がふざけ半分で呼ぶ自分の愛称を花村に、それもしなを作られながら言われても、一条はさっぱり嬉しくないようだ。
「んで、有里は?」
……標的が僕に移ったようだ。逃げたいがここまで話を聞いた以上、逃げれないだろう。
「好きな人、いんの?」
「好きな人……かぁ」
今までに会った女性たちを思い浮かべる。
ゆかり、風花、アイギス、美鶴先輩……。千尋、結子、舞子、そう言えばネットゲームでの「Y子」って鳥海先生だったよな。んで最近だと天城、里中。
まず舞子は小学生なので即除外。鳥海先生もなし。
うーん。「好き」とかよく考えたことなかったから。結構難しい。
「前の学校とかでいなかったのか?」
僕がかなり考えていたのが分かったのか、花村が助け船を出してくれた。
「女子と交流はあったよ。でも恋人はいなかったなぁ」
「そっかー。有里モテるからいるかと思ったんだけどなぁ」
「うんうん」
さっきまで被害にあっていた一条も花村側にいつの間にか寝返っていた。
「それに、さ」
僕が言葉を続ける。二人は静かになった。長瀬の方を見てみるといい奴だから何気に聞いてるのが分かった。
「もう、恋人を作る気はないかも」
「……何で?」
花村の質問に僕は色々と誤魔化して答える。
「僕が急に死んじゃったら恋人が悲しんじゃうから」
本来の世界の事を思うとやっぱり寂しくなる。向こうにしてみれば勝手に封印して勝手に眠りについたからね。いつ目覚めるか分からない眠り。それは死と同じ。
それにこの世界で恋人を作ってもたぶん、逆に最後悲しませてしまうから。
「……あ、変な話しちゃったかな。次いこ次」
気がつくと悲しげな表情を僕がしていた事に気づいた。一条は僕が言った事がよく分からなかったようだ。でも、花村は少し真剣な表情だ。……そうだよね。花村は“残される側”の気持ちが分かるから。
……さ、楽しい話に戻そう!
「てかお前はどうなんだよ、花村」
逆襲を試みたのか一条が花村に訊いた。……ってか花村にその話題はアウトなんじゃ。せっかく楽しい雰囲気戻そうと思ったのにこれじゃ悲しい雰囲気のままだよ。
「好きな女子とか、いんの? ウチの学校?」
花村にされたように、にやにや笑いながらからかうつもりで言ったのだろう。けど、花村がふと表情を暗くした事に驚いて手を止めた。
長瀬も花村の短い沈黙に気づいて、怪訝そうに地面のゴミから目を上げる。
「……花村。平気?」
僕は花村にボソッと訊ねた。
何か言おうとしたのだろう。一条が訊ねるより先に、花村はわずかに苦笑いに近いやり方で表情を動かした。
「んー、まぁ、“いたな”」
過去形、だった。その言葉はさっきの僕の問に「平気だ」と答えてるように思えた。一条も長瀬も過去形に気づいたようだ。理由について訊ねる事はしなかった。
花村が好きな「小西早紀先輩」は……死んでしまったのだから。
「いたっつーか、これからもずっと好き……かな」
ゴミ拾いをするために屈めていた体を起こし、花村はどこか遠くを見るような眼差しで呟いた。
「……お前もいろいろあるんだな」
長瀬がぽつりと、小さな声で呟く。
「おう、男の子だからな!」
花村は一条と長瀬を見て、いつもの彼らしい明るい顔で笑った。僕はホッとした。
申し合わせたわけでもないのに、四人で再びゴミ拾いを再開した。
「そういや、アイツは誰か決まった相手とかいんのかな、もう」
一条が何気にそう言った。まだタイヤ堀から帰って来ないもう一人。鳴上の事だ。花村と僕と同じ都会からーー僕の場合は別世界だがーーの転校生。
その話題性に加えて、クールだが男気あふれた容姿と言動で、狭い学校内とはいえ生徒間で注目の的だ。
そんな彼と近くにいる僕らだからこそ分かる事だけど、アイツはただの天然だと思う。うん。クールでたまにカッコいい事を言うのは認めるが。
「あー、どうなんだかな」
教室や部活動の無い日に鳴上とつるむ花村は一条の問いに首を捻っている。ちなみに僕は部活動は行かない日があるから時間は合わない。だから花村と比べると僕は鳴上と余り一緒ではない。
「そういう話しないの? お前ら」
「するっていえばするけど……。なぁ、有里」
「うん。突っ込んだ話まではしてない」
僕と花村は互いに苦い顔をした。
「思い当たる相手が多すぎて、これっていうのが絞れねぇ」
「うんうん」
「あぁ……」
何となく納得したのか、一条は頷いた。
「アイツの事気にしてる女子、多いっぽいしな。放課後、たまに誰かと話してるの見かけるし」
「学校内だけじゃねぇぜ。鮫川の土手の辺りで人妻と話し込んでたり」
「そういや、ウチのサッカー部の奴が、怪我で入院した時に美人のナースと空き部屋に消えたのを見たとか何とか……」
長瀬が思い出したようにそう呟いた。僕も放課後たまに見かける時がある。僕はその時の状況を思い出してみる。
「日曜日に河川敷行くと喪服のおばあさんがいるんだけどさ、そのおばあさんと話してるのを見た」
「……アイツ、どこまで守備範囲広いんだ?」
花村が真顔で唸り声をあげている。一条も同感らしい。すると長瀬がまた何か思い出したように呟いた。
「有里ってたまに神社で小学生の女の子と遊んでるよな? 知り合い?」
「いや。頼まれたから」
男子二人が食いついてしまった。
「フェザーマンピンクの人と知り合いなんだってな! あと綺麗なお姉さんと話してるのを友達が見たらしいぞ」
「有里くん。詳しく聞かせてもらおうか」
長瀬。恨むぞ……!
な、何とか話を変えなければ。
「そ、そう言えば
「そうだな! ゴミ拾いで疲れ果てた体に、女子の手作りカレーはきっと染みるぜぇ」
よ、よかった……。
「夕食まで頑張ろうぜ! 思い出したら俄然やる気出てきたわ、俺」
「いいなー、オレの班の女子なんてまるっきりやる気無いぜ。オレもお前らんとこ貰いに行こうかなー」
「ダメ、よその子にあげる分はありません」
「くそ、夕食の話なんかしてたら腹減ってきたなぁ」
僕以外の三人は夜の食事だけを楽しみにして、ゴミ拾いに励んだ。……今の内に、覚悟決めておかないとなぁ。