車などの乗り物が発達した現代日本でも場所を探せば馬に乗ることはできる。だが、日本では余り盛んなものではなく、どちらかと言えば馬に触れる機会と言ったら競馬の方が親しみ深いかもしれない。なので虎近は勿論乗馬などやったことはなかった。
そのため今まで知らなかったのだが……
「馬っちゅうんは、あんま乗り心地良くないのう」
「貴様ぁ!華琳様の後ろにのせていただいておいてなんだその言いぐさはぁ!」
夏候惇……いや、春蘭の大声に虎近は「しゃあないやろ」と肩を竦めつつ、現状に思いを馳せる。
さて、現在虎近は華琳達と共に彼女が追っていた盗賊を追いかけていた。
半ば脅迫に近い(と言うか脅迫以外のなにものでもない)勧誘により
虎近は最初は乗ってみればなんとかなるだろうと甘く見ていたのだが、乗った瞬間に馬が暴れだし振り落とされて尻餅と言うなんともはや情けない醜態を見せてしまい、そんな姿に華琳は、だからといって歩かせるのは効率が悪いと後ろに乗せてくれたのだ。まぁ効率重視半分で後は春蘭へのからかいがありそうだが……
しかしこうやってみると華琳は小さい。まあ自分が大きいのもあるがそれを差し引いても小さいというか小柄といった方がいいか。隣で同じく馬に乗って並走する春蘭や秋蘭はあのくらいの年の女子としては平均……いや、寧ろ高いくらいだろう。それと比べて対照的な華琳である。いやまあ顔立ちや今見ているこの金髪は綺麗であるが。
「ん?なによ」
自分に視線を向けていたのを背中越しに気づいた華琳はこっちを見もしないで虎近に聞いてくる。こいつ背中に眼でもあるのだろうかと疑いたくなるが虎近は慌てず言葉を口にした。
「いや、綺麗な髪やと思ってな」
「あらありがと。でも誉めてもなにもでないわよ?」
と、華琳もサラッと流し、そんな小さな見た目とは裏腹な堂々とした態度に虎近は静かに笑みを浮かべた。この少女が誉めちぎっただけで待遇を良くしてくれるならどれだけ楽だろうか……何せあの天下の曹操 孟徳である。そう単純には行かないだろう。
「しかし三人組を捕まえるために随分と大勢で行くんやな」
と、虎近はグルリと周りを見渡し鎧を着こんだ男達が行進している光景を見る。そんな虎近に華琳は呆れたため息をついた。
「あのね……三人なだけないでしょう?あなたさっき一応説明したんだけど聞いてなかったのね?」
「む?」
と、虎近は首を傾げ華琳はますます頭が痛いと眉を寄せる。それから、
「まず盗賊達に襲われた集落の生き残りから聞く限り恐らく元は農民」
「そんなんまで分かるんか?」
「服装や武器が剣を使うものもいたけど殆どが農具を使っていたらしいわ。恐らく食糧難から盗賊に身を落とした……と言う所でしょうね」
そして……と華琳は言葉を続けた。
「貴方が出会った三人は恐らくこれから盗む場所の下見してた帰りよ。あんたが見たのはその中の一員と思われる三人組ね。まあまだこの目で見たわけじゃないから絶対にそうだとは言い切れないけど」
華琳が言うには、その盗賊達はまず襲う場所を虎近が見たと思われる三人組が偵察。その後に襲う……と言う流れだと思われるらしい。
その証拠に盗賊が襲い掛かる前に見たことのない三人組を見たと生き残った者がいっており、その特徴は虎近が見た三人組と酷似していた。しかし、
「それが本当やったら凄ないか?」
「えぇ、偵察を行ってから襲うなんてただの盗賊にしては随分と計画的なやり方よね」
まあ少し位は歯応えがないと面白くないから良いけどね。と邪悪な笑みを浮かべる華琳に虎近は苦笑いと共にうすら寒いものを感じつつ居ると、
「報告!」
と言う声と共に青紫色の鎧を着た男が走ってきた。
「ここから一里先に目標の盗賊と思われる集団を発見!」
その報告を聞いた瞬間華琳だけではなく、周りにいた春蘭や秋蘭も真面目な表情に変わる。流石は三国志の英雄と言うわけかと虎近が感心していると、華琳が素早く秋蘭に指示を飛ばしこちらを見てくる。
「貴方は……戦えるのよね?」
「まぁ……せやけど殺しはしたことないで?」
そう虎近が言うと華琳は目を細め、
「つまり殺せない訳じゃないのね?」
「お前の強引な勧誘であってもな。ついていくんやったらそう言う事になるっちゅう覚悟はいるやろ?」
まぁ……実際目の前になったら出来るかは分からないがと虎近が頭を掻くと華琳は視線を前に戻す。
「ま、そんなに前線に出すつもりもないけどね」
「そうなんか?」
仮にも天の御使いだからね。と華琳を軽く肩を竦める。前線に出してさっさと死なれてはせっかく拾ったのに勿体無いかららしい……まあ自分の利用価値は戦場での働きじゃないのだから当然かと虎近は一人納得したのだった……
「アニキ!ヤバイっす!軍がこちらに向かってきてます!」
突如部屋に飛び込んできた男の声に、中に座っていたリーダー格の髭の男は舌打ちをして立ち上がる。
「軍?まちがいねぇのか?」
「へい!ちゃんとした武器や鎧持ってますし兵達の動きも訓練を受けて統率の取れた動きでした!」
「ちっ!意外と早かったな……仕方ねぇ。迎撃する!」
「わかりやした!」
そう言って出ていくのを見ながら髭の男は剣を取り外に出ながら思う。下見のあとにガタイのいい男に絡んで返り討ちにあった挙げ句槍もった女に追いかけ回されなんとか逃げ切って一息ついたのもつかの間に、まさか軍が動くとは思わなかった。このご時世まともに動く軍はほぼいない。何せ大陸の中心がまともに稼働しちゃいないのだから。
上の人間はさらに上の立場の人間に媚びへつらうことしかしていない。だがその中で自分達程度の討伐に来たのだとしたら余程暇なのかもしくは……いや、さっさと行った方がいいだろう。
そんなことを考えつつ男は外に向かったのだった……
「成程……確かに盗賊としてはそれなりに隊列じみた物も組んでるわね」
盗賊達が終結している中、自軍の兵達を並べ終わったあと後は号令を下すだけの状態にした華琳は少し感心しながら言う。
「華琳様。これからどうしましょう?やはり一思いに突撃で一網打尽に……」
「えぇ、そう行ければ良かったんだけどね……」
と、華琳は春蘭の提案に返しながら盗賊達の集団の前に出てきた男を見る。戦いの前に自分と話そうと言うのか?勿論罠と断じて聞く耳を持たずに潰しても良い。だがそれをやるのは自分のプライドが許さなかった。
「何かようかしら?」
そう華琳は言いながら前に出る。舌戦であろうと何であろうと全てを受けいれ勝つ。求めるのは完全勝利の四文字のみだ。だがそれは己の道理に反したり、胸を張れぬようなことをしての勝利ではない。相手を文句のつけようもないほど完璧に倒すと言うのは何時でも正々堂々とし、そして力をもって征服すること。
故にこうして前に出てきたものにたいしていきなり攻撃を仕掛けるなど言語道断なのだ。
「お前が噂の曹操か?」
「どんな噂か知らないけどこの軍勢を率いる曹操と言う人物は私以外には心当たりはないわね」
そんな華琳の言葉に髭の男は「冗談だろ」と頭をかく。
「お前の管轄はここじゃねぇ……隣のはずだ」
「えぇ、ただここの管轄だった者が逃げてしまったから仕方なく私が片付けにきたのよ」
序でにそのゴタゴタでこの土地も自分の土地と併合してしまおうという魂胆を隠す気もないのだが、髭の男はそんなところではなかった。
先程言ったように身分の高いものは更に高い者への媚びへ忙しく、余程派手にやらない限り盗賊の討伐すらしない。所詮自分の城周辺がなんともなければ良いのだから。
だがこの曹操は違うのだ。今の時代で数少ない自分の周りだけではなく、領内全体の治安維持を行い、一切の犯罪行為を赦さない厳格な領主……それが曹操孟徳だった。
こうしてみてみれば幼さが残る少女だが、話してるとわかる。この女の底知れない恐ろしさを……
「けっ!態々ご苦労なこった。あんたんところの土地には手を出してねぇってのによ」
「近隣の治安が悪いとこっちも後々被害が出るのよ。悪いものって伝染するでしょ?ほら、腐った果物を同じ箱にいれておくと他の果物も腐る……あれと同じよ」
そう華琳は言うと、改めて髭の男を見ながら、
「虎近。あれが貴方を襲った者かしら?」
「あぁ、間違いないな。あいつや」
と、虎近が返すと髭の男も虎近に気づき眉を寄せる。
「てめぇ……曹操軍の人間だったのか」
「ん?あぁ、ついさっきからやけどな」
ポリポリと頭を掻きつつ虎近が答えるのを横目に華琳は言葉を発した。
「さて、一応言い残したい言葉があるのなら聞いてあげましょう」
「命乞いでもしたら助けてくれんのか?」
そう髭の男が返すと、華琳は鼻で笑って返しながら侮蔑を含んだ眼で相手を見返した。
「そんなわけがないでしょう?貴方今まで何をしてきたのかしら?略奪なんて言わずもがな。傷つけ、時には殺して根こそぎ奪う。村のどこに何があるのかまで調べあげ、全てを持っていくまさに獣ね。そんな人から外れた者に掛ける情けは持ち合わせていないわ」
華琳はそういい、髭の男を見る。すると男は、皮肉ったような笑みを浮かべながら華琳を見る。
「お前ら官軍がそれをいうのか?」
「なんですって?」
男が発した言葉に華琳は眉を寄せて聞き返す。
「お前ら官軍だって
その言葉で、虎近は髭の男の事情をおおよそ察する。いや、恐らく相手の盗賊達は皆似たような境遇なのだろう。 だがそんな姿を華琳は見て、そして……
「くだらないわね」
そうハッキリと言って切って捨てた。
「貴方の過去には同情しましょう。でもはっきり言ってくだらないわね。だって何一つ人に迷惑かけて良い理由にならないもの。自分が奪う側になった?はん!自分より弱いものを苛めることで自分を慰めていただけの癖に綺麗な言葉で彩って言うのね。武器を持ち、周到に襲えば余程相手が武芸に秀でていない限りは圧倒的有利で襲い掛かれるしそうすれば殺しも容易い。返り討ちに会うこともないでしょう。そしてそうしていくことで強くなったつもりだったのかしら?惨めね」
まさに鋭利な刃のような言葉だ。次々言葉を発し、それは男の胸に突き刺さる。華琳の言葉は的を射ているのか反論はない。
「どんな事情があるにせよ、貴方達がやったのはただの八つ当たり。結局今の世の中を変えるのではなく、自分より弱いもので憂さ晴らしという楽に逃げた負け犬。親に言われなかったのかしら?自分がやられて嫌なことは人にはしないって。あぁ、それと言いたいことがあるなら言って良いわよ?私ばかりが一方的に言っていたらそれこそ弱いものいじめに見えいたぁあ!」
『っ!』
機関銃のごとく言葉を発していた華琳が突然あげた悲鳴に盗賊だけではなく曹操軍も華琳を注目。そしてそこにあった光景は、
「華琳。一旦ストップや」
虎近が華琳の巻き毛を引っ張っている光景だった。今までの緊迫した空気が霧散するほどシュールすぎる光景に誰もがポカンと口を開ける。すると、
「貴様!華琳さまの髪を引っ張るとはどういうつもりだ!」
と、春蘭が噛みつく。だがそんな剣幕も虎近は涼しい顔でいた。
「まあ華琳。言い過ぎやで」
「無視するな!」
きゃんきゃん吠える
「なら貴方は彼らに同情して見逃してでもやれと?」
「んなわけないやろ。あいつらがやったことは間違いなく悪や。死んだら地獄に堕ちるやろうし録な死にかたせんやろ。許されるわけがない。絶対にや」
それにな……と虎近は言いながら前に出て髭の男を見ながらいう。
「お前は正しいで華琳。こいつらは戦わんで逃げた。逃げた挙げ句弱いものに刃を抜いた。それは事実や。でもな……それは強いやつの言葉やで。華琳」
コキリと首を鳴らしながら虎近は華琳に優しく諭すように言葉を発した。
「全員が全員お前と同じようにはできへん。皆が皆がお前のように頭ようないし、誇りを持ってはいられん」
「貴方は私にそいつらと歩調を合わせてやれと言いたいのかしら?無理ね。私が目指す先はそんな甘い場所じゃないわ」
華琳はピシャリと虎近に反論する。するとそれを聞いた虎近はフフッと笑う。
「いや、そうやない。理解しとくだけで良いねん。知識としてやないで?ちゃーんと腹ん底まで落としこんでわかっとらなあかん。そうやないと忘れてまうで?皆がお前のようやない。皆がお前のようにものを考えられない。お前の誇りを理解できん奴もおる。そんな当たり前のこともな」
「……忠告痛み入るわね。じゃあ貴方はこれからどうしようというのかしら?」
せやな……と虎近は意識を華琳から髭の男に移す。
「なんだよ……お前も笑いに来たか?」
「そんなんやない。でもな……どうしようかと考えとるところでな。ワイは自分でいうのもなんやけど器用やない。こんなときどうすれば良いのかなんぞ皆目見当がつかん。でもひとつだけ思い付いたことがあっての」
そういった虎近は拳を握り指を鳴らしていく。
「はっきり言ってムカついたやろ?好き放題言われてムカつかん方がおかしいしの。それでええ。せやからその鬱憤をワイにぶつけてみろや。そうしてたら良い案も思い付くやろ」
「はぁ?馬鹿じゃねぇのか?意味もねぇ事を……」
そんな男の態度に「意味ならあるで?」と、虎近は笑っていう。
「ワイに勝てたら逃がしたる。お前だけやない。仲間もや」
『なっ!』
その提案に驚いたのは相手の男だけではない。勿論華琳たちもだ。
「こら冴島!なに貴様はさらっと華琳さまに無断で言っているのだ!」
「ダメなんか?華琳。ようはワイが勝てば良いんやで?」
そう虎近が問うと、華琳はコメカミを抑えつつ好きにしなさい。といった。まだ会ったばかりだが、この男がダメだと言って素直に聞く男ではないのは分かっている。こいつなりに考えはあるようなので、しばらくは静観してやろう。
「信用できねぇな……そんな口約束わよ」
「安心せぇや。華琳はチビやし口悪いし態度でかいし偉そうやけど……態々水を指すような無粋な真似はせん奴や。それに……まともにうちの軍とぶつかったら全滅確実やで?せやったらワイに勝つ方がまだ希望あるとちゃうか?」
男は黙って虎近を見た。どこまでもまっすぐに自分を射ぬく眼光は見た目の恐ろしさだけじゃない。どこか胸を熱く燃えさせてくる。
「一対一か?」
「当然や」
男の確認に虎近は瞬時に答えて見せた。それを聞いて男は思案する。勝てるのか?と。三人がかりで簡単に倒されたのに……自分一人でか?
そう考えたとき、虎近は口を開く。
「なんや?怖いんか?」
その言葉に男の堪忍袋が切れた。怖くなんかないと……あのときのように理不尽に奪われたときとは違うのだと。
「上等だ!やってやる!」
その意気や……と虎近は言うと一度男に背を向けつつ肩を掴み……一気に服を脱いだ。
「なっ……」
『?』
さらけ出した上半身は鍛え込まれた分厚い筋肉の重鎧……だがそれとは別に男は目を奪われた。
華琳たちには最初はなんなのかわからなかったのだが、虎近が男に体ごと向け直した時にそれに気づく。
虎近の背中には一匹の虎がいたのだ。いたと言っても入墨だが、それは険しい崖に立ち睨み付けてくる虎。
その鮮やかさと迫力はまさに芸術だ。
そして虎近は男にいう。
「さぁ、喧嘩の始まりや」