狩人戦記   作:フラーレン

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五章 敗走

 叫んだ。叫ぶことしか選択肢がなかった。

 リオレイアの突進に巻き込まれ、立ち上がれない相棒。助けなければと必死に走った。

 リオレイアは容赦なかった。動けない獲物に対しトドメの火炎ブレスを放った。

 何もできなかった。爆風に飛ばされたアリサは大地に転がり、ピクリとも動かない。

 

「嘘…だろ…」

 

 順調だった。リオレイアの狩猟は初めてだったが、狩猟経験のあるアリサの援護あって、この怪物と何とか渡り合うことができていた。

 しかしランポスの乱入によりペースを乱され、相棒は直撃を受けた。

 そして動かない。

 

「グルルゥゥゥ」

 

 次はお前だと言わんばかりにリオレイアは此方を向き、唸る。

 拳を握りしめる。湧き上がるは雌火竜へ対する殺意。ハンターは殺戮者では無く、生態系を乱す者が現れた時、或いは人間の生活に支障をきたす者が現れた時のみに狩猟を行う。決して自己満足のためだけの無益な殺傷はしない。そしてモンスターに対し最大の敬意を持って全力で当たる。

 しかし今は違う。自分はこいつを殺さねばならない。アリサを痛めつけたこいつを。

 ブレイズブレイドの柄を握る。

 

「俺はお前を許しておけない。だが…」

 

 二者の間に流れるは静寂。風の音、木々のざわめき。そこには一切の喧騒が無く、自然の音のみがあった。

 仲間を討ち取られた怒りはあるが、僅かばかりの冷静さが残っていたのは運が良かった。

 まずはアリサを救出することが先決だ。彼女は必ず生きている。そして死なせない。

 

「うおおぉぉ!」

 

 静寂を破り雄叫びを上げながらリオレイアに向かって走る。それに対応するようにリオレイアも大地を蹴り突進を始める。

 両者が交錯する直前、ジョンは左方向に思い切り身を投げ出し、ギリギリのところで回避した。

 リオレイアは突進の勢いを物ともせず強靭な脚力を以って急停止し、逃した敵に向き直る。

 アイテムポーチから拳大の玉を取り出し、リオレイアに投擲する。

 その玉がリオレイアの眼前で破裂した刹那、強烈な閃光が彼女の眼を焼いたーーー閃光玉だ。

 視覚をやられたリオレイアはその場で尻尾を振り回しだした。混乱し闇雲に繰り出した攻撃は、攻撃範囲外にいるジョンに当たるはずもない。

 力無く横たわるアリサへと走る。ジョンはその惨状に寒気さえ覚えた。赤甲獣ラングロトラの丸みを帯びた甲殻で作られた防具は、脚パーツはひしゃげ、左肩から胸にかけて砕け、ところどころ黒く焦げている。衝撃を拡散しやすい曲線を帯びていたはずの部位がへこんでおり、リオレイアの攻撃の熾烈さを物語っていた。

 

「アリサ!アリサ!!」

 

「……くぅ…」

 

 全身の、特に脚部の痛みから苦悶の表情を浮かべる。意識はあるが、かなり危険な状態だ。ここまでダメージを受けているとベースキャンプでなければ治療できない。

 

「とにかく逃げるぞ、捕まって」

 

 差し伸べられた手を、彼女は拒否した。

 

「私は…アンタだけ逃げなさい」

 

「バカ言うな!そんなことできるか!」

 

 ジョンは怒鳴った。焦燥の中に浮かぶ幾らかばかりの怒り、それは自分を見捨てろと言うアリサに向けてのものだ。

 人を抱えて飛竜から逃れるのは困難であるという彼女の言い分は正しいということを、ジョンはわかっている。やはりリオレイアは自分の手に余る存在だったのかもしれない。

 村の安全と発展を守って、フジ村に貢献する。しかしそのために誰かが犠牲になっていいはずがない、それが彼の信念だ。

 

 ”大事な人が死ぬのは…もう御免だ”

 

 明後日の方向に噛み付くリオレイアを見るに、その視覚はまだ回復していない。だが強靭な生命力を誇る大型モンスターであればすぐに回復させてしまうだろう。

 

「勝った気になるなよ…!」

 

 ジョンは腰ポーチから手投げ玉を取り出し、地面に投げつけた。それは勢いよく白い霧を噴出し、あっという間にあたりが煙に包まれる。

 

「嫌って言っても一緒に帰るからな!」

 

 アリサの背中と膝裏に手を伸ばし抱える。防具の重量はあるが、何十キロもの重量を誇る大剣を扱う彼にとって苦ではなかった。

 ベースキャンプに戻らねばならないが、ひとまずはリオレイアを撒くことが先決だ。煙玉で視覚から消えても、モンスターは血の匂いを辿ることができる。とにかく遠くへ、安全な場所へ逃げねばならない。

 ジョンは茂みの中を全力で走った。

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 ジョンは傷付いた相棒を両手に抱え、樹海の木々をひたすらに駆ける。抱えているのは少女といえどもハンター、防具の重みを加えると決して軽いとは言えない。さらに自分の装備品の重量も加えると、かなりの重量が彼の足枷となってしまっている。

 大剣使いのハンターとして体は鍛えられているが、体力は無尽蔵ではない。しかし火事場の馬鹿力とでも言うべきものが、彼を突き動かしている。

 リオレイアは人よりもずっと早く走ることができ、空から獲物を探すこともできる。無事に逃げられる保証は無い。樹海の高木が地面を覆い隠してくれるために空中の敵に見つからないことは、不幸中の幸いか。

 

 トンネル状になった巨木の根を見つけたので、息を整えるために一旦そこに隠れる。後ろを確認し、リオレイアを撒くことには成功したとわかり安堵する。

 両腕に抱えるアリサの様子を見る。少しずつではあるが、息は荒く、意識は薄くなっているのがわかる。

 

「もうすぐベースキャンプだ。それまで耐えてくれよ」

 

「…馬鹿な男ね」

 

「大馬鹿者で結構さ」

 

 自嘲気味に答えるジョンに、ふふ、とアリサは心の中で微笑んだ。普段ほどの気丈さは無く、足手まといになってしまった自分の状況を嘲笑する思いだが、それだけではない。わざわざ自分を連れて逃げようとしたこの男への興味。そっけない対応をしてみせてもいちいち気を遣ってくるのは、彼の根っこからの優しさであろうか。

 

 ”お人好し、なんだから。まった、く…”

 

 意識が遠のいていく。火球ブレスで吹き飛ばされて全身を打ち付けられたために息も苦しい。ドンドルマのあにさん達はこんな思いをして自分を養ってくれていたのか。

 

 ”いきなり街を飛び出したこと、謝んなきゃ、な…”

 

 意識は完全に闇に沈んだ。

 

 

 

 日没が近くなると、樹海の音色が変わる。風で葉が擦れ合う音が心地よい静かな昼間、対してこの時間になると夜行性の虫達が鳴き始める。

 いずれにせよモンスターがいれば静寂は破られるのだが、この場所はその心配がない。

 2人はベースキャンプまで辿り着いた。途中でリオレイアどころかランポスにすら遭遇しなかったことは幸運だったと言う他ないだろう。

 しかし事態は予断を許さない。アリサは立ち上がれないほどに負傷し、意識を失ってしまっている。高台から眺める夕日が美しいベースキャンプだが、景色を堪能する余裕は無い。

 ジョンはテント内の木製のベッドにアリサを横たわらせた。致命傷は受けてないようだが悲惨な状況だった。胴と左足の防具は破損してしまっており、全体的に防具が血で滲んでいる。息は浅く、顔から血の気が引いて真っ青だ。

 

「細かいことを気にしてる…場合じゃないよな」

 

 年頃の男として、美少女の防具を脱がせることに対する羞恥心は勿論ある。だが彼女を救わねばならないという使命感がそれを上回った。

 

「スケベ野郎とでも何とでもいいやがれ」

 

 羞恥心を押し殺し、全身の防具を外す作業を始めた。ハンターの武具は男女でデザインが違うが構造は基本的に同一である。傷口を刺激しないように慎重に防具を外し、インナー姿にした。

 木箱から救急セットを取り出し治療を始める。ある程度の容態を把握したところで、まずは止血をすることにした。瓶を取り出し、中の消毒液を傷口に塗る。幸い出血の酷い箇所は無かったが、左肩に火球ブレスの影響であろう火傷があったので濡らしたタオルで覆った。

 傷口に包帯を巻き終えたところで、1番怪我の酷い右足に取り掛かる。リオレイアの突進を受けた時に受けたダメージの熾烈さは、ひしゃげてしまった足防具を見るに明らかだ。骨は折れてないように思うが打撲と内出血が酷い。完全に回復するまでには時間がかかるだろう。

 鉢を取り出し、棒で薬草をすり潰す。それを傷口に塗って包帯で縛った。

 

「こんな時のために…持ってて良かったぜ」

 

 ジョンはポーチの底から粉袋を取り出し、銀色の粉をアリサに振り撒いた。

『生命の粉塵』。以前流れのハンターに教えてもらった調合レシピを元に、千年の寿命を誇る不死虫と行商人から買った竜の牙と爪を掛け合わせて用意した薬品。調合の難易度は高く何度も失敗したが、粉に触れた者の体を癒す効能があり、回復力が大きい。念のために持ってきておいたが、今がその使い時であるに違いない。

 

 一通りの治療を終えた頃には既に日没を迎えてしまったので、体温を下げないようにとアリサに毛布をかけ、テントの外で火を焚き始めた。

 丁度いい高さの石に腰を下ろすと、ようやくゆっくりと息をつくことができた。

 

「ふぅ。さて、これからどうしようか」

 

 ピンチを脱したことは確かであるが、リオレイアは健在である。アリサは休む必要があるし、動けるのは自分だけ。正直なところ荷が重く感じる。

 ここは一度撤退するのが無難であろう。万全でない深追いして返り討ちに遭っては元も子もない。しかしそれではフジ村の港を利用するという商隊の足が止まってしまうし、何より敗走とは心地よいものではない。

「はぁ…」とため息をつく。単独で狩猟を続行するか、撤退するかの判断がつかない。

 

「腹減ったなぁ」

 

 今日口にしたのは不味い携帯食料だけ。狩り場では良くあることなのだが、贅沢をしたいという以上に、食料や物資を確保したいという思いがある。

 高台から樹海を眺める。もう日は沈んでしまっている。夜間の狩りは視界を確保できないために避けたいが、ベースキャンプ付近ならば滅多にモンスターは現れないため大丈夫だろう。

 ジョンはバケツと釣竿を担ぎ松明に火をつけ、坂を下り始めた。

 

 

 

 ベースキャンプの設置された高台の麓に流れる小川沿いにジョンは腰を下ろし、釣り糸を垂らした。深さは無いがそこそこの川幅があるので魚類が生息する。さらにモンスターはアプトノスぐらいしか訪れないので、釣りゾーンとしては最適な場所だ。

 海に近いフジ村で育った彼は小さい頃から村の者に連れられて釣りに行っていたので、実は釣りが得意だったりする。

 

 中ぶりの魚影がルアーに近付いてくる。ゆっくり、ゆっくりと。

 ジョンは不動のまま待つ。魚影を限界まで引きつけ、完全に釣り針に引っかかるまでは絶対に竿を動かさない。

「チョン…」と音を立て、魚影がルアーに接触する。しかしジョンは釣り上げずに堪えた。まだ噛みつきが浅い。

 魚影が再びルアーに接触する。今度は先程と違い、深く噛み付いた。「ポトン」とルアーが水中に引っ張られる音ともに、ジョンは思いきり竿を引き上げた。

 

「へへっ、美味そうなサシミウオじゃないか」

 

 ジョンは赤みがかった中ぶりの魚を水を溜めたバケツに放り込むと、次の獲物を求め釣り糸を垂らした。

 

 

 

 2時間ほどしてジョンはベースキャンプに戻った。右手のバケツには6尾のサシミウオと2尾のハレツアロワナが、左手の荷袋には薬草や解毒草、アオキノコが、背中には焚き木のための薪を背負っている。大収穫である。

 

 戦利品を下ろすと、アリサの様子を見る。額の汗は引き、深く息をしていることに安堵した。

 出払っている間に焚き木の火が消えてしまっていたので、再び薪を組み直して火を焚き始めた。

 

「ようやくゆっくりできるぜ」

 

 頭、腕、足の防具を外しリラックスする。右腕に巻かれた包帯を見て、リオレイアの毒針が刺さったことを思い出す。

 

「アリサならもっと手際よく治療するんだろうな」

 

 負傷したアリサに最低限の治療はしたつもりだが、1人で狩りをすることが多かったので正直言って慣れないことだった。もっと効果的な治療法があったのかもしれない。

 テントの中のアリサはゆっくり眠っている。結果として無事でいてくれるならそれでいいかと開き直った。

 

 サシミウオを1尾掴み取り、頭を切って絶命させる。腑に切り込みを入れて内臓を取り出し、長めの串を突き刺して焚き木の火で熱し始める。こんがり焼けたサシミウオのプリプリした肉は癖が強くなく非常に美味だ。

 焦げ目が付いてきた辺りで火から離し、フジ村から持ってきた塩で味付けする。見た目、香りともに食欲をそそるこんがり魚を頬張る。

 

「やっぱ美味いなぁ!」

 

 全身に力が湧いてくる。こんがり魚はハンターにとって治癒力を高める効能があると言われており、ジョンの体に溜まった疲労を幾らか飛ばしてくれた。

 続けてもう1尾、ペロリと食べてしまった。ハンターはスタミナの消費が激しい職なので、食欲旺盛である。

 

 

 

 3尾目を掴もうとしたとき、テントから物音がした。何事かと思い立ち上がると、テントの入り口に人影があった。

 

「アリサ!」

 

 全身に包帯を巻かれた彼女の足取りはフラついており、テントの柱を支えにしてかろうじて立っている状況だ。

 

「何一人で美味しそうなの食ってるのよ…」

 

 気丈さは全く感じられない、か細い声で呟く。自分の状況を情けなく思うように。

 彼女がテントから出ようと足を踏み出した時、足もとが大きくフラついた。慌ててジョンが抱きとめる。薄着姿なので柔らかい肌が密着してしまい、彼はドキッとした。

 

「無理するんじゃない。まだ寝てないと駄目だ」

 

 平然を繕って語りかける。防具を外して治療をしたのが他でも無い自分であることは察しがつくはずだ。やむを得なかったとはいえ、変態と呼ばれる覚悟はあった。

 

「変なところ触ってんじゃないわよ。それより寒いから…焚き木のそばに」

 

 そう言うならと、ジョンはアリサに肩を貸して焚き木のそばに連れて行った。石の椅子に座らせ、背中が寒くならないよう毛布をかけた。

 

 

 

 焚き木を挟んで座る2人にしばらく沈黙が続いた。火が弱くならないようジョンが時折薪を補充するのみで、他の動作は全くない。バチバチと薪が燃える音と、虫の鳴く声だけがそこにあった。

 

「食欲はあるか?」

 

 気まずさに耐えかね、ジョンは聞いた。まだサシミウオは4尾残っている。

 

「ええ。私もいただこうかしら」

 

 それなら、とジョンは自慢気にサシミウオを入れたバケツを見せた。

 

「サシミウオ、さっき釣ってきたんだ。こいつを食べよう」

 

「へぇ。アンタにしては気が効くじゃないの」

 

 余計な一言が無ければ惹かれる要素ばかりなのになと思いながら、ジョンはサシミウオの調理を始めた。

 腑から内臓を取り出し串に通す。内臓や食べカスは土に埋める。でなければ匂いでモンスターを引き寄せてしまう。

 串刺しにしたサシミウオを焚き木にセットする。あとは焼き上がるのを待つだけだ。

 

「その…どうして無理をしてまで私を助けたの?」

 

 うつむきがちにアリサが口を開いた。

 リオレイアの狩猟に関して、狩猟経験のある自分がリードしなければならないと思っていた。しかしアクシデントがあったとはいえ、結局は自分が足を引っ張る立場となってしまった。情けなく、負い目を感じずにはいられない。

 自分にこんな思いをさせたリオレイアを倒したい。このままではプライドが許さない。動かない体がもどかしい。

 自分を置いていけと言った時に目の前の男が見せた怒りの表情。まだ出会って数日しか経たないが、そんなに血の気の多い人間では無いように思える。だからこそ怒ったことが気がかりだった。

 

「エミリを助けてくれたし、次は俺が助ける番だろ?それに…俺は家族がいないからさ。寂しいんだよ。側にいる人がいなくなるのはさ。だから、生きることを…絶対に諦めないでくれ」

 

 ジョンは自分でも何を言っているのかわからず、照れ臭く思った。

 

「それにアレだよ、まだ元気ドリンコのレシピを教えてもらってないしさ。無事に帰ったら教えてもらう約束だったじゃん?」

 

 照れ隠しのために思わず言ってしまったが、あの時はアリサを救わねばならないと思った、ただそれだけだっただらう。

 

 アリサは暫くジョンの顔を見つめると、何かを納得するように微笑んだ。

 

「お人好しなのね」

 

「そうかもしれないな」

 

 再び顔を合わせる。どこからともなく湧き出たのは笑顔。星空の下、「ははは」「ふふふ」と笑い合う。もう互いの表情に曇りは無い。

 

 サシミウオはとっくに焦げてしまった。

 

 

 

 翌朝アリサが目覚めると、ベースキャンプにジョンの姿は無かった。置き手紙に『リオレイアは任せろ』とだけ書かれていた。

 

「あいつ、ほんと馬鹿ね」

 

 ”リオレイアにメンツを傷付けられた私を気遣って、とかだったら余計なお世話よーー”

 

 お人好しさから来る行動だとはわかりつつも、アリサは憤りを覚えた。包帯の巻かれた拳を握り締める。

 

「勝手に死なれて、平気でいられるわけないでしょうが!」

 

 体の痛みなどもう忘れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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