コキュートスの剣を受けた白い霊体は、オーソドックスな鎧に身を包んでいた。剣を防いでいる盾も何の変哲の無いもの。他と何が違うといえば
攻撃を仕掛けたコキュートスも同じであったのだろう、躊躇うようにレイヴンから距離を離す。そうしている頃には、この異変が始まりであった事に気がつく。
それは、火が照らし出す影のようであった。
ナザリックから連れ出した兵達の前に立ちはだかる亡霊達。それぞれが違った装備を纏い、見たこともない武具を手に兵士達と相対している。そしてそのどれもが、1分と経たずに消えては生まれを繰り返していたのだ。
そう、まるで火の揺らめきに合わせるように。
両の手にショーテルを持つ金色の鎧騎士。
結晶を纏った白い球体を浮かばせ、まるで槍の様に飛ばすキノコのような帽子の魔術師。
炎を操り禍々しい曲剣を操る魔女。
まるで玉葱のような鎧の大剣を担いだ騎士。
太陽のシンボルのようなものが目立つ、雷を操る戦士。
これはその一部だ、全く統一性のない装備の者から、歴戦の勇者のような装備の者までいる。それが、こちらに襲いかかってくるわけでもなく、ただ立ち塞がるのだ。まるで邪魔をするなと言わんばかりのその行動。連れてきた守護者達を見れば、そちらでは激戦が繰り広げられていた。
援護に駆けつけていた双子に立ち塞がったのは、巨大な十文字槍を携え獅子の兜の騎士と、群青色のマントを身体に巻きつけた大剣を肩に担いだ狼のような戦士。
混乱した戦列を立て直していたアルベドには、太陽と月の光を思わせる双剣を構えた暗殺者のような女性。
そしてレイヴンへの追撃に入ったコキュートスには、鉄塊の槌と岩壁の盾で身を固めたまるで岩そのもののような鎧の騎士と、それを援護するように巨大な弓を引き絞る鷹のような意匠の兜の巨人。
それぞれが、その場から動けないほどの激戦。しかし、守護者達を相手取る亡霊は消える気配がない。
ということは倒さねばならないという事なのか。途端に家族を守りたいという感情が動くが、それをさせない視線が此方を射抜く。今まで動く気配すらしなかった彼が、亡霊達によってこじ開けられた戦場に歩みを進めていた。
その姿は見窄らしい物だ。腰蓑だけになり、頭髪は燃え尽き今にも灰になりそうなその体躯。しかし片手に握った燃える大剣を力強く振り抜き、進める足には覇気が宿る。
それらの動きから、かつて彼から聞かされた太古の大王の姿を幻視する。
何より、その眼窩に見える炎の如き光に見えるは溢れんばかりの戦意。何も言わずとも理解できた。誰にも邪魔されたくはないのだろう。
此方も彼に歩みよりながら次々とバフをかけていく。それはシャルティア戦以上の強化。それが彼に対する最大の敬意だからだ。そして十分な距離にお互いが近づく。
彼の間合いにはだいぶ遠く、自分の魔法レンジにも少し遠い間合い。辺りを包む喧騒は既に聞こえなくなり時間が間延びするように遅くなる。
最初に動いたのはレイヴン。大地鋭く蹴りつけ跳躍しなが右に構えた大剣を振り抜く。炎の軌跡が後を追うように付いてくる。すんでのところでバックステップからの〈
しかし完全に間合いを詰められた状態で、サテライト起動のまま避け続けるのにも限度ある。どうにかして高度を取らなければならない。
攻撃の手を休めないレイヴン。左右に振り抜き分ける剣戟に加え、いやらしいタイミングで跳躍からの振り下ろしを狙っている。こちらに攻撃をさせないような連撃だ、隙が一切無い。
ならば無理矢理にでも作るまで。攻撃と攻撃の一瞬の間、その瞬間を逃さずに唱えるは先程の焼き回し。クールタイムは既に終わっている。
〈
全ての時間が止まり、自分だけの時間になる。
だが高度を取ろうとした矢先に、途轍も無い勢いで鼻先を掠めるモノがあった。
それは雷を何本も束にしたような槍。驚愕しつつもそれが飛来した出所に顔を向ければ、止まったと思っていたレイヴンから。
動きは多少ぎこちないが、それでも
「攻守交代だな?いくぞ?」
呟きながら展開する多重魔法陣。炎属性は耐性があるはずなので、それ以外の属性魔法を使用する。地上に向か加速しながら肉薄し、すれ違いざまに〈
しかし、そのどれもこれもがクリーンヒットしない。こちらの攻撃位置をあらかじめ予想したかのように駆け抜けてくる。
だが、それは予想済み。引き撃ちを繰り返しながら設置した〈
唐突に捲き上る衝撃波に足場を崩され、吹き飛ばされたレイヴンを待っているのは、都合300本のブーストをかけたマジックアロー全方位死角無し。防げるならば、避けきれるならばやってみろと言わんばかりの弾幕がレイヴンに襲いかかる。
しかし空中に放り出された身体を捻り、大剣を地面に突き刺しながら制動をかけたレイヴンは、その体勢を起こした瞬間に左腕を弓ようにしならせる。そして、先程こちらに放った雷槍よりも巨大なエネルギーを含んだソレを前方に向けて投擲した。
瞬間、その巨大な雷の槍は細かく分裂し、まるで意思があるかのように致命的な着弾になるマジックアローを迎撃する。その絶対の弾幕に開いた突破口を目掛けて、再度の突撃。
尋常では無い踏み込により大地が陥没する、空中であり尚且つ十分な間合いを取ってるにも関わらず、気づけばその大剣が目の前に迫っていた。この距離までの跳躍。
だが、これも予想済み。大剣の軌跡に割り込むように現れるは〈
これは誘い水、空中で身動きが取れない状況に持っていくのが狙い。
続けざまに放つは〈
千を超える骨槍が大地よりレイヴンに勢い良く伸びるが、驚いた事にそれに合わせるように槍の側面をを蹴りつつ此方に向かってくる。そしてそのまま跳躍し、此方よりも高度をとるように空中で一回転すると、その勢いを利用した斬り降ろし。
狙いを外してしまったが、焦らずに迎撃。
強化した〈
虚をつかれてしまい完全に出遅れた。すんでのところで〈
防御バフと魔導障壁によって減衰させたのにも関わらずに、その衝撃は凄まじいモノであった。隕石のように撃ち落とされ、同時に地面に叩きつけられる。
視界が反転したような感覚に陥るも、すぐさま復帰し距離をとる。此方の有利《空中戦》を潰されたのだ。すぐにでもまた空へ飛び上がりたいが、それを阻むように大剣が振り抜かれる。上体を屈めるように避けたソレ。しかしその軌道を、途中で無理矢理修正し振り下ろしに繋げようとする。避けられない。だが、その一瞬のタイムラグに差し込むように先に此方の魔法を発動させる。
自分を中心に発動した〈
気づけば、戦いが始まった時と同じ程度の間合い。
周囲の様子をうかがえば、周りにいた兵士達の様子を俯瞰することができるほどの高台。崩れ落ちた城壁が大地となり、その上に更に城自体が落下してできあがったのだろう。
そうして出来上がった廃墟の大地でレイヴンと睨みあう。ダメージは予想以上、連発した魔法のせいもあり魔力も半分以下だ。
だが、それは向こうも同じ。無茶苦茶な突撃のツケは確実にその身体を蝕んでいる、しかしその覇気は更に増すばかり、むしろ燃え上がっているようだ。
まるで、消えゆく蝋燭のような輝き。
先の事など考えない捨て身の攻撃は、その輝きがもう残り僅かである事の裏返しなのではないだろうか。しかしだからこそ、もう一度彼と話しがしたかった。だが、それはもう叶わない。
夕日の光に照らされたレイヴン。
廃墟の日陰の中にいる自分。
「言葉は、不要か。」
それが合図になったように、レイヴンが動く。
全ての力を一撃にしたような突撃。大剣の切っ先に巻き上げる炎を引き連れ、全身を槍に変えた太陽の王が迫る。
その速度を躱せる自信は自分には無い。引いて攻撃したとしても、ただの攻撃魔法で止められるとも思えない。ならば、
〈
〈
廃墟の陰が、その身に纏わり付いたような漆黒の鎧。同時にその手に現れた二本のグレートソードを十字に構える。
その突如に響き渡る轟音。レイヴンの切っ先がグレートソードを貫くが、それが見えた瞬間に剣を両方とも手放し、再度剣をインベントリから取り出す。
とっさに手放したことで、レイヴンの剣の軌道が逸れ隙が生まれる。その一瞬の隙に右に回り込むようにステップインし、左の剣を全力で振り下ろす。しかし、レイヴンはその場で回転する事でそれを防ぐ。
鍔迫り合いの盛大な火花が、辺りを包み混むように舞う。
物凄い力で押し返してくるが〈
右の剣を水平に振り回し、何とか死角を突こうするも気づかれてしまう。鍔迫り合いの状態を解除すると同時に後方へ飛ぶことで、逆に体勢を立て直そうとしているこちらの隙を突いてくる。大剣を両手で握り込み、右から左、上から下へと逆巻く炎を引き連れながらの連続攻撃。その一撃一撃に剣を合わせていくが、そのたびに剣がへし折れてしまう。
それを新たな剣を取り出すことで、どうにかその連続攻撃を防ぎきった。
レイヴンは最後の大振りの上段切りによって体勢を大きく崩している。それを見た瞬間に身体は反応し、残った右手の剣を裂帛の気合いと共に突き出した。
突き出す剣の先にいるレイヴンは振り下ろした剣を持ち上げ、その剣の腹を盾のように構えている。
鋼同士がぶつかり合い、剣の陰越しにお互いの視線が重なる。
その時、今まで無言を貫いた彼がその口を開いた。
「…あぁ、太陽は沈んだか」
聞こえた声はあの篝火で聞いた懐かしいソレ。力強いがそれでいて落ち着いた低い声だ。
その彼の顔に陰が差す。背負っていた日輪の如き炎が目に見えて小さくなっていく。
そうして炎とは呼べないほどの小さな火となり、まるで消えるのを待つ残り火となった。
身体は炭化を通り越した灰のように白くなりつつある。
その光景を唖然と見ていた自分に、再度声が届く。
「…友よ。お前は…折れるなよ」
それが最期の言葉だった。
完全に灰となった彼の身体は、そのまま風に吹かれてどこかへと飛ばされてしまう。残ったのは大地に落ちた彼の大剣のみ。しかしそれももう燃えカスのような有様であり、すでにその力は失われているようだ。しかしそんなことよりも、今目の前で起こった事が信じられなかった。
あまりにも唐突な決着。
あまりにも突然の別れ。
何故彼が敵対したのか、何故彼は
もう、それを答えてくれる彼はいない。そして何より最期の言葉。
彼は「折れるな」と。何に対しての言葉なのか、その意味はわからない。
だがはっきりとしているのはただ一つ。
彼は最期、自分の事をこう呼んだ。
「友よ」と。
その言葉が胸に染み込む気持ちの中、足元の燃えカスの大剣を手に取る。途端に崩れて灰になったその中から小さな、本当に小さな火が誕生した。
ソレは手の中で少しづつ大きくなり、暖かな光を生み出し始める。
「これは…『ぬくもりの火』?アイテムではない?俺の…スキルだと?」
その火は極々小さいものだ。
だがそのぬくもりの中にいることで身体が大きく回復していくのがわかる。
傷ついた身体が癒え、活力が湧く。
そうだ、この暖かさを自分は知っている。
彼と過ごした篝火で感じた暖かさ。
そう、これは。
団欒の火だ。
そんな感傷を感じながら高台の一番高いとこへ登り、その下を見下ろせば亡霊達の姿は既に無く、シモベ達が戸惑った子供のように自分達の主人を探している。
その姿を見ると、まるで愛し子を見ているような気持ちになっていく。早めに戻ってやったほうがいいだろう。
そんな事を考えながら高台を飛び降り、そうして歩み始める。
太陽が沈み夜と混ざり合うような空の下。
家へ帰るように一歩づつ、ゆっくりと。