王国兵どころか、帝国兵すらいなくなった荒野で彼と対峙する。
逃げ場はなくただ進むしか無い陣形。そんな檻の中には狩人がいる、四本の腕に自身が持つ最強武具を揃えたコキュートス。剣戟の嵐を巻き起こし、多彩間合い武具で攻め立て隙を見ては周りがその手に持つ槍を突き繰り出す。ただの獣は闘技場で見せた機動力を著しく低下させていた、何より、本能に任せただ武器を力任せに振り回す姿にかつての技のキレは見出せない、それは見ていられないほどに痛々しい姿なのだ。しかしそれでもなお、こちら睨みつけ無謀な突進を繰り返し続ける。体当たりにてコキュートスの体勢を崩しにかかり、上段からの大振りを繰り返す。本当にただの獣になってしまったのか。何が彼を獣にしたのか、これがシークレット・レアのシナリオなのか。何が本当なのかはわからない、だが目の前の獣は明確な殺意を持って、苦しみながらも吠え続けている。ならば、終わらせてやるのが一番良いのかもしれなかった。
小気味良い破砕音が響く、上見れば彼の大鉈が半分からへし折れ、残りが空中を舞っている。それを見上げていた視線を下げれば、肩から袈裟斬りにされた獣の姿。両膝をつき、既に虫の息だ。トドメはこの手でつける。そう決めていた、それがせめてもの自分から彼にできる葬いなのではないだろうか。
守護者達の制止を振り切り、前に出る。獣との距離はあと5歩というところ。終わりまであと5歩だ。
それは獣も感じとっていたのだろう。待っていたとばかりに全身のバネを使い両手をあげて襲いかかってくる。だが、もう遅い。
〈
残り2歩、そこまでだった。獣は空中縫いとめられたように動けず、周囲の者すら知覚できない空間。その中で二人だけなったような感覚が胸を締め付ける、これは寂寥感か。そうだとも。もっと彼と過ごしたかった、もっと彼と話したかった、もっと彼と先見たかった。短い間だったが、この世界に来てから自分がこんなにも喜んだ事は無かった、こんなにも穏やかな気持ちになれるとは思わなかった。それを、あの篝火の前で過ごしただけで教えてくれたのだ。家族を愛せと伝えてくれたのだ。ただ傭兵モンスターでは無い、他の者では埋められない物を彼は与えてくれたのだ。
だから、獣に堕ちた彼は自分が手ずから殺す。
「…傭兵。お前とは、もっと別の形で出会いたかった。」
傭兵と雇い主という垣根が無ければ。
モンスターとプレイヤーという壁が無ければ。
人間と人間であれば。
もっと違う形ならば良かった。この感情は、かつて自分達の輝かしい時代の残滓だ。だがそんな胸を締め付ける想いは、すぐに鎮圧化されて消えていく。
跡形も無く消し去る事が最大の敬意。なればこそ、この魔法が彼への敬意。
火を求め、常に火と共にあった彼への手向け。
人差し指で胸を指し、時間停止が切れる瞬間にソレを放つ。
〈
小さな煉獄の炎が獣の全身を覆い尽くし、全てを灰にせんと踊り狂う。その中で獣は歓喜と絶望が入り混じった声で一鳴きすると全身を地面に投げ出した。既に炎は消え、残った燃えカスのようその姿。鎧は燃え尽き、枯れ木のような身体は既にあちこちが炭化していた。一切合切を灰にしてしまう炎の中で、ここまで形を残すのは異常ではあったが、もう傭兵は動かない。
「さらばだ、レイヴン。楽しかったぞ。」
誰にも聞こえないほど小さい声で彼に呟いた言葉は薪が爆ぜたような音に掻き消された。
見れば再度燃え始めた炎が、彼の骸を焼き尽くさんとしていた。
*
炎が見える。
暗い魂達が燃えていく。
身体舐め回す炎が自らの内まで焼いていく。
魔法による炎であっても、火に群がるように内側に住み着いた魂達は吸い寄せられるように身体から出て行きそしてその身を焦がしていった。
暗闇に落とされていても、常に遠くに見えていた火があった。
家族を愛した奇妙な骸骨。
冗談のようなその男は、まるで人間のように家族を愛していた。
その心はどんな火よりも輝いて見えた。
だからだろうか、奇妙な共感を感じたのは。
骸骨の身体に宿った魂は、火のように熱い。
それは自分が何処かに置いてきたモノに良く似ている。
ーあぁ、そうだ。
終わる間際に見た彼の顔、ずっと感じていた違和感。
そうだ。俺は、俺達は良く似てる。靄がかかったような頭では気づけなかった。
自分が何かもわからないまま戦ってそしてその事に心が折れかけていたのだろう。
ならば最期に、俺と似ているあの骸骨に見せなければ。
それが、ここに生きた俺の証なのだから。
*
彼の身体の奥から火が燃え始める。
残り火のような小さな火が、今まさに大火となってその身を覆う。
焚き木入れた篝火のように、継いだ火を消さないようにその火は天高く燃え上がる。
驚愕の感情が押し寄せる波のように襲いかかり、沈静化が間に合わない。
そんな視界の先、瞼の無い眼窩の光が捉えたのは、炭化した枯れ木の身体が立ち上がる瞬間だった。腰布だけのみすぼらしい姿になってなお健在。歩き出した彼に、さっきまでの獣の様子は無い。だが、燃え尽きるのを待つだけの薪のような印象を受けた。
完全に炎の中から出てきた彼の手には、まるで炎によって産み出されたかのような無骨で質素な大剣が握られている。彼はその剣を逆手にし、柄を顔の高さまで持ってくると切っ先を地面に叩きつけた。
途端、その衝撃で巻き起こる熱風と爆炎。気圧されるほどの覇気。地面に突き刺したまま燃え上がり始めた剣。そのどれもが「王」の風格を伴っている。
獣は火により人に帰り王となった。
そして雌雄を決するようにこちらにその落ち窪んだ眼窩を向けている。
まだやれるぞ。と言わんばかりの戦意を漲らせている。
ならば、まだ終わらないというのなら。
続けるしかないのだろう。何故か胸に巻き起こる歓喜が沈静化された時、覚悟はできた。その瞬間に各方面へ指示を出す。戦列を整えながら後方へ距離を取る。その間、ただ静観している彼に無言の感謝を送りつつ兵を動かす。
火の王ともいえる存在になった彼はまだ動かない。
燃え上がる剣を引き抜かないまま、動かない。
その隙をコキュートスが一呼吸の内に切捨てんと剣を振るった。しかし、その剣を火花を散らせながら受け止める者がいた。
その剣閃を受け止めたモノ。
それは、亡霊のように白く揺らめく鎧騎士であった。