蒼海航路   作:浮き飛車

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軽巡の苦悩

「なんで俺がこんなことを……」

 

第一艦隊旗艦、軽巡洋艦・木曾は、洋上を駆けながら、そう呟いた。どこまでも蒼い海は、キラキラと宝石のような輝きを放っていた。

彼女は今、鎮守府正面海域を深海棲艦の手から解放すべく、駆逐艦二隻を率いて出撃中である。昨日、建造されたばかりでの出撃であるが、木曾はそれについて別段、不満を持っているわけではなかった。

 

木曾という艦娘は、大淀のように事務作業が得意なわけでもなければ、明石のように工廠設備等の管理が出来るわけでもない。だからこそ木曾は、自分の本分は、深海棲艦と戦い討ち滅ぼすことだ、と確固たる自覚を持っている。ゆえに、戦場に出ることに不満などあるはずも無く、旗艦として選ばれたならば、むしろ喜んで出撃する気性も有していた。

しかし、現在の木曾は、その喜びを十全に噛みしめられないでいたのだ。

それもそのはずであろう。

 

「どうした木曾?」

 

本来ここに居てはならない人物。艦隊司令官である曹操が、木曾の腕に抱かれているのだから。

 

いわゆる、お姫様抱っこの形で抱えられている曹操は、さも不思議そうな表情を浮かべ、木曾の左眼を覗きこんでいる。木曾からすれば、この己の状態こそが、唯一、どうしても納得のいかない点であった。

 

艦娘の提督とは、鎮守府に鎮座したままで、艦隊の指揮を執るのが常道なのだ。なぜなら、提督は特殊な力を持たぬ、普通の人間だからである。

ある程度、敵の攻撃を耐え凌ぐことができる艦娘とは違い、提督は、火力の低い駆逐艦の砲撃にさえ、命を落としてしまう危険があるのだ。だからこそ、鎮守府に控えた状態で艦隊を指揮する必要があった。

 

一応、艦娘が世に生まれた当初は、艦娘という存在への信用も非常に薄かった為に、監視の意味を込めて、わざわざ船を用意して同行した提督も居たようではある。

ただし、結局、彼らの殆どは、その際に壮絶な戦死を遂げ、運良く生き残った者も、以後は鎮守府で指揮を執ることにしたらしい。

 

船で同行するだけでこれなのだ。直接的に深海棲艦と戦うべき艦娘の腕に抱かれて出撃するなど、既に自殺行為の域を凌駕している。

 

木曾が内心で頭を抱えていることなど知る由もない曹操は、その視線を天と海とで何度も往復させていた。木曾の目から見れば、この老人は、旅行か何かに行くのだと勘違いしてるのではないか、と思えてしまうほどに呑気なものだった。

 

木曾にとっての救いを挙げるとすれば、彼女の艤装に、腕に装備するものが無いということだろうか。

その為、曹操を抱えることにより砲撃が阻害される、などといった事態には陥らない利点がある。つまり、攻撃面においては、特に問題は無いのだ。あとは、木曾が敵の攻撃を全てかわせば良い。

それに曹操には、大淀からいざという時の護身用に、と渡された短刀もある。深海棲艦には通用しないだろうが、無いよりマシであろう。

 

……などと考えてみたが、やはり現実逃避でしかない。この状況はどうしようもなかった。というよりも、その短刀が自決用に思えて仕方がない。木曾は思わず、小さな溜め息を吐いた。

 

「司令官」

 

そんな木曾のすぐ後ろから、落ち着いた声が曹操を呼んだ。

声の主は、冷気を帯びているのではないか、と思うほど透き通る銀の髪に、潮風を纏わせながら、水上を滑り、木曾の隣に並ぶように進み出た。

彼女は暁型駆逐艦の2番艦、名を響という。暁型、という時点で察せることなのだが、初期艦・電の姉にあたる駆逐艦である。彼女こそが、先の明石による建造で生まれた艦娘だった。

 

「おお、響か。やはりお前の声は心地良いな」

 

「ん、Спасибо。司令官は私が守るよ」

 

曹操に褒められた響は、満更でもない様子で答える。

実はこの響、不思議なことに、建造された直後から、既に曹操に対し好印象を抱いていた。四姉妹の中でも独特な感性を持つ彼女のことだ。もしかしたら、何か常人には分からないものを感知したのかも知れない。

 

曹操から言葉を貰ったことに満足したのか、響はあっさりと隊列に戻って行った。

 

旗艦である木曾を先頭に、響、電が続く。海は、穏やかな表情を浮かべていた。

 

「ん……?」

 

しばらく蒼の平原を駆け抜けていた第一艦隊だったが、木曾が前方にひとつの黒い影を確認したところで、駆逐艦娘二人も足を止めた。

 

「敵だ。駆逐イ級が一隻。どうする?」

 

旗艦は、己の腕に抱かれたままの提督に指示を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああもう。ああもう!ああもうッ!!」

 

ここはとある鎮守府の執務室。大淀は、提督の机の前で、右へ左へ、行ったり来たりを繰り返していた。突き出すように床へと向けられたその両手が、自然と拳を作り、彼女の苛立ちや不安を表現する。

 

その様子を、ソファーに座って眺める明石は、くすり、と微笑を浮かべた。いつも理性的に振る舞っている友人が、酒の席でもないのに、珍しく感情的になっていることが、なんだか可笑しかった。

 

「大淀、ちょっとは落ち着きなさいってば。あの提督だって長いこと戦場を駆け回ってた人なんでしょ?そんな無茶なことしないわよ」

 

大淀はピタリと足の動きを止めたかと思うと、勢いよく振り返り、明石を睨み付ける。さすがの明石もこれにはたじろぐが、次の瞬間には、大淀の口から「はぁ……」と溜め息を漏れ出していた。

 

「木曾に抱えられて出撃してる時点でもう無茶してるじゃない……。それにあの人、水上戦は得意なイメージがないのよね……」

 

「あー……赤壁の戦いなら私も知ってる」

 

言われて明石も、曹操の汚点とされるひとつを思い出した。

 

赤壁の戦い。建安十三年(208年)、曹操軍と孫権・劉備連合軍の両艦隊が、長江の赤壁で起こした戦いだ。

歴史書である『正史』においてはこの戦いの詳細な記述はあまり無く、あったとしても軽く触れる程度のものである。それゆえに、現代の人類がその全容を知り得ることは叶わない。

ただ、その代わりと言うわけではないが、小説である『演義』においては、創作や演出に見事な工夫が凝らされており、最も盛り上がる一幕となっている。

 

現在、赤壁の敗因として有力なのが、疫病が蔓延したことによる撤退だと見られている。その為、この敗戦をもって、曹操が水上戦を不得手だと断定してしまうのは、些か早計であろう。しかし、それでも敗けは敗けなのだ。

 

この縁起の悪さに、どうしても心穏やかではいられないのが事実である。今まで長い歴史の1ページとして認識していたことが、突如として不安材料に変貌しようなどとは、大淀は夢にも思わなかった。

 

「でも、そんなに心配なら、許可なんて出さなきゃ良かったのに」

 

「簡単に言ってくれるわね……」

 

そもそも、なぜ提督が出撃することを許可してしまったのか?時を遡れば、昨日の話である。

 

木曾、響が建造されたのち、曹操ら一行は、その報告をすべく執務室の扉を開いた。

その時の曹操の第一声が、

 

「大淀!明日は深海棲艦の顔を拝みに行くぞ!」

 

である。

 

曹操に随行していた艦娘四名にも、予想外の発言だったのだろう。皆、目を見開いて彼の背を見ている。特に、電などは「はにゃあーっ!?」と素っ頓狂な声を上げ、尋常ならざる狼狽えっぷりを披露してくれた程だ。

 

あまりのことに呆れ、どうしてそんな話になるのか?建造報告ではないのか?といくつか問い質したくなる大淀だったが、曹操の表情を見て、途端に声が出せなくなった。即座に、彼が自分の諫言を聞き入れないだろう、ということを、本能で察知してしまったからである。

 

曹操の真っ黒な瞳には、未だ見ぬ深海棲艦への、純粋な興味が映し出されていた。まるで、近所の動物園に珍獣を見に行く子供のような無邪気を保ちながら、それでいて、見た者へ圧力を加えてしまう程に、禍々しい感情が宿る双眸を、こちらに向けている。

本来、相反しているはずのものが共存し、狂気的にも見えるそれに、大淀は恐怖を覚え、汗が一筋、頬を撫でた。

 

これは止めて止まるものじゃない。曹操と出会って間もない大淀だったが、それだけは十分にわかった。

もしも彼女が、曹操と長い付き合いを経て、お互いの理解を深めた関係であったなら、彼を諫める言葉のひとつくらいは持っていたかも知れない。しかし、残念なことに二人はこの日、初めて会ったのだ。上司と部下、という関係すら、成立しているのか怪しいところである。

 

もはや、大淀に曹操を止められる自信など無かった。いや、喪失したと言うべきか。

自分と明石が出撃できない旨を伝えるのと、彼に護身用の短刀を持たせるのだけで、精一杯だった。

 

かくして大淀は、諫言らしい諫言も吐けぬまま、曹操の出撃を許してしまったのである。

 

今、改めて思い返すと、自分に腹が立って仕方ない。いくら彼に圧倒されたとは言え、上官が危地に赴くのを止められなかった。そんな自分が情けなくて、悔しい。

また溜め息が零れた。

 

「はぁ……貴女たちが羨ましいわよ」

 

「あーもう!ほら、大淀!仕事終わったら間宮さんとこで飲も!精神的なメンテも必要よ!」

 

たしかに、いつまでもウジウジ悩んでいたところで、どうしようもない。既に元凶たる曹操は海の上なのだ。

 

彼が無事に帰投することを祈りつつ、今日は明石の言葉に甘えることにしよう。そして、たっぷりと今回の愚痴を聞いてもらうのだ。そっちから誘ったのだから、覚悟してもらおう。

さて、その為にも、さっきまで手が付けられなかった書類仕事を片付けなくてはならない。そう思い立った大淀は、敢然と己の職務に立ち向かったのだった。

 

提督が着任したことにより、山の如く積まれるようになった書類。それらを次々と撃破していく友人の姿に、明石は安堵した。この調子ならもう大丈夫だろう。せっかくやる気になったのだ。大淀の邪魔をしないようにと、執務室の扉に手をかける。

 

「ねぇ、明石……?」

 

「ん?なに……ってなに!?本当にどうしたのよ!?」

 

その時、不意に、大淀から声をかけられ、振り向いた。明石の目に映ったのは、ひどく憔悴した様子の大淀だった。先程までの、紙切れども相手に善戦していた勢いなど、どこにも見当たらない。

このわずかな時間で、いったい何があったのかと、明石が駆け寄ると、大淀は一枚の用紙を指差して言った。

 

「提督が出撃したこと、大本営になんて報告しよう……?」

 

明石は、優しく大淀を抱きしめた。

 

 




お久し振りです。蒼天航路を読み返してみると、普通に「司令官」という言葉が出てきて、一話目ェ……と悶えた私です。今さら手を加えるのもあれなので、あえて過ちて改めざる、を行っておりますが( ̄▽ ̄;)

前回は感想やお気に入りに加え、さらに初めて評価を頂きました!ありがとうございます!今後も頑張りますので宜しくお願い致します!

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