鎮守府のイージス   作:R提督(旧SYSTEM-R)

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どうも、SYSTEM-Rです。今回から新章突入、サミットでの国際演習が予告通り舞台となります。分量的には今までよりもヘビーですよ。またちなみに、今回はR-15タグが再び機能するお話となってしまいました。それがどういう意味かは読み進めていただきましたら…。それではどうぞ。


護るべきもの
第七章:護るべきもの(前篇)


 みらいは制帽をいったん脱ぐと、額から滴り落ちる汗をハンカチで拭った。彼女の身体は今、喧騒と真夏のような暑さに包み込まれている。ふと、脇を一筋の風が通り抜けていく。それは舞鶴演習場での戦闘演習直前に浴びたものとも、船団護衛の末たどり着いた満州の海参崴港で浴びたものとも違う、湿気と熱気を含んだ南洋の風だった。

 ここ帛琉県相莱(アイライ)市にある相莱国際空港は、戦時中に大日本帝国海軍が航空基地として建設したことをその起源とする。史実ではロマン・トゥメトゥール国際空港の名で知られるここは、帛琉において唯一国際線を受け入れることが出来る空港であると同時に、本土から渡ってくる軍関係者にとっては円極前線基地への玄関口でもある。今、ここには日米独防衛サミットのホストである日本国防海軍関係者が勢ぞろいし、2つの友邦からのゲスト到着を待ち構えていた。

 「それにしても暑いわね…。アメリカとドイツのお客さんは、まだ来ないのかしら?」

 あすかがうんざりしたような顔で上を見上げた。突き抜けるような青空には、まだゲスト到来を告げる航空機は影も形も見えない。

 「予定では、もう間もなく到着のはずですよ。もう少し頑張りましょう」

 彼女の左斜め後方にいる秋月が、苦笑いしながら彼女をなだめる。普段のゆきなみ型3姉妹とお揃いの三種夏服を着こんでいる彼女たちだが、それにしてもこの暑さは身体に堪える。ゲストを迎えるために控えている儀仗隊が着ているのは一種夏服なので、顔には出さないものの輪をかけて暑そうだ。

 「あー、もう。とっととこの暑さから解放されたいもんねぇ。基地に着いて解散したら大浴場に直行しなきゃ」

 あすかはなおも忌々し気な顔で言葉を続ける。それを尻目に、みらいは制帽をかぶり直すと右斜め後方にいる吹雪の方に顔を向けた。

 「そういえば誰だったっけ、今回参加することになった海外艦娘って」

 「えっと…。アメリカ太平洋軍からは、アイオワ級戦艦『アイオワ』とレキシントン級正規空母『サラトガ』。ドイツ海軍からは、ビスマルク級戦艦『ビスマルク』とアドミラル・ヒッパー級重巡『プリンツ・オイゲン』。この4人ですね。前回もこの方々とは一緒になりましたよ」

 吹雪はゲスト4人の名前を至って流暢に口にした。艦名だけでなく艦級まで完璧に覚えているのだから、大した記憶力である。

 ちなみに、今回の演習は元々日本から15名と米独からサラトガを除く3名の計18名が参加する予定だったのだが、実際には人数の内訳が若干変わっている。本来参加予定だった川内型の末っ子である那珂が、演習の5日前に行われた商船護衛中に深海棲艦からの襲撃を受けたためだ。奮戦むなしく大破を余儀なくされたこと自体も悪い知らせではあったのだが、それ以上に問題だったのはその戦闘で破壊された主砲の修繕作業が、演習に間に合わなくなってしまったことだった。

 既にオート・メラーラ社製の127mm砲に換装されている彼女の主砲は、かつて使っていた14cm砲よりも内部構造が複雑故に修理にも時間がかかる。それこそ、ゆきなみ型3姉妹の装備妖精まで総動員して必死に作業を進めたのだが、損傷が想像以上にひどく彼らの力を以てしてもデッドラインには間に合わず、断念する羽目になってしまった。

 その代役として指名されたのが、自身は演習参加を希望しながらも祖国護衛を優先するため、当初はアメリカに留め置かれる予定だったサラトガだったのだ。軽巡洋艦の代役に正規空母をあてがうとは意外な選択だが、アメリカとドイツが揃って2隻ずつを派遣することにより不公平感が解消できるという意味では、むしろ不幸中の幸いだったと言えるかもしれない。

 ただ、みらいにとってはアメリカ側の参加者が空母『ワスプ』やノースカロライナ級戦艦『ノースカロライナ』ではなかったのが、ちょっとばかり寂しいのも事実だった。かつて太平洋戦争中に矛を交えたアメリカ軍の艦艇。もし彼女たちが艦娘になっていたとしたら、きっと大和のように自分の記憶も引き継いでいただろう。味方同士となる今回、せっかくの機会に仲直りが出来れば理想的だったのだが。

 「懐かしいなぁ…。前回の演習の時も、特にドイツからのお2人にはとてもよくしていただいたんですよ」

 「そうなんだ?どんな人たちなの?」

 「お2人とも服装なんかは結構そっくりですけど、性格的には好対照なんですよ。ビスマルクさんはちょっと高飛車なところもあるけど、とても気高くて凛々しい『戦乙女』って感じの方です。オイゲンさんは逆に明るくて愛嬌があって、凄く親しみやすい方ですよ。重巡なので一応艦種的には私より目上には当たるんですけど、そんなこと関係なくとっても仲良くなりました」

 吹雪はそう答えると、自分もズボンのポケットから可愛らしい花柄のハンカチを取り出した。その前髪は、いつの間にか汗で額に一部張り付き始めている。

 「それにしても楽しみだなぁ…。2人とも、元気にしてらっしゃるといいんですけどね。特に、オイゲンさんにはとっても可愛がってもらったので」

 「うまくコミュニケーション取れるといいんだけどねぇ。普段はともかく、演習中の通信は日本語と英語とドイツ語のチャンポンなんでしょ。英語ならまだしも、ドイツ語の射撃号令なんて不慣れだから不安だわ…」

 みらいはため息をついた。彼女たちは横須賀を発つ前、菊池と尾栗から改めて演習内容についてレクチャーを受けている。それによれば、艦娘同士の国際共通語はどうやら日本語であるらしく、海外組の4人も極めて流暢に話せるので普段のコミュニケーションには一切支障はないという。そこについては、以前にも付き合いがあった吹雪たちが正しいと証言してくれているので、特に心配する必要はないだろう。

 問題は演習の場においてどうするかだ。所属や出身国が違えば当然号令のセリフも異なる。例えば同じ英語圏でも、「発射」の号令を米軍は「Fire!」と言うのに対し、英軍は「Shoot!」と言うくらいだからその違いは顕著だ。ましてや言語体系がそもそも違えば、相互の理解はより一層難しくなる。

 普段の指示はお互い共通語たる日本語で話していたとしても、いざ射撃の段階になればそれぞれ口にするのはやはり自分たちの母語だ。だがこの場合、日本語の分かる海外艦娘は日本側の意図を瞬時に把握できるが、外国語(特に今回はドイツ語)の指示に不慣れな日本の艦娘は、友邦の意図をうまく理解できないという意思疎通上でのギャップが起こりうる。そしてこれは、一見小さな齟齬に見えても戦場においては致命的だ。射撃命令が下されたまさにその瞬間に、そうとは知らずに味方艦が自分の砲の前に姿を現した、なんてことがあればシャレにならない。

 その為、今回は参加する全18名を3つの艦隊に分け、お互いに随時通信を繰り返しながら仮想目標に接近し射撃を加えていくという、「通信・射撃演習」が行われることとなった。艦娘の最も優れた点とは、「各々が意志を持ち自律的かつ臨機応変に作戦行動を取れる」ことにある。戦場での指揮権は、あくまでも彼女たち自身が行使するものなのだ。そしてこの世界においては、複数国の艦娘が同じ1つの艦隊を構成することもザラにある。「旗艦を任された者がその艦隊の指揮を執る」「連合艦隊の総指揮は第1艦隊旗艦が執る」という原則は、こうした場合でも一切変わることはない。

 日本の艦娘たちも、アメリカ勢が旗艦の艦隊に配属となれば英語の、ドイツ勢ならドイツ語の号令にそれぞれ従って行動する。「戦時統制権を掌握されているのでもない限り、他国艦艇の命令を受けるなどあり得ない」が常識である旧来の海軍における伝統とは真逆のこの環境に、今回は適応していかなければならないのだ。日本側も事前に外国語での号令についてはレクチャーを受けてはいるが、やはり付け焼刃な印象は否めない。うまく理解できるといいのだが。

 「まぁ、何とかなりますよ。色んな言葉が飛び交う環境に慣れるのが、この演習の目的でもありますし。私も最初はチンプンカンプンでしたけど、やっていくうちに向こうの言ってることが分かるようになって、それからは凄くやりやすくなりました。みらいさんたちも、そういう風になれればいいですね」

 吹雪がそう答えた時、ふとゆきなみが「あっ」という小さな声を上げる。それをかき消すかのように、彼方からジェットエンジンの音が聞こえてきた。そちらに目を向けると、2機の航空機が着陸態勢をとりながらこちらへと向かってくる。軍用の輸送機ではなく、真っ白な機体が眩しい要人輸送機だった。

 (いよいよご到着ってわけね…)

 みらいがそう心の中で呟いたその視線の先で、最初の1機がゆっくりと降下し始める。やがて後続のもう1機も着陸してドアを開けば、彼女たち姉妹が初めて目の当たりにする海外艦娘たちが、各々の司令官たちとともに姿を見せることになるだろう。そしてそれは、みらいたちにとっては未知なる存在である彼女たちとの付き合いをスタートさせる号砲ともなる。果たしてうまくいくかどうか、それはあくまでも自分たち次第だ。

 (せっかく与えてもらったこの機会、必ず糧にしないと。友邦を前に粗相は許されないわ。いい機会となることを祈るのみね)

 みらいは己の拳をしっかりと握りしめたのだった。

 

 「あー、すっきりした。やっぱりあんな所で長時間過ごすなんて無茶ね。ゆでガエルになるかと思ったわ」

 あすかが大きく伸びをしながら声を上げた。今、日本からの艦娘一同は円極前線基地内の大浴場に集っている。彼女たちにとっては不慣れなあまりの暑さに、歓迎式典が終了し解散となった瞬間に全員が風呂場へ一目散に駆け込んだのだ。炎天下の中でずっと待たされていたせいで、誰もが汗だくになっていた。

 「この暑さの中でも平気だっていうんだから、帛琉県民の人たちは本当に凄いよね…」

 みらいも同意する。

 「このさなかじゃ、何枚制服を着替えても足りないわ。いっそのこと、昼間は水着で外出なんてさせてもらえないかしらねぇ」

 暑さで思考が若干おかしくなっているせいだろうか、ゆきなみが冗談とも本気ともつかないようなことを言いだした。気持ちは分からなくもないが、昼間は基本的に先ほどのような式典の類が目白押しだ。そこに水着で参加なんてことになれば、流石に国防海軍の品位にかかわる問題になるだろう。よしんば許されたとして、せいぜい基地周辺のそれもビーチに比較的近いような立地の店舗に、ちょっとばかり買い物に出かける時くらいのものであるはずだ。

 大体、それだって「世の野郎どもの目の保養にはなるから大目に見てもらえる」という程度のものと心得るべきだろう。いくら南国と言いつつもここは日本の領土だ。そして、真昼間から水着で街中に繰り出す文化など我が国に存在しないことは、読者諸兄もよくよくご存じのはずである。

 「何言ってんのよ、ゆき姉。ビーチでもないのに水着で外出なんて、いくら暑いからってそんなこと許されるわきゃないでしょ」

 あすかがあきれ顔で言い放った、まさにその時だった。

 「あら、うちの国じゃ水着どころか素っ裸で日光浴してるわよ?こんなに日差しが強いんじゃ、水着なんか着てたら日焼け跡がつくもの」

 突如出入り口から響いてきたその声に、一同が振り向く。そこに立っていたのは、みらいたち3姉妹がこれまで目にしてきた日本艦とは、明らかに異なった容姿を持つ2人組だった。1人はロングストレート、もう1人は耳辺りで錨型の髪飾りでまとめたおさげという髪型で、いずれも金髪碧眼。先刻空港で見かけた際は、全身に灰色基調の戦闘服を身に纏っていたその長躯の肢体は、どちらもこれから入浴とあってか今は一糸纏わぬ姿だ。恐らく、よほど自分たちのプロポーションに自信があるのだろう。確かに、傍目に見てもグラマラスそのものの裸身を手元のタオルで隠そうなどというそぶりは、同性同士とは言えど微塵も見せようとしていない。

 「Hallo, allerseits. Was geht? (こんにちは、皆。調子はどう?) 入るわよ」

 金髪ストレートの方はそう言い放つと、堂々とした足取りでこちらに向かってくる。その挨拶が少なくとも英語ではないと認識するのに、みらいはそれほど時間を要さなかった。となれば、彼女たちが口にしたのはドイツ語。この2人がドイツ海軍からの参加者か。

 「うわっ、びっくりした。何よいきなり」

 「水着で外出がどうのこうのって聞こえたからね。我が国の伝統文化を軽く紹介してあげただけよ。せっかくの国際演習だもの、交流するにはいい機会でしょ?」

 「いや、水着で出かけるのはそもそも日本文化じゃないんだけど。っていうか屋外で素っ裸ってどういうことよ、信じられない。もしかしてドイツ女は痴女の集まりなわけ?」

 あすかの言葉に、金髪ストレートの艦娘はニヤニヤしながらかぶりを振った。事前に聞いてはいたが、ところどころドイツ語の言い回しが混じるとはいえ、確かに日本語は聞いていて全く違和感がないくらいペラペラだ。

 「いやね、痴女だなんて。別に見せるために脱ぐわけじゃないけど、見られたって別に困らないってだけの話じゃない。大体あなただってそんないい身体しておいて、艦娘ともあろう者が裸を見られたくらいで動じるんじゃないわよ。自分に自信があるならそんな物、見たい奴には好きなだけ拝ませてやりなさい。後で見返りにたんまりせしめてやりゃいいんだから。…、なんならこの機会に体験ツアーでも開いて差し上げましょうか?」

 「断固お断りよ。自分に自信があるのは結構だけど、最低限女としての恥じらいくらい持ち合わせときなさい。そっちの司令官殿に許可とって、外交問題上等で今すぐこっちの警察に突き出してあげてもいいんだけど?」

 こめかみに青筋を立てながら無理やり笑顔を作ったあすかの挑発的な返答にも動じることなく、ドイツからのゲストはとうとう声を上げて笑い出した。

 「アッハッハ!Es tut mir leid (ごめん)、冗談よ。流石にJapanの警察のお世話になってまでやるつもりはないわ。そもそもそれが目的で来たわけじゃないもの」

 そう言うと、彼女はニカッと笑いながら一転してその右手を差し出す。

 「あなたたちとは初めましてよね。Guten tag (こんにちは)、ドイツ連邦共和国海軍ビスマルク級戦艦『ビスマルク』よ。こっちは妹分のアドミラル・ヒッパー級重巡『プリンツ・オイゲン』。よろしく頼むわね、mein freund. (我が友よ)」

 (「ビスマルク…、この人が」)

 みらいは姉と正対するビスマルクの姿を横から見つめた。左腕にフェイスタオルをかけただけのその姿は、いかにも威風堂々と言った風情だ。美人だが高飛車なところもある戦乙女、確かに吹雪が評した通りである。

 「初めまして、ビスマルクさん、プリンツ・オイゲンさん。日本国防海軍ゆきなみ型ヘリコプター搭載イージス護衛艦1番艦、ゆきなみと申します。こちらは妹のあすかとみらい。あすかが無礼をどうも失礼しました。お会いできて嬉しいです。日光浴の件はともかく、今回の演習ではよろしくお願いしますね」

 「えへへっ、初めまして。プリンツ・オイゲンです。ビスマルク姉様ともども、よろしくお願いします。気軽に、オイゲンって呼んでくださいね」

 あすかに代わって、ビスマルクの右手を握り返したゆきなみの物腰柔らかな挨拶に応じたのは、脇にいたプリンツ・オイゲンだった。ビスマルクよりは小柄で顔立ちも幼く、人懐っこい笑みはどこか子犬っぽい可愛らしさを感じさせる。…、それにしては胸部装甲の自己主張がやけに激しいような。

 「あっ、オイゲンさんだぁ。わーい、久しぶりっぽい!!」

 洗い場にいた夕立がぶんぶんと手を振る。それに対して、満面の笑みで手を振り返すオイゲンの姿を見つめる吹雪が、何やら涙目に見えるのは気のせいだろうか。さっきは会えるのが楽しみとか言ってた気がするが。

 「ふふっ。相変わらずですね、ビスマルクもユージンも」

 「随分と賑やかねぇ。でもこのNoisyな感じ、meは嫌いじゃないわよ?」

 再び、出入り口のところで声がした。そちらに目を向けた日本側の一同が、「また凄いカラダの持ち主が来た」と身構える。視線の先にいたのはアメリカからやってきた戦艦『アイオワ』、そしてその相棒として急きょ参戦が決まった空母『サラトガ』だった。明るくて気立てが良く、非常に礼儀正しい印象だったサラトガも、着ていた服を全て脱ぎ去った今の姿は色々な意味で存在感抜群かつ破壊力満点だ。全く、一体何を食べたらあんな身体が手に入るんだろう。…、あっ、とうとう吹雪ちゃんが泡吹いて倒れた。

 「あら、遅いじゃない。日本の子たちと一緒に先に入ってるものだと思ってたわ」

 「Sorry, ma’am. 本当は私たちも早く入りに来たかったのだけど、セレモニーの後にうちの司令官に呼ばれてね。おかげで干からびるかと思ったわ」

 ビスマルクの呼びかけに、こちらに歩み寄ってきたサラトガは肩をすくめながらため息をつく。そんな彼女に向かって、可愛らしく頬を膨らませたのはオイゲンだ。

 「サラトガさん、また私のことユージンって言った。もう、ドイツ艦なんだからちゃんとドイツ語読みで『オイゲン』って呼んでくださいよぉ」

 「ごめんね、私たちアメリカ人には発音がどうも難しいのよ」

 サラトガの言葉に、そばにいたアイオワも苦笑いを浮かべた。ちなみに、ドイツ勢とアメリカ勢のここまでの会話も全て日本語である。なるほど、確かに「艦娘の国際共通語は日本語」と言われるわけだ。

 「アイオワさんにサラトガさんですね。日本国防海軍ゆきなみ型ヘリコプター搭載イージス護衛艦1番艦、ゆきなみと申します。こちらは妹のあすかとみらい。この度はお会いできて光栄です。よろしくお願いしますね」

 ドイツ勢に引き続いて礼儀正しく挨拶したゆきなみに、サラトガはにこやかに右手を差し出した。その所作はいかにも淑女のそれである。

 「Hello! 航空母艦サラトガです。サラとお呼びくださいね。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 そう言ってゆきなみと握手を交わすと、サラトガはふとみらいの方に顔を向けた。突然、予期せぬ目線を向けられたみらいは何事かとそちらを見つめる。

 「初めまして、あなたがみらいさんね?」

 「へ?あぁ、はい。初めまして…」

 突然名前を呼ばれて驚いたみらいに、サラトガは何も変わらない温和な表情を見せた。

 「そんなに身構えなくても大丈夫よ。実は、あなた宛てに伝言を預かっているんです。演習で一緒になった時、是非伝えてほしいって」

 「伝言?一体誰から…?」

 怪訝そうな表情を浮かべたみらい。その彼女に、サラトガは驚きの名を伝えた。

 「空母ワスプと、戦艦ノースカロライナよ。『日本国防海軍への着任おめでとう、噂は常々聞いています。今回は任務上の都合で一緒に演習に参加できなくて残念だけど、また機会があれば是非お会いしましょう。その時を楽しみにしています』とね」

 「ワスプとノースカロライナが…!?」

 みらいは素っ頓狂な声を上げて叫んだ。その声に、周りの艦娘たちが目を見張る。だが、もちろん一番驚いているのは当のみらいだ。彼女たちは本当に艦娘になっていて、しかも自分のことをしっかり覚えていた。しかし、まさかそんな伝言を託してくるなんて誰が想像しただろう。同じ日本の船同士で、矛を交えたのもやむに已まれずの手段であった大和とは異なり、ワスプとノースカロライナはれっきとした敵国の船だったのだ。

 「どっちもアメリカの船じゃない。何みらい、知り合い?」

 振り向いたあすかに、みらいははっきりと頷いた。

 「2人とも、太平洋戦争中に私が交戦した艦艇よ。ワスプは撃沈、ノースカロライナは大破させた相手。まさか、そんな2人から伝言が来るなんて。…、あの、サラトガさん」

 みらいの問いかけに、サラトガは再び顔を向けた。

 「その2人、私について何と言っていましたか。自分の船としての一生を終わらせた相手ですし、ポジティブな言い方はしてくれてはないでしょうけど」

 「まさか、とんでもない。2人とも、みらいさんの戦闘能力を揃って絶賛していましたよ。『あの時代に、あんな戦いができる船と出会うなんて今でも信じられない』と。演習に参加できないと知った時は、本当に心から残念がっていました」

 「That’s right. 代わりに今回呼ばれた私たちのこと、最後まで羨ましがってたもんね」

 アイオワが苦笑交じりに応じる。そうだったのか。まさか、大和だけでなくアメリカの艦娘たちからもそんな風に思われていたなんて。

 「思い出したわ、そういえばあなたたちだったわよね、日本国防海軍に着任したっていうイージス艦娘の3姉妹。うちのフォンヴェストファーレン大将も興味津々だったわよ」

 ビスマルクが、今回の演習に自身を連れてきたクラウス・フォンヴェストファーレン海軍大将の名を口にする。今頃は、あてがわれた自室で一休み中だろうか。あるいは、今夜に控えているレセプションに向けての支度中かもしれない。

 「まさか、第2次世界大戦に参戦したイージス艦なんてものが実在するなんてね。せっかくのこの機会、あなたたちの実力は存分に見せてもらうわよ。まぁ、私たちほどではないでしょうけどね」

 「まぁ、いちいち人をイラつかせることにかけてはあんたたちの方が圧倒的に上よね」

 ここぞとばかりに嫌味をぶつけるあすかだが、ビスマルクは意に介さない。

 「あら、いいのよ?もっと褒めても」

 「褒めてないわよ、馬鹿。全く、これのどこがどう誉め言葉に聞こえるのかしらね」

 「まぁまぁまぁ、2人とも穏便に穏便に。今回はお互い味方同士なんですからね?」

 苦笑しながら必死になだめるのはオイゲンの役割である。なるほど、どうやら海外艦娘というのは日本艦娘に輪をかけた個性派の集まりらしい。この個性がお互いに激しくぶつかり合った時、起こる化学反応とは一体どんなものだろう。

 「そうよ、あすか。友邦の艦娘と国際演習で喧嘩してどうするの。私たちには他に共通の敵がいるでしょう?考えたくはないけど、演習中に深海棲艦が襲い掛かってきたなんて事態になったらどうするのよ」

 ゆきなみがそこでオイゲンに加勢する。それに対するあすかの返答は明快だった。

 「その時は決まってるでしょ、()()()()()()()()()()()()。それが艦隊の盾としてのあたしたち姉妹の役割じゃない。普段の任務だろうが演習だろうが変わらないわよ」

 「それが分かっているのならまぁ、いいのだけど…」

 ゆきなみはそこで矛を収めた。しかし、一方でそのあすかの言葉に怪訝そうな表情を崩さない者がいた。みらいだった。

 「あすか姉さん。それだけじゃ、今回は不十分なんじゃないの」

 「不十分?どういう意味よ」

 眉をひそめたあすかに向かって、みらいは言葉を続ける。

 「この演習は私たち艦娘だけじゃなく、政府要人も日米独3か国から集まってる場なんでしょ。今回の私たちには、もし万が一襲撃を受けた時には彼らの身柄を確実に守る、そういう責任だって負わされてるんじゃないの」

 「えぇ、当然そうでしょうね。それがどうしたのよ」

 「だとしたら、単に『降りかかってくる脅威を排除する』って姿勢だけじゃ不十分よ」

 みらいが続けて放った言葉に、その場にいた全員がたじろいだ。

 「()()()()()()()()()()()()。この姿勢じゃなきゃ、私たちは彼らを守り切れない」

 「殲滅、ですって…?」

 あすかはその言葉を繰り返した。その目は、すぐに妹の視線を鋭く捉える。

 「そうだとしても、それは私たち護衛艦の役割じゃない。この艦隊には大和さん、金剛、ビスマルク、アイオワという戦艦が4隻、摩耶とオイゲンという重巡が2隻いる。18隻のうち3分の1が、私たちをも上回る高火力艦なのよ。もし深海棲艦との戦闘になって、そこに殲滅する役割をもつ艦が必要であったとしても、それは彼女たちに任せた方がいい」

 「どうして?同じ艦隊の一員として、共通の目的の為に行動するのは当たり前じゃない。だったら、敵に対する姿勢だって共通であるべきよ」

 「そうじゃない、役割分担が大事だと言ってるだけよ。あたしたちはあくまで盾としての役割に徹するべきなのよ。そういう船なんだから」

 あすかはそう言うと、ふと奥の方からこちらに視線を向けている川内の方にチラリと目をやった。それに気づいた彼女が思わず目を背ける。先ほどから、この姉妹の他に言葉を発する者はいない。皆、黙ったまま議論の行方をじっと見守っていた。

 「そういえば、前に川内から聞いたわよ。あんた、常々そうやって『襲ってくる敵艦は殲滅する』を口癖としていて、実際に撤退していく敵艦をわざわざ背中越しに砲撃して撃沈したことさえあったそうね?」

 「ええ、姉さんの言う通りよ」

 みらいの返答に対するあすかの言葉は、何やら重苦しかった。

 「どうして…、どうしてそんなことするのよ。そんなの、護衛艦の戦闘じゃない」

 「えっ…?」

 その場にいた全員が、驚きのあまり目を見開いた。

 「あたしたちは、確かに砲撃の精度と手数に関しては国防海軍でもトップクラスよ。でも、だからって戦艦なんかと違って敵を火力で圧倒し殲滅できるわけじゃない。あたしたち護衛艦は元々そういう風には設計されてないの。あんただってよく分かってるでしょ」

 「それは…」

 「あたしたちの持つ力は、誰かの命を奪うためにあるんじゃない。誰かの命を守るためにあるの。たとえ所属が海上自衛隊から国防海軍に移ったとしても、その本質まで変えられるわけじゃないわ。マインドが変わったとしても、あたしたち自身の性能がそこに追いつかないんだから。あたしはそう納得してこの世界でも戦ってきた」

 ボイラーの重低音が響く大浴場に、あすかの声がこだましていた。

 「目先の脅威を排除するために、最低限の実力行使によって最大限の利益を得る。あたしもあんたもずっとそうやってきたじゃない。なのに、今のあんたはまるっきりその逆を行こうとしてる。撤退していく船にまで砲撃するなんて、あんたがそこまでこだわる理由って一体何なのよ」

 みらいは、黙ったまま姉の言葉をじっと聞いていた。だが、自分に語り掛けてくるその姿はまるで、かつての自分自身を見ているようだ。なるほど、彼女が口にしたそれは確かに1つの理屈だ。正論として筋も通っている。昔の自分なら、それに抗うことなど考えずに素直に頷いていただろう。しかし…。

 「そんな理屈、生きるか死ぬかの瀬戸際じゃ通用しないわよ」

 自然と、その思いはみらいの口から漏れた。「どういう意味よ」とあすかが再び鋭い目を向ける。みらいの頭の中で、ゴングが打ち鳴らされた。

 「私たちの力は誰かを護るためのもの、確かに究極的にはそうかもしれない。でも、そんな崇高な理念は殺し合いの舞台じゃ何の役にも立たないの。戦場っていうのはそんな美しい場所じゃない、殺すか殺されるかのどちらかしかないもっと残忍なところよ。そんな中でも私たちは目の前の一瞬一瞬を生き抜いていかなきゃいけない。時には、その為に自分たちのポリシーさえ捨てざるを得ない、それが戦場だって私は学んだのよ、70年前のあの戦争から」

 みらいはこみあげてくるものを必死に堪えながら、声を絞り出した。

 「姉さんは、戦場における本当の恐怖ってものを知らないのよ。自分が打ち漏らした、たった1隻の敵艦や1機の艦載機が、一瞬にして自分に取り返しがつかないくらいのダメージを与えうる脅威に姿を変える、その恐怖を知らないからそんなことが言えるの。私自身もかつてそれを知らなかったせいで、70年前にどれだけ…」

 その言葉を、みらいは最後まで口にできなかった。そこまで言った瞬間、大浴場全体に響き渡る「パァーン!!」という音とともに、彼女の右頬に猛烈な痛みが走ったからだ。阿修羅のごとき表情を浮かべながら眼前に立つあすかの姿を見て、彼女が自分に思いっきり平手打ちを食らわせたのだということをみらいはやがて理解した。

 「ちょっとあんたねぇ!!何いきなり手を出してんのよ、自分の妹でしょ!!」

 ビスマルクが慌てて咎めるが、あすかは聞く耳を持たない。

 「何よ、70年前70年前って。そんなに、太平洋戦争に参加してたことはあんたにとっちゃ誇りだっての?人の気も知らないで、あんた何様よ。偶然の事故でタイムスリップを経験したからって、特権階級にでもなったつもり?」

 「あすかさん、やめてください。それは流石に言いすぎです」

 「こっちはこっちで、毎日手探りでどのように戦っていけばいいか探し求めて、試行錯誤を繰り返しながら生きてるっていうのに。あんただって結局、菊池少佐や尾栗少佐と同じように過去に縛られてるじゃ…」

 サラトガの忠告を振り切ってなおも言葉を続けようとしたあすかだが、その言葉もまた最後まで口にすることはできなかった。突然浴室の扉が開き、怒鳴り込んできた者がいたからである。

 「馬鹿野郎、お前ら大人しく静かに風呂に入ることすらできねぇのか!!さっきからうるせぇんだよ。しょっぱなから仲間内で見苦しい喧嘩なんかしてんじゃねぇぞ、このタコ!!」

 その瞬間、全員の驚いた視線がそちらに向いた。日米独連合艦隊計18名の艦娘全員が、突然乱入してきたその男にガッツリ全裸姿を見られてしまったのもそれはそれでショッキングだが、それ以上にその男の正体の方が彼女たちにとっては衝撃だった。あのあすかですら、一糸纏わぬ裸身を見られたことを咎めるのを忘れたほどなのだから。

 「い、岩城少将!?…、なんでこちらに」




この世界の艦娘たちは、ゆきなみ型3姉妹を除けば基本的に戦闘では「中破上等」のスタイルです。従って戦場その他で肌を晒すことにもそれなりに慣れている子が多く、多少の露出では基本的に動じることはありません。ビスマルクが「裸なんぞ見たい奴には拝ませとけ」と言い放ったのもそういうメンタリティからです。もちろん、彼女のように堂々と口にし開き直ってる子は少数派ですけどね。原作にはない設定ですが、実際彼女の性格からするとそこまで抵抗感は持ってなさそうです。

ちなみに、お風呂回になったことについて言い訳させていただくと、別にエロシーンとして入れたわけではないのですよ。あくまでも「お互いが包み隠さず本音でぶつかり合い、言いたいことを自由に言い合える場」のメタファーとしての舞台設定です。尤も、そのせいで約3名ほどえらいことになってしまいましたが。みらいとあすかは大ゲンカし始めるし、なんか吹雪はどさくさに紛れて泡吹いて倒れてるし。

次回は再び健全路線に戻し、いよいよ演習に突入予定です。ここからは今回にもまして複数言語がカオスに飛び交いますので、どうぞよろしくお願いいたします(基本的にドイツ語には今回のように日本語訳をつける予定です)。果たして姉妹喧嘩の行く末はどうなるのか、演習は滞りなく終了できるのか?どうぞお楽しみに。それではまたお会いしましょう。

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