提督が幻想郷に着任しました   作:水無月シルシ

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006 然るべき結び

 青い空の下、吹雪は駆けるように群青の海を割って進んでいく。

 自らを旗艦とした、駆逐艦5隻による編成。吹雪の背後には、縦列で同様に移動する4人の少女の姿があった。

 

「吹雪、敵艦捕捉よ。2体の駆逐艦を確認したわ」

「ありがとう、叢雲ちゃん」

「ねえ、どう戦うの? 敵の火力も速力もわからないのに」

「数の上ではこちらが有利です。このまま陣形を維持しつつ、集中砲火で倒します!」

「わかったわ」

 

 気の強そうな表情を浮かべる叢雲は唇を引き締め、その長い髪を潮風に揺らしながら頷く。

 遠くに見える黒い怪物を睨みつけながら、吹雪は自身の上官であるカミツレとの会話を思い出していた。

 

『ですから私、司令官をお守りしますね!』

『えっと、どうして僕にこだわるの?』

 

 砲火を交え、荒々しい波を越え、時には物資を運び、時には大型艦を護衛する。自身がどういった経歴を辿ったか、そんなものは理解している。

 

 理解しているからこそ、吹雪は青年との距離を測りかねていた。

 誤算だったのは、青年が自身の記憶を知ることが出来ること。

 

 吹雪にとって、軍艦としての記憶は自身の生涯そのもの。しかし艦魂として時代を過ごす中で、自身らにどのような評価が下されたのかは知っている。

 

 悔しかった。守りきれなかったことが。

 嘆いた。国のためと戦いながらも、ただの犯罪者としての烙印を押されたことを。

 無論、戦争の最中に望ましくない行動があったことは知っている。だが、守りたいという意思すら否定されたような気がして、吹雪は目を瞑って眠りについたのだ。

 

 カミツレという青年に誤解を持たれたくはない。目覚めの形は自身が想像していたものとは大きくかけ離れていたが、この役目が変わることはない。

 青年はおそらく、戦争について何も知らない。だから尚更、先入観からではなく正面から向き合って欲しいのだ。

 

 人格を与えられ、まるで生まれ変わったような気分の今なら、自分がどういった艦であったかを伝えられると思うから。

 

 吹雪が青年に従う理由。それは確かに、青年が持つ能力による部分もあるが、それは吹雪にとって昔も今も変わらない。

 しかし、従う理由として。否、守りたいと思う理由としてはもう一つ。

 

 青年が吹雪の記憶を知ることが出来るように、“吹雪もまた青年の記憶を知ることができる”のである。これは自身だけではなく、他の艦娘も同様。

 その中身たるや、幽霊が見えるという理由による周囲からの白い目線、それをきっかけに始まる家庭内――孤児院内暴力、学校における他の生徒との遠い距離と、顔をしかめるものが多い。

 

 戦時中ならばもっと悲惨な子供は沢山いた。しかし、時代を経て裕福になった世の中での出来事だ。少なくともいい顔はできない。何より、これもまた自身らが招いた未来の一つとして考えると、決して無視など出来るはずもなかった。

 

 その中で一つだけ、優しい色をした記憶があった。それは、吹雪も会話したあの緑色の髪の少女、東風谷早苗との思い出。

 子供時代に青年が唯一笑顔を見せた少女であり、神社で、山で、河で一緒に過ごす記憶は他の記憶とは明らかに一線を画していた。

 

 中学を卒業後はアルバイトを始めた為に会わなくなり、その後は再び笑わなくなったようだが、少なくとも青年の記憶の中では最も輝いているもの。

 そして今、青年はその少女との再会を果たした。

 

(司令官は……もっと自分の気持ちに素直になっていいよね)

 

 そう、吹雪は守りたいのだ。

 青年に対するあらゆる悪意から、敵対心から、攻撃から。上下関係など関係なく、吹雪という少女としての願い。

 

 今の自分は軍属であって軍属ではない。この行動は、青年を守りたいが故に。折角この身体を手に入れたのだから、自分の手の届く距離にあるものを守って何が悪いのか。

 

 交戦距離まで近づいた吹雪たちは主砲を構え、その目つきを一層鋭くして怪物を見た。旗艦としての吹雪の指示にも、より気合が入る。

 

「みんな、対水上戦闘用意、最大船速! 目標2隻、方位30度! 主砲、撃ちー方――」

 

 青年の記憶を知ることはできても、感情を知ることはできない。そして、吹雪自身も少女のような人格しか持ち合わせておらず、小難しいことを考え続けるのも苦手だ。

 だから、軍艦の魂である自分に出来ることは戦うこと。青年を害するモノと戦い、守ること。

 守りたいものを守るために今度こそは、と吹雪は息をつく。

 

 

「始め!」

 

 

 

 

 

 

 

 遠目に見える少女たちの背を見ながら、青年は不安とも焦燥ともとれない自身の心に揺さぶられていた。

 送り出したはいいものの、距離が遠いために何も見えない。今こそ目覚めよ我が能力、などと恥ずかしいことを思ったとしても、見える景色は変わるはずもなかった。なんて融通の効かない能力だろう。

 

 スイスイと水上を駆っていくのをただ見ているだけの自身に腹が立ちそうになるも、どの道何もできないことを知っているために、やりきれない気持ちが青年を襲う。

 砂浜で立っていると、後ろにいた紫と早苗が青年の隣に近づき、同様に少女たちのいる方角を見ていた。

 

「……二人は何か見えるんですか?」

 

 紫は顎に手を当てて目を細めており、何かを呟いているが聞き取ることはできない。代わりに、早苗が青年に対して口を開く。

 

「見えますよ。吹雪ちゃんたち、かなり優勢ですね」

「誰かが怪我をしているとかは?」

「えっと、話していた通り、飛んできた鉄の塊――どうやら砲弾ですね。砲弾が体に当たるより前に、障壁のようなものがそれを弾いています」

「……ならよかった」

 

 懸念していた一つの事項。少女たちが怪我をするのではないかという不安はひとまず解消された。

 いくら幽霊だろうが軍艦だろうが、見た目少女の彼女たちが傷つくところなどは青年も見たくはない。

 

「ねえ、カミツレさん」

「ん、何?」

 

 唐突に、早苗が青年に対して向き直る。改まってどうしたのかと青年も不思議に思うが、青年も海を気にしながら早苗に向き直る。

 

「今話すべきことではないかもしれませんが、さっき、吹雪ちゃんと話していた時に、“孤児院”と言っていましたよね。私、初めて聞きましたよ?」

「…………。ああ、うん……言ってなかった?」

「昔ですら聞いてません! ……それで?」

「……言う必要はあるかな?」

「私は知りたいです」

 

 何を聞かれるかと思えば、と青年は身構えていたのだが、自身の失言についてであることに頬をかく。

 

 青年は早苗に孤児院育ちであることを話していない。もちろんそこでの暮らしも。あくまで近所の子供の一人のように接していた。

 何かを聞かれてもはぐらかし、誤魔化し、名前以外のことを教えなかった。早苗が信用できないとか、嫌いだからとか、そういう問題ではなくて。

 もっと単純で、教えるのが恥ずかしく、恥であり、己の情けない部分を晒したくはなかったから。それは紛れもなく、友達に恥ずかしいところを見せたくないという気持ちがあったからこそのものなのだ。

 

 早苗は目を逸らし、寂しげな表情で吹雪たちのいる方向を見た。

 

「カミツレさん……幻想郷に残らないつもりですね?」

「……どうしてそう思う?」

「カミツレさんってものぐさですからね。面倒事からは逃げようとしますし。……神社に来なかったのは、私のことが鬱陶しかったからなんですか?」

「……それは絶対に違うよ」

「なら……良かったです」

 

 心底安堵した、といった風に早苗は口元を緩めた。何か憑き物が落ちたかのような穏やかな表情であるが、それもすぐに元の顔へと変わる。

 

「そっか。幻想郷に残っても、カミツレさんには暮らす手段がないですね」

「うん、そこはどうしようもないから、僕は戻るよ」

 

 自身の中で、一応の区切りはつけておいた。それは、全ての出来事から目を逸らし、外の世界へ送ってもらうこと。

 残るとしても衣食住を満たすことは現状見通しがつかない。そして、残るとなれば面倒事のオンパレード。

 ならば外の世界に戻り、夢を見たということにして元の生活に戻ったほうがストレスにはならない。ただでさえ面倒事の多い人生だというのに、それを避けようとして何が悪いというのか。

 

 嫌なものからは逃げればいい。それが何であれ、自身の精神を一時は落ち着かせるのだから。

 

 早苗はもう一度自身に視線を合わせようとする。しかし青年は、早苗と交代するように吹雪たちの方を向いた。自身の目では、何も見えないというのに。

 

「建前じゃないんですか?」

「怒るよ?」

「じゃあ例えば、神奈子様と諏訪子様を私が説得して、守矢神社に住んでいいということになればどうですか? 住む場所と食べるものについては保証します」

「ただでお世話になるわけにはいかない。一人暮らしの方が気楽でいいし」

「家族のように過ごすのも楽しいですよ?」

「家族じゃないし、同意はできない」

「……もしかしてカミツレさん、孤児院暮らしが嫌だったんですか?」

「……どうしてそうなるの?」

「さしづめ、色々と見える体質のせいでそうなったと考えるべきなんでしょうね。周りから色々言われたんじゃないですか?」

 

 的確な推測に、青年は声を出すことを忘れてしまった。口をパクパクと鯉のように開いて閉じて、無表情を装おうとしても頬が引きつる。

 自身の心に早苗がズカズカと乗り込んでくるのはいいのだ。今も昔も、それが早苗であり、それが心地よかったのだから。だが、静かな憤りを覚えるのはなぜだろうか。

 

 それはおそらく――自分には“何も”なかったから。

 

「失礼なこと聞いてるってわかってる?」

「反論しないんですね」

「何が分かるのさ」

「私もいろいろ言われてきた身ですから」

「…………っ」

 

 更に、驚愕。あれだけ笑顔を振りまいていた早苗が、まさか自分と同じような目に遭っていたと、どうして信じられよう。しかし、青年が否定しようとする事実を裏付けるような事実はすぐ傍にある。

 

 東風谷早苗は守矢神社の巫女である。巫女は一般に神に仕える人のことを指し、大昔では神と対話することができるなどと言われていた。

 神と呼ばれる神奈子と諏訪子の為人を知り、そして早苗が巫女となれば、想像することは不可能ではない。

 早苗もまた、色々と神妙不可思議な事象を認識することができるのだと。

 

「ただ、私には神奈子様と諏訪子様がいました。学校では色々と言われましたけど、お二人が傍にいてくれたから私は今こうしていられます」

「……そっか」

「カミツレさんに、そういう人はいませんでしたか?」

「……いなかったよ。強いて挙げるならさなちゃん“だった”」

「え!? えっと、それは、その、お気持ちは嬉しいですが」

 

 支えてくれる人はいただろうか、と青年は自問自答する。孤児院で、学校で、自身を理解してくれる人はいただろうか、と思い返す。

 社交辞令のように話しかけてくる人はいた。しかし、自身を非難するために近づいたのではないかと追い払ったのは他ならぬ自分自身。

 高校に入学してからはそれまでより比較的人と話す機会は増えた。しかし、アルバイトに追われ、人との付き合いを諦めていたために距離を置き始めたのは他ならぬ自分自身。

 

 だがもしも、若き日の青年がまた違う選択をしていたならば。諦めることなく人との付き合いを求めていたならば。

 

 

 また違う人生が、送れていただろうか。

 

 

 人との付き合いを求めていた、温かさを望んでいたことなど、神社で早苗と遊んでいたことを考えれば自明の理であるというのに。

 

「情けない人生送ってたんだなあ……」

「い、いきなりどうしたんですか?」

「いや、気にしないで。もしやり直せたなら、って考えてただけだから」

 

 どれだけ考えても仕方のないことである。

 人生の道筋は一つしかなく、仮にやり直したとしても、その時点の自分は同様の思考で同様の選択をするのだ。

 

 孤児院の子供たちに罪はない。青年と同様に未熟であっただけなのだから。

 院長にも罪はない。得体のしれない子供を正常に見ていられなかっただけなのだから。

 同世代にもはない。日々の中での安寧を求めるが故に、異常性を排除しようとしただけなのだから。

 

 なら、一体何が悪かったというのだろう。

 

 彼らの醜い感情を呼び起こしたのは誰なのか。彼らの外側にいながら、彼らの中心にいたのは誰なのだろうか。放射状に伸びる影は、きっと一つにはなりえなかったはずなのに。

 自分自身に憤りを覚えるが、あとに残るのは虚しさだけ。

 

 だから、人生をやり直したとしても、何が変わることはない。同じ思いを抱き、同じ境遇を選択し、同じ時間を過ごす。

 自分の人生に意味を求めるなど、そもそも間違いなのだから。

 

「あの、カミツレさん。やり直しはできませんし、私がカミツレさんの痛みを共有することはできません。同じように、カミツレさんにも私の苦しみはわからないと思います」

 

 突如語りだす早苗に対し、青年はようやく早苗と瞳を交わし、訝しげな表情を浮かべる。

 

「私が幻想郷に来たのは、神奈子様や諏訪子様が信仰を得て生きられるようにするため。もちろんそれもありますが、それだけではありません」

「……それは?」

「私は私で、幻想郷に新しい人生を求めてやってきました」

「それ、建前じゃないの?」

「逃げるつもりはありません。私は私らしくあるために、ここで生きていきます」

 

 強いな、と青年は目を伏せる。

 少し不思議な少女だと思っていたが、それは最早思い出の中に消えた。この目の前にいる少女は、少なくとも自分より余程しっかりしている。

 

「ですからね、カミツレさん」

 

 早苗が青年の手を包み込むように両手でとる。突然のことに青年も振り払おうとするが、早苗の真剣な眼差しにたじろぐ。

 

 

 

「あなたは――どうしますか?」

 

 

 

「……考えておくよ」

 

 

 

 優しさを、そして慈愛を含んだその瞳から目を逸らし、青年は早苗の手を乱暴に振り解く。

 早苗は少しだけ頬を膨らませていたが、青年の答えにとりあえず納得したようで目尻を下げていた。

 

「さて、そろそろいいかしら」

「わわわ、いたんですか八雲さん!」

「紫でいいわよ、守矢の巫女さん」

「てっきりいないものだとばかり思っていました」

「興味深い話が聞けたから、その失礼な物言いは許してあげる」

 

 チラリと青年を見て紫は口角を上げ、早苗へと視線を戻す。

 その一瞬の動作に、青年は恐怖に背筋を凍らせる。あれは何かを企んでいる人の目だ、と。

 

「あとで話はするけど、あれを見てちょうだい。どうやら増援みたいよ」

「え?」

 

 青年は吹雪たちのいる方角へ目を向ける。すると、確かに先程より黒い点の数が増えているように見えた。

 たまらず、青年は紫に尋ねる。

 

「ど、どうなっているんですか?」

「違う個体が現れたようね」

「ふ、吹雪ちゃん、吹雪たちは無事なんですか?」

「いくつかかすり傷のようなものがあるけれど、みんな無事みたいよ。ただ、敵の数が合わせて4体。多いわね」

 

 紫の言葉に、青年は冷や汗を垂らす。今自分に何ができるのだろうか、と考えを張り巡らすばかり。

 時刻は既に、夕暮れを迎えていた。

 

 

 

 

 

 陣形が維持されているのを確認しながら、吹雪は指示を飛ばす。

 

「みんな、一旦距離をおくよ!」

「仕方ないわね」

 

 叢雲が恨めしそうに怪物たちを睨みつけながら、吹雪のあとに続く。

 吹雪たちは、当初発見された2体の怪物を倒すのには成功した。しかし、その後間を開けることなく新たに4体の怪物が現れたのである。

 新たに現れた個体の中でも、一体だけ別の個体がいた。人のような上半身が這い出しているその背中に、タワーのように砲が積み重なる不気味な姿。

 

 潮風を体全身に受け、水しぶきを上げながら針路を変更し、吹雪を先頭とした艦隊は怪物たちから距離を置く。

 駆逐艦が誇るのは速度。凌波性に優れた特型が4人と、その二代後に設計された白露型が1人。どのような波であろうと、速度が落ちることはない。

 

「吹雪ちゃん、軽巡洋艦が1、駆逐艦が3なのです!」

「うん、わかった!」

 

 小動物のように慌てる電の報告に吹雪は頷き、頭の中で作戦を考え始める。

 あのような敵の姿でも、駆逐艦か軽巡洋艦かの区別くらいはついた。更に、駆逐艦の中でも個体によって型も違うようであるが、分類するほど余裕はない。

 

 先ほどの駆逐艦級2体の時は戦力差から余裕をもって倒すことができた。しかし、今この状況では戦力差はほぼ拮抗状態。

 相手は軽巡洋艦が1体と駆逐艦が3体。対してこちらは駆逐艦が5、まともに戦えば少なからず被害が出るだろう。

 

 砲撃がお互いに届かない距離まで離れたところで、吹雪は振り返って様子を伺う。

 

(どうしよう。軽巡となると、装甲が厚いから砲撃が通らないかも)

 

 全く通用しないわけではない。しかし、水雷戦のみを想定している駆逐艦に対して、砲撃戦もある程度はこなせる巡洋艦となれば分は悪い。

 

「吹雪ちゃん、どうするー? これって結構やばいのね」

 

 先程はヘラヘラと戦闘をしていた漣だが、その表情は転じて真面目なものになっていた。桃色の髪が揺れ、不安そうに喉を震わせる。

 軽巡に対する場合、少なくとも、装甲が十分に貫けない以上は一方的に攻撃を受ける可能性が高い。敵の駆逐艦からの攻撃も、当たり所が悪ければ大きなダメージとなることも十分に考えられた。

 

「魚雷なら、軽巡洋艦だって倒せると思います」

「問題はどうやって近づくか、だね……」

 

 そう、こんな状況でもハキハキとしている五月雨が士気を維持できているのは、ひとえに大ダメージを与えられるのは魚雷の存在がある故。問題は、魚雷の射程が主砲より短いことであるが――。

 

 ふとそこで、吹雪は周りの景色に気が付く。空は茜色に染まり、沈みかけの太陽が海を橙に彩る。

 夕方、である。

 

「吹雪ちゃん。日が沈むまであと30分なのです」

「うん! 皆、相手が上陸しないように攻撃を引きつけて。攻撃は許可します。駆逐艦は優先的に狙って、砲撃戦で倒してください!」

 

 主砲を持ち上げ、気合の入った言葉で陣形の向きを変更する。

 

「敵軽巡は“夜戦”で倒します!」

 

 旗艦吹雪を先頭に、縦一列の単縦陣を敷く。

 砲戦可能距離まで到達すると、吹雪が指示を再び飛ばした。

 

「方位330度、主砲撃ちー方始め! 敵の攻撃に注意して!」

 

 一斉に、5人の主砲が爆音とともに火を噴く。すぐさま次弾が装填され、再び主砲が発射された。潮の香りに混じり、火薬の匂いが髪を撫でる。

 砲弾は敵に命中するものもあれば、弾かれるものや、その近くに落ちるものもある。この砲撃により、怪物のうち一体が3発の砲弾を受けて海中に消えていった。

 

 敵からも攻撃が行われる。駆逐艦からの攻撃が降り注ぐも、中たらないか、中たったとしても展開される障壁によりダメージは緩和される。

 

 だから、気をつけるべきは駆逐艦たちではなく――。

 

「軽巡の砲炎を確認したわ、約5秒後に着弾!」

「回避運動!」

 

 叢雲からの報告に、吹雪は更に指示を飛ばす。

 軍艦だった頃とは違い、今は人の形をとっている。加えて駆逐艦の機動性をもってすれば、回避することも十分可能だ。その分、自分たちも攻撃を命中させることが難しいのだが。

 

 軽巡の砲撃が吹雪のすぐ傍に着弾する。自身が撃つ砲より口径の大きなものであり、命中した際のダメージは駆逐艦の比ではない。

 装甲も、おそらく貫通されてしまうだろう。

 

「もう一体! 照準を合わせて!」

 

 再び、一斉射撃が行われる。砲弾は放物線を描き、一体の駆逐艦へと向かい、落ちていった。一つ、二つ、三つ、四つと着弾し、駆逐艦の怪物は海へ沈みゆく。

 敵の半分を減らしたところで吹雪は一つ安心するが、その瞬間――。

 

「きゃあっ!」

 

 軽巡洋艦からの砲撃が叢雲の障壁を貫徹し、その腰元を掠める。

 掠めたとは言え、質量を持った高速の物体である。その衝撃は大きかったのか、叢雲は表情を歪めた。

 安心している場合ではないと、吹雪は敵の様子を伺いながら叢雲に声をかける。

 

「叢雲ちゃん、大丈夫?」

「大丈夫、至近弾よ!」

「他のみんなは?」

「わ、私が駆逐艦から一度だけ被弾したのです。でも、まだ戦えるのです!」

「わかった! 行くよ、みんな!」

 

 被害が全く出ないとは思っていなかった。

 しかし、こうして仲間が傷ついているのを見れば、戦闘を早く終わらせたいと考えるのも当然のこと。

 陽が沈み、辺り一面が暗くなった。それと共に気温は下がり、肌寒くなる。しかし同時に、形成を覆すチャンスが、吹雪たちに訪れることとなった。

 

 陣形を立て直し、吹雪は更に指示を飛ばす。

 

 

 

「これより夜戦を仕掛けます! 敵からの攻撃には十分注意して!」

 

 

 

 単縦陣を維持し、闇に紛れて敵へ向かって真っ直ぐ接近する。敵は先程叢雲への至近弾により生じた波飛沫で自分たちの姿を見失ったらしく、まだ気づいていないらしい。

 

「おもーかーじ30度、合図で攻撃します」

 

 砲撃戦を行っていた距離の半分ほどの距離になった時、陣形を敵に対して横に向ける。

 既に魚雷の射程内であるが、確実に命中させるために吹雪は静かに機を見計らった。

 

 静寂により、緊迫感が増す。見計らっている中で、軽巡洋艦の怪物が振り向いた。そしてそれは、吹雪の視線と交差する。

 憎悪と怨恨のこもった視線。それは、吹雪に恐怖を与えるどころか戦意を高揚させた。己の中の青年への感情が、ためらいなく爆発する。

 

「今です! 酸素魚雷、一斉発射よ!」

 

 艦隊から2体の怪物に対して、逃げ道を塞ぐように放射状に魚雷が発射された。そして吹雪は先頭となって、砲撃戦を行うために肉迫する。

 軽巡洋艦の装甲は駆逐艦のそれより厚い。しかし、距離を詰めれば、装甲を抜けないわけではない。

 

 そして、夜戦による奇襲。このチャンスを逃すほど――帝国海軍の水雷戦は温くない。

 

「目標軽巡、主砲撃ちー方始め!」

 

 近い距離での砲撃はそれだけ命中性も高くなる。加えて、5人からの一斉砲撃により、軽巡洋艦は瞬く間に沈黙寸前となった。

 吹雪は、無我夢中になって軽巡洋艦に対して砲撃を続ける中――。

 

 

「あうっ!」

 

 

 軽巡洋艦の砲撃が、障壁を貫通して吹雪の頬を掠める。呆気に取られているところを、残っていた敵の駆逐艦に撃たれてしまった。

 距離を近づけたということは、同様に敵の砲撃も攻撃性・命中性が高くなるということ。吹雪は駆逐艦級の砲撃を横腹に受け、痛みに歯を食い縛る。

 

 やがて、魚雷が怪物2体に届き、水柱を上げて爆発した。鋭い光が辺りを包んだと思えば轟音が走り、2体の怪物は海の中へと音を立てて沈んでいく。

 

「あいったたた……」

「吹雪ちゃん、大丈夫!?」

「吹雪ちゃん、怪我はないのです!?」

「う、うん、大丈夫。結構痛かったけど」

 

 漣と電に心配されるものの、吹雪は笑顔を繕った。

 駆逐艦の装甲は特別に厚いわけではない。しかし、遠距離からの砲撃で運良く貫徹しなかったというだけで、吹雪自身に油断があったことは否めない。

 

 だがひとまず、周囲の怪物は全て倒したと思っていいだろう。叢雲と五月雨が警戒にあたっているが、特に心配はなさそうである。

 

 

(これで……司令官を守れたよね?)

 

 

 脇腹を押さえて立ち上がり、吹雪は痛みをこらえながら思う。

 

 幻想郷というこの地で、吹雪自身も不安は抱えていた。だが、海があるならば、少なくとも自分には何か価値があるのだろう、なんてぼんやり考える。

 上官である青年がどのように考えているかなど知らない。ただ、幻想郷にいようとも外の世界に戻ろうとも、吹雪の立場は変わらない。

 

 どのような選択を青年がしようとも、吹雪は受け入れる。そして、どのような選択をしようと、自分は青年を守るだけなのだから、と。

 

「ねー、吹雪ちゃん」 

「どうしたの漣ちゃん、って、それ……」

 

 これから帰投の号令をかけようかと思っていたところ、吹雪は漣に声をかけられる。よくよく見ると、その手には一枚のカードがあった。

 

「うん、多分私たちと同じ……」

「……わかった。私から司令官に渡しておくね」

 

 そう言って、吹雪は漣からカードを受け取った。

 

 敵だと思っていた怪物を倒し、カードが現れた。そしてそれは、青年が持つ能力によって実体化する自分たちと同じもの。

 あの怪物は一体何なのか。その不安は、今この状況を見届けた5人全員が抱いているだろう。

 

 カードを大切にポケットの中にしまった吹雪は、拭いきれない疑問を表情に出すことはせずに、あくまで冷静に、旗艦として最後の指示を出した。

 

 

 

 

 

「どうやら終わったみたいよ」

「……皆は無事ですか?」

「2人、いえ、3人。いずれも軽いけがのようね」

 

 気温は下がり、夜の海を写真のように月明かりが照らす。

 夜になり、ますます見通しが悪くなった海においては、青年は最早遠目に姿を確認することすら困難となっていた。

 紫や早苗は未だにその姿を確認できるようなので、その言葉から状況を把握するしかない。青年には無事を祈るしかできなかった。

 

「とても興味深いものを見ることができたわ。我儘に付き合ってもらって悪いわね」

「謝罪は彼女たちに。僕は何もしていません」

 

 そう、青年は何もしていない。謎の能力によって青年が実体化させた少女たちが、曖昧な命令を受け入れて戦っただけ。

 そして、その結果彼女たちは怪我を負った。しかし責任を問うとすれば、提案を行った紫ではなく、見通しの甘い青年自身。

 

「なんで……僕にこんな能力があるんでしょう?」

「そちらの巫女の能力の結果ではなくて?」

 

 紫の言葉に、青年は早苗を見る。別に恨めしいとか、憎いとか、そういうことではない。

 ただ、なぜ自分で、そしてこの能力なのか。なぜこの能力を芽生えさせてしまったのが早苗なのか。

 早苗を責めるつもりはないのに。責めることなどありえないのに、どうにもできないもどかしさが胸の中にわだかまる。

 

「カミツレさん、私は後悔はしていません」

「……仮に、僕が絶対に許さないと言ったとしても?」

「あなたを助けるためでした。押しつけと思ってもらっても構いません。滝壺に落としたのは私ですが、何の能力も持たないカミツレさんを一人で幻想郷に放り出すのは、不安の方が大きかったんです」

 

 早苗の言葉に頷ける部分もあるのだ。能力があったからこそ、海に出てから怪物に殺されずに済んだ。それはまず間違いのないこと。いや、滝壺で死んでいた可能性もあるにはあるが。

 

「それは……確かにそうかもしれないね。ここは変な人ばっかりだし」

「何か言ったかしら?」

「いいえ何も、“か弱い乙女”さん」

「ならいいのよ」

 

 鋭い視線を送る紫をかわしつつ、青年は言葉を続ける。

 

「でも、そもそもさなちゃんが僕を引っ張りこまなければそうなることもなかったよね?」

「それは……本当に申し訳ないです」

「……まあ、僕が神社に行かなければ、写真を拾わなければっていうのもあるけどさ」

 

 嫌味たらしく文句を垂れてしまったことを恥じ、青年は言葉を繕う。考えれば。こうなるまでの原因にも、それこそ奇跡のような偶然はいくつか重なっていたのだから。

 

 例えば仕事先からわざわざ帰郷しなければ、例えば気まぐれに神社に行かなければ、例えば写真を拾わなければ、すぐに帰っていれば。

 

 

 ――早苗のことを思い出さなければ。

 

 

 こうなることもまた、あり得なかっただろう。

 

「さなちゃんを責めても仕方ないから、別に気にしてないよ。事実、能力があって吹雪ちゃん……吹雪が出てきたから助かったわけだし」

「本当に私を憎いというなら、心の底から許せないというならどんな罰でも甘んじて受け入れます。しかしそうではないなら、その能力を――」

 

「彼女に感謝することね、カミツレさん?」

 

 早苗の言葉を遮って、紫が口を挟む。突然のことに青年は戸惑うが、首を傾げて紫に言葉を返す。

 

「感謝なんてずっとしてますよ? 子供の頃から」

「それとは別に、能力を与えられたことを感謝した方がいいわよ? あなたを外の世界に返すわけにはいかなくなったから」

「何を……?」

 

 その言葉には、流石に青年も困惑する。早苗はどこか予想していたかのような表情を浮かべながら、紫を見ていた。

 

「カミツレさん、あなたに仕事をお願いしたいの」

「それが……僕の人生を左右することであってもですか?」

「ええ、私も幻想郷の安全が関わっているから譲歩できないわ。あなたにお願いしたいのは、ただ一つ」

 

 幻想郷に残った場合のことを、青年も十分に考えていた。そして、突如現れた海と、海上で有効な戦力を持つ自身の価値とのことも。

 

 紫の話を信じるのであれば、幻想郷では海についての情報がほとんどない。それは、海からやってくる怪物についても同じこと。

 そして、紫曰く、海の上で空を飛ぶことはできない。となれば――

 

「この幻想郷を守ってくださらない?」

「……僕だけでは判断しかねます」

「外の世界に戻っても能力が消えるわけではないわよ?」

「わかっています」

「大役を任せるわけだし、可能な限りは協力をしてあげるわ。幻想郷に残るとしても、外の世界で別れを済ませる時間ぐらいあげるし?」

「その……それでも」

「一晩――。“彼女たち”と、ゆっくり考えて頂戴」

 

 青年の悩み所となっていた部分をスパスパと切り捨てていく紫。そして、“彼女たち”と言って指した先には、ところどころ怪我を負った少女たちの姿が。

 

 思わず駆け出し、靴やズボンが水に濡れることも厭わずに海の中へ。

 しぶきを上げながら水上をスケートのように滑る彼女たちは、少女でありながら勇ましく、惚れ惚れするほど格好よく、そして可憐であった。

 

「吹雪、みんな……」

「司令官、作戦が完了しました! 全員無事ですよ!」

 

 怪我を負ったであろう脇腹を押さえながらも、笑顔で敬礼をする吹雪。その姿は見ていて痛々しいのに、吹雪本人はどこか誇らしげである。

 

 

「私たち、司令官をちゃんと守れました!」

 

 

 自分を慕わないで欲しい。気にかけないで欲しい。優しい言葉をかけないで欲しい。甘えなど自分には許されないのだから、放っておいて欲しい。

 少し前までは疎ましいとさえ思っていたのに。厄介事の元とすら考えていたというのに。

 今は彼女たちの無事が、どうしてここまで嬉しく思えるのだろう。

 

「ああ、みんな……おかえり」

 

 それはきっと能力のせいであり、自身のせいではない。慕ってくる吹雪のせいであり、まとめて能力のせいだ。

 目尻に小さく浮かぶ液体だとか、こみ上げてくる言いようのない感情だとか、そんなものも全て能力のせいなのである。

 

 能力のせいに――違いないのだ。

 

 

 

 

 

 艦娘たちが砂浜に揚陸し、落ち着いた頃。

 吹雪は出発前とはどこか違う雰囲気を纏っていた。ずっと他人行儀であったのだが、どこか優しい雰囲気へと。

 吹雪は敬礼を解き、青年へと近づいてポケットから何かを取り出す。

 

「司令官、新しい仲間が来たみたいですよ」

「新しい、仲間?」

 

 差し出されたそれを受け取ると、青年は吹雪たちとは違う雰囲気をカードから感じ取る。

 

(軽巡洋艦、天龍?)

 

 第十八戦隊、ウェーク島、珊瑚海海戦、第一次ソロモン海戦、第八艦隊、探照灯、第三次ソロモン海戦、潜水艦……。

 流れてくる記憶。竣工当時は世界水準を軽く上回る性能を有していたものの、開戦時にはやはり旧式となっていた。

 しかし、旧式ながらに激戦をくぐり抜け、一線で活躍したという軍艦。

 その記憶を知った上でカードに写る眼帯の姿を見れば、青年は情けなくも恐怖を抱いてしまった。

 

 恐る恐る、天龍という艦魂を実体化させるべくその姿を思い浮かべる。

 もしもいきなり襲いかかられたらどうしようか、などという不安を拭いきれないままであるが、青年は挨拶ぐらいしなければと天龍を実体化させた。

 

 ――5人の駆逐艦とは違う、少しだけ成長した体。より女性らしさが目立つスタイルとなっているが、最も特徴的なのはやはり眼帯だろう。

 現れた時は目をつむっていた彼女だが、静かに目を見開くと、刀と思しき武器を肩に担ぎ不敵な笑みを浮かべた。

 

「オレの名は天龍。フフフ……怖いか?」

 

 キリッとした表情。しかし格好つけているのがまるわかりなその態度。気分としては、アウトローに憧れる中学生を見ているようで、恐るどころかどこか微笑ましくなってしまった。

 

「キャー! 天龍ちゃんすごい可愛いですね!」

「バッ、な、何言ってんだよ! ホ、ホラ、怖いだろ?」

「いや、ほら、その、まんじゅう怖いと同じレベルだね」

 

 早苗の言葉に、天龍は頬を染めながら慌て、まるで子供のように自身をアピールする。その姿がまた、より精神的な幼さを強調するので思わず吹き出してしまった。

 ふと、吹雪と目が合った。やはり、先程までとはどこか違う目で自分を見ており、柔らかく微笑むその姿はひとつの絵画のよう。

 

 ただ、自身も吹雪たちに……幻想郷に対する意識が変わっていることに目を向けなければならない。

 

 外の世界か、幻想郷(ここ)かを選ぶために。

 

 

 

 

 

 




着任
天龍型軽巡洋艦一番艦『天龍』

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