青年は、いつもどおりに目を覚ましたはずだった。
駆逐隊の偵察が深夜に及んだことから睡眠時間はそれほど取れないだろうと覚悟していたが、体内時計どおりに起きたと言うのにまだ暗い。日の出が遅くなり始める時期だが、障子を通して見える外の空は白んでさえないようであった。
ならばもう少しと横になり直し、布団の温もりに包まれる。微睡んで少しだけ意識を離すと、誰かに身体を揺すられて再び覚醒した。
「カミツレさん、起きてください」
「んぁ……さなちゃん? どうしたのこんな時間に?」
「こんな時間って、もう朝の6時ですよ? 毎朝5時には起きてランニングしているのに、今日はお寝坊ですか? 長良さんずっと待ってますよ?」
「えっ?」
慌てて部屋に備え付けの時計を見れば、確かに6時を過ぎている。障子を開けて外の様子を見れば、まるでまだ夜はこれからだとでも言わんばかりの暗さで、虫の鳴く声が無情にも響いていた。部屋の外では長良が拗ねた顔で体育座りをしており、青年はその場に土下座する勢いで謝り倒す。
「な、長良、ごめん! まだ4時ぐらいだと思ってて寝坊してしまって……」
「ふぅん、いいもん。私一人でも走ってくるから。人里に行く前に司令官と沢山走りたかったのに」
「ほ、本当にごめん……」
「……冗談です。司令官、夜遅くまでお疲れ様でした! ホントはもっとゆっくり休んで欲しいです」
青年が謝る姿勢を見せると、長良は「えへへ」と柔らかく頬を緩める。気にしていないようで何よりだが、青年も待たせてしまったことは事実であるためもう一度謝った。
しかし、気になるのは外の様子である。昨日までは朝の6時といえばかなり明るくなっていたと記憶しているが、今目の前にあるのはこれから宴会と言われてもおかしくなさそうな夜である。違和感を感じるなと言う方が無理があるだろう。
「さなちゃん、今日は朝ずっとこんな感じ?」
「ええ。神奈子様も諏訪子様も首を傾げていましたし、お二人とも何も知らないみたいです」
ふと、天子が何か企んだのかとも思ったが、彼女の能力は「地を操る程度の能力」、緋想の剣は「気質を操る程度の能力」であり、天候に干渉することはできても時間を操ることなどできない。
時間を操る咲夜はレミリアとともにロケットで月に向かっているが、果たしてここまでのことが出来るかは甚だ疑問である。
本当は自分の勘違いであるかもしれなかったため、青年はあえて言及することなく、そのまま鎮守府へ直行した。
だが、そのまま時が流れて、7時を回り8時を回っても一向に空が白む様子もない。
これは間違いないと思い、青年は本日の秘書艦の蒼龍と顔を合わせる。
「鎮守府に異常はないみたい、どうしよっか?」
「うーん、全艦を待機させて。間宮さんには戦闘糧食の増産を伝達。長門、赤城、比叡、鳥海、天龍、吹雪を執務室へ。あとは……美鈴さんも」
「やっぱりマズイよね、これって」
「うん、どうやら"異変"みたいだ」
夜が明けない。そんな馬鹿なことがあるかと一蹴したくもなるが、ここは幻想郷。常識に囚われることはあってはならないと幾度となく学んできた。
どうやら、今回もその考えを後押しする出来事になりそうである。
集まった艦娘らと美鈴、そして蒼龍とテーブルを囲み、青年はひとまず現状起きていることを伝えた。
太陽が昇らず、明るくならず、夜が続く。一向に明ける様子がないことは今の時点ではそれほど問題ではないのだが、これが続くようであれば様々な問題も生じてこよう。
「提督、問題とは例えばどのような?」
「んー、仮に一週間、一ヶ月と続けば、作物が育たなくなって皆いずれ餓死するかも」
「そんな!」
「許せるものか、うむ!」
比叡の疑問に答えると、大食い二人が声をあげた。だが、一番の問題はそこではない。
「航空機が出せないんだ。霊夢さんの奪還を差し置いても、空を封じられたままで深海棲艦を相手にするのはかなり骨だからね」
「確かにそうですね。夜は深海棲艦も空母を使えないとはいえ、航空戦力が使えないとなると戦術の幅も限られてしまいます」
「偵察機として使えるのは川内が持ってる"夜偵"だけだし、機数もない。にとりさんに聞いたけど、まだ増産は難しいみたい。とりあえず今は現状を把握したいから、駆逐の皆には偵察に出てもらいたいんだ」
「はい、わかりました! 皆に伝えてきますね!」
吹雪に編成を伝え、幻想郷各地の偵察を指示する。簡単な状況把握だけでも半日はかかるだろうが、この異変によって何かしらの被害が出ていないとも限らない。
「しかし難儀なものだな。海に陸に空にと、幻想郷は異変だらけではないか」
「元々は僕らもその一つみたいなもんだけどね。さて、駆逐の皆に偵察をお願いしたけど、他にもやることがある」
腕組みをしたまま、青年は美鈴に振り向く。
「美鈴さん。夜、妖怪は活性化しますよね?」
「あー、そうですね。力の弱い妖怪は特に気性が荒くなることはあるかもしれないです。そもそも暗くなって人目につきにくくなるので、人は襲われやすくなるかもですね」
「ですよね……わかりました」
一つ息をつくと、青年は仕方ないといった表情で比叡の方を向いた。
「比叡。急遽で申し訳ないけど、人里艦隊は今日から任務開始になる」
「あはは、やっぱりそうですよね……。大丈夫です、皆準備はできていますから!」
少し戸惑っていたが、比叡は両手を握りしめて力強く頷く。頬をポリポリと掻くものの、不満はなさそうである。
元々、人里艦隊は人里の防衛のために配置する予定であった。無論その敵は深海棲艦を想定していたが、妖怪が不当に暴れて人里を襲ってしまうことも考えられるだろう。
故に、人を守るために、人里艦隊を派遣する。永遠亭への派遣者が決まってからの予定であったが、この際躊躇ってはいられない。
「出発は正午。それまでに、皆に準備を進めるように伝えて」
「わかりました! 任せてくださいね!」
人里艦隊の編成は、一個水雷戦隊に戦艦2と軽空母を組み合わせた柔軟な運用が可能な艦隊となっている。
高速戦艦として、艦隊旗艦の『比叡改二』『霧島改二』
軽空母として、『龍驤改二』
水雷戦隊帰艦として、『長良改』
駆逐隊として、『綾波改二』『敷波改二』『白露改二』『村雨改二』『時雨改二』『夕立改二』『春雨改』『五月雨改』
以上12名が、人里に常駐して偵察と防衛の任を負うことになる。優先して二次改造を施している艦を配置しており、単純な一個戦隊としては現状で最も強力な艦隊の一つであると言えるだろう。
「提督よ、紅魔艦隊はどうする?」
「今は暁、響、雷、電が改造中。暁と響は二次改造まで進めそうだったから進めてるね。紅魔艦隊の駆逐は朧、曙、漣、潮が一時的に滞在しているよ」
「一時的な交代ともなれば戦闘行動で無茶はさせられないか……ううむ」
「紅魔艦隊はひとまず待機だね。現状紅魔館もパチュリ―さんとフランドールさんだけみたいだから、防衛戦力は必要だろうし」
「鬼が出るか蛇が出るか。しばらくは情報待ちだな」
長門の言葉に、青年は頷く。
もどかしい気持ちはあるが、情報がなくては動くこともできない。はやる気持ちを抑えながら、青年は集まったメンバーに執務室で待機するよう伝えた上で、腕を組んで天を仰いだのであった。
情報がある程度出揃ったのは、お昼を回って幾許か時間が経過した頃であった。この時間になっても、まだ空は暗いままである。
結果として、各地への偵察は不発に終わった。否、何も確認できなかったため、平和で何よりなのである。海でさえ何もない。
執務室内もこの結果にはホッとしたのだが、どこか不安を拭いきれないままでいた。何もないというのなら、なぜ夜が続いているというのか。
「夜はいいよね~、夜はさ!」
一部、夜が大好きな艦娘などはこの状況に浮かれて執務室にその興奮を伝えに来て居座ってしまっている。というよりは川内なのだが、一人だけ保有する夜偵を手に取って子供のように飛ばす真似をして遊んでいた。その一機しかないのだから、どうかぶつけて壊さないことを祈る。
「提督よ、どうする?」
「まだ迷いの竹林に向かった子たちから報告がない。この頃あの竹林周辺は様子が変だし、この状況じゃてゐさんや永遠亭の人たちも心配だ。結果を待ってからでも遅くない」
望みは薄いかもしれないが、迷いの竹林が怪しいことも確かである。嫌な予感もしているものの、どうかその予想が当たってほしい気持ちと当たってほしくない気持ちとが織り交ざって内心複雑であった。
そんな時、ふと美鈴が思い出したように口を開く。
「あ、そういえば前にもこんなことがありました」
「前にも? 夜が明けないことですか?」
「はい。あの時は確か、霊夢さんとスキマ妖怪が異変を解決したはずですね。二人が最終的に向かったのは……永遠亭だったと思います」
「永遠亭……」
「永遠亭の人たちが夜を止めてたんでしたっけ。あ、いえ、スキマ妖怪が夜を止めたんだったかな。でもそうなるとどうして異変に? ううーん、思い出せません……」
美鈴がどうにか思い出そうとしてうんうん唸っているが、そこそこ前の異変らしくどうにも記憶が定かではないらしい。しかし、この状況では重要な内容であることには変わりない。
もしこの状況がその異変の時と近似しているのであれば、この夜が続いている異変は、八雲紫か永遠亭によって引き起こされた可能性があるということである。
そして、そんな時。
執務室内へ、一つの電文が届く。
『竹林偵察隊ヨリ、深海棲艦見ユ』
「川内、規模を確認させて!」
「まっかせて!」
「赤城、出発した人里艦隊の現在地は?」
「現在行程の半分ほどです。あと二時間ほどはかかるかと」
「美鈴さん、食堂と工廠に状況の確認を!」
「ムセンって使いにくいので、直接聞いてきますね!」
執務室内は一気にヒートアップし、青年からあらゆる指示が飛ばされた。執務室から離れようとしない川内にも指示を出したが、思いのほかやる気満々のようである。
「長門。永遠亭で、夜戦主体の異変になりそうだ。夜戦経験、幻想郷の戦闘経験が豊富な艦を優先的に出そうと思う」
「賢明な判断だな。となると、レミリアたちを相手にした時の編成をほぼそのまま使うのがいいだろう。二次改装済の艦も多数いるしな」
「そうしよう。鳥海、旗艦を頼める?」
「はい、お任せください! 天龍、準備はいい?」
「おう、当たり前だ! 呼んでくるぜ!」
残念ながら、予感は的中してしまったらしい。
経験を頼りにしたくはないが、これまでの経験からすると永遠亭の者たちは既に深海化している可能性が高い。何もなければ何もないに越したことはないが、少なくとも永遠亭のテリトリーともいえ竹林で深海棲艦が発生している状況を、肯定的に受け止めることはできなかった。
「朝雲と山雲から連絡。敵艦隊、重巡の戦隊を基幹とする水雷部隊だって!」
「規模的には拮抗してるか……。偵察は人里まで撤退させる」
「提督、私も出撃していい?」
「今回はストップ。まだ何があるかわからないからね。川内も二次改造してるんだから、ここぞって時に頼らせてよ」
「ふふん、そう言われたら仕方ないなあっ!」
そう話すと、再び夜偵を手に飛ばして遊び始める川内。頼むからぶつけないことを祈る。
川内のその様子に苦笑していると、美鈴がいつの間にか戻ってきていたようで、息ひとつ切らせず執務室に入ってきた。
「聞いてきましたよ! 食堂の方では、戦闘糧食は作り終わったそうです。工廠は響さんの二次改造に手間取っているようですが、暁さん、雷さん、電さんは一日慣らせば出撃できると聞いています。にとりさんだけでどうにかするから、夕張さんは動けるみたいですよ!」
「妖夢さんを執務室に。夕張にも出撃準備と伝えてください。」
「わっかりました!」
見よう見まねの敬礼の真似事をやって見せて、笑顔で再び執務室から出ていく美鈴。赤城が「あの敬礼は頂けません、あとで教育しなくては」とこぼしており、美鈴はまだまだのんびり昼寝をしていられないようである。
「永遠亭が怪しいけど、まだ確定じゃない。周辺の偵察は継続しつつ、竹林を中心に威力偵察を実施して、あのあたりで何が起こっているのかをまずは見極めることにする」
その言葉に、執務室にいる艦娘が頷いた。
まだ、夜は始まったばかりである。
執務室で腕を組んで待つ青年。
人里艦隊は既に人里に到着し、竹林の偵察に出ていた朝雲と山雲もそこに合流した。このまま人里の警備を行わせる予定であるが、状況によっては警備に専念することができない可能性は既に伝えている。
『竹林ニ到着、進入ス』
鳥海からの連絡に、青年は身動き一つ取らない。
迷いの竹林は、入り組んだ水路と背の高い竹林によって構成された非常に戦闘に不向きな環境である。竹林という盾があることで射撃を回避しやすくはなるが、それは相手も同じ。妖夢に白楼剣を返して上空を任せたが、竹林の背が高いとはいえ空を飛ぶには低く、竹林そのものも空を飛ぶには邪魔であるため、どれほど戦力となれるかはまだ推量することができない。
しかも、夜ということもあってか、どうやら空を飛ぶ妖夢が艦隊をそもそも見失ってしまったようなのである。一刻も早い合流が待たれるが、竹林に入ってしまったのだからなおさら不安になる。
「どうした、提督」
「ん? ああいや、長門の教育が丁度終わりかけのタイミングで今回だからさ。独り立ちって考えると自分の指示が正しいのかって改めて思っちゃうよね」
「あらゆる指揮官が抱えた悩みだろうな。だが提督よ、これまでの教育を思い返してもらいたい。私だけではなく様々な艦が協力してくれた。各艦種ごと、各艦歴ごと、その戦いと歴史のほとんどを贅沢にも学んだのだ」
『羅針盤ノ不具合ヲ確認、進撃』と無線が入る中、赤城や美鈴に見つめられる中、青年は腕を組んだまま長門を見据えた。
「貴方には、帝国海軍がついている」
その儚げな微笑みに。達成感と少しの後悔とが入り混じった表情に。
青年は、重たくも感情のこもった息を返した。
「ありがとう」
言葉は、それだけで十分だった。
『敵艦隊会敵、制圧シマス』
抜錨『三川艦隊』
――重巡『鳥海改二』『古鷹改二』『加古改二』『青葉改』『衣笠改二』
軽巡『天龍改二』『夕張改二』
かくして、終わらない夜が始まり。
幻想郷はここに、『永夜夜戦』の開始を認めたのである。