作戦が完了した翌日。
青年は、魔理沙と話し合っていたとおり博麗神社を訪れることにした。
目的は至ってシンプル、博麗霊夢という人物を知ること。そして、霊夢が去った手がかりが何か残っていないかを探るため。
もっとも、手がかりの方は魔理沙や萃香がこれでもかというほど探った後であるため、ほとんど期待はできないが。
カラッと晴れ渡る青空。雲一つない本日の天気は、青天だというのにどこか空虚さを感じさせる。
「しっかし、また遠いところにあるんやなあ。こんなところじゃ、人里の人間もよう来んのやろな」
「博麗神社に人が来ない理由って、やっぱりそれもあるみたい。人里から遠いし、道中妖怪が出ることもあるし、おまけに神社にも妖怪がいるし……萃香さんだけじゃなくてね」
「流石に疲れたわあ。キミ、神社に着いたらちょっち休憩やね」
くじ引きによる本日の秘書艦は龍驤。博麗神社に行くと告げたら「ウチも行く!」と言って聞かないため、貴重な航空戦力ではあるが一緒についてきてもらっている。人里までは筏を龍驤に引っ張ってもらってそこから徒歩で来たのだが、流石にそろそろ青年も移動手段を考えたいところである。なぜか筏を引っ張る役は艦娘には好評なのだが。
朝方に鎮守府を出発し、昼前に博麗神社に到着。少しずつ涼しくなってきている季節であるものの、それでも長い階段を登り切った後には二人して額に汗を滲ませていた。
古びた鳥居をくぐり、博麗神社の社を視界に捉える。こじんまりした神社であり、境内もそれほど広くはない。魔理沙や萃香が掃除をしているのか、依然来た時よりは石畳がきれいになっていた。
拝殿前にて、賽銭を投入し二人そろって二礼二拍手一礼。
「もっと大きくなりたいなあ」
何がとは聞かない。早苗にしても龍驤にしても、願い事を口に出すのが流儀なのだろうか。自分の願い事は家内安全あたりでお茶を濁しておこう。
参拝を終え、まじまじと拝殿を眺める二人。厳粛な雰囲気は依然と同様であるものの、どこか寂しそうに感じられた。
「何か感じるものとかあったりする?」
「いんや、ウチにはさっぱりや。萃香はこの中におるんかな?」
「そのはずだよ。おーい、萃香さ――」
と、その時である。
最初は気のせいかと思った。自分の身体が震えているように錯覚して、「あれ、昨日はちゃんと寝たのに」なんて思ったのも束の間のこと。
木々から飛び立つ鳥。低く唸るような大地の雄叫び。そして、視界に映る景色の輪郭を何重にも誤魔化す振動。
「司令官、危ない!」
龍驤に手を引かれ、拝殿から離れる青年。ミシミシと音が鳴り響いたかと思えば、拝殿が徐々に形を変えていく。
拝殿から少し離れた開けた場所で、龍城に地面に伏せさせられた。龍驤がその上に覆いかぶさり、周囲の状況に目を配っている。
そして。
あの世から呼ばれているような轟音を鳴らして、博麗神社はその場に崩れて果てたのであった。
呆然とする青年と龍驤。土煙が辺りを包み、余震が消え入るように失せていく。
揺れが収まって立ち上がった青年が真っ先に頭に浮かべたのは、「誰かの大切な場所がなくなってしまった」という悲壮の感情であった。
「あ――す、萃香さん!? 萃香さん、いたら返事して下さい!」
「キミ、まだ危ないって!」
ひしゃげた神社に駆け寄り、大声で萃香の名前を呼ぶ。
魔理沙の話では神社にいるはずなのだ。間違ってもまだ中に残っていたとしたら――
「す――萃香さんッ!」
「お? 今日は元気がいいなカミツレ」
と、絶望を振り払うように力一杯叫んだところで、潰れた神社の中から霧が吹き出るように現れる。霧はその形を変えないが、そこから聞こえたのは紛れもない萃香の声であった。
「萃香さん、無事だったんですね! 良かった……」
「鬼がこの程度で死ぬわけないだろ。しっかし、地震もびっくりだけどまさか神社が潰れるなんて。いくらオンボロとはいえ私でも驚きだよ」
「……こう見ると、見事に柱から崩れて屋根が落ちてきてますね」
「もう寿命だったのかもな。ちょっくら私は人里の様子見てくるよ」
そう言って、萃香は霧の姿のまま空へ登って行ってしまった。無事であることに安堵するも、そもそも青年たちが要件があるのは彼女であったために、去り行く彼女を呆然と見送ることになった。
「あ……ま、まあいいか。それより龍驤、鎮守府の確認を!」
「あーそれがなあ。鎮守府、揺れてないんやって」
「え、あれだけ揺れたのに?」
「うん。何の話だって逆に心配されたわ」
どういうことだろうか。いくら幻想郷が広いとはいえ、神社が崩れてしまうほどの揺れなら妖怪の山まで揺れが伝わっていてもおかしくはないはずだ。
局地的な地震。そんなことがあり得るのだろうか。
だがここは幻想郷。ありえないことは何度だって目にしてきた。ありえない能力だって何度も経験してきた。
「天にして大地を制し、地にして要を除き」
だから、この地震もきっと――
「人の緋色の心を映し出せ」
まだ名前も知らない、誰かの仕業だったのだろう。
腰元まで伸びる空のような青髪に、太陽のような紅い瞳。桃の実がついた帽子に半袖の白いロングスカートを身に纏い、足元にはブーツ。華奢な体から伸びる四肢はスラリとしており、気の強そうなシニカルな笑みを浮かべて彼女は口を開いた。
「異変解決の専門家ね、待ってたわ」
誰かと勘違いしていないだろうか、と思いそれを口にするより先に。
空から舞い降りてきた彼女は、剣の柄のような黒い棒状の物を右手に持ち、まっすぐと青年に向かって来たのであった。
あ、死んだな。
と、その時思ったことは嘘ではない。襲われていることを自覚し、逃げようと思った時には既に眼前1メートル。気づいた龍驤が駆け寄るも間に合うはずもなく。
「司令官!」
龍驤の叫び声を、最期の言葉と思いながら――
「ふぎゃっ!?」
青髪の少女は、青年の目の前に現れた目玉が多数覗き見える空間の切れ目へ吸い込まれていった。
安堵するも、この空間は見覚えがある。
もう一度会いたいと、会って話がしたいと思っていた女性。その魂胆を聞かねばならないと思っていた女傑。
「やっと出て来てくれましたか……紫さん」
「ええ。会いたかったわよ、提督さん?」
幻想郷の管理者にして、境界を操る程度の能力を持つ最強格の古強者。
八雲紫は、いつの間にか青年の後ろに現れていた。
スカートのフリルが風に揺れ、ガーリーな傘を差して口元を扇子で隠す。その姿や表情は最後に見た時とまるで変わりなく、美人であるにもかかわらずどこか胡散臭い雰囲気は健在であった。
「本当に久しぶりね。まるで何年も会っていなかったみたい」
「ええまったく。藍さんはお元気ですか?」
「ちょっと、どうして私には聞かないの?」
「え、いや、その、いつも元気そうなので」
「酷いわねもう、失礼しちゃうわ」
扇子を閉じ、唇を尖らせてぷりぷりと膨れる紫。一度息を吐いて少しだけ嬉しそうな顔をしたかと思えば、扇子を口元に当てて不敵に笑む。
「この二ヶ月、あなたのことを陰ながら見せてもらっていたわ。霊夢を見つけてくれたこと、心からお礼を言わせて頂戴。貴方の功績は忘れないわ」
「お礼なら艦娘のみんなに。実際に身体を張って怪我をして、それでも霊夢さんのためにと動いてくれたのはみんなですから」
「なら貴方から、私がお礼を言っていたこと、伝えて欲しいわ」
「……まあ、構いませんが」
そう語る思いは嘘ではないらしい。紫はまっすぐとした瞳をまったく逸らすことなく、青年へ向け続けていた。
「そんなあなたに一つお願いがあるの」
「紫さんからのお願いって嫌な予感しかしないですね」
「もうちょっと信じてくれたっていいじゃない……。それで、あなたにお願いしたいことなんだけど」
傘を閉じ、扇子を青年に向け、紫は瞳をなお逸らすことはなかった。
「第二次月面戦争、協力して頂戴」
一瞬、紫が何を言っているのかわからなかった。
月、と彼女は口にしただろうか。だがそれも、第二次、そして戦争とはこれ如何に。
「月の裏側には月の民が住んでいて、高度な文明が進んでいるわ。あなたが幻想郷に来るよりもずっと昔に一回目を挑んだけれど、その時は負けちゃったのよ」
「ええと、その……。今回が二回目ということは分かりました。そもそも目的は何なんですか?」
「月の高い技術力は紛れもない本物よ。その技術を奪取することで、霊夢の奪還に活用する」
曰く、こうである。
月には地上の穢れを嫌う月の民が住み、高度な技術が発達して繁栄している。いくつか”海”を有することから、航海に関する技術を持つ可能性が非常に高い。仮に航海に関する技術がなくとも、幻想郷で活用できる技術は間違いなくあるとのこと。それを月から持ち帰り、霊夢の奪還に役立てようというのだ。
月への侵攻方法は簡単。紫の能力により境界を操り、一挙に月面へ転移するのだという。それに加えて――
今しがた、妖怪の山方面で轟音を鳴らして空へと飛び立ったロケットによって。
「なっ――なんだあれ!?」
「吸血鬼、やっと完成させたのね。ずっと待ってたのに」
「えっ、レミリアさんがあれを?」
「あら……? もしかして何も聞かされていなかった?」
空へと伸びていく白煙。いびつな形をして飛翔するロケットは、音を遠くにしながらその姿を小さくさせていく。あれがレミリアの意図によるものだったのだとしたら、第二次月面戦争に関する話をレミリアが承諾したのだとしたら、どうして鎮守府はそれを知らなかったのだろう。
なぜレミリアは、教えてくれなかったのだろう。
「龍驤、紅魔艦隊に確認を!」
「今連絡入った! パチュリーから聞かされたらしいけど、レミリアがずっと隠しとったらしいで! 乗ってるのはレミリア、咲夜、魔理沙、メイド妖精たちやって! 美鈴は知らんかったみたい!」
「……そうか、だから魔理沙ちゃんは」
先日彼女が見せた表情はこのためだったのか、と青年は悟る。思えば、パチュリーも長門に何か道具を渡していたが、あれもその一環だったのだろうか。
「それだけ、皆が霊夢を助けるために必死だということ。あなたたちが海で戦っているというのに、我々幻想に生きる者が指を咥えて待っているわけにはいかないのよ」
「それでもっ、僕は反対です! 深海棲艦と戦うだけでも手一杯の状況で、高度な文明を持つ相手に戦いを仕掛けるなんて無謀です! 今敵を増やさなくても……っ!」
「そう、残念ね――でも」
「私たちは、あの子の帰る場所を守らなくてはいけないのよ」
そう言って、紫は青い髪の少女を収めたスキマとともに空間の狭間に消えていった。
紫の去った博麗神社。正確には博麗神社の倒壊跡であるが、青年は龍驤と二人で呆然と佇む。
計算高いと聞いていた紫の割には、あまりにも早計な判断ではないだろうか。月に侵攻が可能であるというなら、月からしても幻想郷に侵攻が可能であるということ。高度な文明を持っているというなら、それこそ紫の能力やロケットに代わる技術を持っていたとしてもおかしくはない。穢れを恐れて攻め込んでこないというのならまだしも、売られた喧嘩に苛立ちを覚えない者の方が少数だろう。
「龍驤、どう思う?」
「どう思うって言われても……キミはもうウチらが攻め込んだ結果をよく知っとるやろ? 攻め込んだ理由はともかく」
「ああ、そうだね」
仮に月と戦争になるというのなら。正直なところ紫からの情報が少なく判断のしようもないのだが。
もしかしたら、何が幻想郷を守ることになるのか決断すべき場面が訪れるのかもしれない。
青年にとっての最優先は、あくまで守矢神社と艦娘であるのだから。
紫はどこまで考えてその考えに至ったのだろうか。幻想郷が攻め込まれるリスクなど、彼女が一番知っていそうなものであるというのに。
ある程度の勝算ありきか、それとも別の思惑があるのか。
帰ろうかと思い、龍驤に声をかけて鎮守府に無線を入れてもらう。萃香に話を聞きたかったが、こうなっては日を改めるしかないだろう。鎮守府が地震で揺れていないため人里もおそらく無事だろうが、帰りがけに人里の様子を少しだけ見ておくことにしよう。
鎮守府に帰ったなら、月に関する情報収集を始めなければならない。
複雑な心境で「よし」と思考を整理し、鳥居に足を向けたその時である。
「もし、そこの方。霊夢のことについて何かご存じなのですか?」
年月を感じさせる、しわがれつつも力強い声色。青年はその声の方向を向いたが、目線の先には何もない。
首を傾げる青年。が、龍驤が驚いた様子で地面を見ているため、そのまま目線を下げると、
「ああ、驚かせましたかな。どうぞ、玄爺とでも呼んでください」
大人が一人乗れそうなほどのサイズの甲羅を持つ、巨大な亀が自分を見上げていた。
白く太い眉に、立派なあごひげ。尻尾にあたる部分からにも馬のように立派なフサフサが生えており、外の世界ではおよそ目にしたことのない亀であることが分かった。
「か……」
「か……? はて?」
「亀がしゃべった……っ?」
「ほっほっほっ。伊達に長く生きてはいませんよ。」
青年が混乱する脳を落ち着けようとする様子に、少しだけ嬉しそうにする玄爺。しかし、倒壊した博麗神社を尻目に、寂しそうな吐息を漏らす。
「霊夢はもしや、姿をくらませているのですか?」
「は……はい。あ、僕は茅野守連といいます。こっちは龍驤。妖怪の山にある鎮守府で、提督をしています」
「提督?」
簡単に説明をする青年。が、青年の頭の中では、玄爺がウミガメなのかリクガメなのかミズガメなのか気になっており、あまりうまく説明できなかったかもしれない。見た目は足がヒレっぽいのでウミガメのようだが、幻想郷には元々海はなかったのではないだろうか。
「ほう、海を。隠居しておりましたが、そのようなことになっているのですね」
「はい。霊夢さんは今、幻想郷に現れた海で深海化しています。彼女を取り戻すために、彼女との戦い方を今模索しています」
「それはご苦労なことです。あの子が成長する姿を私はずっと見てきましたが、彼女は強いですよ。しかし、生きているとは言えそのようなことになっているとは悔やまれますな」
「……可能な限り、早く解放したいとは思っています。僕なりに、幻想郷にお世話になった分をお返ししたいと思っていますから」
「ふむ」
少し瞼を閉じ、考えるそぶりを見せる。玄爺。満足したかのように大きく一つ頷くと、玄爺はハードでボイルドな声色を変えず自信満々に微笑んだ。
「提督殿。そういうことならこの老骨、幻想郷を守るお手伝いをさせてもらいます。飛びますので、私の背にお乗りなさい」
「えっ――最近の亀って空飛べるの?」
「霊夢がまだ空を飛べない頃などは私の背に乗せていたのですよ。さあ、どうぞ」
そうして空へ挑んだ玄爺の背中は、早苗のお姫様抱っこや魔理沙の箒と比べても最も乗り心地が良かったのであった。
なお、龍驤も乗ってみたいと言ったため、龍驤を後ろから抱きかかえる形で玄爺の甲羅に膝をついたのだが、
「ちょぉっ! キミィ、どこ触っとるんや?」
「えっ? えっ?」
「ちょっとぐらい気づいてほしいわ!」
抱えた場所が悪かったのか、なぜか龍驤に怒られてしまった。
執筆はいいけどイベントまで手が回らんぞう!