上空へと高度を上げながら、魔理沙は肩で息をする。
霧の湖にたどり着くまでにも、怪物は容赦なく倒してきた。妖怪や妖精が怪物化しているのであれば、倒しても死ぬことはないだろうと半ば曖昧な根拠ながらも確信していたのである。決して、霊夢が見つからないことへの苛立ちがそうさせたのではない。
だが今回ばかりは、違和感が己の中で渦巻いた。紅魔館を前にして、現れた2体の怪物。姿形が変われども、その雰囲気だけは間違えようがない。
「なあ、そんなに本を持って行くのが嫌だったのかよ、パチュリー」
「…………」
「だんまりか、クソッ!」
赤い雰囲気をまとう、青白い肌の人型のような物体。頭と思われる部分に仰々しい被り物を被っているようにも見えるそれは、間違いなくパチュリーが変態してしまった姿であると。
パチュリーからの攻撃が飛んでくるため、回避しようとする。ただし、それは決して弾幕などではなく――
「ちっ、なんだよこの虫みたいなの!」
パチュリーが放つ、コウモリほどの大きさの化物が10数体。その小さな化物は自身の周囲を飛び回り、小さな直線的な弾幕を展開してくるのである。動きも俊敏であり、一つ一つがまるで虫のようにまとわりつく。
「持ッテカ……ナイデ」
「やっぱり本のこと恨んでるのか、それならそうと言ってくれよ!」
海に現れた化物のようになってしまったパチュリー。今までの怪物同様話せないのかと思っていたが、その予想は外れたらしい。
「こんな時に限って外に出てきやがって。地下に引きこもってれば、そんな姿にならずに済んだかも知れないのによ!」
「……大事ニ」
「喋れるんなら攻撃をやめるんだぜ! 聞こえてるんだろ!」
「…………」
「ふざけやがって……ッ」
空を駆け回り、追尾してくる小さな怪物を弾幕により撃ち落としていく。速度と数こそ脅威であるものの、それほど耐久力があるわけではない。
全てを撃墜し終えた頃、もう一度魔理沙はパチュリーを見下ろす位置に滞空し、息を切れさせながら周囲を見る。
「これ以上はやらせません!」
湖に浮かぶ小悪魔――が元の怪物に急接近する早苗。放たれる砲弾に対し体を回転させながら回避し、目前に至ると弾幕を直撃させる。
全身に弾幕を被弾した小悪魔。まだ動けるのか、煙を吹き上げながらも早苗の姿を懸命に探す。だが、すでに早苗は上昇しており、その主砲が届く位置にはいない。
小悪魔が変貌しているのは、艦娘が軽巡洋艦と呼んでいた存在。なれど、その姿はパチュリー同様に赤い衣のような何かがにじみ出る。
「小悪魔ももう限界だ! パチュリー、目を覚ますんだぜ!」
が、パチュリーに容赦はない。その変わり果てた姿で魔理沙を睨みつけ、鋭い眼光を赤く光らせた。
火符『アグニシャイン』
パチュリーによるスペルカード。握りこぶしほどの大きさの炎がパチュリーの周りを死角なく取り巻き、円を描くように広がっていく。
宙を自在に飛び回る魔理沙を逃すまいと追い続ける炎。魔理沙はただ逃げるだけではなく、その隙間を縫うようにして距離を空けすぎないように維持していた。
炎に囲まれた状況下。やられているばかりではたまらない。と、魔理沙は舌打ちをしてから懐から白いカードを取り出す。
ところが、次の瞬間――
「おいおい、冗談だろ!」
炎が輝きを増したかと思えば――先程全て倒したはずのコウモリのような化物に変わったのである。
パチュリーのスペルカードによって放たれた炎、全てが。
およそ100ほどの飛び回る小さな化物に取り囲まれ、魔理沙は冷や汗を垂らしながら周囲を警戒した。カードは再び懐に収め、箒を強く握る。
「多すぎて手に負えないぜ! おい、早苗だっけか、一旦逃げるぞ!」
同様に上空で化物に取り囲まれていた早苗に一言声を掛け、歯がゆい思いを抱きつつ、魔理沙は弾幕を放ちながらその場から一目散に離脱した。
上空を飛び回るコウモリほどの小さな怪物の群れ、そこから飛んで距離を取る魔理沙と早苗の様子を遠目に、古鷹はじっと空を見上げる。
(艦上戦闘機が50、艦上爆撃機が30、艦上攻撃機が20、くらいかな。もしかして正規空母でもいるの?)
上空を制圧している、深海棲艦のものと思われる航空隊。どうやって現れたのかは目撃していないが、空を埋め尽くすようなその数に絶望するなと言われる方が無理な注文である。
古鷹は艦隊を見渡す。駆逐の5人を始め、軽巡の3人すら不安を浮かべていた。彼らは充分な対空兵装を搭載していないために、あの航空機部隊に襲われてはひとたまりもないだろう。
比較して、他の重巡の3人を見る。数の多さには圧倒されているようだが、駆逐、軽巡よりは対空兵装も充実しているためか、そこまで悩ましげな表情はしていない。
(あの数を相手にするのは……私たちでも難しい)
幸いにも、航空機を落とすための制空機種、“戦闘機”が大半を占めているため、半分は航行自体にそれほど影響を与えてくる相手ではない。
だが、爆弾を投下する機種“爆撃機”と、魚雷を投下する機種“攻撃機”は、合わせておよそ50。一斉に襲われれば、いかに重巡洋艦といえど対空戦闘において被害を免れることはできない。
いかにしてこの状況を突破するか。それを、まだ知識の浅い、優しいあのカミツレという提督に求めるのは流石に酷だろう。
「うわあ、すごい数だねっ。完全に制空権取られてるよ」
「う~ん、どうしましょうか。夕張さんの指示次第ですが」
「あのぐらい、さっさと突撃して母艦を叩けばいいじゃん!」
「50機の攻撃を、青葉たちだけで防げますかねえ?」
「私たちならできるって! ね、加古?」
「おうよ、あたしたちならそれぐらいどうにかできるさ」
衣笠、青葉、加古の3人が、どうやってこの状況を打開するかについて話し合っている。
半世紀以上もの刻を越えて再び集まった、古鷹型及び改古鷹型の4人で構成された“第六戦隊”。時を経ても、その仲の良さは全く変わらない。
「あ、あの……ふ、ふる、古鷹は、ど、どどどう思いますか?」
「…………」
「ご、ごめん……なさい」
自身と青葉の関係を除いては。
(ごめんね、青葉。ごめん、ごめんね……)
顔を俯かせ、古鷹は青葉から目を逸らす。それを拒否と受け取ったのか、青葉は顔を青ざめさせ、酷く怯えた声で謝る。その声音に古鷹は顔を上げそうになるも、押しこらえるようにして拳を握り締める。
喉元まで言葉が出かけているのに。あと一歩踏み出すだけでこの関係が変わるというのに、その一歩は果てしなく遠かった。
青葉が感じている責任。それは、古鷹自身よく知っている。サボ島沖海戦において、青葉の誤認により味方艦隊は大きな損害を被った。
しかし、古鷹は青葉の責任で、などとは微塵も思っていない。結果的に損害を負うことになり、自身は沈んだ。だがそれは守るために、“青葉を守るために自身がとった行動の結果”に過ぎない。
(私は恨んでなんかないよ……青葉ぁ)
身を呈して青葉を庇った時点で、既に命を賭す覚悟は出来ていた。時代も時代である。いつ沈んでもおかしくない戦時下、遅いか早いかの違いだったのだ。
その時代で、姉妹とも呼べる青葉を長女として庇う。傷を負いながらも青葉が戦場を離脱するのを見た時、己の中に湧き上がってきたのは安堵のみだった。
青葉と話せない理由。それはもちろん、気まずいというのもある。だがその気まずさは青葉の責任だと思っているため、などではなく、むしろ自身が沈んでしまったことにより青葉が責任を感じてしまっているため。
古鷹の考えるサボ島沖海戦の行方。それは、同士討ちの可能性を最後まで捨てきれなかった青葉だけを非難するのではなく、その重さを分かち合うこと。誰もが困惑し、敵も味方も混乱したあの戦いにおける責任を、同じ戦場にいた重巡として一緒に受け止めること。
青葉とは昔のように仲良くしたい。だがそれは、古鷹からもう気にしていないと話しかけてしまえば、気を遣わせてしまったと思わせることになり、青葉がこの先もずっと後悔し続ける事になってしまうだろう。
古鷹が聞きたいのはただ一言であった。建前でも構わないから、「また会えて嬉しい」、と。
「青葉、一度だけ水雷戦隊が前に出るわ。目標はまず、赤い軽巡ホ級。可能な限り、そちらで対空戦闘をお願いできない?」
「わ、わかりました、夕張さん」
夕張が青葉に指示を出し、すぐさま軽巡と駆逐からなる水雷戦隊を引き連れて全面へと押し出て行った。振り向き、青葉は指示を出す。
「じゃ、じゃあ皆さん、単縦陣です。青葉たちは支援砲撃を行いつつ、対空戦をしますよ」
全員が頷き、主砲を構えて夕張率いる水雷戦隊へと続いた。既に、前方では戦闘が始まっていた。
「後ろからの航空機は気にしないでください、前方の艦隊を援護します!」
深海棲艦の航空機が、幾重もの数機編成を織り成し、前方の艦隊へと波状攻撃を仕掛けていた。爆弾を投下する体勢に入り、その多くが撃墜されてしまうも、投下に成功する個体もいた。ただし、その爆弾が命中するとは限らない。
が、状況から言えば軽巡3人と駆逐5人の水雷戦隊はやはり劣勢であった。対空兵装が充実していない中で、雨あられのように爆弾が次々と投下される。時には足元に魚雷が忍び寄っており、慌てて回避することもある。
重巡の4人はしきりに対空砲火を行っていた。しかし、弾幕の厚い重巡の艦隊より、手薄な水雷戦隊の方へと攻撃が集中してしまうのは、やはり当然の結果だったのだろう。
そして、とうとう被害が出てしまう。
「きゃあっ! や、やだ、ありえない……」
対空射撃に夢中になり、足元の魚雷に気づかなかった叢雲が魚雷をまともに受けてしまい、中破の損害を負ったのである。
(叢雲ちゃんが……。あ、青葉に意見具申を――)
「よくも――。やっぱり私たちが前に出ます! 夕張さんたちは被害艦を援護しながら離脱してください!」
「叢雲ちゃん大丈夫!? ごめんね青葉、あとは頼んだわ!」
青葉の表情が引き締まり、夕張へと指示を出す。その言葉は、何も言っていないというのに、まるで自身が望んだことをそのまま代弁したかのよう。
夕張たちが後退する中、重巡4人は止まることなく前へと進む。
「複縦陣を! 対空戦闘に備えつつ、軽巡に接近します!」
青葉から大きな声で指示が飛ぶ。先程までの様子は欠片も見せず、ただ目の前の戦闘に目を向けていた。
青葉と古鷹が先頭、その後方にそれぞれ衣笠と加古が追従し、上空から来襲する深海棲艦の航空機の攻撃を防ぐ。
高角砲が、機銃が、硝煙の匂いを沸き立たせ、あの頃の戦闘を思い出させてくれる。
「敵艦が見えました! 衣笠と加古はそのまま対空戦闘をしてください! 我々は水上戦闘用意、一度で仕留めます!」
指示通りに、古鷹は対空戦闘を中止して主砲を構える。視界の先に見えたのは、一瞬だけ女性のようにも見えた赤いホ級。
「全速前進! 方位30度、目標ホ級、主砲撃ちー方、始め!」
重巡洋艦の砲撃、連装砲からなる計6発の砲弾が軽巡へ向けて、音速を超えて空間をかじる。
ホ級は弾幕を展開してその砲弾を迎撃しようとしたものの、質量的問題からか弾幕を突き破られ、計3発の砲弾が軽巡ホ級に直撃した。
膝から崩れ落ちるホ級。しかし水面に倒れこむときには、既にワインレッドの長髪の羽を生やした綺麗な女性へと姿を変えていた。
「対空戦闘始め!」
そうして、再び対空戦闘へと移行する艦隊。艤装に備え付けられた対空砲を、対空機銃をバラ撒き、急降下してくる爆撃機を、魚雷投下体勢に入る攻撃機を打ち落とす。
いつしか、来襲する航空機はいなくなっていた。上空には、戦闘機がブンブンとそれこそ虫のように飛び回っているだけ。
「爆撃機と攻撃機は全て落としたようです! 母艦の掃討に入ります!」
「おうよっ!」
「艦隊、単縦陣へ!」
軽巡ホ級を倒した先に見えた、航空母艦の深海棲艦。大型の空母に比べ少し小さめであることから、どうやら軽空母であったらしい。
「目標を軽母ヌ級と呼称! 全艦、撃ちー方用意!」
そうして、赤い軽母ヌ級へ向けて全速力で接近する艦隊。しかし古鷹は、青葉の指示を受け入れつつもどこか心に引っかかる部分があった。
(軽空母……しかいないけど、あの一体が100機も航空機を出したの?)
軽空母。一般的な航空母艦に比べ小型であり、その分搭載できる機数も少ない。通常は50機前後、多くて60機程度が限界であるというのに、到着した頃には既に100機が展開していたのだ。
単純に航空機の搭載数が多いと見るには多すぎる数。謎の赤い気配を纏っているからという理由で終わらせるには納得のいかない疑問。
が、古鷹の抱える不安ともとれるような懸念は一瞬で解決を迎え、それは瞬く間に目前に広がった。
金&土符『エメラルドメガリス』
視界一面が緑色に覆われる。握りこぶしほどの緑色の弾幕と、人の赤子ほどもある緑色の大きな弾幕。宝石のような弾幕たちがまるでダンスのごとく無数に踊り狂い、あるいは美しささえ伴って攻撃を織り成す。
更に、握りこぶしほどの弾幕。必死に避けてはいたものの、回避したものは背後で弾幕から航空機へと変貌を遂げ、思いもよらぬ攻撃となって古鷹たちを襲う。
「落ち着いてください皆さん、複縦陣を! 対空射撃に集中してください! 大きな方に当たらない限りは装甲はおそらく貫通しないはずです!」
自身の予想が悪い形で的中してしまったことに、古鷹は眉をひそめながら、前から来る切れ目ない弾幕と後ろから来る大量の航空機に対処する。
「お、おい青葉! 言いたくないけどこれちょっとヤバいんじゃ――」
「加古も重巡なら自分の装甲を信じてください!」
「ねえ青葉、弾幕って航空機に変わるものなの!?」
「そんなの青葉も知りません!」
必死に、それぞれがそれぞれ攻撃を受けないように立ち回る。それでも、陣形は円を描いたまま崩れることはない。
だがそれでも、弾幕と航空機による絶え間ない猛攻。いかに重巡洋艦で編成された艦隊であろうとも、航空機が際限なく増え続ければその対応にも限界が来る。
「はわわ! 痛いわね、この!」
大きな弾幕を回避したところで、衣笠が爆撃機の攻撃を受けてしまい、小破する。負けじとその爆撃機を撃墜したものの、受けた傷が消えるわけではない。
それを見た青葉は、何かを決心するように口を開く。
「衣笠が被弾しました。もう対空戦闘を維持するのは難しいです。そこで、せめてこれ以上航空機が増えないように、母艦を最優先に叩きます!」
「突撃ィ? いいけど、対空戦闘はどうすんのさ!」
「接近する敵機以外は放っといてください!」
「まあ、仕方ないよね!」
「へへ、燃えてきたぜ!」
「古鷹も――! いいですか!」
「!? う、うん、わかった!」
最高速度を維持したまま、陣形を輪形陣から単縦陣へと変化させる。そして、距離をとりつつある赤いヌ級を睨みつけるようにして。
青葉が指示を叫ぶ。
「戦隊全艦、突撃します! 砲撃は各個に行ってください!」
「衣笠さんにお任せ!」
「よっしゃあ! あたしの出番だね!」
「うん……うんっ、これでやっと……!」
重符『第六戦隊』
――重巡『青葉』『衣笠』『古鷹』『加古』
その指示に、衣笠も加古も血気盛んになる。昔馴染みの仲間、懐かしき雰囲気を思い出した古鷹自身も、少しだけ高揚感を覚えながら叫んだ。
「主砲狙って、そう――撃てー!」
声を上げた時、青葉が僅かに安心した表情になったのを古鷹は見逃す。
砲撃は装甲に阻まれることもあったが、命中弾はほとんど直撃となっている。重巡洋艦の重たい一撃に、ヌ級は被弾する事に体をよろめかせた。
そんな時、青葉の頭上に爆撃機が急降下してきたのを、古鷹は見逃さなかった。だが距離が近いために、対空射撃は行えない。
「青葉ぁ!」
「させませんよ!」
その躊躇いを抱いた一瞬の間に、その爆撃機をピンポイントで撃墜したのは早苗である。瞬間、あたり一面に弾幕が散ったかと思えば、軽母ヌ級の弾幕と航空機は一瞬だけ早苗によって相殺されていた。
ふと上空を見上げれば、魔理沙も上空に蔓延る航空機を片っ端から叩き落としている。
この苦しい場面を、一瞬にして転換した早苗。それに魔理沙。
その隙を、艦隊が見逃すはずがない。
「全艦斉射! ありったけ!」
やがて、徐々に距離を詰める艦隊。重巡4人による砲撃が続く。
重低音と腹の底に響く衝撃が続く。軽母ヌ級は未だ形が残っているのが不思議なまでに砲弾を撃ち込まれる。そして――
「ア、アア――ア……アリ、ガ……と」
青葉の放った一撃。轟音とともに赤いヌ級は水面へと倒れこみ、瞬きをする間にも紫色の髪の少女の姿に変わっていた。
艦隊全員がため息をつき、主砲を下ろす。航空機はいつの間に消え去っており、上空には魔理沙と早苗が辺りを見回している。
が、古鷹は状況を確認するより前に、青葉の元へと駆け寄った。
「青葉、さっきの爆撃の怪我はない!?」
「ひゃあ!? だ、大丈夫です、早苗さんのおかげで被弾はしてないので」
「よ、よかったぁ……」
体をペタペタと触り、怪我がないかを確認する古鷹。その様子に青葉は顔を赤くしたり青くしたりと大忙しであることに、古鷹は離れてため息をついてから気づく。
かつても、そして時代を超えて戦場を共に。乗り越えて手にしたものは、絆とも友情とも取れない、形容しがたい温かな慈愛であった。
早苗が赤い髪の女性を、魔理沙が紫の髪の少女をそれぞれ水辺から引き上げ、青年のいる陸へと連れて行く。
それを一目眺めてから、古鷹は視線を青葉から逸らしながらも口を開いた。
溢れ出す感情は止まらない。話をしないなどという曖昧な決心は消し飛んでいた。今はただ、この世界でもう一度出会えた喜びを伝えたい、と。
「あのね、青葉ぁ」
「は、はい……」
「私は……青葉が大好きだからね?」
「……えっ。あ、あの……ふ、古鷹……?」
「“昔から”……“ずっと”、大好きだからね」
「……あの、あ、青葉も、ふ、古鷹に会えて、また……会えて……ぇ」
そして、青葉は両目を大きく見開いてから、その目尻に大粒の涙を貯める。口を開けて閉じて、震える唇に両手を添え、双眸から雫をこぼした。
「う、うああああッ――青葉は、青葉は――ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、古鷹……古鷹ぁ――!」
「最後まで……一人で……よく頑張ったね」
泣き崩れる青葉に寄り添い、その細い身体を力いっぱいに抱きしめる。胸にこみ上げるものがあるのは青葉だけではなく、古鷹も青葉に身体を預けて顔を埋めた。
抱きしめ、抱きしめられる力がお互いの身体を締め付ける。苦しくもあるそれは、古鷹が長年、それこそ最後に沈み、青葉の背中を見送った時から望んでいたものであった。
「蚊帳の外で寂しそうね?」
「自分たちで解決したようですから、僕は満足ですよ」
「でも凄いわね、あの4人。パチュリー様を倒すなんて……。それに、あなたの言っていた早苗という子、やるじゃない」
隣で咲夜が少しばかり呆然としているのを傍目に見つつ、青年は青葉と古鷹が湖の上で抱き合っているのを見て胸を撫で下ろす。加古と衣笠は少し距離をとり、やれやれといった顔で二人を見ていた。
青葉と古鷹。この二人の関係というのが、青年の艦隊において最も懸念すべき事項であった。だがそれも、予想より早く結末を迎える。
(良かった。本当に……良かったよ)
あとは紅魔館に関わるこの異変の原因を突き止め、早期に解決するだけである。霧の湖は完全に制圧完了し、残るは紅魔館だけとなった。
そして、咲夜の話では館の中に最後の人物がいるらしい。となれば、空を飛ぶことのできる魔理沙や早苗が主となって解決に当たるしかない。
だが、魔理沙や早苗が見せつけた強さを持ってすれば、おそらく解決はそう遠くないだろう。
「カミツレさん。先程戦った二人ですが、やはり怪我は一つもないですね。少し水を飲んでしまったぐらいのようです」
「わかった。怪我してるのにごめんね、さなちゃん」
「いえ、これぐらいでは怪我のうちにも入りません」
隣に現れた早苗が、ニッコリと微笑む。その笑顔にどうやら嘘偽りはないようで、肩の怪我は今はあまり気にしていないらしい。
「それから、これを。落ちていました」
深海棲艦を倒し、艦娘のカードが、または深海棲艦の素体となった人物が現れる。深海棲艦が言葉を話す時、紅魔館の面々と親しい咲夜の話によると、本人の意思に関係しているようなことを話すという。
純粋な深海棲艦が話した、という話は今のところ聞かない。しかし、もし素体となった人物の意思に基づいて話すとなれば、深海棲艦という存在は強い意思の結晶とも言えるのだろうか。
そして、深海棲艦を倒して艦娘が現れる、ということは――
「航空母艦、鳳翔です。不束者ですが、よろしくお願い致します」
「クマー。よろしくだクマ」
現れたのは、おしとやかな雰囲気を醸し出す軽空母と無邪気な印象を受ける軽巡洋艦であった。
軽空母、鳳翔。着物に身を包み、肩には甲板と思しき艤装。弓を持ち、まとめ上げた髪と柔らかく微笑むその姿は、大和撫子という言葉を連想するに易い。
軽巡洋艦、球磨。茶色の長髪と細い肢体。一風変わったセーラー服を身にまとっており、その場でくるくると回り出しそうなほどに身のこなしは軽い。
空母という艦種を、青年は初めて迎え入れた。咲夜の話していたパチュリーという少女が深海棲艦と化した時に軽空母になっていたが、あのような戦いをするのかと思えば非常に興味深い。
2人の歴史を知るように、2人は自身の歴史を知るのだろう。それをどう思うかは、今更気にすることではない。
2人に話しかけようと思ったその時、青葉と古鷹が陸へと上がってきた。青葉は真っ赤になった目元をゴシゴシと擦り、古鷹が苦笑しつつハンカチを渡す。
「司令官……」
「青葉、怪我がなくて良かったよ。それに……無事に終わったみたいだね」
「はい……」
強く頷き、再び涙をこぼす青葉。古鷹は青葉の背中をさすって落ち着かせながら、青年に対しても苦笑していた。
「司令官の……おかげです」
「どうして? 僕は何もしてないよ?」
「司令官には、吹雪さんとの問題の時にお言葉をかけてもらいました。その後古鷹が来て……ずっと動転してましたが、青葉は青葉なりに司令官の言葉を噛み砕いてみたんです」
「……それは?」
「過去に囚われるだけじゃなくて、望む未来を捕まえることが大切だって」
「……僕は関係ない。青葉が気づいたことだよ」
青葉の回答に、青年は一つ息をついた。自身とは違う形で過去に縛られていた青葉。だが、そこから前へ進むことを、自分で見つけたのだ、と。
青年が発したあの言葉にそのような意図はなかった。今目の前にあるのは、あくまで青葉が気づき、見つけ、そして繋げたもの。
「青葉は過去に取り返しのつかないことをしました。でも、古鷹が許してくれて、青葉も古鷹が大好きで、昔みたいに戻りたくて、それで――っ」
「……うん。大事なものは、手放したらダメだよ?」
「はい!」
泣きながら太陽のように笑い、敬礼をする青葉。古鷹は青葉の手を握り、同様に青年にお辞儀をしていた。
これで良かったのだろうか、と悩まないわけではない。だが、現に青葉と古鷹は関係を取り戻し、とても幸せそうに笑っている。
――過去の記憶を乗り越えて。
(僕ももっと――。いや、僕は……)
幻想郷に何が待ち受けているのだろうか。自分は幻想郷に受け入れられているのだろうか。
自分は本当に過去を乗り越えられたのだろうか。世界を超えただけで、人一人の意思は本当に変わるのだろうか。変われるのだろうか。
艦娘を指揮する立場といえど、艦娘に学ぶことは少なくないだろう。それは、同じく過去に一物抱えている者同士として。
――まるで傷を舐めあうように。
「――面白イ“運命”ヲ感ジルワ」
日は完全に沈み、夜が訪れていた。霧の湖の霧は晴れたものの、突如として赤い霧が辺りに漂い始める。その出処は、目標としている紅魔館からであった。
その背後、上空には、真っ赤な月が暗闇の世を照らす。
「――コンナニ月ガ紅イカラ」
――再び、小さな少女の声。鋭く、それでいて優しさを伴うが、その声音からは例えようのない畏怖しか感じられなかった。
声の聞こえた方向に、青年は全身に鳥肌を立たせる。
白い肌、白い髪。どことなく不気味さを帯びながらも子供の可愛らしさを持つ“それ”は、酷く冷静に、酷く嘲笑的に。
まるで自身こそ崇高であると主張するかのように、不敵に微笑んでいた。
「楽シイ夜ニナリソウネ」
着任
鳳翔型航空母艦『鳳翔』
球磨型軽巡洋艦一番艦『球磨』