提督が幻想郷に着任しました   作:水無月シルシ

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主の嫁はゆかりんと山城です。

ニコニコ動画にて、幻想入り動画として投稿していた『提督が幻想郷に着任しました』を、訳あってこちらで連載させていただくことになりました。
当サイトは初めてのため、わからないことも多くありますが、どうぞよろしくお願いします。


序章 東方風神録
001 賢者の憂鬱


 青々と茂る植物と抜けるような青空、そこにまたがる大小の雲。木造の家屋が地上に立ち並び、均された土道を人々は笑顔で行き交う。

 吹き抜ける風、木々の香りが鼻腔をくすぐる。柔らかな日差しと爽やかな空気。早朝、数多の眼を覗かせるスキマから八雲紫が見下ろすのは、自らが最も愛する景色であった。

 

「ふふ……ステキ」

 

 誰に聴かせることもなく、紫は呟く。

 ある者にとっては路傍の石のように気にしないモノであるが、紫にとってはどれも格別で、ずっと特別で、永遠に飽きることのないモノ。

 トレードマークの一つとも言える日傘をずらし、太陽に対して手をかざしながら微笑む。あの太陽が幻想郷の全てを視ているように、紫も幻想郷のありとあらゆる景色をその手中に収めていた。

 その景色は“異変”によって、何度も容易く蝕まれる。だが――

 

 『紅霧異変』では、とある巫女が全ての者の運命を変えた。

 『春雪異変』では、誰にも死が訪れることはなかった。

 『永夜異変』では、解決に薬は必要なかった。

 そして、閻魔の関わった『六十年周期の大結界異変』。巫女は異変に対して審判を下す。

 

 博麗の巫女。幻想郷への愛情と共に、紫は心から抱擁するかの如き愛情を、彼女へ抱いている。億劫そうな眼も喝の入った叫びも、幻想郷を彩る一つの景色。紅白の衣装と彼女の微笑みも、守るべき宝の一つ。

 

 

 だが今――巫女はその姿を消した。

 

 

「どうして……どこへ行ってしまったのかしら」

 

 誰に視られているわけでもないのだが、口元を隠すように扇子を開く。その瞳は少しばかり悲しそうに。

 

(博麗大結界はまだ残ってる。死んだわけではなさそうだけれど、心配する方の身にもなって欲しいものだわ)

 

 一人、想いに耽る。扇子を持つ手は僅かばかり震え、唇を噛み締めるように固く結んで。

 彼女の不在は、他ならぬ紫本人が最初に突き止めた。しかし、それは少なくとも彼女が霧雨魔理沙と最後に出会ってから5日後のこと。

 3日前に発生した『異変』。それに対応すべく博麗神社を訪れたが、そこに彼女の姿は見当たらず、現在霧雨魔理沙を中心として捜索が行われている。

 が、現在においても見つからず、依然としてその消息は不明。移動した形跡や足取りさえもつかめず、“消えた”と表現するのが正しい、としか言いようがない。

 

 そして今も、その『異変』は継続中であった。

 

「……ああ、こんなにも青いのに」

 

 

 眼前に広がる――幻想郷に突如として現れた“海”。

 

 

 これまで幻想郷には存在しなかった、足りなかった青。空に負けず劣らず、むしろ重なり合って美しいコントラストを主張する。

 潮風の香りは嫌いになれない。幻想郷に新たなエッセンスを与えたように、青々とした緑との対比による絵画的な艶美さを描き出していた。

 

 だが、代わりに霊夢は消える。

 霊夢の捜索期間はひとまず1ヶ月としているが、その間に見つからなければ次世代の博麗の巫女の育成・選定を行う必要がある。

 紫としても、あまり長い間博麗大結界の管理者の座を空席にしておくわけにはいかない。

 

 それでも。

 あの少女の安否を確かめたい、彼女の笑顔をもう一度見たいと思うことは、過ぎた願いなのだろうか。

 

(私は幻想郷の管理者……ここを守る義務がある)

 

 目の前に広がる海を前にして、紫は海岸線ギリギリの位置でスキマに座って監視という名の展望と洒落込んでいた。突如として海が現れたものの、ただそれだけ。

 不思議なことに、この海の上の空は飛ぶことはできない。どういった原理かはわからないが、誰が飛ぼうとしても海へ落ちてしまうのだ。

 『境界を操る程度の能力』。幻想郷の結界に穴を穿ち、夢と現実の境目を打ち消す、あらゆる事象事由を覆す、紫の能力をもってしても。

 

 村などに被害が出たわけでもなければ、怪我をしたとか行方不明になったというような報告もない。妖怪の山から流れる河の水が流れ出る先に、三途の川の流れる先に、その他人里や小さな川が流れる先に、突如として現れただけ。

 

(早く戻ってきなさいよ。これじゃあ、宴会だってできないでしょう。海と月を肴にした晩酌っていう、最近では稀に見る贅沢を私に我慢させているのに)

 

 瞳を閉じて、久しく姿を見ない博麗の巫女の苦笑した顔を思い出す。物憂げでありながら快活さを感じさせる彼女のあの顔がたまらなく愛しい。鬱屈とした溜め込みを吐き出すことでしか、心の安定を図れなくなっていると気づいているのに、それがどうしようもなく心地いい。

 

(帰ってきたら……たまにはお賽銭でもあげましょうか)

 

 どんな顔をするだろうか、どんな反応をするだろうか。顔を見ることができない今では、虚しく想像するしかないのだが。

 

「あら?」

 

 ふと、酷く陰湿な空気が潮風に乗って流れてきたのを感じた。それに気づいた紫は扇子を閉じ、スキマを閉めて宙に浮いた。遠くからは、八雲藍が慌てた顔で飛んできているのが見える。

 

(やはりこれは……異変。それも相当厄介な)

 

 姿形はまだ見えない。しかしそれでも、陰湿な空気は増大した。やがてそれは怨念のような、憎悪のような、悲愴のような負の感情。その結晶とも言うべき――黒い感情の塊の数々。

 紫は直感で理解する。これはマズい、と。

 自らの愛する幻想郷に関わらせてはいけない。あれは争いの種に過ぎない。そしてもっとわかりやすく簡素で簡潔で、単純なものだ。

 

 

 今の幻想郷には、この感情は必要ない。

 

 

 守らなければならないだろう。博麗の巫女に代わって。

 

「藍」

「はい」

 

 九尾狐がすぐそばに控え、恭しく頭を垂れる。

 しかしそんな時、海を正面とした背後、『妖怪の山』から、ただならぬ気配が漂い始めた。それは博麗神社と似通っているようで、何処か違う感覚。

 紫の頬に、汗が一滴流れる。藍も珍しく尻尾の毛を逆立たせているが、彼女は鋭い双眸を山に向けたまま口を開いた。

 

「私は山の様子を見てきましょう。紫様、無理はなさらぬよう」

「わかっているわ。それにあなた、私を誰だと思っているの?」

「それは勿論、長命でありスキマを操る妖怪の賢者、我らが八雲紫様ですよ」

「老婆と言ったかしら?」

「八意殿に耳を診てもらってください」

 

 それだけ言うと、藍はわずかに笑みを浮かべて妖怪の山へと飛んで向かっていった。

 

「さて、異変が二つとは、なかなかやってくれるじゃないの」

 

 スカートがふわりと浮き、髪が風に揺れる。景色を見つめていた時ほど瞳は慈愛に満ちておらず、そこに覗かせているのは底冷えするような冷たい感情。

 宙に浮く彼女の周りに、手のひらほどの光の玉がいくつも浮かび上がる。それは十や二十どころではなく、幾百もの群れとなって彼女を守るように立ち塞がっていた。

 

 そして、彼女の手元には充血した目玉の模様をしたスキマが一つ。

 睨みつけるように、その感情の塊と対峙した。思いの丈をぶつけるかのように、彼女は苛立ちにも似た殺気をあらわにする。

 

 

「私の幻想郷に、土足で上がれると思わないことね」

 

 

 

 

 

 


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