むー   作:溶けた氷砂糖

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STAY

「よっ、と。これで全部のはずだけど」

 

 大量の本を机上に重ねられた本の上に置いた。ぼすんと大きな音がして、貸出カードの棚が揺れる。ヌシは風圧で吹き飛ばされそうになりながら、一つ一つカードと示し合わせていく。三、四、五、と数えるのも億劫な量だ。

 

「はい、オッケーです。返却確認しました」

「ふー」

 

 旭が大きく息を吐いた。病み上がりの体で十キロ近くも持ち上げてきたのだ。カウンターの椅子に座って休憩することくらい許されるだろう。

 

「長門も少しくらい手伝ってくれりゃいいのにな」

「畑仕事と料理と出撃任せてさらに何か頼むとですか?」

 

 弱音を吐くと、じろりと見てくる小人さん。

 

「誰から聞いたんだよ」

「長門さんからー」

 

 そういえば最近また通い始めていると言っていたな、と記憶の底から病院での会話を思い出す。実際ほとんど全てを長門に任せている旭としては、言い返す言葉もなかった。

 

「アタシもちゃんと仕事してるんだけどな」

「だらけてたらぶん殴られてますよ」

 

 ヌシはたった今返却された本の上に乗ってくるくると回る。それらは全て日本から東南アジア、さらに南下してオセアニアまでの地理について書かれた本ばかりだ。中には戦争初期の、まだ連絡が取れていた頃に出版されたものもある。

 

「我ながらよくもまあこんなに集めてたもんだ」

「三分の二くらいは確か陸奥さんのですけどねー」

「そうだったっけ。自分の本がどれかなんてもう分かんねえし別にどっちでもいいだろ」

「それは確かに」

 

 ひゅう、と風が吹いた。扉を開け放していたせいで隙間風が入り込んだようだった。急な寒気に、厚着をしていた旭がぶるりと身震いする。そろそろ冬かと思えば急激に下がった気温のせいで、また風邪を引いてしまいそうだ。

 

「へくちっ」

 

 ヌシも可愛らしいくしゃみをした。妖精に寒さなど関係ないはずだが、何故か人間らしい反応をしたがるのが彼らの性だ。もしかしたら旭の真似事の一環かもしれない。

 

「もう寒々な季節ですね」

「これでも本土よりは暖かいらしいけどなあ。アタシ大湊とか絶対行けない。凍死する」

「大湊って青森です?」

「今じゃ北海道も管轄だけどな」

 

 大湊警備府は()()()という一つランク下の名称でこそあるものの、その実態は横須賀、佐世保に次ぐ戦力を有し、北部全域をカバーする一大勢力である。筆頭であった伊勢が倒れてからも、そう簡単に崩れはしないだろう。

 

「それはそれは、広いですねえ」

「そんなこと言ったって、今度はアタシ達の方が広い範囲を守ることになるんだぜ」

「例の作戦ですか」

 

 旭は火無しのタバコをくわえた。ヌシが咎めようと顔をしかめたが、ライターを取り出す様子が無いのでしかめたまま何も言えない。ヌシは三年前からの彼女の癖を知らなかったが、そういうことなのだろうと納得したようだった。

 

 オーストラリアまでの解放作戦が成功すれば、日本との交易ルートも繋がる可能性が高い。しかし、深海勢力を完全に駆逐することが不可能である以上、旭達がそのまま貿易船の警護を行わなければならなくなるだろう。

 

「弥勒のとこだけでも手一杯だってのに」

「でも、自分でやるからには自業自得ですし」

「そんなん分かっとるわ」

 

 ヌシを人差し指で弾くと、どてんと軽いのか重いのか分からない素っ頓狂な音を立てて本の山から転げ落ちた。よろよろとまた本の上まで登っていく。妖精と煙は何とやら、だ。

 

「せいこーすればー、資源は佐世保がガッポガッポでお金持ちの成金です?」

「そりゃ、アドは取れるだろうが、そんなん組織の中だけだろ。それに、アタシじゃなくて弥勒の管轄だ」

 

 朝鮮半島を拠点とした大陸との貿易、その警護を一手に担っているのは第一泊地だ。彼の異常とも言える出世の理由の一つはそこにある。重ねてオーストラリアからのボーキサイトと鉄鉱石の輸送も第六泊地が担当するとなれば、佐世保鎮守府に対して大きく出ることは難しくなる。

 

 一番の恩恵を受けるのはもちろん佐世保の代表者であり、元帥という海軍トップクラスの地位に立つ弥勒だが、無理を通すという点で見れば旭にもメリットは大きい。それを含めての解放海域の選択だ。

 

「問題は、どうやったって戦力が足りねえってことだが」

「長門さんと大鳳さんの二人だけとか自殺行為です」

「だからといって他に手を貸してもらえる状況じゃねえせいぜいあの二人には限界超えてもらうさ」

「そう言って自分が怖いのはノーカンで?」

 

 旭がヌシを見る。ラムレーズンのようなつぶらな瞳は、それだというのに目が潰れそうなほどに暗い。黒い影が入り込んだその奥には何が潜んでいるのだろうか。覗きたい衝動と同時に、覗いてはいけないと囁く声がする。

 呼吸が苦しくなった。妖精特有のおぞましさが背筋を走る。どこまで仲良くなったとしても、妖精は所詮は非人間。得体の知れないものなのだと本能が警鐘を鳴らす。

 

「バッカじゃねえの」

 

 しかし、旭はそれを鼻で笑った。

 

「怖くなきゃ作戦なんざ立てねえよ」

「その答えは逃げな気がします」

「人間は逃げるのが好きなもんでな。妖精とは違うだろうが」

「むー」

 

 ぐるぐる頭の上にひよこを浮かばせる妖精の姿には、もはや未知の恐怖は存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

「大鳳、ただいま帰投しました!」

 

 ぴしりと音でもしそうな敬礼一つ。まるで着任した時のことを再現しているかのようだ。しかし、大鳳の顔付きに緊張の色は無く、旭の視線も真っ直ぐに大鳳を見据えている。

 

「大御所はどうだった? しっかり力はつけてきたかよ」

「残念ながら……」

 

 大鳳が目を逸らした。何か問題でも起きたかと眉をひそめる。

 

「赤城さん超えは出来ませんでした」

「ぷっ、くはははっ!」

 

 いつの間にかそんな冗談を言えるようになったものだと大笑いする。真面目に馬鹿を掛け合わせたような性格だと思っていたが、第一泊地で生活することで変わったのか。それとも変わったのは旭の方か。

 

「そんな大口叩けるんなら十分だな」

「提督も、休むことがいい薬になったんじゃないですか? 随分丸くなったようですけど」

「馬鹿言え。元からアタシは角の立たない人間だ」

「それは笑えない冗談ですね」

「喧嘩なら買うぞクソガキ」

 

 ひとしきり毒を吐き合って、それからまた笑う。どんな顔をして会えば良いのか、なんて顔を合わせるまでの不安は雲散霧消していた。何も知らぬ艦娘として、仲間を失った提督として、お互いに要らぬ意地を張っていただけだった。二人の間にあった半透明の壁を壊してしまえば、目の前にいるのは案外似たもの同士だ。

 

「そういえば、元帥の計らいで第二泊地にも行ったんですよ」

「んん、恭介んトコロか。まああそこはあそこで得るもんもあったろ。鳳翔が居るし」

「鳳翔さん料理凄い上手ですよね」

「艦載機はどうした」

 

 もちろんそれも学んできましたよ、とあっけらかんと言う。赤城に随分影響されてきたな、と思ったが、口にはしないことにした。個性溢れる第一泊地の艦娘を考えれば、赤城に似るのはむしろまともな変化だ。川内の夜戦馬鹿や天龍の厨二病に感染しなかっただけマシだろう。

 

「でも、第二泊地というわりには規模が小さかったような」

「そりゃ元々だ。佐世保で数揃えてたのは第六(うち)第一(本家)と、それから今は無き第五くらいか。第二は確か三人しかいなかった筈」

 

 それでも弱いってわけじゃない。旭が火無しのタバコをくわえた。

 

「あのクソッタレな戦いの中で、一人も犠牲を出さなかったのはあそこくらいなもんだ」

「へえ、そうなんですか」

 

 感心してから、違和感を覚えて首を傾げる。何かおかしなことを言っていたような。

 

「……二人じゃなくて?」

「ん、あそこは鳳翔と夕立と曙の三人だった筈だが。ああ、いやそうか今は二人か」

 

 そう、旭は三人と言った。しかし、大鳳が会ったのは鳳翔と夕立の二人だけ。曙とやらと顔を合わせてはいないし、他に艦娘が居るようにも思えなかった。今は二人、という言葉に大鳳は最悪の想定をする。

 

「沈んだんですか?」

「いーや?」

 

 旭は否定する。

 

「生き残りはしたけどトラウマ抱えて解体(バラ)したのさ。混乱真っ只中だったから出来たことだわな。今じゃ絶対許可が降りねえ」

 

 解体処分。字面からは恐ろしい響きにも感じられるが、実際にはそう残酷なことでもない。適切な方法で生命維持艤装を外すだけだ。横須賀、呉、大湊などの建造ドックでしか行えないが、それだけ。終われば艦娘は人間になる。

 

「そんなことよりも、だ。アタシらは自分の方に注意向けなきゃなんねえぞ」

「覚悟は出来てます」

「ならいい」

 

 間髪入れず返ってきた大鳳の力強い返事に、旭は口角を吊り上げる。

 

「今日から二日間の休息の後、作戦を決行する。今日と明日で中身頭の中に叩き込んどけ。たいしたもんでもねえからすぐに入るはずだろ」

「分かりました。それと、長門さんは?」

「石ころ抱えてフナムシ掃除だ。しばらくすりゃあ戻ってくる」

 

 はい解散。窓に視線を向けた旭が手を叩くと、大鳳はもう一度敬礼して部屋を出て行く。それを横目に眺めながら、旭はふと思い起こしたようにポケットをまさぐった。

 

 かつての百均で買ったライターを取り出す。カチッ、カチッと火打ち石の鳴る音と火花が散る。しかし、肝心のタバコに火が着かない。

 

「あ、オイル切れてやがる」

 

 もうずっと吸わなかったから、まさか火が着かないなど思いもしなかった。工廠に行って継ぎ足してもらうのは面倒だと何度も叩いていると、ようやくぼんやりとした火が灯る。タバコに近づけて息を吸うと先が赤赤と照らされた。吸って吐いて。煙を吐き出す。何だかひどく不味い。

 果たしてこんな味だっただろうか。古い記憶を探るか、どうも味が変わってしまっているようだ。

 

「乾燥しちまったのか、湿気たのか。どっちにしろやらかしたなこりゃあ」

「何を一人でブツブツ言っているんだ」

 

 長門が呆れた顔して立っていた。煙に少し驚いて、それからニヤニヤと笑いながら旭に歩み寄る。

 

「最後の一本は大事にするんじゃなかったのか?」

「景気づけだよ。それに、吸わずに捨てちゃあ勿体無い」

 

 もう手遅れだったけどな。机に野ざらしにされていた灰皿にタバコを潰す。もう少しまともなタバコが吸いたいと嘆く旭。

 

「そうだな、吸わずに捨てては勿体無いな」

 

 彼女の浮かべている表情は苦笑いか、悲しみをこらえているのか。長門は巾着袋からタバコの箱を取り出して机の上に置いた。旭の目が丸くなる。

 

「お前吸ってたっけ? いや、これは」

「陸奥のだよ」

 

 銘柄を見て察した旭の口を遮るように答えを言う。陸奥の形見だ、と長門は繰り返した。

 

「一つ吸うか?」

「……そうだな。湿気てなきゃいいが」

 

 旭がそれを手に取った。未開封の箱だ。封を切って、中から一本取り出す。死に体のライターをまた何度も打ち鳴らした。悪戦苦闘する姿に長門が苦笑する。

 

「素直に継ぎ足してくればいいものを」

「るせー、どうせ今日はこれで終わりなんだからいいんだよっと」

 

 奇跡的に二回目の着火に成功したライターでタバコを炙り、煙を吐く。甘くて口に合わない。これならばまださっきの方がマシだったかもしれない。旭と陸奥とではどうしてもタバコの好みは合わなかった。軽口を叩き合っていた頃の記憶が思い起こされる。

 

「さて、と」

 

 長門もタバコの箱に手を伸ばした。仕舞うのか、旭の思惑とは反対に、彼女もまた一本取り出した。けして愛煙家ではなかったはずだが、と旭は首を捻る。むしろ旭や陸奥が吸っていれば顔をしかめて咎めていた側だ。

 視線に気づいた長門は照れくさそうに笑った。

 

「景気づけ、って奴だよ。私も何度か陸奥にもらったりしていたからな。あいにく、あまり美味いものとも思えなかったが」

「そりゃ初耳だ。風紀委員が不良行為してたなんてな」

「そんな面倒な係、引き受けた記憶も無いな」

 

 長門がまたライターを鳴らす。いい加減にオイルを足せばいいというのに、彼女もそんな選択はしなかった。

 

「む、着かないな」

「騙し騙し使ってたんだから当たり前だろ」

「仕方無い、火を貸してくれ」

「しゃあねえな」

 

 旭がタバコをくわえたまま腰を浮かす。長門が屈むと、先端が触れた。じわ、とタバコの先から先へ火が燃え移っていく。

 瞬きする程の間のシガーキスを終えて、旭はまた腰を下ろした。二人、煙を吐いて一言。

 

「甘いな」

「ああ、甘ったるい」

 

 それでもさっさと消してしまわないのは、哀愁か、それとも共有した時間を終わらせたくないからか。

 

「大鳳には会ったか」

「ああ。廊下ですれ違っただけだがな。少し見ない間に頼もしくなったものだ」

「赤城超えは出来なかったってさ」

「背中が見えれば上等だ。ここまで来るのに何年掛けたと思っている」

 

 たかだか一年も生きていない、()()大規模な作戦にも出ていない。何より、先の大海戦を、総力戦を経験していない若造に抜かれるつもりはない。

 

 長門が窓から空を見る。時計を見れば夕方なのに、とうの昔に日が落ちて、真っ暗な空と海。その中に走る影を見つけた。敵か、それとも伝令か。眉をひそめてじっと見ていると、誰なのかはすぐに分かった。大鳳だ。こんな夜更けに訓練でもしているのだろうか。夜戦の無い空母が何をしているのか、深い思考に引き込まれそうになった長門を、何も気付いてない旭の言葉が現実に連れ戻す。

 

「そりゃそうだ。だったらせいぜい、後輩に格好良いとこ見せてくれよ、先輩?」

「……ああ、言われなくても」

「なんだその歯切れの悪い返事は」

「いや、外を見ていてな」

「外?」

 

 旭が振り返った。目を細くして暗闇を見つめる。じぃっ、と睨みつけて、ようやく長門の言いたい事が分かったようだった。

 

「何やってんだあいつ」

「自主練、だろうな。空母が夜中に何も鍛えるというのか分からないが」

「空母に夜戦なんて……いや、まさか」

 

 思い当たる節があったのか、タバコを一度口元から離す。ため息を煙と共に吐いて、自由な方の手で頭をぼさぼさと掻いた。

 

「弥勒から報告があったな。そうか、そういうことか」

「何のことだか、私にはさっぱり分からんのだが」

「こないだ、新型の空母ヲ級が出たんだよ」

 

 新型なのにヲ級とはこれ如何に。

 

「もしかして、最上位(flagship)か」

「大正解」

 

 灰皿に灰を落とす。

 

「こいつが、夜戦中に艦載機飛ばして来たって報告があった」

「……それを知っていてやっているのか」

「たぶんな」

 

 タバコをまた口にくわえる。すっかり短くなっていて、そろそろ捨てる頃合いだろう。

 

「弥勒が言うには、出くわしたのは第二泊地。そんで大鳳もちょろっと第二に顔出してたらしい。正面切ってやり合ったって考えるのが自然だろうな」

「しかし、空母が夜戦か。赤城ですら上手くはやれないと言ったのに」

 

 艦載機を夜に飛ばすのは危険だ。暗闇の中では誤射する可能性が高いし、訓練を積んでない妖精では目測を誤って墜落してしまう。何より、敵が近い。近接での航空戦に慣れた赤城ですら難しいというのに、一般の空母ができる道理は無い。だからこそ、敵がそれを行ったという事実が重くのしかかるのだ。

 

「だからだろ」

 

 吸い殻を灰皿で潰して、そのまま長門の方に滑らした。受け止めた長門が自分のタバコも火を消して捨てる。

 

「赤城超え目指してんだろうさ」

「それは、無謀な野心家だ」

「そうでなきゃ、アタシの旗下に入る権利なんざねえよ」

 

 そう言ったときの旭は、随分悪い顔をしているように見えた。

 

「こちとら無謀な作戦やろうってんだからさ」

「それを言われては、返す言葉も無いな」

 

 止めるつもりはない。成長しようとしている若者の足を止めるなどするべきではないと分かっているから。実戦ならまだしも、まだ練習しかしていないのだ。使い物になるまで見守ってやろう。

 

「だろ? さあ、アタシは頭回して疲れてたしそろそろ寝るか」

「私も休息を取ることにしよう」

「大鳳に程々にしておくよう言っとけよ」

「分かってるさ」

「ああ、それと」

 

 部屋を出ようした長門を旭が引き留める。

 

「今度、本当のタバコって奴を教えてやるよ」

「……期待しないで待っておくさ」

 

 その会話を最後に、長門は部屋を出ていった。

 

 

 

 

 

 

 凪の空で、肌にべとつく潮の香りを感じながら長門は立っていた。主要武装はまだ装着していない。

 島の外れ、海の程近く。一人になりたい時に良く訪れる隠れ家だ。後、数十分もすれば旭から準備するよう通達が来るだろう。作戦決行、その直前の孤独な平穏。

 

 小石を三つ、お手玉のように転がした。やり方を教えてくれたのは陸奥だ。酒の席で芸の一つも出来ないのはみっともないからと、恥を忍んで教えてもらった。今にして思えば旭と陸奥にからかわれていたのだと分かる。二人して出撃よりも大事なことのように言うので、すっかり騙されてしまったのだ。

 

 だけどまあ、それも良かったか。と長門は目を閉じた。妹を思い出すことの出来る、多いようで少ないエピソードだ。馬鹿馬鹿しい、平和ボケしていた日々が懐かしい。これより向かうは死地。帰ってきても、かつての馬鹿騒ぎが待っているわけではない。それでも良いと思えた。

 

「なあ、陸奥」

 

 今は亡き彼女に話しかける。届くとは思っていない。彼女が沈んだのは太平洋だ。もっともっと東の方だ。だから、その呟きは本当にただの独り言でしかない。

 

「仲間とは良いものだな。前はどうしても、自分を戦艦としか考えられなかったが」

 

 陸奥はいつも、艦娘を兵器だと言っていた。それなのに、彼女自身はまるで人間のように趣味を持ち、悪巧みを仕掛け、人と共に笑った。彼女は須く人間であった。少なくとも、自身を人外の兵器であるとは考えない、強い人であった。

 

 大鳳に話した時には嘘を吐いた。あのメモは、艦娘を兵器だと思っていたのは他ならぬ長門だ。もしもあの時、自分が兵器ではないと、ちらとでも考えてしまったなら彼女はここに居ない。そこに居るのは彼女ではない。人であることに耐えられなかったのは無骨で真面目な姉の方だ。

 

「前にも話したとは思うが、うちにも新入りがやってきたんだ。大鳳って言うんだが、これがまたお手本みたいに生真面目な奴でなあ」

 

 まるで昔の私を見るようだ。その言葉は心の奥にしまった。一緒にしては、大鳳に失礼な気がした。希望を持ち、本分を全うしようとしていた大鳳と、欲望に溺れ、人から獣を経て物言わぬ存在にまで成り果ててしまっていた長門とでは天と地ほどもその覚悟に差がある。

 

「最初、旭とは全くそりが合わなくて、どうしたものかと思ったよ。危なっかしくてしょうがないし、何か思いついたらすぐに行動するし。一度こうと決めたら梃子でも動かないんだ」

 

 間の抜けた音を立てて水面が揺れた。目を開いて、自分の手に残った石の数を数える。一個減っていた。無意識のうちで、お手玉をしながら妹に話しかけていたことにようやく気付いた。何とも滑稽だ。長門は小石を手で握る。角が刺さって少し痛かったが、やろうとすれば粉々に潰せる。しかしそんなことはしない。

 

「もしかしたら初めてかもしれないなあ。後輩と話していて楽しくなったのって」

 

 駆逐艦や蒼龍からは頼れる姉御肌と見られていたが、彼女にそんな意識は無かった。海軍として秩序を守る。陸奥や足柄や旭は風紀を乱す。だから捕まえて説教する。それだけだった。先日、旭に風紀委員と揶揄されたのは、まさにその通りだったと思わされたのだ。

 

 今は違う。一つになって、一人になって、二人になって。そして三人になった今、彼女は単なる旗艦ではなく、大鳳の先輩として海に出る。他人からすれば何も変わらないように見えるかもしれない。それでも彼女には大きな変化だった。兵器が人に変わった瞬間だった。

 

「また戻ってくるよ。今度はちゃんとお前に届くような場所で話してやらないとな」

 

 背を向けて、その場から立ち去ろうとする。不意に立ち止まって、小石を海に投げてしまおうかと思いついた。波紋なら彼女に届くかもしれない。

 いざ投げようとした長門に、呼びかける声があった。

 

「長門さん、どこにも居ないと思ったらこんなとこに居たんですか」

「大鳳か。わざわざ探しに来たのか?」

「まあ、そうですね」

 

 何しようとしてたんですか。大鳳の質問に長門は言葉を濁す。死んだ妹に波紋で思いを届けようとしていたなんて、詩人も良いところだ。

 

「ちょっと黄昏れていただけさ」

「はあ。でも、提督が呼んでたので程々にしてくださいね」

「ちょうど戻ろうと思っていたところだよ」

 

 そうだ。長門が小石を一つ放り投げた。急に投げられた大鳳も慌てながらそれをキャッチする。

 

「なんですか急に」

「なに、ただの遊びだ。水切りは知っているだろう?」

「ああ、どっちが多く跳ねるか勝負ってことですね。負けませんよ?」

 

 いきなりだというのにしっかりノッてくれる後輩。旭達が色々と巻き起こしていたのももしかしたらこんな感覚だったのかもしれない。

 

 二人で海に向かってピッチングフォームを取る。艦娘の力を使わずとも、それなりに遠くへ飛んでいくだろう。おそらく、決着を確認することはできない。

 

「せーのっ!」

 

 大鳳の掛け声と共に小さな石が翼を持った鳥のように空を翔けていく。数センチの姿はすぐさま見えなくなり、遠くから跳ねる音がぽちゃりぽちゃりと続いて消えただけだ。勝敗を決めるつもりなど毛頭無い。ただ、一人でやろうとしていたことを、二人でやれたことが嬉しいだけだ。

 

「長門さんが二十三回、私が十九回。完敗ですね」

「どうやって数えたんだ」

 

 驚く長門を尻目にして、大鳳の飛行甲板にレシプロ機が戻ってきた。いつの間に発艦していたのか。いや、クロスボウを構えていた記憶はないから、おそらく長門を探す時に飛ばしていたのだ。

 

「こういうのってきっちりしないと気が済まなくて」

「そういう性分は将来損するぞ」

「もう十分した後ですよ。丸腰で追いかけられたり、提督と喧嘩したり」

 

 前半は性分とは関係無いのではないだろうか。そんなツッコミは野暮に思えるくらい、大鳳の表情は明るく輝いていた。

 

「なので、これから得しようかと思います。今回の作戦、成功したら勲章ものですよ」

「……ああ、そうだな」

 

 楽天的な一言も、考え無しに言っている訳ではない。恐怖を呑み込もうとする勇気。最悪な未来を頭の中から追い出そうとして、明るい未来を思い描くのだ。ほんの数ヶ月で本当に強くなった。

 

「さあ、そろそろ戻るか」

「そうですよ。また提督の眉間にシワが寄っちゃうじゃないですか」

「あいつのアレは生まれつきだから気にしなくていいさ」

「うわひっどい」

 

 歩きながら、視線だけで後ろを見る。誰も居ない。しかし、そこに立ってくれているような気がした。

 

 大丈夫。また来るさ。

 

 唇だけ動かして、もう振り返らなかった。


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