「よし、準備は出来たな」
「ちょっと待てコラ」
森の葉も随分と枯れ落ちて、冬の兆しを感じさせる冷たい風が吹く。肌寒い気候にもかかわらず、長門は黒いTシャツにデニムとラフな格好だった。対照的に旭は厚手のシャツにカーディガンを着込んで、それでも少し震えている。どうにも寒がりなようだ。
大鳳はどっちともつかない、如何にも秋服といった厚さのブラウスを着ている。今の気温ならば、彼女の装いが最も自然だろう。この二人が両極端なのだ。
そんな大鳳を旭が指差す。
「なんでこいつまで居やがる」
「そろそろ、こいつもうちの鎮守府の一員として馴染んだ頃だと思ってな。いつまでも隠し通して置くわけにもいくまい」
「教えたところで何になる」
「教えないことが問題だと言ったんだ」
旭は語気を強くする。そこまでして知られたくないものがあるのか。今までの不機嫌な怒り方ではない。本気で、怒りを露わにしている。
だから、大鳳も引き返すことができなくなった。旭をここまでさせるものが何なのか知りたくなった。知らなければならないような気がした。
「私、留守番なんてするつもり有りませんから」
「大鳳もこう言っていることだし、諦めろ。いつまでも立ち竦んでいるんじゃない」
「クソッ、クソッ」
旭が何度も長門の足を蹴った。八つ当たりだ。全力が込められている足は、鈍い音を立てて跳ね返る。ひとしきり蹴り終えたあと、肩で息をしながら何も言わずに歩き出した。困惑する大鳳を他所に長門も続いて歩き出す。
「ぼうっとしていると置いていくぞ」
「あ、ちょっと、待ってくださいって!」
慌てて二人を追いかける。乾ききった枯葉がぱきりと音を立てた。森をくぐり抜ける。昔に舗道されたらしいアスファルトの上を慣れないスニーカーで歩いた。
鎮守府からこんなにも離れるのは初めてだ。海からはそう離れていないが、いったいどこへ向かうつもりなのだろうか。
少しずつ民家が見えてきた。大きな日本家屋があった。畑もある。今はもう何も無い地面だが、土を見ればなんとなく分かった。放棄されて荒れ果てたものばかりだった。人には全く会わなかった。既に死んだ村に思われた。
三人の間に言葉は無い。旭は俯いて、腹立たしそうに早足で歩き、長門は普段通りの凛とした振る舞いで後ろに続く。沈黙が苦しい。しかし、今の二人に話しかける度胸は無かった。そんなものがあったとして、それは度胸ではなく気の利かない阿呆だ。
曇り空が伸し掛かる。雨が降りそうに思えた。誰も傘を持ってきていない。
「見えてきたぞ」
長門が急に言った。自分に向けて言ったのだと少しして気付いた。目の前には、どちらかといえば鎮守府に似た、コンクリートの建物が見え始めていた。あの白い作りかけの雑居ビルみたいな建物が目的地だろう。
近くで見ると白い壁は所々ひび割れていた。もしかしたら鎮守府や、大鳳達の暮らす宿舎よりも古いかもしれない。しかし、あの幽霊屋敷のように棄てられた場所と比べれば遥かに生活感がある。入り口近くの看板には
旭がガラス張りの扉を開けた。からん、ころんと鈴の鳴る音がして、奥の部屋から壮年の男性がやってくる。白衣を着て、眼鏡をかけていた。医者という言葉の体現者であるかのようだ。内海、と書かれたネームプレートを首から下げていて、目の下には
「ああ、どうも久しぶりだ」目の下を擦りながら医者は言った。
「そちらのお嬢さんは噂に聞く新しい艦娘かな?」
「そんなことはどうでも良いだろ」
「全く、あばずれはいつもより機嫌が悪いようだ。そもそもお前には聞いてないよ。長門君に聞いたんだ」
話を振られた長門が頷く。大鳳も一歩前に出た。
「大鳳型一番艦、大鳳です」
「やめてくれ。僕は別に軍人なんかじゃないんだ。堅苦しい紹介なんてされても、肩身が狭くてしょうがない」
そうは言いながらも、ポケットからメモ帳を取り出してボールペンで書き足していく。大きなペンだこがあるのが見えた。きっとメモ魔なのだろう。
「僕は内海と言ってね、一応はここで医者をやっている。なんて、ここに来たんだから知っているとは思うが」
「いい加減通せって言ってんだよ」
「……気の短い女ほど面倒なものはないな」
口を挟む旭にやれやれと首を振った。
「さっさと行けばいい。最近は死人も運ばれてこないからな。こんなとこに来る酔狂なんて君達くらいのものだ」
僕は部屋に戻るから間違っても問題は起こさないでくれよ。そう言って内海は部屋へと戻っていった。てっきり案内をしてもらえるものだと思っていた大鳳は肩透かしにあった気分になる。二人はいつものことだとばかりに階段を登りだし、大鳳もそれに続く。
そこは一等広い病室だった。空きのベッドが三つあった。一つだけ、傍らに点滴の置かれたベッドがあった。白い患者服を着た女性がそこで寝ていた。微かに胸の辺りが上下していることで、生きているのだとなんとか分かった。眠っているというよりも、安らかに息絶えているように思えた。
ウェーブがかった栗色の髪。今でこそ青白く、痩せこけて頬骨も見えてしまっているが、健康なときには美人だったのだと良く分かる。
大鳳には見覚えがあった。つい最近、瞼の裏に焼き付けた姿だった。
「一ヶ月振りだな、足柄」
旭が彼女の手を優しく握った。苦しそうだった。
写真で見た、旭の親友であったという足柄がそこで寝ていた。写真で見たときよりも、少し大人びていた。髪も長くなっている。死人のような姿を差し引いても、昨日アルバムで見た人物とは別人に思えた。
旭の様子を黙って眺めていた長門が口を開いた。
「一ヶ月に一度。見舞いに来ているんだ。お前もそろそろ先輩に出会っておくべきだと思ってな」
「あの……足柄さんは」
「生きているよ。いつ目を覚ましてくれるのかは知らないが」
いつも五月蝿かったくせに、こういう時には静かになる。長門が悔しそうに独りごちる。
「私がこの鎮守府まで戻ってくる間、足柄がずっとここを守ってくれたんだ。とっくに限界を迎えていたというのに、痩せ我慢して。それで、生命維持艤装が限界を迎えた」
「それって、あの海戦の……」
「そうだ」
先の大海戦。壊滅した主力部隊とは別に、激しい攻撃を受けた各鎮守府も甚大な被害を出した。制圧された鎮守府も少なくなく、むしろこちらの方が現在の絶望的な状況に拍車をかけたのではないかと言われている。
第六泊地に残った艦娘の中で、一番練度が高かったのは足柄だった。それゆえに、残された低練度の艦娘を率いて出撃した彼女の負担は並大抵のものではない、と容易に想像がついた。
「
「そんな無茶苦茶な」
「無茶がたたったんだよ。内海先生のおかげで一命は取り留めたが、もう艤装はつけられないかもしれないな」
生命維持艤装は、使用者の生命を守る反面、大きな負担をかける。身を守る盾が一転して心臓を貫く矛に変わるのだ。対深海棲艦における最強の兵器とはそんな矛盾を孕んだものであった。
大鳳が足柄に近づく。顔をよく覗き込むと、なんだか自分に似ている気がした。姿形ではない。話を聞いている限りでは性格が自分と似ていたというわけでも無さそうだった。
むしろ、大鳳が重ねたのは、微かに寝息を立てる彼女と、自分の未来だった。いつかは自分もこうなってしまうのではないか、せり上がる恐怖を無理矢理飲み込んだ。
見舞いに来たと言っても、旭達にできることはほとんど無い。手を握り、声をかけてやることだけだ。それすらも効果があるか疑わしい。
「帰ろう」
しばらく無言のまま足柄の寝顔を眺めた後、長門は未練を断ち切るようにそう言った。反対する声は出なかった。
行きはよいよい、帰りは怖い。不気味な童謡と重ねるわけではないが、帰り道の雰囲気はずっと暗かった。
ぽつ、ぽつ、と雫が音を立てる。
「ふむ、早く戻ってしまおう。濡れると後々面倒だ」
「……そうだな」
長門の言葉に旭が同意する。少し早足になる中、大鳳だけがその場に留まった。二人が振り返る。
雨脚が強くなる。
「どうした? ずぶ濡れになるぞ」
「このままで、良いんですかね」
「何の話だ?」
とぼけないでください。大鳳は長門の手を払った。
誰かが地面を蹴る音がした。
「私達は、戦わなきゃならないんじゃないんですか」
拳の音が、鈍く、響いた。
*
海。真っ青な水面に立ち、長門はメランコリーな自分を戒めるように頬を叩いた。その傍らに大鳳は居ない。艤装にも燃料は補給されておらず、一人、何処か遠くへ向かうように水を蹴った。ゆっくりとした挙動で、さしたる目的もなく島を回る。
タービンの回る音がした。そちらに首を向けると、見慣れた赤袴が大袈裟に手を振りながらこちらに向かっているのが見えた。目を擦る。確か、今日やってくるなんて話はしていなかった。
「……来ちゃった」
「悪いが、今お前のテンションに付き合っていられる程、私も楽天家ではない」
冗談めかした赤城の言葉に、重苦しい言葉で返す。
赤城は笑顔のまま首を傾げた。はて、本当に偶然近くを通りかかっただけなのだが、どうやら厄介事に首を突っ込んでしまったらしい。あの長門が素直に弱音を吐くなど、普通ならあり得ない。
「どうかしました?」
「大鳳が地雷を踏み抜いた」
「地雷……? ああ」赤城は腑に落ちたと頷いた。
「怖いもの知らずは強いですね」
「それで旭と大喧嘩だ。二人共、昨日から顔を合わせていない」
「昨日からって、本当にタイムリーな話題じゃないですか。詳しく聞いても?」
長門は首を縦に振った。そうして、話し始める。
「打って出ましょう」と大鳳は言った。
その言葉が意味するのは即ち、危険極まりない外洋に足を踏み入れようということ。意気揚々と値千金の艤装を持って、地獄への片道切符を買おうということ。
長門と、大鳳。戦艦と空母と言えば大戦力にも思えるが、たった二人だけだ。二人だけで何が出来るのか。日本近海こそ、鬼・姫級は生存していないものの、安寧の海から一歩を踏み出せば、そこには死のみが待っている世界だ。自殺と同じだ。二人の身を案じていればこそ、旭が彼女を殴りつけたのも当然と言える。
「ところが、あいつは折れなかった」
雨の中、泥まみれになりながら、擦り傷だらけになりながら彼女は吠えた。そうなれば二人はもはや退かない。
片方が悪いというわけでは無かった。自分から死へ向かうか、緩やかに死んでいくか。辿り着く結末は同じだ。ただ、過程が違うだけで、それが何よりも大きなことで。
天辺から違う意見をぶつけ合えば、どちらか、或いは両方が傷付くのは必定。
「最終的には私が二人共ぶん殴って引きずって帰ったんだが」
「長門さんってそういうとこザ・長門って感じですよね」
「どういう意味だ」
「ご想像のままに」
赤城は何も無い方向を見て、弓を引き絞った。放たれる矢、そして轟音。長門には全く知覚できなかった。全てお見通しと言わんばかりの柔らかなポーカーフェイスに、僅かな引っ掛かりを覚える。
まさか。
「あの男はここまで予想済みだったのか」
「それは無いですね、ええ、絶対に」
即答だった。
「期待していなかったと言えばたぶん、嘘になるんでしょうけど」
「言い切った割には随分と曖昧だな」
「私も提督とは長いものですから、あの人の考えてることはそれなりに分かるんですよ」
弓を背負い直す。もう周りに深海棲艦はいないのだろうか。
「大鳳さんをそちらに流したのは、単純な戦力増強も、
「元に、か」
長門にも赤城の言いたいことは分かった。
「確かに、あれ以来あいつは殻に閉じこもっている所があったからな」
水部釣旭という人間は、昔からああも悲観的で、癇癪持ちだった訳ではない。多少短気ではあったかもしれないが、快活で、社交性の高い人間だった。
「昔の旭さんって、むしろ出撃には積極的でしたよね」
「なんだかんだ言ったって根っからの軍人なんだよ」
市民を守るのが軍人の義務であり、本懐だ。旭がかつてよく言っていた言葉を思い出す。
「だけど、軍人だって市民の一人だ」
「なんです?」
「いや、なんでもない」
その先に続けていた言葉。陸奥に対してよく言っていた台詞が口をついて出た。赤城が聞き返すも、長門は手を払って誤魔化す。この言葉を話すには陸奥のことを思い出さなければならない。それは、少なくとも今は、お互いの傷口に塩を塗ることにしかならない。
「それで、期待していたというのは」
「仲間が増えれば、旭さんも自身を取り戻してくれるんじゃないかって、そう思ってたみたいですよ。でも、それはあくまで旭さんから自主的に、ってつもりだった」
「献身的なことだな。結果としてはそうなったが、まさか」
「ええ、まさか大鳳さんから口火を切るとは考えてもなかったでしょう」
「ホトケさんにも分からないことがあるとはな」
「あの人煩悩だらけで別に悟ってもないですし」
誰も彼も、あの人を万能だと考え過ぎなんですよ、と誰よりも長く隣に居た秘書官がくすくすと手で口を覆った。言われてみればそうかも知れない、と思った。何を為すにも裏に三つ四つ理由が隠れている、なんて深読みのし過ぎだ。
「ところで、長門さんはどうするんですか?」
「どうするって」
長門は眉を顰めた。
「どういうことだ」
「二人だけでどうにかなる問題じゃないですよね。長門さんはどっち側につくのかなー、って。やっぱり大鳳さん側ですか」
「なんだ、そんな話か」
水面が揺れる。タタッ、タタッと小気味良いリズムで波紋が生まれた。そして浮かび上がる駆逐イ級の遺体。赤城がニヤリと笑う。分かってて無視していたな、と少しだけ腹が立った。
「私は、どちら側にも立たないよ。そもそも、私は人に聞かせられるような意見など持っていないからな」
ただ、と続ける。
「馬鹿みたいな作戦であったなら殴り飛ばすがな」
「……それでこそ、長門さんですね」
赤城は満足げにサムズアップした。それから踵を返そうとして、足元を見た。耳に手を当てる。顔が驚いた顔から、決まり悪そうな顔に変わっていく。
「あのー」
赤城の言いたいことが何か分かった長門は、これでどうして希望なんだと呆れ顔で首を振った。
「燃料足りなさそうなんで補給させてください」
「利息十一で請け負おう」
*
嗚咽。込み上げるものはない。朝食の中身などとうの昔に吐き捨ててしまった。ただ酸っぱくて気持ちの悪い胃液をトイレに流すことしかできない。
これで何度目だろうか。悪夢と、吐き気と、いつかのフラッシュバック。原因など分かっている。あの怖いもの知らずの大馬鹿のせいだ。
よろめきながら、どうにか執務室まで辿り着く。倒れ込むように椅子に座ると、嫌な音がした。何年も使ってガタが来始めているのかもしれないな、と回らない頭で思った。
手の甲を額に当てる。たぶん、熱は出ていない。そうに決まっている。雨の中転げ回ったって、食べた物をすぐさま吐いて戻したって、体を壊したわけじゃないと、そう思い込んでいる。
頭の中で、ずっと、声が反響していた。
────私達は、廃棄処分を待つ兵器じゃ無い!
肩が跳ねる。それは震えると言った方が正しかった。幾つも着込んでいるというのに寒気がした。風は吹いていないというのに。
いずれ現実を知ると思っていた。馬鹿な考えは諦めると思っていた。或いは旭から殴りかかった時点で理解すると。どれにもならなかった。殴り飛ばされたって、地面に叩きつけられたって、人間相手に手も足も出なくたって大鳳は意見を撤回することは無かった。それが癇に障って、あらゆる血管が充実したような閉塞感を感じた。長門が止めに入らなければ、あんなものでは済まなかったかもしれない。どうして、あんなにも腹が立ったのか。
兵器じゃない。そんなこと、陸奥に何度も言ったものだ。あいつはどうにも認めなかったけれど、私は理解していたつもりだ。
旭は誰も居ないのに、壁に向かって話し続ける。
そんな当たり前のことを、どうしてあんな世間知らずに言われなければならない。殺したくないから、死なせたくないから。こうして慎ましくしていたのではないか。
そうやって、必死に言い訳を探すが、心の中では分かっていた。
「分かってねえのは、アタシの方かよ」
瞼の裏がやけに明るく見えた。暗闇に逃げたいのに、どこにも行けなかった。諦めていた。ここで終わりだと。
大鳳の言い分に納得したわけではない。けして、何も知らない小娘の言う事を真に受けたわけではない。彼女の言っていることは画用紙にクレヨンで描いた絵のようなものだ。具体性も何もない。
だけど、自分がそう思っているのだと気付いてしまった以上、目を背けるわけにはいかなかった。
震える手で端末を取り出した。掛ける相手は決まっていた。数回のコール音。もしもし、と外行きの声が聞こえた。
「よう、弥勒」
「……名前を呼ばれるなんて久しぶりだね。どうしたんだい?」
「アタシが抱かせてやるっつったら幾ら出す?」
「……は?」
電話の向こうで弥勒が息を呑んだ。
くくく、とおかしくなってくる。こんなことを言い出すなんてどうにも焼きが回ったもんだと、自嘲気味に笑う。
「冗談だよ。ものの例えって言ってもイイけど」
「どういうことかな」
「ちょっと色々入り用になってね。どうしたら元帥様はお恵みをくれるのかなって、そんな与太話だよ」
「酔っ払っているのか、それとも熱でもあるのかな」
「そっちは冗談じゃねえよ」
足を曲げて椅子の上に載せた。体育座りになって、体を丸める。
「大規模作戦とやらを起こしてやろうかと思ってさ」
「……どういう風の吹き回しか知らないけれど、部下の進言を無下にする程、狭量な男に見えるかい?」
「そいつぁ嬉しいね」
「君のことだ、何か考えがあるんだろう。出来るだけ支援するよ」
だから。弥勒の声から感情が消えた。
「冗談でもあんなこと言うな」
或いは、その一言は大鳳の叫びよりも心臓を深く抉ったかもしれない。士官学校の頃からつるんでいた筈なのに、この男の怒りを初めて見たのだと本能的に分かった。いつも薄っぺらな笑顔を貼り付けていた男の、隠しもしない本性をぶつけられたのだと。
初めて知った。こんなにも人らしい奴だったのかと。
「なんだよ、そんなに怒ることでもないだろ」
「怒ることさ。いや、怒るしかないさ」
少しずつ、感情が声と交わり始めていた。
「出来るだけの支援はすると言った。だけど、少なくとも自分のことを大切に思えない奴に掛ける情けは無い」
悪かったって、なんて旭の言葉は聞いていない。
「俺達は軍人だ。市民を守るのが、仕事だ。深海棲艦を倒すのはそのオマケでしかない。それを忘れたわけじゃないだろう」
「それは」
「ああ……うん、少し取り乱したようだ。話を戻そう」
自分が感情的になっていると気付いて、弥勒は咳払いをして息を整えた。いっときの激情をすぐに冷ますことのできる、苦しくも強い、上に立つものとしての才覚が彼にはある。
「入り用だと言ったけれど、具体的に何が必要なんだい」
「あ、ああ」
弥勒の剣幕に呑まれていた旭も、つられて冷静になった。
「一つは資源とバケツだな。燃料はともかく、弾薬とボーキサイトはどうやっても足らねえ」
「そちらはどうにでもなるね。君だってこっそり溜め込んでるだろう?」
「やっぱり知ってやがったか」
まあね、とすっかり元の調子を取り戻した弥勒が冗談めかして笑う。赤城の性格が移ったようにそっくりだった。
「さて、一つと言った。じゃあ、二つ目は? 艦娘をもっと、ってのは流石に難しいけれど」
「んな絵空事ハナから期待してねえよ」
旭が足を伸ばした。ちょっとずつ調子を取り戻してきていた。窓から差し込む光が明るくて目を閉じる。少しだけ楽になった。
「あの馬鹿をしばらくそっちに預けたい」
「えー、っと大鳳ちゃんを? ああ、鍛えてくれってことか」
「こちとら二人でなんとか回さなきゃならねえんだ。あれにはそれこそ赤城超えでもしてもらわねえと困る」
「なるほど、なるほど。研修扱いにでもしておこうか。そんなところかな」
「今んとこ思いつくのはな」
「それじゃあ、頑張ってくれよ」
「待った」
電話を切ろうとするその刹那、旭が呼び止める。
「なに?」
「いや……イイ男だなって少し見直した」
「……そりゃどうも」
最後の言葉を少し照れくさそうに言っていたことに、旭は気が付かなかった。彼女の意識は既に次に向かっていた。
椅子から立ち上がる。少し足が痺れていた。よく考えたら熱が出ているかもしれない。立ち眩みがして壁に手をついた。それでもさっきに比べれば遥かにマシな痛みだった。
廊下の手すりを支えにして歩く。向かう先は艦娘達が住んでいた宿舎。あの出来事から、けして立ち寄らなかった場所。
どう声を掛ければ良いのだろう。恥ずかしさもあって上手く言葉が頭の中で纏まらない。ふと、廊下の窓から外を見た。大鳳が艦載機を飛ばしているのが見えた。宿舎にいると思ったのに、全く、勝手に資源食いやがって。普段なら嫌味を言うところだが、今だけはどうにも口元が緩んだ。
本館を出て、ぐるりと裏側、海の方へと向かう。何度か転びそうになった。そういえば長門はどこに居るのだろう。今日はまだ見ていない。彼女のことだから心配はいらないと思うが、なんとなく心細い。
岸に出る。大鳳が旭に気付いた。気まずいような、怒りをこらえているような、苦い顔をしながら近付いてくる。
あ、と他人事の声が聞こえた。自分の声だった。視界が揺れて、体が前に引っ張られる。深い、夕焼けに彩られているのに海だと分かるような、沈んだら二度と浮き上がってこられないと思わせる赤。
「ちょっと、提督!?」
浮遊感が止まる。大鳳の髪の毛が鼻を擽った。自分が海に落ちかけていたのだとようやく分かった。
全く、自分で自分が情けないと思う。弥勒と話していた時には、もっと意識ははっきりしていたはずなのに。
「あっつ……! 凄い熱じゃない!」
「や……っぱり?」
気が遠のいていく。疲れた、眠い、熱い。だけど、伝えなければならない。今でなければ、ちゃんと口にできない気がした。
「なあ大鳳」
「え、なんですか。とにかく早く医者に」
「アタシに、恥かかせんなよ……」
素直には言えない。だけど、素直に言いたい。
「やれるってんなら結果で黙らせてみろ……!」
ああ、言い切ることができた。小さな達成感と共に旭の意識は落ちていった。