むー   作:溶けた氷砂糖

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吹雪

 冷たい。寒い。身体が重い。ここは何処だ。目が開かない。暗い。暗いくらいくらい。

 光が見えない。光が欲しい。真っ暗闇では駄目だ。真っ暗闇は違う。居るべき場所じゃない。

 

 だってだってだって。

 

 光が見えない。身体が動かない。冷たくて、生暖かい何かが肌にまとわりついてくるようだ。血がどんどん、末端から中枢へ、目の奥へ、海の底(ノウミソ)へ落ちていく。

 

 沈んでいる。沈んでいる。水の中に。帰るべき場所に。

 

 帰るべき場所? 違う。絶対に違う。

 

 でも、もう戦わなくていい。あんな苦しい場所に居なくて良い。貝になって、水底に沈んで、波一つない平穏の中で。何も言わず眠れたなら、そんなに嬉しいことはない。

 

 沈んでいく。沈んでいく。大切なことを忘れている気がする。

 

 何を? 思い出さないならそれで良いじゃないか。怖がることはない。受け入れれば良い。

 

 誰かが囁いている。誰の声だ。低い声。男の声。聞いたことがある声だ。

 

 違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違う!

 

 あの人はそんなこと言わない。きっと、言わない。誰だか覚えてないけれど。残酷な人ではない。思い出さなければ。誰だ。誰の声なのだ。

 

 沈んでいく。沈んでいく。嫌だ。沈みたくない。

 

 身体が重い。まとわりつく水が重い。ぐっと腕を伸ばしただけで千切れてしまいそうだ。

 

 辛い。塩水か。海か。海だ。

 

 頭にかかっていた暗雲が晴れ渡っていくような気がする。海の中だ。私が居るべきなのは海の上だ。

 

 あれ、おかしいな。何かが違う気がする。

 

 沈んでいるのか。さっきまでは浮かんでいたのか。自分から底へ底へと進んでいるようだ。

 

 息が苦しい。また曇り空だ。こんな空じゃ暗くて駄目だ。嫌だ。

 

 死にたくない────

 

 

 

 

 

 

「では、そろそろ」

『うん、気を付けて』

 

 いつも通りの会話で通信を切る。持ち運びに便利な小型端末スイッチを落として、懐に仕舞えばそこから先は戦場だ。

 

「作戦海域に入ります。二人共、より一層の注意をしてください」

 

 日が天井から西へ傾き始めた頃、太平洋に比べれば少し波の強い海を三人が掛けていく。薄紅の着物。藍色の袴。先頭を行くのは軽空母鳳翔だ。続けて駆逐艦夕立、殿に戦艦比叡が続く。第二泊地の全戦力が走る。

 

「こんな所を走るのって初めてっぽい?」

「私は何処だって初めてです!」

 

 確かに彼女達がこの海域に足を踏み入れたのは初めてだ。そもそもめったに近海を離れない第二泊地の面々にとっては、殆ど全ての海域は未踏の海になる。

 

「潮風が気持ち良いー」

 

 夕立が目を閉じてくるくるとその場で回る。重要な作戦にも関わらず、いつも通り何処か抜けた雰囲気の二人に頭痛がした。普段の出撃ならばそこまで気にしないというのに。最近、なんだかカリカリしている。鳳翔は頬を叩いた。恭介にすら気付かれるなんて、弛んでいる証拠だ。

 しっかりしろ。私は鳳翔。私は艦娘。私は兵器。

 

「この海域の調査をするのが私達の任務ですから、当然初めてですよ」

 

 防水加工した地図を広げて、後ろの二人に現在地を伝える。彼女達は、東シナ海を抜けて、南シナ海へ入ったところだ。南西諸島方面の奪回。その偵察部隊として彼女達は来ていた。

 第一目標は、東南アジアの島々を索敵、調査し、新たな泊地が建てられそうな場所を見つけることだ。作戦決行のための簡易拠点、ひいてはこの海域における鎮守府として、修復液の湧き出すポイントを見つけるのが最重要課題だった。

 頭の中に入っている知識の中から、恭介に言われたことを思い出す。おそらくは誰かからの受け売りだろう。白痴が建設できる可能性の高い地域の情報。

 

 タウイタウイ、ブルネイ、リンガ。今回の出撃ではこの三箇所を調べる予定だ。

 

「もし、姫が来ちゃったらどうするっぽい?」

 

 夕立の疑問に鳳翔は即答する。

 

「その場合は出来る限り交戦し、情報を持ち帰ります」

 

 未だ謎の多い南西諸島を支配下に置く深海棲艦の詳細を調べるのももう一つの役目。危ないから無理しなくて良いと言われたが、後ろを征くだろう艦娘達のために尻尾を巻いて逃げる訳には行かないと思った。

 もし大本営のデータベースに存在するタイプであったならば、これ程有意義な情報は無い。もし誰も見知らぬ姿をしていたならば、これ程貴重な情報は無い。

 

「気をつけて」

 

 出撃前に恭介に言われた言葉が思い出される。いつも飽きることもなく彼が言う言葉。今日だけはどうも引っかかるものを感じたが、心配することはない。

 

 今までずっと隠れ忍んでいるような存在だ。たった三人の小さな部隊相手にむざむざ姿を現したりはしまい。そんな油断が彼女の中にあった。

 

 ピクと、たとえるならば釣り針に魚が引っかかったような感覚が鳳翔の全身を駆け巡る。

 

「八時の方向に敵影アリ! 戦闘準備!」

「了解っぽい!」

「分かりましたぁ!」

 

 指示を飛ばすと、即座に二人が反応する。油断が無いことを確かめて、偵察機からの詳しい報告を待った。

 

 一隻だけ。見たことが無い。白い別嬪さん。こっちに向かってる。気付いてはなさそう。

 

 見たことが無い、つまりデータベースに存在しない深海棲艦だという。まさか本当に姫級が、とも思ったが、こんな不用意に姿を表すこともないだろうと考えてしまった。姫級ならば、こちらの偵察機に気付かない筈が無いという考えもあった。

 

 ふう、と息を整える。

 

 兎にも角にも、新型であることに変わりない。夕立と比叡に警戒を強めるよう命令しつつ、自分は先制攻撃のために弓を引く。弱い深海棲艦ならば一息に沈める。強くとも、爆撃を直に食らって無事ではいられないだろう。

 

 弓返しの勢いと共に艦載機が具現化され、飛び立つ。単純な練度で言えばあの赤城の部隊すら上回る航空隊が一糸乱れぬ編隊を組んで飛んでいく。敵が反撃する様子は無い。遠くから聞こえる爆撃の音を、鳳翔は次の手を探す合図にする。

 

 異変が起こったのはそこからだ。

 

「敵艦損傷見られず! 敵艦損傷見られず!」

 

 妖精からの報告に耳を疑う。全部躱したというのならまだ分かる。長門や赤城のような、不意の爆撃にも対応する艦娘だって居るのだ。深海棲艦にもそれだけやってのける者が居てもおかしくない。

 だが、直撃して無傷とはどういうことだ。とても軍艦の装甲とは思えず、船ではなく、もっと大きな相手を敵に回しているような錯覚に陥りかけた。それだけ、信じられない出来事だった。

 

 新型か姫級かなど関係ない。この敵は危険だ。

 

 危険だからこそ、情報が必要だ。この場で逃げて、不明瞭な報告をしては海軍の名折れだ。

 

「夕立さん、比叡さん。敵は爆撃の効かない新型です。慎重に立ち回りましょう」

「はい!」

 

 比叡が勢い良く返事をする。夕立は爆撃機の飛んでいった方向を見据えて、艤装を動かした。

 

「とりあえず、魚雷撃ってみるわ!」

 

 まだ間合いとしては若干遠い。当たれば重畳、当たらなくても牽制代わりにはなる。三連装の魚雷発射管から飛沫を上げて飛んでいくそれを見送って、比叡も艤装の展開を開始した。

 

 目視でぎりぎり確認できる距離まで近付いていた。妖精の適当な報告より正確に、敵の姿を観察出来る。

 

 何より特徴的なのは、額からそそり立つ一本角だろう。黒に二つ白線が巻かれた角は、動物の域を超えているように思えた。まるで、おとぎ話に出てくる鬼だ。金棒の代わりに機械的で猛禽類を模した鉤爪を両手に嵌めている。艦載機を飛ばすのは確認できていないが、艤装に甲板があるということは航空戦にも対応できるのだろう。砲門もあり、遠近中、どの距離からでもその圧倒的な暴力を振り回せる作りだ。

 

 読めない。鳳翔は歯噛みした。艦種が全く分からない。見た目だけならば航空戦艦に近しいものに思えるが、戦艦とはまた違う気がする。何より、爆撃を受けて無傷の意味が分からない。砲撃に特化せず、対空にも特化せず。雷撃など興味も無いだろう。器用貧乏というよりは、全て内包しているかのような威圧感。

 

 三本の白線を描く。魚雷は敵の目の前まで迫っているというのに、ソレは身動き一つしない。

 

 爆砕音。魚雷三本のうち一つが敵の体に衝突し爆発する。本来船にとって魚雷は砲撃よりも危惧するべき脅威だ。爆風に当てられただけならまだしも、直接当たれば浸水は免れない。

 それなのに、敵の深海棲艦は止まる様子がない。爆撃だけに留まらず、雷撃すら被害を与えられない。

 

 そうなれば、他に残されているのは砲弾で、物理的に押し潰すことだけだ。

 

「撃ちます! 当たってぇ!」

 

 比叡が叫びながら砲門を開く。金剛型のような高速戦艦の艤装は、大和型や長門型に比べれば頼りなく見える。速度の代わりに犠牲にした部分とも言えるだろう。それでも戦艦として十分以上の破壊力がある。魚雷と同様に、当たれば如何に頑強な船と言えどただでは済まない。

 

「……クルナ」

 

 敵の深海棲艦は無造作に腕を振り上げる。改造されたかのような大きな鉤爪。悪魔をすら思わせる巨大な爪が砲弾を貫く。鉄の塊である筈のそれが、ひどく柔らかなスポンジに思えた。ビーズに紐を通したようにくっきりと穴が空いた鉄球。腕を振り抜くと、水辺線の彼方へと砕かれた破片が飛んでいく。

 

 爆撃、魚雷、砲撃。その全てを意に介さず力で捻じ伏せた。鳳翔は珍しく舌打ちする。判断を間違えた。即座に撤退するべきだった。

 今更手遅れだったかもしれないが、鳳翔は慌てて通信を試みる。ずっと待ち続けていたのだろう。恭介への通信はすぐに繋がった。時間としてもまだ撤退には早い筈、それが分かっているからこそ、出てきた彼の声も緊張を滲ませていた。

 

『どうしたの?』

「敵新型に遭遇! 爆撃も雷撃もまともに効きません」

『何それ!? すぐに撤退して! 報告は帰ってきてから聞くから』

「了解!」

 

 撤退を決める時の恭介の判断は早い。

 

「夕立さん、比叡さん! 撤退します。コレは私達の手に余る!」

 

 慌てて転舵しようとする。向かう先は南東、オーストラリア方面の小島。陸地を無視するという深海棲艦の性質を利用してやり過ごすつもりだった。

 

「シズメ……」

 

 こちらを見向きもしないまま、片手間に砲塔を向ける。乱雑な狙い。敵とも認識していないのだろう。ただうるさい小蝿を追い払う程度の動きだろう。不運なことに、鳳翔達が一時的に逃げようとした場所は、どうやら敵の針路上だったらしい。

 

 逃げるにはもう、手遅れだ。

 

「提督……」

 

 最後の一瞬、鳳翔は恭介に何か言おうとした。しかし、何か言う間すらなく、彼女達は砲撃によって水飛沫の中に消えていった。

 

『鳳翔さん!? 鳳翔さん! ぽいぬ! 比叡!』

 

 声を枯らしている叫ぶ恭介の言葉は、海の波に飲み込まれて、誰にも聞こえないまま沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

「ねえビス。ふと思ったんだけど聞いて」

 

 第六泊地にある図書館で、文庫本を読んでいた大鳳が突然口にした。

 

「いきなり何よ」

 

 向かいの席に座って漫画を読んでいたビスマルクが返す。その隣に日独辞典が置いてあるのは、活字を読むことまでは妖精のサポート対象外だということだろう。報告書も日本語で作成されてしまうために、自分で作った報告書も読めない。とはいえ、それは着任当初の話で、今ではそれなりに日本語も読めるようになっている。主に大鳳が献身的に教えたおかげだ。ついでに大鳳もドイツ語をビスマルクから学んでいる。

 

 そんな訳で、念のために横に置いていた辞典の助けを借りずに漫画を読んでいたビスマルクはソレを閉じた。こういう話になったときの大鳳はしつこい。

 

「南西諸島に姫って居ないんじゃないかって思うのよ」

「本当に突然ね」

 

 少なくとも大本営は南西諸島を支配する存在が居ると睨んでいる。居ないと想定するよりも、居ると思って動いた方が事故は起こりにくい。そういう事もあるのだろう。実際、佐世保に調査を命じているのだから、念を入れている。

 

 しかし、大鳳はどうにも違和感を覚えるのだ。

 

「どうしてそう思ったの?」

 

 こういう時、旭は適当な言葉で誤魔化すだろうか。長門は、気にすることはないと言って宥めるだろうか。あの二人は、人の話をよく聞くようで、自分のことで手一杯だ。提督という立ち位置、秘書艦という立ち位置。自分には想像もつかない苦労があるのだろう。

 良くも悪くもビスマルクにはそれがない。大鳳自身や阿賀野と同じように、あくまでも一隻の艦でしかない。だからこんな話ができるのだ。わざわざ聞き返してくれる。

 

「前に一回だけ、南西の方に出撃したことがあるの」

 

 南方棲鬼撃破の大博打に打って出る直前、作戦をより確実にするために南西諸島を偵察したことがある。スルーしかないと旭は言ったが、万が一横槍を入れられないために探索したのだ。ついでにいざという時に泊地として使えそうな場所も探していて、第二泊地に送ったデータはその時のものだ。

 

「何か変なことでもあった?」

「ううん、その時は何も無いわ」

 

 普段近海に出撃しているのと殆ど変わらなかった。むしろ作戦前で気分が高揚していて、態度は大きくなっていた頃だ。姫級や鬼級の深海棲艦を発見することもなかったし、結果として、近くを通り抜けるだけなら安全だという結論に至っていた。

 

「あれ、って思ったのは南方に出撃した時よ」

 

 その地点が、地図の上でどの辺りだったのかまでは定かではない。ただ、一歩足を踏み入れた途端にこちらを圧し潰そうとする重圧と言うべきか、足元にまとわりつく粘ついた狂気と言うべきか。ここは他の海域とは違う、と本能で感じ取ったのだ。

 最初は緊張しているせいだと思った。今でも、南方棲鬼との戦闘を予期していたから感じていたのだと思う。

 

「つまり、その感覚が南西諸島に無いのがおかしいと」

「うん」

 

 顔も知らない距離で、姿を見たこともないのに感じ取れたあの感覚が、南西に出撃した時には欠片も感じられなかった。その事を、急に思い出したのである。それは果たして敵が隠遁するのが上手いというだけの話なのだろうか、と疑問に思ったのである。

 

「私は姫級に出くわしたことが無いから何とも言えないけれど」

 

 ビスマルクはまた漫画を読み始める。あと数ページ、読み終えておいた方が賢明だ。

 

「それだと長門が気付かないのは不思議よね」

「そうなのよねえ」

 

 長門は南方棲鬼だけではなく、かつて日本近海を掌握していた泊地棲姫とも戦った長門なら、とっくに同じことを感じていてもおかしくない。実戦経験の差を考えてみても、大鳳の勘違いだと片付けてしまう方が当然であった。

 

「そういえばその長門さんは?」

「Admiralと昼過ぎから出掛けていったわ。日暮れには戻るって言ってたけど」

「あー」

 

 大鳳は自分も文庫本を読み直し始める。あの二人はおそらく足柄の所に行ったのだろう。ビスマルクや阿賀野にも教えていいような気もするのだが、彼女達は、というより旭が頑として譲らない。長門もそれで良いだろうと特に気にしていないので、第三者の大鳳が好きに言えた事ではないが、隠し事をしているようで何処か後ろめたい。

 

「あの二人、私達に何を隠してるのかしらね。今度こっそり後をつけてみない?」

「やめときなさいよ。どうせ長門さんに見つかってお説教コースよ」

「なんで説教されなきゃいけないのよ」

「だって提督はともかく、長門さんが教えようとしないのよ」

 

 それは、今は知らない方がいいってことよ。

 

 ビスマルクは納得のいかない顔で、目を合わせずに言い放つ大鳳をじっとりと睨む。

 

「大鳳、もしかして何か知ってるんじゃないの?」

「……ノーコメントよ」

「やっぱり知ってるのね」

「ビス」

 

 また本を閉じる。図書館だというのに二人共読書に集中できていない。

 

「私がさっき言ったこと聞いてなかったの」

「むう、分かったわよ」

 

 あーあ、と嘆きながら上体を逸らす。少しバランスを崩せば頭から床に叩きつけられそうな危険な体勢だが、流石ビスマルクというべきか、全く危なさを感じない。万が一頭を打ったとしても生命維持艤装をつけた艦娘なら気絶するくらいのものだろう。

 

 ぐーっと視線を向けると、机の上に突っ伏して眠っている阿賀野が目に入った。むにゃむにゃと言葉にならない寝言を立てて気持ち良さそうに夢の世界に旅立っている。

 

「あれ、阿賀野居たんだ」

「私達一緒に来てたでしょうが」

「そうだけどね」

 

 今日は二人掛かりで阿賀野の訓練をしていたのだった。ノルマを倍に増やして追い立てたのだから、眠っていることくらいは大目に見ようと二人の間で意見が一致する。日向は阿賀野の訓練に参加した上で今もまだ走っているのだが、あれは戦艦の馬力がなせる技だとしておこう。

 

「それにしても、阿賀野は色々勿体無い気がするわ」

「本当にねえ」

 

 南西諸島の話も続かず、旭と長門の話も禁止。読書に集中もできないとなれば、自然と話は出てきた阿賀野の方に向かう。

 

「怠け癖さえどうにかなれば、一気に化ける気がするんだけどね」

「反応は良いのよ、反応は」

 

 真面目な長門、強さに貪欲な大鳳、二人に追いつこうと必死なビスマルクにそれをさらに追い掛ける日向。多少の違いこそあれど、彼女達は訓練や切磋琢磨というものに常に真剣に取り組んできた。艦娘だとか兵器だとか、そういう無粋なものを取り払っても、彼女達の熱意は欠片として霞むことがないだろう。

 

 オンオフのスイッチをしっかり切り替えているとは言え、ワーカホリックじみた彼女達からすれば阿賀野は怠けているように見えるのかもしれない。旭からみればちょっと不真面目、くらいのものなのだが。

 

 そんな訳で、着任時期もあり他の艦娘と比べて実力はワンランク劣る阿賀野だが、大鳳達は思いの外彼女を高く評価していた。砲撃の精度も艤装の扱いもまだまだだが、時折こちらもヒヤリとするような鋭い動きを見せることがある。

 

 センスだけなら赤城に近い天才型。大鳳の評価はそのようなものだった。

 

「てめえら揃ってこんなとこに居やがったか」

 

 図書館のドアが勢い良く開かれる。私服のままの旭が、二人の居る机の前までやってきた。何処かピリピリとして、機嫌が悪そうだ。

 

「リラックス中悪いんだが、緊急事態だ」

「どうしたんです」

 

 並々ならぬ雰囲気に大鳳の声のトーンが落ちる。気持ち良さそうに眠っていた阿賀野も不穏な空気を察して目を擦りながら顔を上げた。

 

 そして、旭が口を開く。

 

「第二泊地が全滅した」

 

 

 

 

 

 

「大鳳に、えーとビスマルクと阿賀野かな?」

「これで全員揃ったってことだな」

 

 通信が途絶えたと思われる地点へ向かう中、第一泊地の艦娘と合流する。第一からは川内と天龍が、第六からは大鳳、ビスマルク、阿賀野の三人が。

 

「そっちは赤城さんが?」

「ああ、赤城と摩耶が向かった」

 

 恭介からのSOSを受け取ってすぐに、弥勒と旭は連絡を取り合って部隊を二つに分けた。一つは長門、日向に赤城、摩耶という主力部隊で、第二泊地が交戦したという新型の深海棲艦の動向を探るための部隊。

 

 もう一つは大鳳達、第二泊地の痕跡を探す部隊だ。通信の切れ方からして、生きている保証はどこにもない。せめて遺物の一つでも残っていれば。そんな淡い期待だ。

 

「生きてますよ」

 

 大鳳は言った。

 

 「そうでなかったら、わざわざ私達を出撃させません」

 

 本当にそう信じているというよりも信じていたい、そんな悲壮な話し方だった。彼女の言葉を否定する無粋な者はここには居ない。誰だって、生きていてほしいと願っているのだ。先の大海戦以前から肩を並べていた川内や天龍の気持ちはもしかしたら大鳳よりも強いかもしれない。

 

「でも、鳳翔さんや夕立が逃げ遅れるような相手か」

「鬼や姫かもしれない、って言ってたわね」

 

 天龍の言葉をビスマルクが補足する。データに無い外見、こちら側の攻撃を軽々といなしてしまう実力。戦艦レ級の上位互換かと疑ってしまう程だ。

 

『赤城達の部隊が例の奴と思われる深海棲艦を発見した。既に南西を抜けて南方に入っている様だ』

 

 全員のインカムに弥勒の声が届く。分けた部隊の内、主力部隊を旭が、こちらの救援部隊を弥勒が指揮しているのだ。泊地で分けるのではなく、求められる能力で部隊を分ける。提督間の信頼が厚い佐世保鎮守府だからこそ出来る采配であった。

 

「南方ってことはココの主じゃないってこと?」

『何とも言えないが、その可能性はあるだろうね』

「じゃあ、南西にはまだ姫が居るかもしれねえって訳か」

 

 やってらんねえな、と天龍は吐き捨てる。頼りになる赤城と長門は向こう側。もし、南西諸島方面を根城にする深海棲艦が他に居たとして、例の新型に触発されていたりでもすれば。ミイラ取りがミイラになりかねない。

 

「探すと言っても何処を探すの? 潜水艦じゃないし海の中じゃ阿賀野達どうしようもないよ?」

「海の中はイクに任せるのね」

「うひゃう!?」

 

 水中から突然聞こえた声、急に現れた姿に阿賀野が悲鳴を上げる。

 

「イクさんも来てたんですか」

「ドッキリ大成功なのねー」

 

 重苦しい雰囲気をぶち壊すようにピースサインをして笑うスクール水着を着た少女。海軍全体を見渡しても今では三人しか居ない潜水艦の一人、伊19だ。普段は出撃の少ない彼女が顔を見せていることからも、弥勒が事を重大に感じていることが窺える。

 

「海中はイクが捜索するのね。気にしなくて良いわ」

「そうなると私達は海上ですね……生きているのなら」

 

 大鳳は辺りを見渡す。海とキャンバスに落ちた黒い絵の具のように、遠目に島々が見える。海を走ることができるのならとっくに帰還している筈。

 

「島荒らしかあ。五十鈴来なくて正解だったね」

「あいつ虫とか雑草とか駄目だからな」

『無理はしないでくれよ』

「分かってるって」

 

 姫や鬼を抜きにしても敵の領域であるこの近辺は深海棲艦の動きが活発だ。現に、大鳳が放った偵察機は敵の一団を発見している。

 

「これ以上暗くなったら飛ばせませんから、気を付けてくださいね」

「分かってるって。じゃあ普段とは違うけれど、艦隊旗艦として命令します」

 

 一番練度の高い川内がこの場を仕切る。

 

「私と天龍、阿賀野は近海の警戒。大鳳とビスマルクにはそれぞれ島に上陸して捜索してもらいます。絶対に孤立しないこと」

「イクはー?」

「イクはまあ、好きにやって」

「適当なのね」

 

 そのくらいの方が気楽でいいけど。イクはわざとらしい敬礼をすると再び水底に潜っていく。

 

「さて、私達も動き始めるか、とその前に」

 

 索敵に引っかかっていた深海棲艦が目視で確認できる距離にまで近付いていた。どれもこれも見覚えのある姿なれど、油断することはない。誰一人怯えることなく砲を、自分の武器を構える。

 

「お掃除から始めようか」

 

 川内の言葉を合図に、全員が一斉に動き出した。


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