むー   作:溶けた氷砂糖

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ノンフィクション

 これは南方海域奪回に成功し、旭と弥勒が横須賀に出頭した、少し後の話。

 

「おやおや、皆さん既にお揃いでしたか。時間に正確で頼もしい限りです」

 

 飄々と、或いは嘲るかのように弥勒は言った。一つ余った高級感漂う椅子に腰掛ける。傍らには最後の希望(赤城)、ではなく防空駆逐艦が仕えていた。

 

 そこには四人の男が居る。仏頂面のまま黙りつける男、所在無さげに視線を漂わせている男、そして人の良さそうな顔を歪ませている男。並の人間ならば、その雰囲気に圧されて声を発することすら出来ないかもしれない。()()()()()が一堂に会する光景は、きらびやかな装飾の無い部屋と相まって実に厳粛であった。

 

 そして、四人が向かい合うテーブルから少し離れた場所に、明石美沙子が立っている。権威に呑まれるタイプではないだろうが、流石にその顔には緊張の色を見せていた。大事そうに抱えたタブレットは、お守り代わりでもあるのだろう。

 

「君が居なくても始めようかと思っていたところだよ」

 

 向かいに座った男──"社交家"射場(いば)龍樹(たつき)──が苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てる。お世辞にも歓待しているとは言えない態度に、弥勒は怯むこともなくわざとらしい所作で腕時計を見る。定刻だ。

 

「時間には間に合わせたつもりですがね。それは置いといて」

 

 今回の議題を始めましょうか。備え付けられた端末の電源を入れ、資料を受け取って弥勒が言う。四人もそれぞれ居住まいを正した。これから先は元帥を除けば本当に一部の人間しか知らない極秘事項。

 

「先ずは、大湊警備府が結んだ、アリューシャン列島を根城にする姫級の深海棲艦、()()()()との休戦協定。とりあえず、明石大佐に説明して頂こう」

 

 大本営を通さず、独断で結んだ休戦協定。反逆罪であると断罪するのは容易いが、()()()()()()()()という初めてのケースに彼らの対応は止まっていた。何と言っても前例が無い。

 敵味方以前に、明確な意志を持っていたこと。それも恨みや戦いへの喜びといった今まで人間達が想像していた感情とは遠くかけ離れた意志があったことが驚愕に値する事実なのだ。迂闊に他の将兵に広める訳にもいかない。

 

 弥勒に促され、明石が前に出る。

 

「元帥の皆様はご存知でしょうが、今回大湊警備府の統括司令である静間誠司大将と、敵将、北方棲姫の間で休戦協定が執り行われました。今回のケース、北方棲姫が単身でこちらに休戦を申し出てきたのです」

 

 美沙子が説明を続ける。

 

 北方棲姫は大湊にある防衛システムに察知されて逃げ回っていた所を発見された。この時武装はしていなかったという。直後に艦娘の古鷹、加古によって鹵獲されたが、この際に抵抗はせず、むしろ話がしたかったから好都合だと述べた。拘束具に対しても不平を漏らすことなく、捕虜として従順な態度を取っていたらしい。

 

 そして大湊のドンとも呼ばれる、第一泊地提督の静間大将は捕虜扱いであった北方棲姫と対話。北方棲姫は戦闘を望まない旨を示し、大湊警備府に対して休戦協定を持ちかけた。

 

「そのまま、殺すでも解体するでもやれば良かったのだ。何故、やらなかった」

 

 口を挟んだのは射場だった。その疑問はもっともなものだ。敵は今まで意思疎通もまともに図れなかった怪物。姫クラスともなれば、指先一つで人間を殺せるだろう。非戦を掲げていたとしても、口先だけならばなんとでも言える。そんな相手をどうして信用しようと思えたのか。確かに殺してしまった方が確実だ。

 

 美沙子は首を横に振る。

 

「やらなかった、というより出来なかったという方が正確です」

「なに?」

「こちらの写真を参照してください」

 

 言われた通りに端末に送られた写真に目を落とす。ひっ、と小さな悲鳴が聞こえた。ハッと息を呑む音もした。弥勒ともう一人だけが無反応を貫いていた。

 

 どこからどこまでが一個体なのか分からなくなる程に、海を覆い尽くす深海棲艦が写っていた。幸いなことに姫や鬼は混じっていないようだったが、戦艦レ級を筆頭に、いわゆる大物が揃っている。

 他の元帥には想像もつかないだろうが、激戦地として知られる佐世保の第六泊地が一ヶ月掛けたとしても、これだけの量を相手にはしないだろう。いったい何処にこのような大戦力を控えさせていたのか。

 

 休戦協定というのは名ばかりの、脅しであった。受け入れなければ、持てる最大の戦力で殺す。大湊に対抗する術はなかった。たとえすぐに反故することになったとしても、その一瞬を生き残る為には要求を呑むしかなかったのである。

 自らを危険に晒し、それ以上の暴力で要求を突き通そうとする、人と同じ計算高さがあった。

 

「休戦協定の内容は、不可侵条約と同じです。北方棲姫は配下を大湊以南に出撃させない、その代わりに大湊もアリューシャン列島近海に出撃しない。お互いに対等な条件での調印です」

 

 その戦力差からは想像できない程に。美沙子は言葉にこそしなかったが、その場に居た全員が同じ感想を抱いた。

 

「一刻も早く、連合艦隊を組んで撃滅しなければ」

 

 口火を切ったのもまた、射場だった。

 

「ナイフを喉元に突きつけられて安心できるか。大和、武蔵含め全戦力を用いて撃滅するべきだ」

「待っていただきたい、射場元帥」

 

 当然とも、過激とも言える言葉に待ったをかけたのは弥勒だ。射場はまたお前かと言わんばかりに睨みつける。話の主導権を握りたがるこの二人は、会議においては犬猿の仲とも呼べる間柄だ。

 

「討伐隊を組んだとして、相手はこの数、勝てる保証はどこにもないでしょう。逆に言えば、そのまま攻め込めば勝てる戦力で、しかもそれを分かった上で休戦を結んだ。それならばここは静観すべきではないでしょうか」

「わ、私も射場元帥の意見には反対だ。主力艦隊を結成すればどうしても他は手薄になる。あ、あの作戦を忘れたとは言わせまい」

 

 若干の吃音を交えて弥勒に同調したのは、不安そうに目を瞬かせていた男。呉の統括司令であり、第一泊地の提督である立花(たちばな)壱成(いっせい)元帥だ。腰抜けと評される彼は、今回も出撃には懐疑的なのだろう。

 

「だが、いつ牙を向くか分からないのだぞ!」

「い、今牙を向かれていないという事実はけ、軽視するべきではないかと」

「進めば深海棲艦との停戦の可能性もある。今回の対応でそれを不意にはしたくない」

 

 あまりにも強大な敵との隣接、どちらの意見も正しいものだが、一つ決定的な違いがある。

 

 射場は敵を殲滅することを第一に掲げており、弥勒や立花は戦争の終結を念頭に置いているということだ。今までは、程度の違いこそあれどこの二つは同じ存在だった。深海棲艦が絶対的な敵であった以上は。

 

 つまり、深海棲艦との和解の可能性はあるのか。このケースだけで議論せよと言う方が無理な話である。だから、現在においては感情論以上の意見は出ない。

 

 段々と白熱し始めた議論に冷水を浴びせたのは、それまでずっと黙っていた最後の一人。

 

「報告はそれで終わりかね」

 

 その一言で一気に静まってしまった。声を張り上げたわけでもない。そもそも、美沙子に向けられた言葉で、他の三人の元帥には関係が無い。それなのに、その男が話したというだけで全てが振り出しに戻ったようだった。

 最初の元帥であり、最初の提督である"武骨者"西条(さいじょう)英然(えいぜん)()()()()()を率いた英雄。その肩書に負けず、それどころか役不足とすら思える程の威厳をもって、彼は議論を止めてみせた。

 もう一度、静かに彼は尋ねる。

 

「明石大佐。それで終わりかと聞いているのだが」

「は、はっ。静間大将はできることなら直接元帥達と話したいと仰っていました。可能ならば、ここで通信を繋げさせていただきたいのですか」

「ふむ、構わんな」

 

 彼の言葉に反対できる者はいない。

 

 美沙子はタブレットをいじり、何事か小声で囁くと手元の端末を見るよう元帥達に促した。

 

『元帥の皆様方に置かれましては益々ご清栄のことかと存じます』

 

 実直そうな男の声だけが場に響いた。映像は繋がず、音声だけの通信のようだ。映像が流せない設備では無い筈なのだが、と全員が疑問に思う。しかし、考察する時間は設けられる訳もなく、同時に頭を悩ませている本人が登場したことで感情的になる面もあった。

 

「静間大将、大本営の指示も仰がず勝手に休戦協定を結ぶとはどういう了見だ」

『どうも、保留にはさせてもらえそうには無かったもので。ただ、それに関しては私よりも適役が居るのでそちらに説明させましょう』

「適役?」

 

 射場が食って掛かる。調印した本人よりも詳しく説明できる人材など居るものか。古鷹、加古という北方棲姫鹵獲に尽力した二人ならば有り得るかもしれないが、彼女達が静間に優るとはとても思えない。

 

『皆様、先ずは休戦協定を結んでいただきありがとうございます』

 

 代わった声は、明らかに幼い少女のものだった。駆逐艦でもここまで幼いのは居ないだろう。

 声に見合わず、大人びた喋り方ではある。だが、無理をしているようには思えない、自然な、というよりも慣れた喋り方だ。子供が背伸びしているのではなく、何処かの薬を飲んで身体だけが幼子になってしまったかのような、そんなアンバランスさ。

 

 仮にも海軍最上位まで上がった面子である。その意味を理解できない者など誰一人としていなかった。二の句を継げない射場と立花に先駆けて弥勒が声の主に語りかける。

 

「貴女は……北方棲姫ですね。感謝するのは結構ですが、貴女方の結んだ休戦協定とやらは大湊警備府との間だけで有効で、我々海軍の総意ではないことを留意していただきたい」

『それはもちろん理解しております。私達が踏み出したのは第一歩、いえ、こちらの想定よりも数段飛ばしで進んではおりますが。私達は海軍全体との休戦、終戦を望んでいます』

「それは、深海棲艦の総意であると捉えても?」

『いいえ』

 

 北方棲姫は否定した。

 

『私は、あくまで自分達の島、貴方達の言うところのアリューシャン列島近海を支配しているに過ぎません。それ以外のところは出来ないし、しようとも思わないのです』

 

 さらに、私達は異端者であると北方棲姫は言った。

 

『私達以外は、深海棲艦というものは人類を敵と認識しています。私の支配が届かない場所では、深海棲艦は貴方達に牙を向くでしょう』

「つまり、貴女方は違うと」

『私達は戦うのはもううんざりですから。私についてきてくれる子達は皆、戦いを望まない子ばかりです』

 

 深海棲艦に、戦いを嫌う知能がある。それもまた、海軍の知らない事実であった。言語を解することは出来ない、ということは証明されていたが、知能に関してはほとんど何も分からなかったのだ。海で出会う彼女達のことを艦娘はよく獣と呼ぶが、道理で、獣ならば死を恐れる気持ちもあるだろう。

 

 そして、深海棲艦の生態よりも驚くべきは、少なくとも写真に映る数だけ、戦いを忌避する深海棲艦が存在するということだ。得体の知れない敵だと思われていた深海棲艦の皮がどんどんと剥がれていく。

 

 は、と弥勒が笑う。普段の彼らしからぬ笑い方は、おそらく演技だろう。ただ、そうは思わせない気迫がある。

 

「今までは問答無用で襲ってきたそちらの言い分が、簡単に信じられるとでも?」

『それは重々承知しています。だから、信頼ではなく実利で関係を結ぶことを求めております』

「実利?」

 

 端末のウィンドウにデータが表示される。元帥中に技術畑の人間は居ない。しかし、どんなデータかは分からなくとも、何のデータかはすぐに分かった。

 

 Battleshipと表示された画面に浮かぶ幾つかのデータ。三人の女性の姿が映し出されている。一人は幼い少女の姿で、尻尾のように伸びた兵器が特徴的だ。一人は大人びた女性で、両手に盾の形をした砲塔を抱えている。最後の一人は白い髪の女性で、左肩に刺々しい装備をつけている。

 

『貴方達が戦艦レ級、戦艦ル級、戦艦タ級と呼ぶ存在です』

 

 大本営は、海軍は深海棲艦のデータを殆ど所有していない。戦艦ル級に関しては過去に一体だけ鹵獲に成功したが、大破させて、有益なデータは取れなかった。彼女が提示できた情報は金山一つと比較してもお釣りが来るかもしれない、極上の餌だった。

 

「なるほど」

 

 ここまで筋書き通りだな、と弥勒は思った。北方棲姫が送りつけたのではなく、タイミングに合わせて美沙子がデータを開いただけだ。なぜ今までこちらに開示して来なかったのか。それは効果的に使うため、つまり確実に休戦協定を結ぶためだろう。大本営に到着する前からこのシナリオは描かれていたとしてもあり得ないことではない。

 だが、それはつまり、静間大将や明石大佐という大湊の提督を、北方棲姫が懐柔したということである。

 

 美沙子の方をちらりと見る。変わらず緊張した顔つき。確かに意思が感じられる。操られているのだったら、こうも厳しい表情はしないだろう。静間大将が操られている、もしくは物理的な圧力で言うことを聞かせているのだとしたら、美沙子が素直に従うことがおかしい。幾らでも助けを乞うタイミングは有った筈だ。

 

 話を聞いてから、彼女の身辺は十分に探った。何かに尾行されている様子は無かった。

 

 大湊は休戦協定に好意的だと言うことか。弥勒はそう結論付ける。大湊自体はどの元帥の派閥にも属さない中立だ。逆に言えば、これから第五の勢力として台頭してくる可能性があるということ。明石美沙子というジョーカーを持った彼らの提案を無下には出来ない。

 

「このデータは貴女方は収集したものでしょうか 

『いいえ、私達にはそのような技術は御座いませんので』

 

 嘘か真か。そんなことはどうでも良い。

 

『それぞれ個体を大湊にお渡ししただけです』

「仲間を売ったと?」

『仲間?』

 

 北方棲姫は鼻で笑った。『怨みでしか生きられないケダモノなど仲間ではありません』

 

「貴女方は、つまり他の深海……同類との仲間意識は無いのですね」

『ええ。人間同士が殺し合うのですもの。我々が憎み合ったとておかしなことは無いでしょう?』

「それもそうだ」

 

 会話が止まる。話すべき事柄はもはや無い。この場で北方棲姫から得られる情報は殆ど得られたと言って構わないだろう。もう一歩踏み込む事もできるだろうが、踏み込めば、迂闊に敵に回せなくなる。根掘り葉掘り聞いたならば、生かす気はないのだと相手も理解するだろう。

 

「静間大将。貴官はどう思う」

 

 言葉を受け継いだのは西条。しかし、言葉の矛先は北方棲姫ではなく、静間に向かっていた。

 

『えー、はい私ですか? どう思うと仰られましても』

「北方棲姫、敵に回すべきか否か」

『そうですねえ』

 

 本人がすぐ側に居るというのに、静間はその質問に驚いた様子も無い。むしろ想定内だと言わんばかりに落ち着いている。

 

『休戦協定を破棄、全面衝突すると仮定しても、攻め込むでは得策ではないでしょうねえ。大湊は防衛に力を入れた泊地だ。籠城した方が結果的に被害は抑えられるのではないでしょうか』

「つまり、休戦協定は結ぶべきだと」

『もちろん、当事者が隣に居ますしね』

「そうか」

 

 通信を切るように西条が命じる。美沙子がそれに従おうとした直前に、北方棲姫が口を挟んだ。

 

『そうそう、ずっと西の方でも貴方達のような存在を見かけました』

 

 通信が切れる。どこまで計算通りだったのか。最後の一言だけで情報の価値は計り知れない程高くなった。これだけ情報を流し、さらに何かを抱えているとなれば、過激派の射場でも攻め込むべきだとはもはや言えなかった。

 

「現状は静観、それで問題無いだろうか」

 

 反論意見は無い。弥勒が手を叩いて重苦しくなった雰囲気を払う。美沙子に合図をすると、彼女は一礼して出ていった。

 

「それでは、次の議題に移りましょうか。最近確認され始めた言語を解する深海棲艦についてですが……」

 

 上に立つ者達の会議は終わらない。夜が深くなるまで、ずっと、ずっと続いた。

 

 

 

 

 

 

「いつも思うんだが、なんでここに居ると面倒事ってのはやってくるんだ?」

「そりゃあ、お前が仕事をする部屋だからだろう」

 

 執務室でタバコをふかしながら旭が悪態を吐くと、長門に至極真っ当な言葉で論破される。提督が執務室に居る。艦娘が報告にやってくる。海軍の鎮守府の当たり前の光景だ。

 そういうことじゃない、と旭はタバコを燃す。

 

「アタシはな、いつも通り、異常ナシで良いんだよ」

 

 それがどうにも上手くいかない。灰皿にタバコを押し付けて火を消す。異常ナシではないと決めつけているようだった。そしてそれは大正解だ。

 

 長門と日向という、普段は意外と見ない組み合わせ。日向が誰かと共に執務室にやってきたのならば、その理由を理解しないでいられようか。

 

「ちょっと前に、大規模作戦ついでに通達が来てな。姫でも鬼でもねえ味噌っかすの中からぺらぺら喋る奴が現れたんだとよ」

「本当にお見通しだな」

 

 日向が肩を竦める。旭の言った通り、言語を解する深海棲艦と接触したことを報告するつもりだった。他の艦娘を連れてこなかったのは、どういう結論になるか分からなかったから。険悪だった旭と大鳳の仲がそれなりに近くなったというのに、こんな些細なことでまた亀裂を入れさせたくなかったからだ。

 

「それで」

 

 灰皿の縁を叩いて、タバコの灰を落とす。

 

「舌生えた奴は何喚き散らかした」

「降伏してきたよ」

「降伏?」

「ああ、白旗挙げてどうか撃たないでくれってな」

 

 随分と腰抜けで間抜けの深海棲艦も居たものだ。戦場で出会ったならば、降伏など受け入れられる訳が無いだろうに。長門は嘲った。たとえ本当に降伏していたのだとしても、彼女は聞き入れることはなかったのだろう。

 

「それでどうした」

「大破させて追い払ったさ。沈めても良かったんだが、大鳳が迷っていたからな。去り際に、もし死にたくないのならば二度と顔を見せるなと言ってやったよ」

「まったく、惚れ惚れするくらいに完璧な対応だよ」

 

 実際、長門の対応は旭が思い描いていたものとも寸分違わぬものだった。

 

 深海棲艦の言葉に耳を傾けてはならない。非戦を望む者がいれば、非戦を騙る者だって現れる。はい、そうですかと馬鹿正直に近付いて、至近距離で撃たれて沈められたならば目も当てられない。

 そして、沈めなかった事にも意味がある。命からがら生き延びた件の深海棲艦は仲間に喧伝するだろう。あの鎮守府は話を聞かない。話しかけるだけ損だ、と。それは深海棲艦同士のコミュニケーションが成立するのなら、という条件付きではあるが、実に有意義な活動だ。少なくともそう思い込む自分達にとっては、敵の言葉に耳を傾ける必要は無いと自己肯定感に繋がる。

 あんな出来事があったのにやってくるのは大嘘つきに違いない。大鳳やビスマルクの動きが鈍ったとしても、その大義名分が彼女達の力になる。

 

「それで、日向の方はどうした」

 

 灰皿で押し潰して火を消す。「秘密のお友達増やしに来たのか」

 

「そんな所だ。中将の意見が聞きたかった」

「長門は?」

「貴方も、床屋の井戸は欲しいのではないか?」

「なるほど、了解した」

 

 自分を抜きにして進められる話に長門が顔をしかめる。目の前で自分の与り知らぬところでの話を延々とされれば、誰だって辟易してしまう。しかし、耳を澄ませていると、どうやら自分にとっても関係のある話らしい。

 

「盛り上がってるところすまないが、私に聞かせて良い話なら教えてもらえないだろうか」

「ああ、そうだ。長門に聞かせときたい話だ。ついでに大鳳とかあの辺にはまだハブにしときたい話だ」

「日向との絡みなら、大湊か」

 

 長門も伊達に死線をくぐり抜けてきた訳ではない。提督である旭と、大湊所属の日向が共有する秘密となれば、なんとなくの察しはつく。

 

「簡潔に要点だけ言うと、大湊が深海棲艦の一派と休戦したってことだ」

「休戦だと?」

 

 にわかには信じがたい話であった。たった今、深海棲艦の命乞いなど信用ならないと話したばかりではないか。

 

 旭は自分が知りうる限りの情報を長門に話す。日向から聞いた話、弥勒から引きずり出した話。一介の中将が知り得る範囲をとうに超えていて、一度では到底カバーしきれない量と質だ。

 荒唐無稽なその全てを聞き終えた長門は、困惑とも呆れともつかない深いため息を吐いた。

 

「それではまるで、深海棲艦と和睦できそうな話だな」

「出来るだろうよ」

 

 旭は、もう一本タバコを取り出して火をつける。「邪魔者全部ぶち殺せばな」

 

「友好的な奴だけ残して敵は全部沈めりゃ良い。昨日の敵が今日の友だ」

 

 今回分かったことで一番大きいのは、深海棲艦は一枚岩ではないということだ。今までも、そうなのではないか、という推論はあった。確認されている姫が手を結べば、全戦力を傾けたとて相手にならないだろう。最悪な結果にならないのは、ひとえに深海棲艦の間で意思疎通が行えないからだ、と。

 

 船頭多くして船山に登るとはよく言ったもので、人を滅ぼそうと試みる頭が幾つもあったからこそ、人間はまだ命を繋いでいるのだ。休戦を望んだ深海棲艦が居るのなら、深海棲艦同士の主導権争いだって、恨み辛みで内ゲバだって起こるだろう。深海棲艦が潰し合う。海軍にとってこれ程有り難い話は無い。その結果、大湊のような反戦派が主流になれば戦争は終わったも同然だ。

 

「過激な発言だ」

「そうか?」

 

 そうでもないだろうよ。

 

「見敵必殺よりは随分甘いさ」

「そうかもしれないがな」

 

 二人の艦娘は旭の言葉に苦笑いを浮かべる。敵が知性ある存在と知れば、沈めることにためらいを覚える人間も居るだろうに、彼女には迷いが無い。彼女の目的は敵を討ち滅ぼすことではなく、人間を、ひいては自分達の身を守ることなのだから、敵がどうなろうと知ったことではないのだ。

 

「大鳳達にはアタシから適当に言っとくさ。日向だってそろそろ帰ろうって時にギスギスしたくはないだろ」

「情愛に満ちた指揮官で涙が出るな」

 

 冗談混じりに会話が続く。

 

「そういえば、例の作戦についてはどうするんだ」

 

 横須賀主導の大規模作戦のことである。

 

「本筋外れてるし、仕事してるふりだけでいいだろ。護衛もあるし、第二泊地に箔つけてもらう予定だそうだ」

 

 佐世保の戦力を横須賀に知らしめる。最後の希望だけではない。鬼殺しだけではない。

 

 仮に結果を出せない恭介が更迭されることになれば、弥勒を中心に一致団結しているように見える佐世保に穴が空くことになる。他の奴らが口を挟んで来ること程嫌なことはない。

 

「ほれ話し終わったんならさっさと出てけ。アタシだって暇じゃねえんだ」

 

 旭に追い出されて二人が部屋から出ていく。

 

 開けた窓から聞こえる阿賀野の悲鳴だけが春の兆しを見せる空にこだましていた。


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