「朧が沈んだってさ」
電子機器を通したざわついた声が耳朶を打った。
嫌な知らせはいつも突然やってくる。虫の知らせなんて都合の良い物は無い。いや、やけに勘の良い奴が知り合いに居たか。
旭は真新しいタバコの箱を開けて、一本取り出すと、肩で端末を押さえて、ライターで火をつけた。
太陽は向かい側、ほの暗い執務室に紫煙がくゆる。
「朧っつーと、呉だったか」
「そうだね。敵を深追いしすぎたらしい」
「軍艦のサガって奴かねえ」
長門が窓を開ける。外に向かって煙を吐いた。潮風がつんと鼻をついた。遠くにドット絵のように見える船が段々と近づいて来るのが分かった。
「お前と会話する度にどっかの轟沈話を聞いてる気がするな。実は死神なんじゃねえの?」
「ひっどいこと言うなあ。単純に情報が入るのが俺からってだけでしょ」
「そうか?」
「そうだよ。でも、僕らは全員死神だ」
悲しいことだが、旭達が南方海域を奪還して以降、艦娘の轟沈はむしろ増加した。今の流れならば行けると過信する者、手柄を建てようと躍起になる者、理由は様々だろうが、自らの実力を把握していない彼らは無闇に出撃させ、そして沈めるようになった。
「たぶん、自分の采配が間違ってるだなんて夢にも思わないんだろうなあ」
提督の多数は、防衛省や自衛隊からの異動だ。それもキャリア組と呼ばれるようなエリート。出世街道を突き進み、何一つ
「正しい采配なんて誰にも出来やしないよ」
何を思っているのか、電話越しの声では相変わらず分からない。全てを艦娘の実力不足に結び付ける提督を皮肉っているのか。それとも、彼自身への戒めなのか。
船のシルエットが段々と大きくなってきた。
「ま、大湊のドンから日向を借り付けて来てくれたのは名采配だったってアタシが保証してやるよ」
「それは嬉しいね」
人手が足りないと嘆いていた輸送船の警護。どうやって三人で回すか頭を悩ませていた旭のもとに届いたのは大湊の戦艦日向の出向の知らせだった。しかも日向の出撃に必要な資源は相手持ち。まだ戦力としては心許ないとは言え、破格の条件だった。
何か裏に隠されているのではないかと条件を何度も精査したが、旭に不利になるような文言は無い。
弥勒の差し金かと思い至り確かめて見るとその通りだった。どうも色々とやり取りがあったようだが、本人はのらりくらりと言い逃れて要領を得ない。言葉で弥勒に勝てないことなど分かりきっているので、旭は早々に仔細を聞くことを諦めた。何か裏取引があったとしても、旭には関係が無い。
船が、事細かに観察出来るほど近くなって来た。
「長門、準備頼んだ」
「了解した」
幾つかの書類を抱えて長門が執務室を出て行く。
吸い終わったタバコを灰皿に落とし、ずり落ちそうになっていた端末を手で持ち直した。
「大型建造の方は順調なんだろ?」
「まあね。最近の轟沈からむしろペースは早まってるよ」
結局は大型建造による大幅な戦力補強の方針が取られ、続々と戦艦や空母などが各鎮守府に着任し始めていた。
「第二には比叡が着任することが決まったよ」
「比叡ねえ。呉の御老人はごねたりしなかったのか?」
「そこまで感情的でも我の強い人でも無いさ」
比叡と言えば、提督達の記憶にあるのは、かつて呉の元帥が率いていた金剛四姉妹だろう。先の大海戦で三番艦の榛名を残し轟沈したが、当人は再建するつもりがあったのではないだろうか。
「それに呉の第一には霧島が着任したから」
「一人ずつで我慢しろってことか」
まあアタシはどうでもいいけどよ。旭は窓を閉めた。
何処にどんな戦艦が増えようと、自分にはあまり関わりが無い。大事なのは、大物を抱えた自分の所にさらに大物が来やしないかという不安だけだ。そんなことは有り得ないと思えるのだが、新しい艦娘を要求した結果そうなる可能性が無いわけではない。
「阿賀野型でも建造出来たらくれ」
「一応善処はするけどね」
大型建造で発生すると考えられる軽巡洋艦の名前を出すと、苦笑いが返ってくる。
じゃあ切るよ。
弥勒が通話を終了させた。船はそろそろこちらに着いた頃だろう。輸送船や日向の受け入れに関する書類がねずみ講のように増えていくのに辟易するのももう馴れた。
端末を机の上に投げ出すと、嵩んだ書類の整理に取り掛かろうとして、ペンを握る。
その手が止まった。
「他人事とは言え、気分の良い話じゃないよなあ」
ペンの頭を額に当て、旭はただ、話したこともない駆逐艦の冥福を祈った。
*
「……なんだこれは」
日向は目の前の光景に困惑していた。それは、日常とも異常とも呼ぶことが出来た。怒りを顕にするよりも、何をしているのかという疑問の方が先に頭に浮かぶ。
「何そこで立ち竦んでんだ」
旭がこたつに入っていた。
ビスマルクもこたつに入った。
ここは執務室の筈である。窓際にはちゃんと机があり、処理し終わった書類が山積みになっている。それなのに、どうしてこたつが堂々と部屋の真ん中を陣取っているのか。
日向は言葉が出ず、そっと隣の大鳳を覗き見た。この鎮守府はまさか常にこんな緊張感の無い状態なのかが気になった。
「提督、日向さんが居る時くらいはもう少し真面目にしましょうよ」
「どうせしばらくはこっちに居座るんだろ? だったら取り繕ったって無駄だ」
大鳳は顎に手を当てると、それもそうですね、と言っていそいそと自分もこたつに入っていく。
日向は頭を抱えた。これが南方海域を攻略した鎮守府だと言うのか。怒りがこみ上げてくる。
「貴様らには軍人の矜持はないのか」
「あ?」
パーティー開けしたスナック菓子を摘んでいた旭がドスの利いた声を上げた。しかし、どてらを着て、こたつで半身を覆ったその姿に威厳などある筈も無い。
「警護の間も無駄口ばかり叩いて、戻ってくれば仕事もしないのか。骨のある艦が集まっていると思っていたが、鬼殺し以外は木偶の坊か」
場合によっては軍法会議にかけられても仕方の無い暴言。そうでなくとも、木偶の坊と呼ばれて激怒しない軍人は居ないだろう。普通の軍人であるならば。
「大鳳、ビス子。お前ら馬鹿にされてるぞ」
「馬鹿にされてるのはAdmiralじゃない?」
「いやー、お前らだろ。アタシ仕事したもん。というか報告書さっさと出せよ」
「面倒だわ。日向に頼みましょう」
「仕事しろヴルスト娘」
「ヴルスト持ってきてから文句言いなさい」
「いい加減にしろ!」
緊張感の欠片も見せない二人に日向が声を荒らげる。おお怖い怖いと旭が肩をすくめた。目の前で大声を出された驚きはあるものの、恐怖や反省といった色は無い。日向からの侮蔑などまるで気にしていないようだ。
大鳳だけは気まずそうに苦笑を浮かべているが、旭達を糾弾するつもりはさらさら無さそうである。
「あー、まあ良いや。日向だっけ? 報告書を出せ」
「まだそんな気の抜けた態度で」
「良いからさっさとしろよ」
嘲笑うかのように、日向の言葉を遮った。
「出向先とは言え上司の命令すらまともに聞けないのがてめえの言う軍人の矜持って奴か?」
「貴様……」
かっと頭に血が上った。主砲でこの女の脳みそをぶち撒けてやりたい衝動に駆られたが、軍人の矜持という言葉で踏み留まる。確かに、いくら仮初で尊敬に値しない上官でも、上官の命令を聞くのが部下の、ひいては兵器の仕事だ。
ぎり、と唇の端を強く噛んで、日向は報告書を作るために妖精を呼んだ。
そして、驚愕した。
誤解を招かぬよう前もって説明すると、この報告書というのは艦娘ではなく、艦隊に付随する妖精が書き留めるものである。被弾と撃沈数、敵艦隊へのダメージ程度しか報告書には残らないが、その代わりに不正の入る余地は無い。
今回の警護で敵艦隊は発見されなかった筈だ。日向の戦果にも、そしてビスマルクの戦果もゼロが並んでいる。接敵しないことは、信じられない程の幸運ではあるのだが、事実なのだから受け入れるしかない。問題は、ゼロではない所だ。
大鳳の戦果には撃沈数、二十一と刻まれていた。最低でも四艦隊は一人で沈めた計算だ。何処にそんな大艦隊が居たのか。居たのならば気付いていなければおかしい。
まさか、観測妖精が買収されたのか。日向は最初にそう考えた。だが、データを持ってきたのは日向の装備についていた妖精だ。買収するタイミングなど無い。そもそも、観測妖精への買収が成功した事例など聞いたことがない。
くくっ、と笑い声が漏れた。報告が印字されていく紙から顔を上げると、旭が笑いを噛み殺していた。ビスマルクは若干不機嫌そうにして、大鳳だけは表情を変えず気まずそうな笑み。
「どういうことだ」
「長門から聞いたんだけどさー。
スナック菓子を頬張って、旭は言う。それは大鳳にはまったく似つかわしくない呼び名だった。
「
「初耳なんですけどそれ」
「待て、どういうことだ。説明しろ」
旭はちらりと大鳳を見た。意図を察せない大鳳に報告書を指差す。
「ああ、なるほど」
「どうして、お前だけ接敵しているんだ。いつの間に接敵していた」
「別に接敵まではしてませんよ」
大鳳は事も無げに言う。
「偵察機で発見したら落としてるだけです」
戦艦の索敵範囲よりも遥か遠く、誰も気付かない位置で深海棲艦を仕留めているがゆえに、輸送船が深海棲艦を把握することはない。目視で確認できる距離ならば、とっくに屠り終えた後だからだ。
だから、敵に出会わなくなるラッキーガール。大鳳についたあだ名の正体だ。
だが、日向は未だ半信半疑だ。
「……つまらない冗談だな」
「事実に面白いも何もありませんから」
表情はさらに険しくなる。偵察機で深海棲艦を撃沈するだと。信じられる訳がない。最後の希望と噂に聞く佐世保の赤城や、呉の二大エースと名高い瑞鶴だったならばまだ信じようがあったかもしれない。だが、そんな戯言を抜かしているのは、自分より僅か数ヶ月前に建造された空母だ。そんな神業めいたことが出来る練度には達していない筈だ。
「ああもう面倒くせえ」
業を煮やした旭が口を挟んだ。こたつのスイッチを消して、抜け出す。まだ入ってたいのに、というビスマルクの文句を聞き流しながら、いきなり「演習だ」と言った。
「なんだって?」
「演習するって言ったんだよ。要するにてめえはこの二人が気に食わねえ。実力が信用ならねえ、ってんだろ。だったら手っ取り早く教えてやろうってんだよ」
相変わらず強引ですね、という大鳳の横槍も無視した。
「戦場で生死を分けるのは、軍人として立派かどうかじゃねえ。まともか雑魚かだ。それに、自分を軍人だって言い張るんなら、上下関係はきっちりしておかねえとな」
乗るのか、乗らねえのか。安い挑発だ。それは分かっている。だからこそ気に食わない。舐められている。ぬるま湯に浸かっているような相手に、自分は舐められているのだ。
「なるほど、受けて立とうじゃないか」
*
「物足りないわ」
ビスマルクは退屈そうにあくびを噛み殺しながら言い放った。その身はかすり傷一つない、まったくの無傷。
「もう一度だ……!」
「Admiralが良いなら構わないけれど」
傷だらけの艤装を修復している日向が苦々しい顔で叫ぶ。ビスマルクが命令を乞うように視線を向けると、遠くから、タバコをくわえた旭がぶっ潰せと言わんばかりに中指を立てたのが見えた。艤装による視力強化でそれを確認すると、はあ、と溜め息を吐いて距離を取る。
もう何度目か数えるのも諦めた、開戦のラッパが鳴り響いた。
日向が足を止めて主砲を撃つ。航空戦艦に改装していれば、瑞雲を飛ばす選択肢もあったが、彼女はまだその練度に達していない。
両の足で海面と踏み付け、轟音と共に砲弾を発射する姿はまさしく戦艦と呼ぶべき圧巻の光景だ。
しかし、ビスマルクには当たらない。軍艦らしからぬ人のステップで砲弾を躱す。長門や大鳳から仕込まれた、深海棲艦の一斉放火をやり過ごす為の技術は、たった一人の戦艦を相手にするには些か過剰だった。
大きく回り込んで側面から日向に接近する。主砲を撃たないのは消費する資源を抑える為だが、何よりも必要が無いからだ。
逃げようとタービンを回すが時既に遅く、手を伸ばせば届く距離まで近付いたビスマルクが袖を掴む。主砲を投げ捨て、腰に携えた刀を抜こうとしたが、その前に視界がブラックアウトした。
投げ飛ばされた、とはしばらく認識できず、呆然とした状態で天を仰ぐ。めきり、と嫌な音がして自分の艤装が砕かれた。妖精が轟沈判定を降す。
これで十七連敗であった。ビスマルクの被弾はたった一度、主砲が艤装を擦ったものだけだ。日向は須らく轟沈。実力差は言うまでもない。
「自分で言うのも腹立たしいけれど、私相手にこれじゃあ、とても大鳳を相手にはできないわよ」
ビスマルクは三人の中で最も弱い。南方海域の激戦よりも後に着任したのだから当然だ。その彼女に、到底歯が立たない。
「なぜ、勝てない」
「知らないわ。一つだけ言えるのは、貴方が弱いってことだけよ。それでも納得行かないのなら、大鳳とでも戦えば良いわ。私はもう貴方の相手をするのは飽きた」
「飽きた、だと」
日向が親の敵を見るかのような憎しみを込めた目つきでビスマルクを睨む。目と目が合う。嘘偽りなくぶつけられた敵意にビスマルクは平然としていた。
「気に入らなかった? じゃあ言い直すわ」
その眼差しはどこまでも冷たく。
「貴方から得るものは何も無いし、貴方が私から得るものもなにも無いわ」
言葉が出なかった。
ビスマルクは踵を返して旭達の所へと戻っていく。向こうで何やら会話をしているようだが、日向には届かない。彼女にあるのは、首を掻っ切ってしまいたくなる程の屈辱と、自分の弱さへの悔しさ。
あれだけ偉そうにのたまっておきながら、自分は所詮この程度か。生き恥を晒すくらいなら、このまま沈んでしまいたい。
誰かが近付いてくる。いったい誰だ。あの戦艦が戻ってくるとは思えない。それなら、あの装甲空母か。私の笑いに来たのだろう。
涙が溢れた。なんて無様な姿を晒しているのだ。これでは姉に申し訳が立たない。
「大丈夫ですか?」
日向はその言葉を無視した。放っておいてほしかった。これから投げかけられる言葉がたとえどんなものであろうと、彼女には嫌味にしか聞こえない。
ぎゅっと瞼を閉じると、突き抜ける陽光がむしろ眩しくなった。
ぱしゃり。
水音が聞こえた。顔に水飛沫が掛かって驚いて拭う。目を開くと、隣で大鳳が同じように寝転がっていた。
「……何のつもりだ」
「水の上に寝るって、昔は絶対に出来ませんでしたよね」
大鳳が何を言っているのか分からない。慰めようとしているのなら、そのまま斉射してしまいたい。
「そもそも軍艦の記憶じゃ寝るなんてないですもんね。ドロップ艦だとあったりするんですかね」
「だから、お前は何の話をしているんだ」
「最初は、倒れたまま動かないから心配になって見に来たんですよ」
「だったら」
「でも、海の上で寝るのってやったことないなと思って」
「はあ?」
いよいよ本格的に言っていることが理解出来ない。最初は生真面目なのかと思ったが、ネジが何本か外れているのではないだろうか。
日向が言葉を失っていると、大鳳は笑った。そして言った。
「冗談ですよ。本当は、羨ましかったんです」
「羨ましいとはなんだ、皮肉か?」
「本当に羨ましいんですよ」
トーンが一段落ちた声に、日向も押し黙る。安易に励ましに来たという訳では無さそうだった。彼女自身が暗い目をしていた。
「私ですね、着任当日に、出撃させられたんですよ」
「……それはまだ普通じゃないのか」
「主要武装が無くても?」
ハッ、と息を呑んだ。あの提督、畜生だとは思っていたがそこまでだったのか。
同時に、どうやって目の前の少女は切り抜けたのだろう、と興味が湧いた。だから、変に口を挟まずに聞くことにした。
「その時、長門さんもついていたんですけど、私はまともに動けなくて、長門さんに抱えられたままで、本当にお荷物だったんです」
大鳳は訥々と話し続ける。
「もちろん疲れ切ってしまって、それが毎日ですよ。そして、ようやく馴れて自分でも動けるかなって思ったときに、赤城さんが来たんです」
「赤城、って。最後の希望?」
「はい」
初めての演習でした、と大鳳は言う。
「全力だったんですよ、一応。それなのにたった一機にボロ負けしたんです」
ある意味では自分と同じか、いや比較対象が違う。かたや海軍を代表する大英雄。かたや自分より後に着任した僻地の艦。お前に私の気持ちが分かるものか。自然と歯軋りをしていた。
「その直後に、長門さんと赤城さんの対戦があって、もう次元が違うって、分かるくらいの試合を見せられて、それから二人に一日中扱かれて」
「随分恵まれてるんだな」
「おかげで、悔しさを感じる暇もありませんでした」
それは嫌味ではなく、本音だった。
「あの時は時間が早く思えて、下を向いてたり、こうやって空を眺めたり、そんな暇全然無かった。羨ましいですよ、こうやって悔しがる暇があるの。どうして自分はこうなんだ、って思う余裕があるの」
「そんな事」
私の知ったことではない。言い返そうとして気付いた。彼女は悔やみたかったと言った。時間が無いから出来なかったとも。一度も、負けて当たり前などと言わなかった。ビスマルクのような新進気鋭の相手ではなく、誰もが負けて当たり前と考えるような英雄に対して、だ。
彼女は、赤城に勝とうとしていたのだ。或いは一撃当てるだけのつもりだったかもしれない。ただ、負けたからといって、「それなら仕方ない」と思わなかったのだ。
勝てなかったから悔しがりたかった。それを許されなかった。随分と身勝手で奇っ怪な嫉妬心だ。
自分がひどく馬鹿馬鹿しく思えた。なぜ、勝てないのか。自分が弱いから、と自分は答えた。それは逆に言えば相手が強いから、という答えにもなり得る。それは一種の諦めだ。
「くっ、はははははは!」
それはもう、笑うしかない。自分は悔やんでいたのではなく、言い訳を探して責任を押し付けていただけだった。どうすれば良かったのか、建設的な話にはとても繋がらない。
「急に笑いだして……大丈夫ですか?」
「いやまさか、妬まれるとは思わなくてな」
日向は起き上がった。遠くでは陸に上がったビスマルクと旭がこちらを眺めている。
「ああ、そうだ。認めるしかない。私はお前達より弱い。弱い者の言葉など遠吠えだ」
「なんか、変なスイッチ入ってますけど」
「お前達の流儀を渋々だが認めよう。理解しよう」
「あー、まあうちは軍隊としては異色かもしれませんけど、平和ボケはしてないと思うんで」
お互い噛み合わない会話をしているが、何はともあれ、和解を果たしたようだ。
それを遠くからインカムで聞いていた旭は、ぼそりとビスマルクに呟く。
「なあビス子。大鳳のあれ、って人たらしで良いんだろうか。アタシも長門も絆された気がするんだよなあ」
「本人には自覚無さそうなのが厄介よね」
「まったくだ」
旭はタバコを携帯灰皿に押し付けた。
*
「木偶の坊と話すつもりはあるか?」
執務室の椅子にもたれかかって、ライターをカチカチと鳴らした。
「話す為だけにわざわざ大鳳とビスマルクを追い出したのか」
「ま、そんなとこだ。腹を割って話すんなら一対一じゃなけりゃ」
納得はしてないんだろ。からかうような調子の言葉に黙り込む。
「さて、では講義を始めましょう」
彼女らしからぬ話し方。教官の真似事だった。旭が何かやらかすと、どこへ逃げようとも必ず捕まえて、この言葉から説教が始まるのだ。
「今回の議題は、軍人とはどうあるべきか」
何も答えない。教授の講義を受ける学生よりも厳粛な面持ちで立っている。
「だと、思ってるだろ?」
「……違うのか?」
「前提がな」
軍人とは何か。
「市民を守ることが軍人の義務であり、本懐だ」
「当たり前だろう」
「だけど、軍人だって市民の一人だ。アタシらは奴隷ではあっても機械じゃない」
無駄な所でルーティン作っても苦しいだけだ。人は機械にはなれない、と旭は言う。是非はともかく、それが彼女の信条なのだろう、と思った。
日向の思い描く軍人は、質実剛健にして国家に忠実、命を投げ出すことに躊躇いを持たない、まさに機械だ。司令官は、その方が都合が良いだろう。物言わぬ兵ほど扱いやすいものはない。
「アタシらの命は他人よりも軽いだろうが、砲弾より軽いってのはいただけねえな」
「……それが貴方の答えか。水部釣中将」
「おうともよ。だからアタシ達はここが戦場でない限り、人として振る舞う。咎める奴も居ねえからな、好き勝手に生きる」
「艦娘もか」
「当たり前だ。艦娘なんざ、艤装を外せばただの人だ。何の違いもありゃしない」
旭が手を叩いた。この話はこれで終わりだという合図だった。部屋を出るべきか、日向は一瞬迷い、その場に残ることを選ぶ。
「なんだ?」
「一つ、話しておきたいことがある。もう聞いているかもしれないが」
「安心しろ、誰にも聞いてねえし何も話しはしねえ」
「まるでこれから何を話すのか分かっているかのようだな」
「まったく分からんが、推測は出来る」
机に肘をついた。射殺すような目つきは、前線指揮官としての威厳を感じさせるものだった。
「大湊で何があった」
日向の出向。裏に何も無いはずが無いのだ。大湊の提督もぼんくらじゃない。日向を動かしても構わないだけの事情が、或いは動かさなければならない程の事情が、そこにはある筈だ。
日向は唾を呑んだ。自堕落にこたつの中で菓子を貪っていた者とはまるで違っていた。これが本性か。浮かんだ言葉を否定する。
初めは、
彼女は役に立たない昼行灯ではなく、一日中海を照らし続け、艦の道標となる灯台だ。
「やはり南方海域の打通というのは、戦艦一人でなし得るものではないな」
「アタシだって暇じゃないんだ。さっさと話せ」
「ああ、そうだな」
日向は姿勢を正す。これから話す事柄の重みを体現しているかのようだった。
「大湊警備府は、北方棲姫と休戦協定を結んだ」
それは、希望と言う名の劇薬だった。