無機質な廊下を二人で歩く。リノリウムの床はまだ新しい。二人の言葉と、人のざわめきに足音は吸い込まれていく。意味の無い喧騒が耳を通り抜けていく。
すれ違う人々は立ち止まって敬礼するか、憎々しげに視線を逸らすか、そのどちらかだ。二人はそんな視線を気にすることもしない。
「ああ、まったく。長話は面倒だ」
「仕方がないさ。あれだけの会話で終わっただけ良しとしよう」
「元帥は気の長いものですねえ」
からかうような旭の言葉に、何人かの通行人がぎょっとする。
当の元帥は怒ることもしないでくつくつと笑うだけだ。お互いの関係性を知らない人から見れば、それは異様な光景だった。
「俺は食堂で何を頼むかしか考えてないからね。それだけで一日は時間を潰せる」
「グルメか」
「ここのご飯は美味しいから」
心のこもってない(ように聞こえる)一言に旭は肩をすくめる。しかし、彼女も外食は久しぶりだった。確かに食堂は美味なことで有名だし、気分が高揚しないと言えば嘘になる。
リノリウムの廊下の突き当り、ガラス張りの入り口が見えてくる。
ちょうど出て来た女性が、二人の姿を認めて軽く手を上げた。おう、と旭も挨拶を返す。
「お久しぶりです。旭さんも弥勒さんも」
「美沙子も来てたのか」
「例のドイツ艦のデータ解析に駆り出されました」
おかげで都会に来れたのでラッキーでしたと笑う、見た目は、着ているセーラー服のせいもあって高校生にしか見えない少女。ピンク色の髪を両脇でおさげのような独特の形に結んでいる。
「相変わらず忙しそうだね」
「そうなんですよー。今日もこれから技術局の方に向かわなきゃいけなくて。
「何年もこなし続けてるお前が言うか」
「何年もやってる私だから言えるんですー」
頬を膨らませて反論するピンク髪の少女。
彼女、
元々彼女は士官学校で旭達の同期だった。しかし、ちょうどその頃、彼女に艦娘
「そういやさあ、今度はウチに来て艤装見てくんねえ?」
そして、彼女が適性を見出された明石とは、工作艦と呼ばれる、通常とは異なる特性を持っている。一つは、本来は入渠ドックを利用しなければ拭い去ることは不可能な、生命維持艤装の歪みを解消する泊地修理。もう一つは、装備を改修して強化したり、新たな装備を作り出す技術。とはいえ、これは母体である美沙子自身の影響もかなり大きいのだが。
高速修復剤や、応急修理要員など、今も重宝されるアイテムを作り出した彼女は、技術顧問としてもよく意見を問われるのである。
美沙子は唇を手に当てて悩む素振りを見せる。
「いつになるか分かりませんよ? 伊勢さんの方も見なきゃいけませんし」
「伊勢? ああ、なんかおっ死んだって聞いたけど」
「死んでませんよ。一時期危なかったけど、持ち直して今はもう目を覚ましてます」
「へえ、日向も見つかったって話だし、大湊の第一には伊勢型が揃ってるのか」
「そうなりますね。伊勢さんももう少しで復帰できそうですし」
「よっぽど運が良かったんだなあ」
伊勢の回復。旭にとっては、何処か嬉しくも悲しい知らせだった。
伊勢が目覚めたのならば足柄もいつか、と思うと同時に、なぜ伊勢は目覚めたのに足柄は、という思いも胸中に浮かぶ。
唇を噛み締めて、暗い気持ちを奥深くへと押し込めた。
「まあいつになっても良いよ。大鳳辺りの艤装を見てもらいたいのと、長門が何やら胡乱なこと言い出しただけだからな」
「胡乱なこと?」
「ダイハツ乗せたいんだと」
「ついに頭がイカれました?」
詳しい話も聞かずに散々な言い様である。戦艦に大発動艇など想像したこともない。
「いやー、こないだちょっと長門に大荷物運ばせたんだが、そん時に苦労したみたいでな」
「それって、こないだの作戦のことかい?」
そうそう、と頷く。
「うーん、考えては見ますけど期待しないでくださいね。私本当に忙しいので」
「おう、うちに来たら希少なドイツ艦の艤装を生で触らせてやろう」
足早に去ろうとしていた美沙子の足が止まる。
「可及的速やかに伺わせてもらいます」
「よろしい」
知的好奇心には勝てない工作艦であった。
思いがけない再開に時間を取られてしまったが、本来の目的は昼食だ。二人はガラスの扉を開けて食堂へと入る。時間は既に二時前を指していた。食堂が締まるギリギリの時間だ。広い長机にはまばらに何人かが管を巻いているだけで、お昼時のような喧騒は無い。
若干端に寄った席に並んで荷物を置き、弥勒が食券の自販機へと向かう。
「何が良い?」
「生姜焼き定食で」
残された旭は天井を眺めながら、これからの予定を頭の中で組み立てていた。弥勒は上の会議でもう少し横須賀に残るというが、旭はもう帰っても差し支えない。大戦果の立役者として矢面に立つ仕事を弥勒に押し付けたのも大きいが、彼女自体、大本営からは好かれていないことも大きいだろう。つまりは残ったところで窓際で干されるだけなのだ。
帰る前にどの店に寄ろうかと三年以上前の記憶で考えていると、「向かいに座ってもよろしいですか」と声が掛かった。
「ああ、かまわ、な……い……」
条件反射で答えてから、聞き覚えのある声に返答が尻すぼみになっていく。視線を天井から下ろす。少し赤みがかった長い黒髪に、長門よりも高い背と、豊満な胸。旭の顔から血の気が引いた。
「げっ」と小さな悲鳴が漏れる。
慌てて弥勒の方へ目を向けると、褐色肌の女性と親しげに話しているのが見えた。最悪だ。彼女は諦めて口を歪ませた。
「なんで、
「お仕事してたらご飯食べるのが遅くなってしまったんですよ」
寂しいお昼ごはんかと思ったら、水部釣さんが居て良かったです。なんて底の知れない笑顔で言い放つ
戦艦大和。
最強の艦娘は誰か、という質問をしたならば、先ずは大和、武蔵と返ってくるだろう。最後の希望と持て囃される赤城も彼女達の次だ。それは艦娘という存在を象徴するということであり、ひいては日本海軍そのものを示す旗印にすらなり得る。目の前の彼女はその片割れだった。
「この時間なら士官学校に居なきゃ駄目でしょ」
大和、武蔵が最強ならば、なぜ赤城が持て囃されるのか。その答えの一つは大和型の性能にある。
戦艦としては一級品、それどころかどの艦種と比較しようと、彼女達以上のポテンシャルを持った艦は存在しない。その代わりに、必要とする資源の量も桁違いだ。大和が一度出撃するだけで、赤城が二、三回出撃するだけの量になる。
それだけではなく、彼女達自身が大和型としても特殊だった。
データ以上の出力、データ以上の性能、データ以上の威力。むしろ改大和型とさえ呼べそうなハイスペック。実際、南方棲鬼と大和がやり合ったのなら、一人でも倒し切ったかもしれない。頭一つ二つも飛び抜けた実力の代償に、彼女達の艤装はさらに燃料を要求するものに変化していた。戦力的にも燃費的にも冗談ではなく一人一艦隊。
その為、特に資源が貴重になった三年前よりも前、黎明期の頃から彼女達は出撃を制限されていた。
代わりに請け負うことになったのが士官学校の教官であった。大和も武蔵も、自衛隊からの適応艦であった為、軍人の育成の仕事を回されたのだ。八年前、士官学校の一期生であった旭は初めての教え子と呼べる。
そういう訳で、士官学校の訓練の時間に食堂で管を巻いている教官に旭は苦言を呈したのだが、どこか不機嫌そうな顔をした大和からは意外な答えが返ってくる。
「最近は手伝ってくれる人も増えて以外と暇なんです。オーウェンさんとか倉木君は私よりも教えるの上手ですし」
「オーウェン、ってリヒトか」
提督にはならなかった一つ下の後輩の名前が出てくる。当時はたった二人で回していたハードワークも、今は人手が足りているということだろう。開設から三年右肩上がりだった入学者も三年前の大海戦を期に鳴りを潜めた。大和達にとって教官という仕事も時間を費やすものではなくなっていったのだろう。そして、教練を出撃代わりのストレス解消にしていた大和にとっては手を上げて喜べないことなのかもしれない。
知ったことか、と脳内で呟いた。旭は大和のことが苦手だった。けして嫌っているわけでは無いのだが、散々にしごかれたことが苦手意識を持たせている。大和の方はどうも旭を気にかけていたらしく、しばしば話しかけられる、ということも拍車を掛けた。
「それに年明けに計画されていた作戦も延期になってしまいますし」
「それは……延期になって良かったと思うんですけど」
旭にも弥勒にも扱き下ろされた作戦だ。
「正直主砲が撃てればもう何でも良いです。半年くらい武装着けてないんですよ」
「それをアタシに言われても」
「だって原因アナタじゃないですか」
そう言われるとぐうの音も出ない。それらしい言葉で言い繕ったとしても、彼女には見抜かれていることだろう。
最悪だ。彼女はもう一度ため息を吐いた。
「そういじめてやるな。旭の功績は真に讃えられるべきものだろう」
助け舟を出したのは、先程弥勒と話していた褐色肌の女性だった。長門をより快活にしたような、芯のある力強い声で大和をたしなめる。手に持っているトレイを置いて、大和の隣、つまりは旭の斜め前に座った。二つ乗っていた見ていて胸焼けがするほど巨大なオムライスの片方を大和の前に動かす。
少し遅れて弥勒も戻ってきた。カレーライスと生姜焼き定食、旭はトレイから自分の分を取って、少し気が楽になったと眉間のしわを緩ませた。
「大和教官もお久しぶりです。御息災のようで何より」
「旭も久しぶりだな。まさかこんなところで会うとは思わなかったが」
二枚看板のもう片割れ、
「それにしても、長門が鬼を倒すとはなあ。しかも単独で」
「単独じゃないっすよ」
「おっとそうだったか」
南方棲鬼撃破の功績はほとんど長門のものとされた。それは単純に、建造されて数ヶ月の大鳳が戦力にはならないだろう、という大本営の思い込みによるものだ。或いは、新米が戦果を上げたという事実が気に食わないのか。
旭は不満げな様子だが、大鳳は戦力外だと思われた方が、長門一人で鬼を倒す力を持っていると思われた方が、特に弥勒には都合が良かった。
「そういえば、長門に二つ名が付くそうだな」
「そいつは聞きましたよ。確か、
「僅かな戦力で史上二度目の鬼級撃沈。ぴったしの命名でしょう」
「羨ましい限りだ」
「本当ですよ」
先程まで注文したオムライスを食べていた大和が話に混ざる。山のようだったそれは、数分の間に跡形もなくなっていた。
「皆、二つ名なんて格好良いものつけて。ズルくないですか」
「最後の希望に鬼殺し。それから武蔵坊も二つ名と言えば二つ名か」
「そう! それなのに私達は大和、武蔵ですよ!?」
「んなこと言われたって……下手に何か加えるより、そのまんまの方が強そうですし」
昼間から酔っ払っているかのように机を叩く大和に肩をすくめる他三人。大和は良くも悪くも感情的な人間だった。
「まあ、うん。ここで喚いたってどうしようもないですよね」
「そうだな、ついでに言うと今ので他の客達がびっくりしてしまっている」
武蔵が視線を向けると慌てて目を逸らす数少ない客達。中には足早に去っていく者も居る。
触らぬ大和に祟りなし。大本営の常識であった。
「そうそう、噂話ついでなんですけど」
なんとか落ち着いてきた大和が話題を変える。
「大量に大型建造するって話、本当ですか?」
旭が怪訝な顔をする。そんな資源が一体どこにあるのか。南方海域奪取の為にかき集めるのも骨が折れたというのに。
「あー、そんな話は上がってますね」
「アタシはそんな話聞いてないんだけど」
「まだ元帥の間で出ただけだから」
元帥の会合の話がそんな簡単に漏れていいのか、と旭は不安になったが、よくよく考えれば、大和や武蔵の所属する横須賀第一の提督も元帥だ。問題なのは公共の場で口を滑らせる弥勒だ。
本人はそんなことを欠片も気にしていない様子で話し続ける。
「まだ机上の空論ですけど。例のアレで失った戦力を一刻も早く取り戻すべきだ。その為には大型建造に資源を惜しんではならない、と」
「うわあ、誰が言ってんのか容易に想像つくわ」
海軍で元帥の地位まで上り詰めた人間は弥勒を含めて四人しか居ない。
一人は大和と武蔵の提督であり、横須賀第一の提督である"武骨者"
一人は呉の第一提督で、常におどおどとしている"腰抜け"
そして最後の一人は、軍に身を置きながら提督にあらず、他の省庁や政治家との関係が深い"社交家"
提督であるならば、先の大海戦による痛みを知る軍人であるならば、どのような行動にも慎重を期す。現に、今まで名誉挽回の大規模作戦は行われてこなかった。
結果を求めるのは軍部よりも、むしろ他方だ。艦娘の必要性は知りながらも、実力については何も知らない。選挙票取りの格好の餌にされ、或いは民衆からの非難を受けやすい。黙らせるためにも結果がいる。
その仲介人となっていたのが"社交家"であった。話には、大鳳を生み出した大型建造も件の人物が推し進めたものだという。
「俺個人としては構わないと思うけどね。というよりも、そろそろ多少は同調しておかないと」
「誰に聞かれてるとも分からないのによくぺらぺら喋れるな」
「嘘を吐くのは苦手なんだ」
「嘘吐け」
会話を聞いていた武蔵が吹き出した。彼女の分のオムライスもすっかり腹に収まっていた。大和は自分のお腹を撫でながらメニュー表と見合わせている。
「お前達は変わらないな」
「教官に言われると反応に困りますね」
そうは言いながら、満更でも無い様子だった。同時に少し落ち込んでもいたのだが、見抜ける人間はここには居なかった。
「で、大型建造やることになったらどう分捕るつもりなんだ」
「分捕るとは人聞きの悪い」
「さっきまで同調しようだの言ってた人間の言うことか」
「本当に、今回はそんな無茶をするつもりはないよ」
まるで今までは無茶をやっていたかのような言い草だ。
「出来れば戦艦を頂いて、恭介の所に送りたいってところかな。」
「ほう、恭介の所とは。お前の所も戦艦は居ないのでは無かったか?」
「うちは赤城が居ますから。それに、恭介の所からの援護要請が案外多くてですね。何やら心配だ」
あそこは二人しか居ないから、と弥勒はカレーライスの最後の一口を食べ終えた。まだ食べ終わってないのは旭だけだ。それもそろそろ完食するだろう。
「ま、何でもいいが。アタシとしてはもっと軽い艦寄越せって感じだけどさ。駆逐艦とか、軽巡とか」
三人じゃどうやったって手が足らない。食べ終え、旭は食後の湯呑みを乱暴に置いた。
「オーストラリアからの輸送船はどうせウチの管轄だ。第一が九人で回してるのにこっちは三人で回せってのは無理だっての。戦艦や空母じゃうちが潰れるし、弥勒んとこから陽炎型貰いたいくらいだ」
「流石にそれは無理だって。艦娘の転任は原則認められてないの知ってるでしょ」
「出向でもいいぞ」
「無茶苦茶言うなあ」
口を拭く。他の三人はまだまだ話そうとしているように見えたが、こんな所にいては胃が持たない。旭は早々に立ち去ろうと心に決めた。
「そんなに人手が足りないなら、私が行きましょうか?」
「教官は撃ちたいだけでしょ。そんなばかすか出撃されたら大赤字になっちまう」
「水部釣さんの私への扱いが酷いです」
およよ、と泣き真似をして顔を伏せる大和に顔を引きつらせながら、旭は席を立つ。
「じゃあアタシはそろそろ」
さりげなく自分の皿をトレイに戻しながら、ゆっくりと歩き出す。
逃げた、と弥勒が言った。うるさい、とだけ返して扉をくぐって出て行く。
完全に外に出る直前に、小さくご馳走さまでしたと呟いた。
*
「さあ、長門。貴方の番よ」
「ぐっ……」
長門が顔を歪ませる。いつになく苦しそうな表情。指先が震えていた。たった一度の判断ミスが致命傷に至るからこそ、彼女は迂闊に決めることができない。
「まだかしら。私は早く終わらせてしまいたいのだけれど」
「そう焦るな。お前だって内心気が気でないのだろう」
相手が唇を結んだ。図星だったか。いや、当たり前だ。長門が賭けに勝ったならば、このロシアンルーレットの最後の弾丸は自分のこめかみに撃たなければならない。決定権を持たないもどかしさが、心臓を握られた苦しみがある。
幾千の時が流れたように錯覚するほど濃密な時間の中、強くを目を瞑り、長門は腹を決めた。
「これだぁ!」
勝利か、敗北か。シュレディンガーの右手を翻す。四つ並んだ赤いダイヤが、長門の勝ちを高らかに宣言していた。
「よっし!」
「くぅー、負けたわ」
悔しそうな声を上げながら、ビスマルクが残った最後の一枚を放り投げた。落ちたジョーカーを拾い上げながら大鳳が呟く。
「いやあ、ババ抜きって案外楽しいものですね」
「クイーンじゃなくてジョーカーでやるのがちょっと新鮮だったわ」
「ドイツではクイーンなのか?」
「ええ」
正確にはオールドメイド、ドイツではシュワルツァーピーターなどと呼ばれるが、かつてはジョーカーが無かったのでクイーンを一枚抜いてババにするのが普通だったらしい。
「でも、急に宿舎を掃除しようなんて、提督に怒られませんか」
いつもの出撃を終えて、戻ってくれば長門から宿舎の掃除を告げられた。今まで手を付けていなかった、かつての艦が住んでいた部屋にも手を入れる。このトランプも、大鳳は顔も知らない先輩が所有していたものだ。
一通り綺麗にし終わって、空いた部屋に三人で暇を潰している状況だ。一部屋だけ長門が鍵を開けなかったことに大鳳は気付いていたが、口にはしなかった。
「ちゃんと許可は取ってあるさ。問題は無い」
「だと良いんですけど。長門さんは誰の部屋だったか知ってるんでしょう?」
「良いんだ」
長門は首を振った。大鳳は何とも納得の行かない表情をする中、ビスマルクだけがキョトンとしている。口を挟まないのは、分からないなりに理解しているからだ。誰かが住んでいたような姿をしたままの、埃を被った部屋。軍艦であれば容易に想像がつく。
しかし知らない話をされても困るだけだ。なんだか重くなった雰囲気を誤魔化して話題を変える。
「でも、トランプも三人だけだとちょっと味気無いわね」
「とはいえ、今はこの三人しか居ないからなあ」
話題を間違えた。長門が遠い目になって、さらに空気が重くなりかける。
「こ、これから増えるわよ!」
「ああ、まあ」
暗い話よりは明るい話をした方が良い。亡くした仲間は戻って来ないが、これからの新しい仲間は増えるかもしれないのだ。
「もう少しすれば建造も行われるようになるだろうしな」
「でもこっちに来るんですか」
「たぶん来るだろう」
大海戦後唯一の建造艦である大鳳をむりやり連れてきたのだ。しばらくは後回しにされるのではないかという大鳳の危惧に対し長門はあっさりとしている。
「輸送船の警護は私達に回ってくるだろうから、人手は増やすだろう」
「本当ですかぁ?」
「……まあ、調子に乗って大型建造に走る可能性もあるが」
「駄目じゃないですか」
大本営の考えることはよく分からん、と長門も愚痴る。
「戦艦が来てくれたら嬉しいわね!」
「いやそれはない」
「なぜ!?」
即座に否定されて頬を膨らませる。軍艦と言えば戦艦だ。空母の名前は聞いたことがあるし、大鳳の実力を見れば戦艦にも劣らぬ力量があることも分かる。しかし、戦艦の破壊力こそもっとも重要なことじゃないか。
「うちにもう一人戦艦が来たら破産するぞ」
「今でもわりとカツカツですよね」
「
必死になってかき集めた資源の多くは未だグアム島に残されたままだ。これからもまだ深海棲艦掃討に赴くこと、護衛のために往復することを考えると、リスクを犯してまで取りに戻るのは無理だろう。
本来なら大本営から報奨が来てもおかしくないのだが、突然の知らせにあちらもあたふたしているのか、音沙汰が無い。来るとしても旭が戻って来てからだ。つまり、弾薬と鋼材とボーキサイトを節約してもまだ、ここはギリギリの運営なのだ。
「だったらどの艦が良いのよ」
「やっぱり駆逐艦だな」
「Zerstörer?」
「ああ、砲撃は軽いが、魚雷の威力は馬鹿にできん。そもそも護衛と言えば駆逐艦だからな。建造にかかる資源も少ないし、三人くらい一気に来てくれたりすれば……なんだ大鳳その目は」
朗々と語る長門だったが、不穏な視線を感じて口が止まる。
「いや、長門さんってそういう趣味なのかな、と」
「何を言っているのか分からないな」
「それは誤魔化してるんですか? それとも分かってない」
「よく分からんが良くないことを考えているのは分かった」
「私はもうドイツの艦が来てくれればいいわ」
ビスマルクの呟きで話が中断される。長門の意識もそちらに向かった。
「やっぱり寂しいか?」
「寂しいって訳じゃないけど……違和感は強いわね」
寂しくないと言いながらも、彼女の視線は孤独なものだった。
日本海軍の艦が並ぶ中で、一人だけドイツの艦。仲間を誰も知らないのは悲しいものだろう。
「プリンツなんか居れば少しは紛れるのでしょうけど」
「プリンツか。確かに、彼女が居れば賑やかになるかもしれないな」
「あら、長門はプリンツを知ってるのだっけ」
「少し縁があってな」
クロスロード作戦。顔も声も分からないし、そもそも建造艦の知る戦史は、記録から作られただけの偽物の記憶だ。さらに付け加えれば当時は完全な船だったのだから、人の姿など知りようもないが、確かに長門の記憶の中にプリンツ・オイゲンは居る。
「ま、重巡でもキツイんだが」
「それは聞いたわよ」
日本の艦なんて知るわけないじゃない。ビスマルクはすっかり不貞腐れてしまう。それがなんだか小さな子供のように見えた。長門が駆逐艦は十分かもな、と冗談を言うと大鳳が笑う。
気に食わなかったビスマルクが声を尖らせた。
「笑ってばかりだけど、じゃあ大鳳はどうなのよ」
「え、私?」
急に話を振られてあたふたする。
「大鳳はどんな艦に来てほしいの?」
「私は、ねえ」
顎に手を当てて考える。鎮守府に必要なのは駆逐艦で合っている。それはそれとして、自分が来てほしいと願うのはどれだろう。
与太話でも、大鳳は適当に答えることができなかった。どうしてか、理由を一つ一つ列挙してまとめていく。
「軽空母、かしらね」
「へえ、なんで?」
「私はそんなに強くないから、制空権を確実に取るためには、空母が必要だわ。それに偵察もできるし、火力も十分。何より……」
「何より?」
「近い艦が一緒に居た方が自分を磨けるかなって」
大鳳の言葉を聞いた長門とビスマルクは顔を見合わせて。
「真面目だな」
「真面目ね」
と言った。