むー   作:溶けた氷砂糖

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彼女と星の椅子

「いい加減吸うのか吸わないのかはっきりしろ」

「んん?」

 

 長門の言葉に、薄汚れた窓から外の様子を見ていた相手は振り返った。線の細い体、白い軍服。咥えた煙草に火はついていない。口から離すと、そのまま煙草の箱に戻す。ころんと軽い音を立てた。箱の中にはその一つしか入っていなかった。

 

「最後の一本なんだから、そう簡単に消費してたまるかっての」

「だったら後生大事に箱に入れてろ。飴だって何ヶ月も咥え続けはしない」

「お口が寂しいから仕方無い」

 

 それで。水部釣(みずつり)(あさひ)は居住まいを正して机に肘をつく。差し込んだ夕陽が長門を照らした。水平線に太陽が沈んでいく。

 

「何かあった?」

「ああ、第一からの言伝でな。どうも大本営で建造が行われたらしい」

「建造って、資源が無いこと分かってんのかね」

「しかも大型だよ。何処からかき集めてきたんだか」

「馬鹿でしょ。これだから横須賀のお偉いさんは頼りにならん」

「まるで横須賀以外なら頼りになるような言い方だな」

 

 ただの建造すら資源の無駄だと言われているのに、数倍の資源を消費する大型建造を行なうなど。無能ここに極まれり、といったところか。

 

「そんな大馬鹿者共だが、幸運にも当たりを引いたらしい」

「大和とか武蔵とか?」

「いや、それなら大本営にもう居るだろう。大鳳だ」

「大鳳? 設計図だけあって結局建造出来なかったっていう、幻の?」

 

 長門は首を縦に振った。旭は力無く背もたれによりかかる。

 

「延命治療に成功しちゃったか」

 

 中途半端な希望は逆効果だとなぜ分からないのか。そう言いたげに机に踵を乗せる。書類が何枚か踏み台になったが、長門もそれを窘めるようなことはしない。

 

「それで、ここからが本題だ」

「嫌な予感しかしない」

 

 喜べ大正解だ。長門の苦笑いにこちらも笑みが引き攣る。

 

「うちに配属だそうだ」

「ばっかじゃねーの」

 

 侮蔑の言葉を吐き捨てた。

 

 

「装甲空母、大鳳。着任しました。提督、よろしくお願いします」

 

 ぴしりと音でもしそうな敬礼一つ。生真面目な顔の少女が、緊張を滲ませていた。対する提督は視線も合わせず目元の資料を読み続けている。

 

 

「はーい、よろしくねー」

「あ、あの」

「んー?」

「他の戦隊はどちらへ居るのでしょうか。ここに来るまでには長門さんしかお見かけしなかったのですが」

 

 話に聞いていたよりも広い施設。それなのに、誰にも出会わないまま執務室まで辿り着いてしまった。港で出迎えてくれた長門以外には、誰にもだ。規模から考えれば二十人は居てもおかしくないだろうに。

 

「居ないよ」

「居ない、えっ?」

 

 旭が顔を上げた。面倒臭そうな、眉をひそめた表情。もしくは何かを我慢しているかのような。

 

「ここに居る艦娘は長門と、さっき来た君だけ。他には居ないよ」

「それでは今までずっと長門さん一人で、戦ってたんですか」

「そうなるね」

「そんな、危険じゃないですか」

「五月蝿いなあ」

 

 旭は立ち上がり、大鳳の隣を通り抜けていく。潮の匂いが強く香った。

 

「居ねえもんは居ねえんだよ」

 

 大鳳の制止も聞かず、外へと出ていってしまう。取り残された方はどうすれば良いのか途方に暮れるばかり。

 

 自分が生み出されたとき、誰もが誕生を喜んでくれた。自分は希望になるのだと、戦争を終わらせるために死力を尽くすのだと。

 だから最前線であるこの鎮守府。佐世保鎮守府第六泊地への着任が決まったときは嬉しかった。自分を頼りにしてくれる人のため、戦うことができるのだ。それがなんだ、このざまは。

 

 提督には祝福されず、共に戦う仲間さえまともに居ない。最前線とは名ばかりの左遷ではないか。一気に悲しくなった。

 

「すまない、大鳳。大丈夫か?」

 

 後ろから声がかかる。たった一人の戦友になるかもしれない、長門の声だ。

 

「旭の奴に心無いことを言われたみたいだな。私が代わって謝罪しよう」

「そんな……」

 

 頭を下げる長門に怒鳴るわけにもいかず、対応に困ってしまう。

 

「根は良い奴なんだがな。どうにも芽が出ないで、固い地面ばっかり見せてくる奴だ」

「私は、必要とされていないのでしょうか」

「それは私には何とも言えない」

 

 顔を上げた長門の目は大鳳を見ていなかった。視線を合わせるのが怖くて、必死に顔を背けるのを我慢しているような苦しそうな顔。

 

 ぱん、と手を叩いた。物憂げな表情は引き締まり、また最初の力強い戦艦に戻る。

 

「とりあえずはこの鎮守府を案内しよう。来たばっかりで疲れているかもしれないが、何も知らないのなら知っておいた方が良い」

「は、はい」

 

 長門の言葉に誘われて、大鳳も執務室から外へ出る。廊下の窓から照りつける太陽と、つんざくような蝉時雨。本棟があると思わしき道とは反対の、今まで辿ってきた道を歩く。

 

「このままだと外に出ちゃいますよ」

「それで良いんだ」

 

 不思議に思った大鳳が問いかけても、気にすることなく長門は進んでいく。鎮守府の門を出ると眩しかった太陽が今度は直に肌を焼く。片手で日光を遮りながら、塀伝いに向かって歩く。完全に敷地の外だ。右手には塀越しに倉庫が、左側には蝉の生きる森が見える。舗装されてない地面では時々石を蹴る。かつんと言う音がする。

 

「さあ、着いたぞ」

 

 長門が指差した。大鳳も目を細くしてじいっ、とその先を見る。最初はただの草むらに見えた。しかし、雑草とは違う。土がしっかりしているし、生えているのも等間隔だ。三つの植物が列をなして自らの葉を伸ばしている。よく見たらネットが掛かっている。これはまるで、

 

「畑?」

 

 そう、畑であった。何故、鎮守府へやってきて畑を見せられるのか、大鳳の脳内が疑問符で埋まる。そもそも海に生きる艦娘と大地の恵みである農作物に何の関係があるのか。その答えは長門が口にする。

 

「私と旭、旭というのはうちの提督の名前だが、二人で作っているんだ」

 

 あれがトマトで、こちらは茄子。ネットが多くかかっているのはトウモロコシ。一つ一つを丁寧に教えてくれる。

 

「こうでもしないと自分の食い扶持も手に入らないからな。この島には私達以外に普通の人間も居るし、食べ物を作って困ることはない」

 

 盗みを企てる輩が居るのが悩みどころだが、と力無さげに笑った。そうして長門は畑の仲間で入って行き、それぞれが虫に食われてないか、熟しているかどうか確認する。ちょうど赤く熟れたトマトをもぎ取って、大鳳に手渡した。

 

 遠慮がちに齧り付く。新鮮な酸味と、独特の甘みが口の中に広がった。大本営でも食事はしていたが、どこか別のものに感じられた。

 

「美味しい」思わず言葉が漏れる。

 

「でも、なんで自分達で」

「お前は、まだ気付いていないんだろうな。大本営の人間も教えなかったのだろう」

「何がですか」

 

 言葉が止まる。口にしたくない現実を捻り出すようにして、長門は告げる。どうしようもなく残酷な現実を。

 

「私達の戦争は、もはや負け戦だ」

 

 大鳳の顔が青褪める。あれだけ歓迎されたというのに、趨勢は既に決まってしまっていたのだと。

 

「三年前に大敗を喫してな。当時の艦娘の、だいたい半分が。戦力で言えばほとんど全てだろうな。それが皆沈んだ」

 

 現代のミッドウェーなどと揶揄される先の海戦。それまで人類は優勢とは行かないまでも、拮抗を維持していた。何せ近海とはいえ漁業もまだ行われていたのだ。それ故に、大本営は慢心した。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その作戦の概要を説明すれば、だいたいこのようになる。しかし、指揮官は提督では無かった。

 

「艦隊指揮の()()()も知らぬ男だったよ。突撃と玉砕と、部下を死地に向かわせることしか頭にない。まあ私達にも油断はあったのだがな」

 

 単細胞という言葉さえ烏滸がましい程の稚拙な作戦。初めての攻勢に浮き足立った艦娘達。そして、何処かで読まれていた作戦。

 

 総勢百人を超える大艦隊の八割が轟沈した。誰もが、自分の鎮守府でエースを張る実力者だった。勝ち戦とぬかっていた上層部は最初信じる事もできなかっただろう。

 

「それからは軍の内部でも責任逃れの大捕物だ。指揮官はどうなったかな、たぶん死んだんだろうが。それから自分とこの艦娘を沈められて素知らぬ顔する上層部に、提督達も噛み付く噛み付く。全部粛清して一掃して、やっと落ち着いたって頃にはもうひっくり返しようが無いほど天秤が傾いていた」

「だから、この鎮守府には長門さんしか居ないんですか」

「それでも、直後はまだ居たんだけどな」

 

 皆沈んでしまったよ。長門は目を伏せた。大本営の混乱の中、深海棲艦の攻勢も火がついたように激しくなった。修復剤が足りない、資源が足りない、先ず何より人手が足りない。自殺行為と分かっていても、疲労で足が動かなくなっても戦わなければならない。

 

 元々生き残っていたのはほとんどが作戦に参加できない低い練度の艦娘だ。耐えきれるはずもない。

 

「確か今は、全国でも四十人を切ったんだったか、それともまだだったか」

「それだけしか居ないんですか」

「そうだ」

 

 だからまあ、旭のことも悪く思わないでやってくれ。長門は大鳳の頭の上に手を置いた。子供にするように何度か優しく撫でてやる。恥ずかしさはあったが、大鳳もそれを我慢することにした。彼女を見つめる長門の目が、ひどく悲しかったから。

 

()()も、仲間を随分失った。怖いんだよ、新しく抱えるのが」

「長門さんは怖くないんですか?」

「私だってもちろん怖いさ。ただ開き直っているだけだ。どうせ死ぬ。だったら死ぬまでは生きていようってな」

「死ぬときまで……」

 

 ぶぶぶ、と羽音がして、横を蝉が通り過ぎていった。流れ落ちる汗の冷たさも分からず、大鳳は立ち尽くしていた。あれだけ強かった日差しも、夏の変わりやすい天気のせいで雲に覆われ始めている。

 

「雨が降るといけない。今度はお前の部屋を案内することにしよう。さあ戻るぞ」

 

 長門に手を引かれて、来た道を戻る。空は黒くなり始めていた。

 

 

「はい、じゃあ二人で出撃、行ってみよー」

 

 帰ってきたとき、執務机に向かっていた提督の第一声はそれだった。流石の長門も頭を抱えている。

 

「まだ着任して一日目だぞ?」

「艦娘として働きたいんなら働かせてやるよって話だよ。何、文句でもあんの」

「艤装はどうする」

「そんなの決まってんじゃん。軽いのだけだよ」

 

 軽いのだけ。その言葉の意味を理解した大鳳は、はあ? と大きな声を上げた。提督がじろりと彼女を睨みつける。

 

「せ、生命維持艤装だけってことですか」

「そうそう、そのなんちゃらかんちゃらだけ」

 

 艦娘の艤装には大きく分けて二種類ある。一つは深海棲艦へ有効な攻撃を与えるための主要武装。これは取り外し可能で、艦種ごとにある程度の互換性がある。一般的に艤装といえばこの主要武装を指すことが多い。

 

 そしてもう一つが、いわゆる小破、中破と呼ばれるダメージコントロールと、水上での移動を可能にする生命維持艤装だ。生命維持艤装が主要武装と比べて最も異なるのは、艦娘個人個人に設計されたワンオフ品である点だろう。同じ艦であれば似た形にはなるが、全く同じ形というのは普通存在しない。別の艦隊に所属同じ艦娘同士を区別するときは、基本的に生命維持艤装を見て判断する。それもあって、こちら側は普段から装備している者が多い。

 

「それは、武器を持たずに戦場に出ろって言ってるようなものじゃないですか! どうして」

「いやだって、資源無いし」

 

 そう言って提督が差し出したのは鎮守府の情報を示す書類、というよりノート。手書きで書かれた明細書には燃料、弾幕、鋼材、ボーキサイトと、補給に必要な資源の所持料が載っているのだが、どうみても桁が幾つか足りない。

 

 燃料五百、弾薬百二十、鋼材百三十、ボーキサイト五十。一回分の建造すらままならない。ましてや、戦艦と空母を運用するなど、とてもではないが不可能だ。

 

「それでも敵さんは待ってくれないからね。燃料だけはどうにか当てがあるから、怪我しないでぶん殴って来い」

「そんな無茶な」

「無茶じゃねーよ。長門やってんだから」

「えっ」

 

 急に話を振られた長門は目線を逸しながら。

 

「ひ、否定はしないが」

「……そんなぁ」

 

 提督の暴論に正面切って立ち向かってくれると信じていた長門までもが敵に代わり、諦めが頭を過る。素手で深海棲艦を倒すなど、正気の沙汰ではない。やれ、と言われて出来るものでもない。

 

「そんなわけだからよろしく。詳しくは長門に聞いてくれ。こっちはこっちでやらなきゃいけないことがあるから」

 

 ほら、さっさと行った。手を払う提督。乱暴なやり方に大鳳の頭に血が昇る。それを察した長門が大鳳の肩を叩いた。おもむろに首を横に振る。これ以上ごねても無駄だと知らせていた。長門のことは邪険に扱えず、大鳳もカッとなった頭を落ち着けて、提督を睨みつけながら執務室から去っていく。続いて長門。

 

 残されたのは無愛想な顔をした旭だけ。軍服のポケットから時代遅れの携帯端末を取り出すと、何処かへと掛け始める。数回のコール音の後、「もしもし」と出て来る低い声。

 

「F○ck」

「第一声がそれって酷くない?」

「胡散臭い糸目野郎にかける優しさは無え」

 

 電話の向こうで乾いた笑いを浮かべる相手に見えてもいないファックサインをして、足を組み上げる。

 

「ホトケの元帥がこんなチンケな鎮守府にプレゼントなんざ、裏があるに決まってるだろうが」

「そんなに信用無いかなー、俺」

「三年で少将から元帥まで上がったお方が、信用できるとでも?」

 

 信用してもらいたいんだけどな、とマイクの向こうで飯沼(いいぬま)弥勒(みろく)は苦々しく笑う。

 

「そりゃあね、裏が無いといえば嘘になるけどさ」

「ほうらやっぱり。何が望みだよ」

「たいしたもんじゃないさ」

 

 何か飲み物を口に含む音がした。喉を鳴らす。どんな顔をしているのか、いつも通りのわざとらしい笑みが浮かんで腹が立った。

 

第一泊地(うち)も結構厳しくてね。正直、佐世保の何処が潰れても日本は終わると思ってるんだ。だから、少しでもこっちに戦力を傾けておきたい」

「どの口が言ってんだか。厳しいのは敵さんじゃなくて東のジジイどもなんじゃねえの?」

「どっちもだよ。内憂外患とはよく言ったものだ」

 

 そんなことを言いながらも、弥勒の口振りには余裕が窺える。何を企んでいるのか、旭には分からない。そもそもコネも何も無しに三段跳びで出世レースを駆け抜けていった俊才の思考など読めるはずもない。気に食わないから当たっているだけだ。

 

「真面目な話する?」

「お前がそういうときは大抵ホラ話だ」

「まあね」

 

 机を蹴りつける。向こうで弥勒がちょっとびっくりしたようだった。ざまあみろ。愉快になって旭は鬱憤が少しだけ晴れた気になる。

 

「で、なんだって」

「まだ九回裏ツーアウトだって話」

「悪いけど野球にゃ興味無いんだ。最後にやったのがいつだったのかも覚えちゃいねえ」

「はぐらかしてるのは君の方じゃないか。意味が分かってない訳じゃないだろ」

「…………死ね」

 

 親指を通話終了のボタンに叩き付ける。スピーカーからこぼれるツーツーという電子音がいやに気分を逆撫でた。投げ捨てたくない衝動に駆られて振りかぶる。すんでの所で代わりがないと思い直し、ああ、と大声を上げた。甲高い声が虚しく響いた。広い部屋に自分一人。いつもの事とは言え、どうにかなってしまいそうだ。

 

 窓から水平線を眺めると、海は青く広がっていた。

 

 

「むぅーりーでーすってー!」

「ええい、暴れるな! 取り落としたら安全は保証できないぞ!」

 

 長門が大鳳を小脇に抱え、砲弾の雨を掻い潜る。精々が重巡の砲弾、一発当たったくらいでは沈むことは無いのだが、高速修復材も資源も枯渇している現状、被弾は即ち死につながる。特に今回が初めて出撃する大鳳にとっては、地獄以外の何物でもなかった。

 

「そんなんでは、この先やっていけないぞ!」

「艦娘は的ではあーりーまーせーん!」

「五月蝿いターキーにしてやろうか」

「それだけはやめて!?」

 

 喚き散らす大鳳に一々丁寧に罵声を返しながらも、長門は最小限の動きで砲弾を避ける。未だ一つの被弾も無く、船が七分に敵が三分といった状況を切り抜けていく。戦艦とは思えない身のこなしの軽さに、敵方も僅かに混乱しているようだった。

 しかし、敵の数は増えるばかり。三、四艦隊分は居るだろう深海棲艦の群れに執拗に狙われ、殴り飛ばすどころか向かい合うことさえ叶わない。このまま集まれば、ドッジボールがリンチに変わるのは必定。

 

「主砲など無くたって、こうするのが帝国海軍だっ!」

 

 長門は主要武装の代わりに腰に付けた巾着袋に手を突っ込み、取り出したソレらを身体をフルに動かして投げつけた。水上で足を上げる豪快なピッチングフォームに合わせて、大鳳の頭もグワングワンと揺れる。ガキンと装甲を貫く音がした。小さな駆逐艦達が体勢を崩し、離脱していく、中には海へと落ちていくものも居た。

 

「な、何やったんですか」

 

 脳を揺さぶられ喋ることも覚束ない様子ながら、気力で意識を保っていた大鳳が恐る恐る尋ねる。

 

「ただの石ころだ」と長門は言った。

 

 畑で拾い集めた何の変哲もない石ころ。鎮守府近くは火山が近いのか、それなりに硬い石が取れる。その、砲弾よりも小さな凶器を戦艦長門の力でぶつければどうなるか。それは対戦車ライフルよりも破壊力がある兵器だった。装甲の薄い深海棲艦ならそれだけでも轟沈に値する被害が出ることもある。

 力の有り余る戦艦、その上砲塔を使わない戦い方を熟知した長門だからこそ出来る荒技であった。

 

「そんな馬鹿な」

「馬鹿みたいでも真実だ。そうら、もう一度」

 

 巾着袋に残った分も取り出す。バララ、バララ。単なる投擲の音と形容するには轟音。ショットガンのようにバラけた礫が再び深海棲艦に風穴を開けていく。

 

 足に力が入る。ガクン、と体勢を崩した。腰を低くして、脚部の艤装に精神を集中させる。両舷全速前進。縮小化されたタービンが回る。二十五ノットの速力でも問題無い。死地に向かってためらいなく飛び込んでいく。水飛沫が上がる。体にかかる負荷は被弾の衝撃にも似ていた。胃を締め付けられ、心臓を掴まれるような苦しさ。悶え苦しむような痛みにも長門は顔色一つ変えない。

 

「うおおおおおっ!」

 

 咆哮が響き渡る。火花散り、太陽の光が反射する。頬のすぐ横を砲弾が掠めていった。気にせず手を伸ばす。捕まえたのは旗艦と思わしき重巡リ級。赤い目は、優れた個体(elite)であることを示している。指の隙間から長門を睨みつける悍ましい視線を真っ向から迎え撃つ。

 

 拳に力が入る。めきり、めきり。そんなものがあるのか定かではないが、頭蓋骨が軋む音がする。リ級が苦悶の声を上げた。苦し紛れに主砲の矛先を向けるが、気付いた長門は片手でリ級の体を振り回す。麻布でもはたくかのように遠心力が掛かり、とてもではないが照準を定めることは不可能だ。さらに力を込めると、破砕音と、固いものが擦れ合う音がした。リ級の腕は力無くだらりと下がり、指の下から覗く目に赤い光は灯されていない。

 

 それでも長門はソレを掴んだまま、今度は別の深海棲艦に叩き付ける。重巡の装甲は軽巡や駆逐に比べれば固く、長門達を砲撃から守る盾となり、沈めるための矛となった。

 

 何発か、駆逐イ級の砲撃が物言わぬ体に着弾する。貫通こそしないものの、既に穴だらけ。そんなことを気にしはしない。お返しとばかりにタービンを回し、敵陣を蹂躙する。

 

 踵が他のリ級の頭を打ち砕いた。掴んだままの頭蓋を軽巡にも駆逐にも叩きつけた。目についた大物も全て海の底へ沈めると、残された低級の深海棲艦も蜘蛛の子を散らすように逃げていく。それは旋風とでも形容するのが相応しかった。一度捕まれば逃げること叶わず、ただ巻き込まれ、切り裂かれるしかない天災。

 

 あれだけ居たはずの敵は綺麗さっぱり消え去っていた。

 

 脅威が去ったことを確認すると、息を吐いた。もはや人の形を成していないリ級だったものを投げ捨てて、ちかちかと痛む目元を押さえつける。

 そこでようやく抱えた大鳳の存在を思い出した。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 声をかけるも返事が無い。頬をぺしぺしと叩けば、んん、と小さな呻きが漏れる。

 

「気絶したのか……これでは先が思いやられるな。せめて自分の身くらいは自分で守れるようになって欲しいのだが」

 

 嘆きつつ、長門は大鳳を抱えたまま鎮守府への帰路についた。

 

 

「そーれで、新入りの様子はどうだった」

「少なくとも今は使い物にならんよ」

 

 日も完全に沈み、真っ暗になった空の中、執務室の明かりだけ灯っている。出撃を終えたのち、長門は大鳳を修復ドックに押し込んで身体を綺麗にしてから寝床に放り込んだ。ハードな着任初日を終え、疲労もピークに達していたのだろう、帰投時には目を覚ましていた大鳳も、布団に包まればすぐにまた寝息を立てていた。それを確認して、長門は執務室までやってきたのだった。

 

()()()()()はなんだって?」

「まだ九回裏のツーアウトだってさ」

 

 眠い目をこすりながら書類に目を通す旭に、なんだそれはと肩をすくめる。

 

「まだ試合終了ではないと」

「少なくともあいつはそう思ってるんでしょ。何点差だか知らないが、誰が打席に立ちたがるってんだ」

「おや、お前は野球になんか興味あったか」

「ぜーんぜん」

 

 旭は目を合わせないまま吐き捨てる。確認し終えた書類をとんとんと整えて、レターケースに投げ入れた。

 

 一つ大きく伸びをする。執務机の下をがさりごそりと漁ると、そこから小さな瓶を取り出した。長門がほう、と感嘆の声を上げる。

 

「一杯どうよ?」

「酒とは、いつの間に溜め込んでいたのやら」

「どぶろくだけどね。不心得者が居たからちょーっと、お話しただけさ」

 

 嗜好品に軒並み高い税率がかけられているこのご時世、たとえ安酒であっても手に入れることは難しい。そのため、このような密造酒(どぶろく)が裏で取引されていることは珍しくない。

 

「そりゃ艦娘一人運ぶために船なんか使うはずないだろっと」

「全くだな」

 

 ひびの入ったグラスに注ぎ、二人で縁をぶつけて鳴らす。ぐいっとひと呑みして旭は脱力したように息を吐いた。

 

「五臓六腑に染み渡るわあ」

「胃を痛めつけられた後だとなおさらな」

「そんなに弱いのかよ」

「初めは誰だってあんなものだ。最初から一人前に動ける奴なんて居るはずもない。いや、例外が無いわけでもないがな」

()()は例外なんて可愛いもんなのかね。それと、お前も大概だぞ」

「失敬な」

 

 早々に空にしてしまったグラスに濁った液体を注ぎ直す旭。対照的に長門は味わいながらちびちびと飲んでいる。

 

「まあ、どこの息もかかってないだけマシと言うべきか」

「ホトケさんの息はかかってんじゃないの?」

「それはないだろう」

 

 立ち疲れたのか、長門が机の上に腰掛ける。少し軋む音がした。重いというよりも脆いといった感じだった。旭は舌打ちをして机から一歩離れる。顔が近いと話がしづらい。

 

「だいたい、アイツには秘密裏にこちらを探る理由がない。強権発動して赤城でも送り込めば済む話だ」

「そりゃそうだけどね。天才様がアタシに何を望んでるのか、不可解で仕方が無い」

 

 気付かないフリをしているだけだろう。長門は内心でそう呟いた。分かりきっているというのに、分からないフリをして逃げようとしている。逃げたくないのに、目を背けようとしている。

 

(もしかしたら、 大鳳(新入り)はそのために呼ばれたのかもな)

 

 推測と呼ぶには余りにも荒唐無稽な妄想を、長門はどぶろくと一緒に飲み込んだ。


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