暗い、暗い、暗い。
意識を取り戻した彼女はその視界の暗さに困惑していた。
暗いだけではない、どうも手足が自由に動かせず大の字になって寝ているようなのだ。
そこで彼女はこう考える、自分は捕まってしまったのだと。
考え始めたために、それまで朦朧としていた意識は一気にその鮮明さを取り戻した。
そう、彼女は雁字搦めに四肢を封じられていたことに気がついたのだった。
「!? これは・・・・・・!?」
いかに彼女が優れた戦闘者であっても、中身はか弱い10代の女の子である。
突然のこの状況に驚き、縛り付けられた両手両足を必死に動かそうとした。
しかし彼女の身体は、その場から一切動かなかった。
しかも、耳を澄ましてみると・・・・・・確かに聞こえてくる規則正しい足音があった。
コツン、コツンとそれは次第にこちらへ近づいてくるのがわかる。
「・・・・・・!!」
とすればもう既に猶予などないだろう。
急がねば、自分は何をされるにしろ少なくとも無事では済まないことは自明であった。
しかし、彼女に取りつけられたこの拘束具は、とても少女の力でどうこうできる代物ではない。
彼女の額に嫌な汗が流れる。
「・・・・・・目が覚めたみたいだな?・・・・・・白い魔女」
知らぬ男の声が彼女の・・・・・・アイリスの耳に通った。
その音によりいっそう彼女の手には力が込められる。
ガシャンガシャンと虚しい金属音が鳴り響く。
アイリスを見下ろすこの男は黙ってその様を見ていた、まるで必死にもがき苦しむ動物を観察するかのように。
彼女の腕に光が集まってゆく。
これまでにも幾度となく見せてきた魔法、マジックシュートである。
しかしながら、その光が拘束具を砕くことはなかった。
「調べはついている、魔法は身体の末端部分からしか出ない」
男はいたって冷静にそう告げる。
こうも雁字搦めに拘束されては、アイリスの魔法は拘束具に向けて撃てない、そういうことだ。
表情には出ていないものの、アイリスの心には確かに絶望の輪郭が浮かび上がってゆく。
「私を・・・・・・どうする気ですか・・・・・・」
もはや抵抗を諦めたアイリスは弱々しくそう尋ねた。
すると、男は意外にも暖かみのある声でこう言ったのだ。
「別に、どうともしない」
「・・・・・・は?」
どうともしない、ではこの状況はなんなのか。
あまりに唐突な事実にアイリスは非常に困惑していた。
「ではこの拘束はなんなんですか」
こういう状況で質問するのは、自分の命運を握っている相手の機嫌を損ねることがあるから本当はしないほうが良いのだが、アイリスは思わず質問をせずにはいられなかった。
むしろ、口から質問がこぼれてしまったと表現するのが適切であろう。
「可愛い花にはトゲがあると、そう相場は決まっているものだ。単純に起きてすぐ逃げられても困るからな」
「か、かわ・・・・・・」
可愛い、言われ慣れていない彼女の反応は妙に早かった。
そこに被せる・・・・・・最も元は彼の話している最中であるが、ともかく男はアイリスの拘束を時ながら話を続ける。
「会わせてやりたいヤツがいる」
混乱した状況下で彼女がかろうじて理解したのは実にその一言のみであった。
言うなれば会話の取っ掛かり、垂直な壁に突如として現れた突起のようなものだ。
「それは・・・・・・誰なんですか」
「秘密だ」
道を塞がれてしまったようだった。
二人の会話は流れの悪くなった血流のようにぎこちなく、どうも続かないもののようだた。
やがて拘束を解かれ、アイリスにつけられていた目隠しも外された。
そこで彼女がみたものは、銀髪が特徴的な鎧の青年だった。
しかし、纏う雰囲気にささやかな既視感を覚えるような、そんな姿である。
「あ、あなたは」
少しづつ記憶をたどっていたアイリスがやがて心当たりにたどり着いたのか、男を震える指で指し、わなわなと情けのない声でこう言った。
「小魚の人ですか!?」
「なんだその覚え方は」
しかもその心当たりは外れではないようである。
そう、この男は一週間前にアイリスが猫とのスキンシップを失敗した時に現れた謎の男だったのだ。
その確信が得られたアイリスはおもむろにポケットから小魚を取り出す。
「これです、渡しましたよね」
小魚を見るや否や男は、まだ使ってないのかと呟いたように聞こえた。
「さて、知らんな」
特に隠す理由など無いはずだが、男は適当にあしらって後ろを向いてしまう。
「それよりもな」
彼は近くにある机から衣服を取り出し、着替えろ臭い、とアイリスに手渡した。
臭いと言われたのが気になったのか彼女はくんくんと自分の匂いを嗅いでみた。
その光景が馬鹿らしく男の目に映ったのか、どうも笑いをこらえているようにも見えたが、アイリスの目には映っていなかったようである。
それによって、自分の匂いを一生懸命嗅ぐ少女と、それを見守る謎の青年という奇妙な光景を生み出していた、実に奇妙だった。
「いいから着替えろ、どの道その格好では私は白い魔女ですと言っているようなものだ」
「・・・・・・駄目なんですか?」
どうも話がずれているような印象を受ける。
恐る恐るアイリスに対してこう聞いてみる。
「お前、ここをどこと思ってるんだ」
人差し指を顎にあて視線を斜め上にそらし考える素振りを見せるアイリス。
考える必要などないのだが、それでも考えて結論を導いたのか顔を上げて視線を男へと戻した。
「え、ラグーンですよね?」
「呆れた」
答えが口にされるのと、男が呆れたと口にするのはほぼ同時であった。
「えっ、えっ?・・・・・・え、まさか」
そう、そのまさかである。
ーーーー当然ながら、ここはベルキアなのだ。
そもそも捕まったという発想が出来るのにここがラグーンだと思うのもおかしな話だが、恐らく彼女はまだ寝ぼけていたに違いない。
それを彼女が理解したとき、今日一番のえーっ!という叫び声が男の鼓膜を貫いた。
さて、アイリスは崖から転落していった訳だが、彼女はそのことを憶えているのだろうか。
結論から言えば憶えている、と言うより思い出したと言うべきか。
アイリスは結局ベルキアの風景に紛れるべく着替えたのだが、思い出したのはその時だ。
余計ではあるが、それを思い出したアイリスが自分がラグーンにいるなどという勘違いを起こしたことに赤面したことも付け足しておこう。
「ところで、カイさん」
カイさん、というのがこの謎の青年の名前である。
「なんだ」
アイリスの前を歩いて道案内をしている彼は振り向くことなく短く返事をする。
「会わせたい人・・・・・・とは誰でしょうか」
「秘密だ」
「むう、教えてくれてもいいじゃあないですかー」
アイリスのむくれた表情が、一瞬カイの視界に入った。
すると、彼は立ち止まって何かを言わんとしている様子でアイリスの方を見た。
これは・・・・・・聞き出せるかと彼女は淡い期待の輝く表情とともにカイの次の言葉を待った。
「・・・・・・着いたぞ」
期待とは違う答えがカイから聞こえた。
なんと、答えより先に目的地に到達してしまったのだった。
「うぐぐ・・・・・・あくまでも答えない気ですか・・・・・・」
幼い子供のようにむくれるアイリス。
しかしそのわざとらしい表情は、次の瞬間には消えているだろう。
なぜなら、彼女の目の前に現れた人物があの・・・・・・黒い騎士であったからだ。
「な・・・・・・」
ガシャン。
金属と金属の絡み合うやかましい音が響いた。
黒い騎士が手に持っていた道具を床に落としたのだ。
魔女も騎士も、あまりの驚きにその身体を凍らせていた。
「え・・・・・・あ・・・・・・・えと・・・・・・」
その硬直がいち早く解けたのはアイリスであった。
・・・・・・しかし本当に解けたと言えるのだろうか、口をパクパクさせるだけで両者とも無言であった。
その状況にもどかしい気分を味わっていたのは、小魚の人ことカイだ。
「お前ら、せめて何か話せよ」
そんなカイの言葉に、固まっていた黒騎士ヴァンがかろうじて言い放った言葉はこうだ。
「無理にきまっているだろう、察しろ」
・・・・・・いかに一国の切り札と言えど、精神までは人間の範疇を超えないようである。
改めてそう思ったカイだった。