ラグーンの空は、青い。
ラグーンの海も・・・・・・青い。
一人、海と空を見つめているアイリスは、そんな青色の輝きを黒騎士の瞳に重ねていた。
会話を試みようとしたあの日、その時からあの黒騎士の姿が頭から離れないのだ。
彼は一度だけ剣を下ろした、つまりそれは彼には話をする気があったことに他ならない。
不意打ちの可能性は一切否定出来ないものの、アイリスは彼が・・・・・・黒騎士がそのようなことをしない人物であることを感じ取っていた。
気付けば、彼女はこう呟く。
「あの人は・・・・・・」
ーーーー私と一体何を話そうと思ったのだろう。
考えれば考えるほど、その答えは不思議と霧の中に消えてゆくようだった。
アイリスを近くで見ていた鎧の女は、実に困惑していた。
一向に動かない戦況に、ではない。
戦闘を終えた後のアイリスの様子にである。
ベルキアの方角を向いて、ボーッと何時間も虚空を見つめ続ける横顔は亡き人を待つ未亡人のようで、きっと鎧の女がいくら話しかけても返事は返ってこないだろう。
何にも邪魔されることなく、その美貌をそこら中に垂れ流しているその様は、あまりにも無防備なものであった。
そう・・・・・・どこか上の空なのだ、一体何があったというのだろうか。
「はぁ・・・・・・全く、何なのよ・・・・・・。声かけても返事しないし、いまいち話通じないし・・・・・・」
広大な海と壮大な山々が、この青空と協力して作り上げるラグーンの風景に溶け込んで、鎧の女は酷く困惑している。
撤退指示の後処理に、アイリスの世話に、隊長兼戦技教官などもをまとめて請け負う。
鎧の女・・・・・・ラグーン騎士一番隊隊長、ブロッサム22歳。
誠に苦労の絶えない毎日なのである。
事の発端は例の戦闘の時までに遡る。
彼女が前線で戦っている間にアイリスは黒騎士と対決した。
激しい戦闘になるはずだった、なにせ両国の切り札同士の一騎打ちなのだから。
下手をすれば、その勝敗は戦争の勝敗に直結しかねないような一戦。
その中聞こえてくるのは恐らく黒騎士の技からくる音だけであった。
アイリスはただの一度も本気で攻撃せずに温い攻めを続けていたことは、間違いはないだろう。
しかし戦闘は中断された、ただ一発のマジックシュートのみによって。
この報告を受けたブロッサムは、やはり酷く困惑した。
アイリスは本気の一撃・・・・・・すなわち「魔法」を放ったのだ。
故意か不意にか、何を思ってその行動に至ったかは、彼女は知らない。
しかもその上で、黒騎士は五体満足で生きているとまで言われては、ますます理解不能な行動だと思っても仕方がないことだ。
が、原因は間違いなくそれであろう、彼女はそう考えている。
その時に何かされたのか・・・・・・、いや、何かしてしまったのか・・・・・・。
彼女の頭の中は、記憶という映像を巻き戻しているような状態だ。
ただ、後ろ向きの感情がそこにないことは、彼女が零すように時折見せる笑顔が証明している。
そうしてやがて思考が停止する。
分からん、とブロッサムの脳が悲鳴を上げているのだ。
思い当たる節がないこともないはずなのだが・・・・・・、アイリスはここ数日、黒騎士の話すると露骨に反応していたのだから。
「うれしいことで、戦闘を中断するぐらいの事で、しかもアイリスが本気出すような状況・・・・・・?
顎に手を当ててわざとらしく、ブロッサムは考える動作をしてみせる。
「・・・・・・ダメだわ、ぜんっぜん分かんない」
彼女は、アイリスの興味は黒騎士に関する事なのは恐らく分かってるだろう。
では、黒騎士の一体何が気になるというのか。
彼女の思考はどんどん深みに嵌まってゆく。
あーでもない、こーでもないと一人唸るその姿は、妹の悩み事を解決せんとする姉のそれのようであった。
そこで、思考までもが思春期の妹を持つ姉に近づけば・・・・・・導かれてしまう答えが一つある。
ーーーー惚れたか、と。
「黒騎士、その強さに一目惚れってやつかしら?」
ブロッサムはそんな独り言を呟きつつアイリスの方を見る。
なるほど、こうして見てみれば納得のいく光景に思えてくるものだ。
呆けて上の空なアイリスは、遠く離れたよく知らぬ黒い騎士に思いを馳せているのだろう。
声をかけても返事がないのも、黒騎士の話で肩が跳ねるのも・・・・・・これなのだ。
「ふっふっふ・・・・・・可愛い奴め・・・・・・」
と言いながら、そーっとアイリスに近づき肩を叩いた彼女は、ウインクをしながらこう付け加えた。
「アタシに任せなさいな」
満身の笑顔、渾身の大声、今のアイリスとて流石に気づいたし聞こえただろう。
「・・・・・・へ?」
が、その意味が解らずに困惑したのは今度はアイリスの方であった。
彼女がまず行うのは、ベルキアとの交信手段の確保である。
戦争中、その敵国との交渉以外での個人的な交信である。
この時点でかなり無理があるような気がするが、そこは隊長のブロッサムである。
権限を最大限活用してどうにかこっそりにでも、かの黒騎士との連絡を取りたいところだ。
彼女の向かう先はただ一つ、さらなる権力を持つものの場所だ。
「んで、俺かよ」
一人で使うには余りに広い広間、そこに男の何とも言えぬ気だるさを感じさせる声が響きわたる。
目的地に到着し、ブロッサムは事のすべてをこの目の前の男に伝えたのだった。
壁の至る所には黄金の装飾がこの場の重さを告げるように煌めき、天井にはいつの時代をモチーフに作ったかまるで分からない謎の彫刻、空間がよりいっそう広がりを持ったように思わず錯覚してしまうような鏡の数々。
その最奥で、椅子の肘掛けに肘をついて目を細めるのは第十三代目ラグーン国王であった。
「ええ、陛下・・・・・・お願いいたしますわ」
「やめろ気持ち悪い」
わざとらしい・・・・・・というか、ほぼわざとの敬語で頼みこむブロッサムと、雑に敬語を突っぱねる国王の姿がそこにあった。
・・・・・・本当に国王なのだ、王冠もちゃんと身につけているの見えるだろう。
「アタシがわざわざ敬語で頼みこんでんのよ、いいじゃあないの」
彼女は頬を膨らませて引き下がろうとはしなかった。
無礼なんて領域は既に過ぎ去っているだろう。
この女、立場を弁えないのは魔女相手限定ではないようだ。
「あのなあ、常識的に考えてムリに決まってんだろが」
はあ、と溜め息をするかわりにぶっきらぼうにそう返す国王。
「常識は疑えよって偉い人が言ってたわ」
などとブロッサムが言い返せば。
「るせえっ、俺のが偉いわ」
と、面倒くさそうに国王はツッコミをいれた。
話に付き合うだけまだ優しいと言えるのではないか、そんな事はいざ知らずブロッサムは諦めずに食い下がり続ける。
「ベルキア旅行ってことで!」
「無理だ」
「じゃあ公式の使節団として!」
「駄目だ」
「くぅー、んじゃ手紙だけでも!」
「ダメっつってんだろが!!」
ちょっとだけ、ねえちょっとだけ、などと手をパンッと合わせて根拠もなくそう連呼する様はとてもじゃないが一部隊の指揮を任せたいなんて思えない。
「ぐぐぐ・・・・・・・・・・・・ケチ!」
「いや、ケチとかケチじゃないとかの次元じゃねーよ!」
大の大人の吐く「ケチ」、という発言。
ーーーーもはや何も言うまい。
「うっさい、国民の意見を聞いてこその王様じゃない!その王冠は飾りかしら!?」
いや、発言云々以前に人にものを頼む態度でないのは明白か。
「こんの・・・・・・言わせておけば・・・・・・」
これ以上は見るに耐えないやり取りが続いたため、ここでは何も語らないことにしよう。
結局二人は、5時間もの間言い争った挙げ句に、近くを通りかかったアイリスによってなだめられることとなった。
さて、この話し合いの果てにブロッサムは、ベルキア王国の黒騎士との連絡手段を確保できるのだろうか。
アイリスを交えて会話は続く。
「黒騎士ねぇ・・・・・・、そんなに合わせてえのかよ?」
「あ、いえ・・・・・・、別にそんな・・・・・・」
王の問いに対するアイリスの言葉に反して、彼女はあたりにキョロキョロと視線を移していた。
「あー、これは・・・・・・」
と、王は目を細めてブロッサムに目配せをする。
「でしょ?」
ブロッサムもまた小声でそう答える。
「・・・・・・ショージキに言え?魔女様よ」
「え、あ、はい」
アイリスは急に目を見開いた王にびっくりしてしまったようだった。
だが、アイリスが落ち着きを取り戻す前に王は質問を投げつけた。
「黒騎士の一体どこに興味あんだ?返答次第で対応を決めさせてもらうぜ」
そう言われ、アイリスは戸惑うかのように思われた。
しかしむしろアイリスは、そう言われることによって落ち着いたように見える。
少しの沈黙、言葉に詰まっているというよりは、それを言う勇気が湧いて来るのを待っていると言ったところか。
「・・・・・・あの方は、手加減をしていました」
馬鹿な、とブロッサムが驚く。
ほう、と王は関心を持ったようである。
さらにアイリスは次のように言葉を紡いでいった。
「ーーーーあの方の剣には迷いがありました。きっと、理由はどうあれ私のように心から戦争に臨むことが出来ないんです。私を殺すことの出来た場面はどこにでもありました。初め、後ろから話しかけた時、鍔迫り合いで戦いが止まったとき、私の魔法だって彼は多分容易く破ることができたはずです。彼は、戦いに目を向けてなかった、と私は思っています」
「それで、話をしましょうってか」
話を聞いた王は疑問を口にする。
「・・・・・・はい、勝手な行動でしたね」
アイリスはわかりやすくシュンとした表情でそう言った。
「ちょっと、アイリスが悪いみたいな言い方止めなさいよ」
それを見て慌ててブロッサムが口を開く。
「いや別に怒ってねえよ、こっちは魔女様に力借りてる立場なんだしな」
だが、と王は続ける。
「それならそうと言ってくれ、水臭えし勝手に動かれると俺も困る」
「え・・・・・・」
「それって・・・・・・」
言ってくれ、それは言い換えれば言ってくれれば何かをしてくれるということなのか。
アイリスもブロッサムもその考えに至って、驚きの目で王を見た。
「やってみるさ、俺にはアテが無くもないからな」
「・・・・・・あ、ありがとうございます!」
やってみるという言葉。
その言葉はアイリスの身体に不思議と染み込む、彼女は思わず笑みを零して感謝の気持ちを伝えるのだった。
ところで、ブロッサムは持っている権限を最大限生かして云々、と意気込んでいたのを覚えているだろうか。
果たしてどこにブロッサムの権限が介入する余地があったのか、思い返して頂きたいと思う。
恐らく無いはずだろうから。