戦いは続いている、何の罪もない人々同士が殺し合い、奪い合い、傷つけあっている。
白い魔女も黒い騎士も、例外なくその内に含まれる。
アイリスは地面に横たわる「人だったモノ」を見つめて、涙も流せない自分を嫌悪した。
彼女には、人を殺す勇気などないのに・・・・・・人を傷つける覚悟などないのに・・・・・・。
白き魔女の力は彼女を選んでしまった。
いつの世の中も「出来ること」と「やりたいこと」には大きな溝がある。
彼女にできることといえば、今こうしているように死にかけの兵士にほんのわずかな情けをかけてやるのみだった。
状況は完了した、だが依然として戦況は良くも悪くもならないのだ。
「魔女様! 報告にまいりました!」
「・・・・・・」
若い兵士の声、まだ男か女かも分からぬような風貌の通信兵だった。
その幼い兵を見て、またアイリスは悲しい気分になる。
「如何なされましたか?」
と、そんなアイリスの表情が気になったのか兵士は彼女にそう訊いた。
「・・・・・・・・・いえ、なんでもありません。報告をどうぞ」
アイリスの催促を聞き、困惑した表情で兵士は自らの役目を果たさんとする。
「了解いたしました、ブロッサム隊長からの報告を読み上げます!」
声高らかに元気よく紙を読み上げる兵士。
報告の内容は次のようなものであった。
「西方に黒騎士の姿あり」と。
この知らせを聞いたアイリスは、すぐにそこへ向かって歩き出したのだった。
広い平野も、西へと歩みを進め続ければ多少は景色が変わってゆく。
草は木々に、池の存在も次第に確認できるようになってゆき、草を踏みしめるのとはまた違う、葉が軋むような足音が心地よく無人の地に響く。
アイリスが歩き出してから既に10分が経過していた。
「・・・・・・」
とすれば、黒騎士もそろそろここに現れるだろう。
アイリスは、魔法を展開しつつ辺りを見回す・・・・・・が、そこに敵兵の姿はなかった。
いや・・・・・・兵、などとは表現出来ないと言うのが正しいだろうか。
部隊よりも屈強で、個であるが故の柔軟性をもつ、向こう側の「切り札」の存在。
ーーーーなるほど、これほどの重圧か、とアイリスはこれまで会った兵士とは、まるで違う気配と殺気を感じ取る。
「ーーーーー白い魔女だな?」
彼女の後ろから声がした。
背後をとった上で声をかけるというこの行為は、最低限の礼儀か、それとも余裕からくるものなのか。
「いかにも、私が・・・・・・白い魔女です」
アイリスはそんなことをぼんやりと考えつつも、来てしまいましたか、とばかりに瞳を閉じてから、声の主へと振り向く。
ーーーーそこにあったのは男の姿だ。
強烈な風で叩きつけるかのような威圧感、ただただ純粋な黒さを放つ長髪。
全身を包む鎧は幾つもの金属の層が複雑に折り重なり、奇妙な線模様を浮かび上がらせている。
その手には、人には到底扱えるはずもない大きさの長剣を握りしめて、深い暗黒を湛えた紺青の瞳で以て、ただ一点にアイリスを睨みつけている。
風格だけで既に実力は嫌というほど感じ取れるだろう、まともな生命の持つ脳なら今にでも「逃げ出せ」と身体へ命令を送りかねない。
「ヴァン、ベルキアの黒騎士・・・・・・ヴァンだ」
黒騎士を名乗る男はそう言い放ち剣を構える。
その剣先は確実にアイリスの命を絶たんと正確無比に首へ向けられていた。
「ラグーンの白き魔女、アイリスです」
「そうか・・・・・・」
そう呟き、男はアイリスを見据える。
息も出来ないような重圧が、そこらじゅうから聞こえてくる怒号や悲鳴を消し去る。
先程までは、遠く離れた鳥の囀りすら聞き取っていたアイリスもまた、例外なくその圧力の渦中に呑まれ始めていた。
異様な静寂が訪れようかというその時、男は口を開いた。
「ベルキア黒騎士、ヴァンだ・・・・・・ゆくぞ、白き魔女よ!!」
名乗りを挙げ、先んじて剣を振り下ろしたのは黒騎士であった。
一息の間、その極めて短い時の狭間に、騎士は重火器の砲撃にも劣らぬほどの衝撃を地面に踏み込み魔女へと接近する。
ーーー直線。
本当に視線に対して一直線に接近するものはそれだけで距離感を狂わす。
男の寸分違わぬ直線運動はまさしくそれであった。
「デヤァッッ!!」
一閃、そこから放たれる突きは先制攻撃としてあまりに完成されていた。
が、相手とて一国の切り札である。
「っ!」
アイリスは男の方向へ跳躍、難なくそれを回避し男の後ろへと回り込み後の先を狙った。
男の剣はアイリスの回避を後追いするかのように空を切り、その剣先は徐々に彼女から離れてゆくのが確認できる。
そして一瞬、確かに剣は止まったのだ。
「はあああ!!」
ーーーー好機。
男が完全に攻撃動作の戻しに入るのを確認した後、深く力が込められた正拳突きがアイリスから男の胴体へと放たれる。
「・・・・・・甘い」
ーーーー避けられるのを前提とした牽制であったのだろうか。
男は左斜め後ろより迫る拳を見ることなく返す刀であっさりと迎撃してしまった。
だが好機であることには依然変わりはない。
アイリスは蹴り、拳、魔法、その連続攻撃の手を緩めることなく続けた。
男も連撃を籠手でいなしながら、その間隙を剣を切り返してアイリスの足を付け狙う。
せめぎ合いが続く中、足への攻撃を一度だけアイリスはジャンプによって回避した。
ーーーー騎士の狙いはそこであった。
鎧に身を包むことのない軽装なものであれば脚を封じて動きを止めるのが定石である。
もちろんそれを知っているのは当然であり、脚には絶対傷を負わないように立ち回る・・・・・・隙を消し最短距離にて攻撃を回避するだろう。
超近接の剣の、足に対する斬撃は「ジャンプ」が最短なのだ。
その跳躍の瞬間、男は短く剣を持ち魔女の胴体へ鋭い斬撃を放った。
対して、アイリスは空中にて表情を変えずに魔力を放出させた。
するとどうだろう、それによってジェット噴射の要領で急速にアイリスの方向転換が成されたのだ。
その直後、騎士の剣が先程の位置で空を切った。
すかさずアイリスは腕に魔力を収縮、方向転換の勢いを利用し騎士に蹴りを放つ。
受け、返し、避けて、殴る、そんな絶え間ない攻撃の応酬が続く。
ついに魔女の足が地に着いた。
彼女は瞬時に腰を落として構え、間髪入れず拳を放つ。
騎士も返す刃でその一撃を受け止めた。
騎士が剣を動かし斬りつけんと構えれば、魔女が離れようと仕掛ければ、それが既に隙と化す超近接の世界・・・・・・鍔迫り合いの状況が生まれる。
辺りに意識を向ければ戦況は膠着を始めていることに気付くだろう。
一転突破の策も、決め手となるには一つ足りなかったようである。
この場においても決して例外はなく、二人の鍔迫りはこの戦場における静寂の象徴とも呼べるような様相を見せていた。
そんな中先に仕掛けたのは騎士の方であった。
男は目を細めて大きく後ろへ下がると、剣を構える。
すると剣からおびただしい量の「黒」が溢れ、やがてさらに巨大な剣が姿を現した。
「薙ぎ払え」
巨大な剣がアイリスの視界を覆う。
黒く、大きく、見ただけでも破壊に特化したと分かるそれは、その巨大さ故に回避の難しいものだろうということは想像に難くないはずだ。
「”グランディバイダー”!!」
先程の技術に裏付けられた技とは一転、言い表すならばそれは「暴力」であった。
圧倒的な破壊力が地面を抉り、明確な殺意が空間を切り裂き、アイリスを喰らわんと迫る。
アイリスは目を閉じて、左腕を右肩の位置まで上げる。
それは力を抜いて意識を腕へ集中させているように見えるだろう。
「切り開け」
視界を覆う「黒」に、一点だけ光が漏れる。
星のように煌めく「白」がアイリスの左腕に集まっていく。
収縮された魔力がさらに輝き、球状のエネルギー弾が形成された。
「マジック・・・・・・」
「シューーーートッッ!!!!!」
フリスビーを投げるように腰から上をひねり腕に力を込め、アイリスは渾身の叫びとともに魔力を放った。
それが、黒騎士の一撃を破るのは一瞬だった。
巻き上げられた砂塵を消し去り、バチバチと異様な風切り音とともに騎士の首目掛け飛んでくる魔力。
「なっ・・・・・・?!」
迎撃は出来ない、回避は間に合わない、無傷では受けきれない、では防御は・・・・・・。
男は考える、が状況を打開するには既に手遅れであった。
必殺の一撃の後では、一切の隙をさらすことのなかったこの男も、動けぬ一瞬があったために対処が遅れたのだ。
魔女の放った一撃は男の顔面を正確に捉え、削り、抉りとるだろう。
彼女は死の臭いが満たされた戦場というその場において、一人勝者として立ち尽くすことになるのだろう。
騎士の眼にも魔女の手が一瞬震えるのが見えたはずだ、だが彼にとってもうそんなことはどうでもいい筈だろう。
そして魔女の一撃は男の目前へ。
完全に攻撃は当たっただろう、騎士の敗北は間違いのないものとなる。
しかし男が魔力に穿たれることはなく、それは目前で消え失せてしまった。
膨大なエネルギーが突如として消えたために、そこを中心として暴風が巻き起こり二人を隠す。
ーーーー何が起こったのか?
だがそんなことは今はどうでもいい、と騎士は剣を構えて、敵の姿を確認すべく目を細める。
砂塵が晴れ、その姿は鮮明になってゆく。
アイリスは構えていなかった。
さもそれが当然のことだとでも言うように、棒立ちで黒騎士・・・・・・ヴァンを見つめ返していた。
ーーーーあまりに異様だ。
必殺の一撃に失敗したあげく、戦場で構えを解いた。
異様と言わずになんと言えるだろうか。
しかしながら、戦意喪失ではないのは彼女の輝く紅の瞳が証明している。
それどころか戦っている時のとは全く異なる、しかしそれよりも・・・・・・強い、瞳だったのだ。
「何のつもりだ」
剣の構えは解かず、ヴァンは訊ねる。
「・・・・・・少し、少しだけでいいんです」
ーーーーどのような勘違いがあってもいい、如何なるすれ違いが起ころうとも構わない。
そう瞳が訴えかけているのがヴァンには強く感じ取れた。
恐らくこれほど決意に満ちた燃えるような目は、見たことがないだろう。
彼はいつの間にか、構えることを忘れていた。
「・・・・・・」
しばらくの沈黙、その後意を決して息を吸うとアイリスはこう言い放った。
「ーーーーーー私と話をしませんか?」
ーーーーラグーンの「白い魔女」とベルキアの「黒騎士」
これがその、出会いの日であった。