いつまでもボコだと思うなよ   作:忍者小僧

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9 いつまでもボコだと……

「あ」

 

みほちゃんが小さくつぶやいてこちらを振り向く。

目があった。

横顔を見ていたことを悟られたような気がして、僕は少しばつが悪くなった。

みほちゃんがぐいと体を近づけてきた。

 

「あの。おじさんは、どうして社長って呼ばれてるんですか?」

「あ、あぁ。自営業だからだよ」

「え? じゃぁ、本当に社長なんですか?」

「小さな会社だけどね」

「うわぁ! すごいです!」

 

手をポンと合わせ、それから、また僕のウィスキーグラスを手に取り、露を指でふき取る。

 

「社長のおじさん。もっと、ウィスキー飲まないと」

「あ、あぁ……」

 

みほちゃんの細い手が、僕のグラスにウィスキーを継ぎ足す。

 

「えへへ、美味しいのできましたよ」

「あ、ありがとう」

「私も、飲んでいいですか?」

 

僕は頷いた。

すると彼女は、慣れた手つきでハイボールを作った。

酒は僕たちが飲んでいるウィスキーとは違うものだった。

みほちゃんはお酒に強くないと言っていた。

酔いすぎないようにもともと薄めたウィスキーを用意しているのだろうか。

しばらく、会話が途切れる。

思い出したように、みほちゃんが問いかけてきた。

 

「あの……」

「なんだい?」

「おじさんって、もしかして、今でも、ボコなんですか?」

「…………」

「あ、こ、答えにくかったら、いいんです! その、忘れてください」

「いや、いいよ。確かに、僕はボコだったよ。でも、今はもうボコじゃない。ボコなんかじゃないんだ」

「あはっ!」

 

みほちゃんが嬉しそうに微笑む。

 

「がっかりしたんじゃない?」

「ううん。むしろ、昔そうで、今は全然違うって人の方が好き!」

 

きらきらした瞳を無邪気に向けられた。

また頬が熱くなるのを感じる。

 

「すごいなぁ。本当にすごいなぁ。昔ボコだったのに、今は会社の社長さんなんだ。かっこいいなぁ」

 

羨望のまなざし。

ちょん、と、温かいものが指先に触れた。

みほちゃんの指だった。

 

「あのさ、みほちゃんは、どうして、僕がボコでも気にしないの?」

「うん。だって。そういう男の人好きだから」

「好き……」

「うん……」

 

じっと僕の瞳を見つめてくる。

 

「あの、もう一杯、飲んでもいいですか?」

「え?」

 

言われてみると、彼女のグラスは空だった。

 

「あぁ。もちろんだよ」

 

僕の言葉に答えて、彼女はまた自分のハイボールを作る。

 

「えへへ。ボコのおじさんと飲むお酒、美味しいなぁ。酔っちゃいそう。こんなにおいしいお酒、初めてかも」

「そう?」

「うん。だから、その。もっと、おじさんの話、聞きたいな……」

「みほちゃん……」

「おじさんがボコだった頃のお話とか、いろいろ……。その……アドレスの交換、しませんか?」

「あ、あぁ……」

 

僕が背広の胸ポケットをまさぐった瞬間、湯浅が言った。

 

「よっしゃ! そろそろ、お開きにしよか!」

「あっ……」

 

みほちゃんが、しゅんとした表情でうつむく。

 

「お会計はもう済ましましたで。社長。早よ帰ろ、帰ろ。ぼさっとしてないで立っておくんなまし」

 

僕は舌打ちをする。

みほちゃんが、残念そうにつぶやいた。

 

「あの。また、来てくれますか?」

「もちろんさ」

 

僕は頷いた。

 

 

帰りのタクシーの中で、湯浅が小ばかにしたように言った。

 

「社長はん、あんた、意外にウブやなぁ」

「え?」

「ボコのくせに、女遊びはからきしかいな」

「どういうことです?」

「どうもこうもございますかいな。あんた、あの新人のねーちゃんに弄ばれとったやないか」

「何が言いたい?」

「怖い顔すんなや。ありゃ、わりとやり手の女やぞ。ガキのふりして取り入ろうって魂胆や。あんたさんが社長や聞いて、眼の色変えよったやろ。アドレスなんか教えてみい。金吸い取られる羽目になるで」

「そ、そんなことは!」

「あるがな」

 

湯浅がニタニタと笑う。

 

「あんた。あの短い時間に何杯お酒せがまれたんや。それも高い酒。ん?」

「高い酒?」

「せやがな。あのガキ、自分の分は響12年を入れよったで」

「響?」

「そんなことも知らへんのか。響とか山崎入れられたら、えらい金取られると思っときや。それも12年ものなんか、どえらいことになる。今回は、俺が誘ったから払ったったけどなぁ。貸しやで、貸し。今度、商売の方でなんか色つけてもらうで」

「そんな……馬鹿な……」

「馬鹿はあんさんやがな。それでよう、もともとはボコやっとたのぉ。ん?」

「ぼ、僕はもう、ボコじゃない」

「ボコはどこまで行ってもボコじゃ! ボケ!」

 

その言葉に、頭に血が上るのを感じた。

ひどく腹が立った。

僕は叫んだ。

 

「う、うるさい! いつまでも僕をボコだと思うな! その名前で呼ぶな!」

「うるさいのはお前じゃ!!」

 

湯浅がひときわ強く怒鳴った。

 

「あぁ、けったくそ悪い。コンビニ寄るで」

「コンビニに何の用だというんだ」

「酒買うんやがな。飲み直しや。あんたのホテルの部屋で」

「…………」

 

ふつふつと、怒りやら悔しさやらが湧いてきた。

僕は、いつの間にか、口ずさんでいた。

 

♪やってやる やってやる やってやるぜ♪

 


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