焼き鳥屋は、ロードサイドにあるこじんまりとした店だった。
酒を飲むことを見越してだろう、湯浅はタクシーを使った。
店内は、何枚もの芸能人や野球選手のサインが、壁のいたるところに貼り付けられ、鶏を焼く煙で薄汚れて変色していた。
僕は流行に疎いのでそのほとんどの名前を知らなかった。
僕と湯浅は、ビールで乾杯し、まずは肝刺しを食べた。
新鮮でとても美味い。
ぷるりと弾力があるが、ぐにゃぐにゃとししすぎず、噛みごたえも兼ね備えている。
そのうえ、値段もひどく安い。
さすがは九州だ。
「これは……美味いですね」
僕が驚きを含めて言うと、湯浅が破顔した。
「そうでっしゃろ。そうでっしゃろ。都会から人が来たら、まずここに連れてきますねん」
自慢げにそう言ってから、焼酎を注文した。
月の中、という聴いたことのない焼酎だった。
焼酎の水割りと、焼き鳥の盛り合わせがテーブルに運ばれてくる。
僕は湯浅のグラスを眺めて言った。
「霧島とかじゃないんですね」
「あぁ、霧島もここやったらぎょーさん種類ありますけどね。俺はこれが好きですねん」
「へぇ」
「同じもの、飲んでみますか?」
「そうだな。そうしようかな」
「よっしゃ。店長、この人にも月ん中、入れたって。『妻』がええわ。俺の大事な客やねん。サービスしたってや」
「妻?」
「銘柄ですわ」
「へぇ」
眼前に差し出されたその焼酎はまろやかだった。
芋だということが信じられない。
確かに悪くない酒だ。
「いけますやろ?」
「確かに」
湯浅に酒を勧められたことで、幾分、気持ちが打ち解けたような気がした。
僕は多少饒舌になり、経営戦略や、これからの方針、社会情勢などを語った。
湯浅は、その一つ一つに相打ちを打ち、だが自らの意見はさほど口にしなかった。
やがて、〆の焼きおにぎりが運ばれてくると、湯浅が口を開いた。
「そろそろ、行きまひょか」
「そうですね。もう夜も遅いし。帰りますか」
「何言うてはりますねん」
「へ?」
「キャバクラですがな」
「あ……」
焼き鳥ですでに満足していたので、完全な蛇足だと思った。
いっそこのまま、ホテルに帰ってゆっくりとしたい。
だが、湯浅が鋭い目つきで僕を見据えた。
「さんざ自分の話ばっかしといて、俺のお楽しみには付き合われへんて言わへんやろうなぁ?」
「あ、も、もちろん……」
「ほな、よろし」
湯浅が優しげに眼を細める。
「お会計は任しといてや。経費やさかい」
湯浅に連れだって店を出ると、タクシーに乗り込んだ。
「楽しい店やでぇ」
湯浅はうれしそうにつぶやく。
タクシーはほんの10分ほど走り、繁華街の外れの雑居ビルの前に停止した。
薄暗い雑居ビルの3階と5階だけ、灯りがついていた。
どこからか素人の歌う下手な演歌が漏れ聞こえた。
「ダボが。騒音被害やぞ」
湯浅が唾を吐いた。
「5階のスナックや。あほな年寄りが演歌を歌いよったら五月蠅うてたまらん」
そして僕を見据える。
「これから行く店は、3階のヴィーナス言う店やから。5階と違って五月蠅ないし、ちゃんと若い子がいまっせ」
「え、えぇ」
僕はあいまいに頷いた。
意気揚々とビルに入っていく湯浅に従う。
エレベーターで3階に着くと、会員制と銘打たれた木製の扉を開けた。
「いらっしゃいませぇ!」
若い女の子の声が聞こえる。
「あら、湯浅のおじ様。お久しぶりね」
颯爽とした様子の、金髪の女の子が僕たちを迎えた。
若い。
そしてすごく綺麗だ。
なぜか、手に紅茶のカップを持っているけれど。
「やぁ。ダージリンちゃん。最近はおじさん、忙しくってなぁ。許したってや」
「お忙しいのは良いことですわ。お商売が上手く行っておられるのね」
「そんなことあらへんあらへん。貧乏暇無しってだけや」
「あらあら。それは大変ですのね。今日は、ご指名は? いつもの娘でよろしいのかしら?」
「せやなぁ。沙織ちゃんはもちろんやけど、なんか、新しい娘も呼んだって。沙織ちゃんのお友達がこの前、入ったんやろ? 聞いてるで」
「ねぇ。湯浅さん、こんな諺を知っておいでかしら? 二兎を追う者は……」
「しょうもないこと言わんでええから、はよ呼んだってや。おっちゃん、疲れてるんや」
「……は、はい」
金髪の少女が、湯浅に睨みつけられてくるりと回転し、店の奥へと戻っていく。
ガタガタと震えていたようだが、床は濡れていない。
紅茶はこぼさなかったらしい。
しばらくすると、もう一度戻ってきた。
「お、お席にご案内させていただきます」
「さくっとしてな」
「は、はい」
僕たちは、奥のソファ席に座らされた。
「ご指名の二人はすぐに参りますので……」
深々と頭を下げるとダージリンちゃんは去って行った。
「講釈垂れる女は嫌いやねん」
湯浅が、机の上に置かれていたウィスキーを勝手に開ける。
と、その時、別の少女が僕たちの席に現れた。
どことなく見覚えのある少女だった。
「ご指名ありがとうございまーす!」
「おぅ。沙織ちゃん。勝手に飲ませてもらってるでぇ。どうせテーブルのは飲み放題なんやからええやろ? 薄いウィスキーや」
「やだもー。もちろんだよ~。って、あれ? そちらの方は」
「おぅ。俺のダチよ。偉いさんやぞぉ会社の経営者様や」
「えぇ!? そうなの!? あの、夕方のおじさんですよね?」
「え!?」
少女が僕を見る。
「あ!」
思い出した。
あの、本屋の店員の少女だ。
「君、本屋の……」
「しーっ!」
少女の細い指が僕の唇に触れた。
「プライベートは口に出しちゃダメ!」
「す、すまない」
僕は頭を掻いた。
湯浅が怪訝な顔で僕を睨む。
「なんやぁ? どういうことやぁ!?」
「あはは。なんでもないよ~。やだもー」
沙織ちゃんが手をひらひらとさせた。
「そんなことよりも、湯浅のおじ様の飲みっぷり、見たいなぁ~」
「よっしゃ、見せたろ」
湯浅が、ウィスキーをあおる。
沙織ちゃんが嬉しそうに手を叩く。
その時、もう一人の女の子がやってきた。
「あ、あの。お邪魔いたします。み、みほって言います」
「おっ、新人ちゃんや。可愛いやないか」
「みぽりんは私のお友達なんだよ~」
「う、うん」
今度こそ、強烈な既視感があった。
みほと名乗る少女は、あの老婆のいた喫茶店の店員だった。