家を出ると、西住みほがアルバイトをしている例のカラオケ店に電話を掛けた。
若い男の声が返事をした。
「あの、西住みほさんはいますか?」
僕はできるだけ冷静な声で問いかけた。
「え?」
受付の男が素っ頓狂な声を上げた。
「西住みほさんです。そちらで働いているでしょう?」
「あの、それが何か?」
戸惑った声。
畳みかければうまくいきそうだった。
「僕は彼女の親戚です。竹原といいます。緊急の連絡があるのですが、彼女の携帯番号を知りません。そちらで働いていると思ったのですが」
「あ……この時間はいません」
男が答える。
「困ったな。今日はアルバイトの日ですよね? 何時からですか?」
これは賭けだった。
今日がアルバイトだとは限らない。
だがビンゴだった。
「えと、18時半からです……」
「そうですか。ありがとう。彼女が来たら竹原から連絡があったと伝えてください」
僕はそう言って電話を切った。
上出来だった。
先日見た限り、カラオケ店の受け付けはアルバイトの学生ばかりだった。
コンプライアンス教育など行き届いていないだろうと予想して正解だった。
青年は僕のことを怪しんではいたが、急な状況に判断が追い付かない様子だった。
僕は時計を見た。
15時50分だった。
西住みほがアルバイトにやってくるまで十分な時間があった。
僕は河原へと向かうことにした。
僕たちが住んでいる街には、国土交通省が管理する大きな河川があった。
河川を隔てて向かいが別の市域になっている。
河川敷には、幾多の砂利や小石があった。
僕はその中から、握りやすい大きさのものを一つ選び、バックパックに入れた。
そして、ゆっくりとカラオケ店に向かった。
到着したのは、17時30分だった。
この時間だとまだ西住みほは到着していないはずだ。
案の定、受付を除くと髪を短く刈り込んだ学生風の男が退屈そうに立っていた。
僕は彼に、フリータイムでカラオケを申し込んだ。
空いていたのだろう。
案内された部屋は広かった。
僕はそこで18時半まで息をひそめた。
18時半になると同時に、リモコンを操作して『おいらボコだぜ』を予約画面がいっぱいになるまで入れた。
5回目のイントロが流れたときに、インターフォンで受付に連絡を取った。
「はい」
若い女の声だった。
記憶に違いがなければ西住みほの声だ。
間違えるはずがなかった。
あの動画の中で、さんざんに聞かされた声だ。
僕は、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「注文をよろしいですか?」
「はい、どうぞ」
「あの、コカ・コーラを一つ」
「かしこまりました」
いい返事だった。
透き通った声と優等生ぶったトーン。
ペドフィリアの変態レズビアンのくせに。
僕は、受話器を置くと深呼吸した。
そして、マイクを取り、歌い始めた。
♪やってやる やってやるぜ♪
こんこん、とノックの音がする。
こちらの返事を待たずに、西住みほが扉を開けた。
「お待たせいたしましたぁ。コーラお持ちいたしましたぁ」
明るく元気に言い放ち、机にコーラを置く。
そしてつぶやいた。
「あっ。ボ、ボコの歌だぁ!」
まるで先日の焼き直しだった。
安っぽいタイムリープモノの3文芝居を見ているかのようだ。
「あ、あの、お客様、ボコがお好きなんです……か?」
嬉しそうにこちらを見た瞳が見開かれる。
「あ……」
僕は笑った。
「なんだよ。僕に何かあるのか」
「あ、いえ、その」
「なぁ、西住みほちゃん」
西住みほが僕をにらんだ。
「あなた……愛里寿のお友達の人、ですよね?」
「呼び捨てかよ」
「え?」
僕は吐き捨てた。
「お前、もう愛里寿を呼び捨てかよ。えぇ?」
「わ、悪いんですか?」
「悪いよ。お前最悪だよ。お前さぁ、愛里寿に何やったんだよ。え? 愛里寿の部屋でよぉ」
「あ、愛里寿から、聞いたの?」
「んなわけねぇだろ!!」
僕は怒鳴りつけた。
「んなこと、愛里寿の口から聞きたかねぇよ。あのかわいい口からよぉ。僕はな、ちゃんと見てたんだよ。あの部屋をな」
「み。見てたって、どうやって」
「どうでもいいだろ、んなこと」
「へ、変態!」
西住みほが叫んだ。
「この、変態! どこかから覗いていたんですか? あなた、最初からおかしいと思っていたんです。あんな小さい子と仲良くして。あなた、おかしな性癖があるんでしょ!」
「変態はてめぇだろうが!!」
僕は机を叩いた。
「変態はてめぇだろ。このレズビアン。僕の愛里寿を汚しやがって。それは僕がやるべきことだったんだ」
「あぁ、やっぱり!!」
西住みほが薄ら笑いを浮かべた。
「とうとう白状した! 僕がやりたかったですって! この、ロリコン! 犯罪者!」
「それはお前だろうが」
「全然違います!」
西住みほが、おとなしそうな容貌の奥に隠していた強気な瞳を僕に向ける。
「全然違います。私は同性。あなたは、男でしょう? あなたはロリコンの性犯罪者予備軍なんです。私はあの子を守ったお姉さん。あなたとは全然違う」
「へぇ」
僕は彼女に近づいた。
「女なら、幼女犯しても犯罪になんねぇのかよ」
「そ、そうよ!」
もう一歩、近づく。
「そりゃ大した世の中、だな」
言うと同時に、拳を振り上げた。
「ふぇ?」
予想外の行動だったのだろう。
間抜けな声を上げた、西住みほは、よけることもできず、僕の拳をその顔面に振り落とされた。
「ぶぎっ」
とても女の子があげたとは思えない、ひしゃげた声。
僕は拳に、鼻血がこびりつくのを感じた。
僕は右手に、先ほど河原で拾った石を握っていた。
そのまま彼女の鼻先から拳を離し、反復動作でもう一発お見舞いする。
「ぎゃぶっ」
醜くつぶれた声が上がる。
そこへさらにもう一発。
「びべっ」
もう一発。
「んぼっ」
「ぐぶっ」
「びぎっ」
面白いほどに醜悪な、息を吐きだすような音を立てて、西住みほが顔を前後させる。
僕はそんな彼女の後頭部を押さえつけ、床に引き倒すと、マウンティングして両手でこぶしを打ち下ろした。
執拗に顔を殴打していく。
血がどんどんと宙に散る。
僕の拳を汚していく。
僕は何度も何度もこぶしを往復させる。
まるで工事現場のクレーン車の振り子のように幾度も幾度も。
途中から西住みほは声をあげなくなった。
僕は、そこで、これで終わりだとでも言わんばかりに思いっきり、彼女の口元めがけてこぶしを振り下ろした。
がこっ、っという音を立てて、前歯が内側にめり込んだ。
強い衝撃で頭が動いて、床に打ち付けられる鈍い音が聞こえた。
彼女は失禁していた。
僕はそんな股間を蹴り上げた。
もう彼女は反応しなかった。
声を上げることもなく、ただ少し体をびくつかせただけだった。
音楽はまだ流れていた。
予約画面にはいまだにボコの歌がずらりと並んでいた。
僕は少し入れすぎたらしいと後悔した。
肩がこわばっていた。
んんっと伸びをした。
そして振り向くと、若い男の店員が、扉越しにこちらを見ていた。
先ほどの受付の青年だった。
僕は扉を開けて彼に言った。
「なに?」
「あ、い、いえ」
彼は不思議な表情をした。
自分でもどういう表情をすればいいのかわからなくて、うまく表情が作れないといった様子だった。
僕も、就職して初めての飲み会に行ったとき、よくそういう表情をしたものだ。
青年は、床に倒れている西住みほをちらりと見た。
そしてすぐに目をそらした。
「気になる?」
「え、えと、その……それって、うちの店員の西住さん、ですよね?」
「うん」
「そうっすか……」
青年がうつむいた。
「どうしたの?」
「あ、いえ、その……俺、わりとその子のこと、可愛いなって思ってたので。その。顔とか、潰れちゃったのかなって」
「悪いね。たぶん、潰しちゃったよ」
「そ、そうっすか……」
「どいて。外、出るから」
「だ、だめっす」
青年が僕をにらんだ。
「そ、その。もう、警察、呼びましたから」
その足は震えていた。
僕はやれやれと肩をすくめた。
「そうか。わかったよ。もう一軒、行きたいところがあったんだけど。実はそちらに関して少し悩んでいたんだ。僕はその子のことがすごく好きだったから。これで踏ん切りがついた」
そして、ソファに座った。
先日よりも柔らかいソファだった。
「ここで警察を待つことにするよ。それまでの間、歌っていてもいいかな? 予約がまだたくさんあるんだ」
青年は、小さく頷いた。