いつまでもボコだと思うなよ   作:忍者小僧

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25 伊丹

金田から渡された電話番号にかけると、しゃがれた声が返事をした。

 

「はい。伊丹ですが」

 

低くて太い声を、特殊な鉈で薄くスライスしたような不思議な声だった。

しゃがれてはいるが、それが高齢のためなのか、煙草の吸いすぎのためなのか判断がつかなかった。

僕は、自分の名を告げた。

すると伊丹と名乗った男は、事情は聴いていると答えた。

話が早い。

あれこれと説明が必要かと思っていたので、僕は少し気が楽になった。

 

「あんた、今から来れるのか?」

 

男が言った。

時間を見ると、夜に差し掛かっていた。

 

「行けますが、場所はどこでしょうか。お酒を飲んでしまったので、車には乗れません。終電で帰れる場所なら、今すぐ行きます」

 

男が告げた住所は、国立だった。

今からでも行って戻ることは不可能ではなかった。

僕は、男の指定した場所に行くことにした。

国立駅で降りて北上すると、バス道沿いに集合住宅が立ち並んでいる通りがあった。

その中の一角に、下層階がテナントで、上層階がマンションという物件があった。

不思議な物件だった。

おそらく、階層は10階ぐらいだろう。

70年代に建てたと思われる少し草臥れた外装をしている。

5階から上が住居のようだが、建物がそれほど広くないので、大した戸数ではないだろう。

テナントに入っている会社の人々が住んでいるのかもしれない。

男が指定した住所は、そのビルの地下だった。

ビルのファザードに、上り階段と下り階段がついていて、薄暗い階段を降りると、そのまま地階だった。

エレベーターは設置されていない。

地階には、通路があり、扉が3つあった。

2つは薄暗く、閉じられていた。

一つの扉だけ、扉の小さな窓から明かりが漏れていた。

窓には内側から薄い紙が貼ってあり、中が見えないようになっていた。

薄い紙に、太いマジックインキで『パンダ商会』とだけ書いてあった。

僕はその扉をノックした。

 

「入って」

 

男のしゃがれた声がした。

扉を開ける。

すると、扉のすぐ向こうに男が立っていた。

男……というよりも、老人だった。

皺だらけの顔にひげを蓄え、目を細めて笑っていた。

淡いクリーム色というよりはオフホワイトに近いシングルのスーツを着て、頭には鼠色の帽子をかぶっていた。

シャツは鮮やかなミッドナイトブルーだった。

おかしな組み合わせだが、不思議と洒脱さを醸し出していた。

もっと陰気な雰囲気の男を想像していたので僕は面食らった。

 

「ほら、入って」

 

男……伊丹老人のしゃがれた声が僕を促す。

僕はうなづいて、部屋の中に入った。

一見して、何をやっている会社なのかよくわからなかった。

大きなパーテーションで部屋を二つに区切っていて、奥には大量の段ボールが積んであった。

区切られたこちら側には、机と椅子、そしてノートパソコンとコーヒーメイカーがあった。

 

「あいにく豆を切らしていてね」

 

僕がコーヒーメーカーを見ていると思ったのか伊丹老人が言った。

僕は慌てて首を振った。

 

「まぁ座りなさいよ」

「は、はい」

 

促されるままに椅子に座る。

硬い椅子だった。

とてもじゃないが、座り心地がいいとは言えない。

 

「あんた、ぬいぐるみに仕込みをして盗撮がしたいんだって?」

 

単刀直入な問いだ。

僕は目を伏せた。

 

「ちゃんと答えなくちゃわからない。そういうことがしたいんだね?」

 

僕は、うなづいた。

 

「わかった。お金は持ってきている?」

「え、ええ。ある程度は」

「それだけじゃわからないよ」

 

伊丹老人のしゃべり方は独特だった。

答えを次から次へと聞いていくスタイルだ。

僕は、隠しても仕方ないので今持っている金額を言った。

 

「それなら十分だ。で、仕込みたいぬいぐるみってのは?」

 

僕は携帯を取り出して画像を見せた。

 

「ほぉ。ボコか」

 

意外だった。

 

「ボコを知っているのですか?」

「町内会で、見回り隊をしている。子供がそのキャラクターのグッズを持っているのをよく見かける」

「へぇ」

 

盗撮グッズの販売をやっている人間が、町内会か。

どこか違和感があったが、世の中はそういうものなのかもしれない。

 

「面白い話がある」

「え?」

「町内活動で知り合ったある女性の話だ。子供が大きくなってから、手がかからなくなり、何もすることがないらしい」

「はぁ」

「旦那は毎日仕事で忙しい。日中は一人ぼっちだ。時間だけが有り余っている。だが裕福ではない。彼女は、毎日昼過ぎに家を出て、ショッピングモールに行くそうだ。そして何も買わずに戻ってくる」

「ええ」

「その繰り返しだ」

 

その会話に何の意味があるのかわからなかった。

それがどうしたというのだ?

 

「そんな風にして、使い果たされる時間というものが世の中にはある」

 

僕の心の中の問いかけにこたえるかのように伊丹老人が言った。

だが、だから何だというのだ。

 

「ボコを見せてくれ」

 

伊丹老人が、僕の目を見据えた。

 

「えと、それは……」

 

言葉に詰まる。

金田に対してもそうだが、この老人にも。

ボコを愛里寿以外に触らせたくなかった。

それを僕以外に最初に触るのは愛里寿でありたかった。

処女性。

ボコの処女性。

 

「見せてくれ。実物を見なくちゃどういう商品がいいかわからない」

「……」

 

僕は仕方なく、ボコの箱を机に置いた。

丁寧に慎重に包みのリボンを説く。

 

「ふむ」

 

伊丹老人が、つぶやいた。

 

「これなら簡単だ。内部にいろいろ仕込んで、レンズを突き出す。ぬいぐるみの毛並みでごまかされて、レンズには気が付かないだろう」

 

言いながら、ボコを手に取る。

 

「あっ」

 

僕がつぶやく間もなく、それを持ってパーティションの奥へと引っ込んでしまった。

しばらくして、伊丹老人が戻ってきた。

ボコには、大理石風の美しい台座とペンダントがつけられていた。

ペンダントが淡く光っている。

 

「中の一部を繰りぬいて、小型カメラと無線ルータを入れた。レンズはここにある」

 

ぬいぐるみの毛並みをかき分けると、小型の精密なカメラが現れた。

 

「毛並みが映り込みすぎないように位置は工夫してある」

「ペンダントは?」

「電源を利用するためのフェイクだ。実際には電源は、ペンダントを光らせるためだけではなく、中のルータとカメラの駆動に使われるようになっている」

「台座は?」

「バカか、あんたは」

 

伊丹老人が軽蔑するように笑った。

 

「ぬいぐるみを相手に渡して、手に持って遊ばれたらどうなる?即座に中身がばれるぞ。台座を設置することによって、このぬいぐるみは置物になる。光るペンダントがついていたらなおさらだ。これはおもちゃから『飾り物』に変化したんだ」

 

僕はうなづいた。

 

「映像は、どうやって取得するのですか?」

「ルータで飛ばすことができる。スマホかPCを持って相手宅から15メートル圏内に行くといい。保存した映像を取得できる」

「そのためのルータなんですね」

「そういうことだ」

 


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