いつまでもボコだと思うなよ   作:忍者小僧

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23 壊れる

Guess I’ll Hang My Tears Out To Dry。

そのタイトルを目にした途端、脳の中が焼けきれるような感触があった。

脳の組成が組み変わり、自分の意識の奥底に植え付けられたものがふいに迫り出してくるような。

冷泉麻子。

あのポルノ女優の細い指先が、僕の脳の中に現れて、脳漿をぐちゃぐちゃに耕していくかのようだ。

その指は、ピアノを弾いている。

流麗なピアノ。

ジャズ・スタンダードをスムーズに弾いている。

美しく淀みないが、通り過ぎて消えていくかのような音楽。

なのに、どうして。

僕の脳裏にこんなにも張り付いているんだ!?

まるで焼き鏝でつけられた印字のように。

僕の脳内で、冷泉麻子が。

あの幼い少女に見えるポルノ女優が、ピアノを弾く。

ピアノを弾く。

ピアノを弾くかのように、僕の脳を耕していく。

僕の脳裏に、彼女の映像が蘇る。

大柄な男に、組み伏せられ、腰に体を打ち付けられる麻子。

獣のようにつながる麻子。

麻子、麻子、麻子。

僕は……血走った眼で、顔を上げた。

そこには愛里寿がいた。

まだ、ソフトクリームを食べている。

永遠とも感じられた時間は、ほんの一瞬だったのか。

スカートは……まだめくれ上がったままだ。

すべすべとした、柔らかそうな細い太もも。

その奥に、そっと垣間見える白い綿パンツ。

よく凝視すると、割れ目の形に筋ができている。

あれが、あの奥が。

愛里寿の秘所なのか?

視線をじっくりと上げると、愛里寿と目が合った。

少女は無邪気にほほ笑む。

僕を信用しきっている。

僕は、息が荒くなる。

さらに荒くなる。

僕は、再び視線を落とす。

もう一度、あの柔らかな太ももと、白い綿パンツを、その筋に沿った食い込みを、見つめるために……。

 

その時。

 

唐突に、部屋の電話が鳴った。

僕は体の底から飛び上がりそうになった。

それは愛里寿も同じだった。

 

「総一郎さん、何が起こってるの?」

「あぁ、フロントからのお知らせだよ」

「フロント?」

「そう。あと10分で一時間だって知らせてくれてるんだ」

 

僕は、立ち上がって受話器を取った。

受付の西住という少女の朗らかな声が耳をくすぐる。

 

「あ、お時間、10分前です」

「ありがとう」

 

僕はそう答えて受話器をおいた。

愛里寿が笑った。

 

「急に鳴ったから驚いちゃった」

「カラオケは初めてだから、仕方ないよ」

 

視線を、少女の股間に移す。

もう、スカートは戻ってしまっていた。

下着も、太もものつけねも見えなくなってしまっていた。

僕は舌打ちを打つ。

 

「あと、10分だから。僕はトイレに行っておくよ」

「うん」

 

扉を開け、再び通路を歩く。

股間が疼いた。

まるで、熱量を持ったカンフル剤を、股間に打ち込んだかのようだ。

さきほどの大部屋の前を通ると、ちょうど知波単の少女たちが出てくるところだった。

大勢の少女たちの横を通り過ぎる。

ふわりと、花のような香りと、それをかき消すかのような、むっとした汗や体臭のにおいが混じる。

少女たちの香水と、カラオケを熱唱した熱気の汗の匂いか。

どうしようもなく、後者に興奮する。

僕はこめかみを抑え、ふらふらと、トイレへと向かう。

トイレの個室は、埋まっていた。

誰かが使っている。

僕は舌打ちする。

くそっ。

誰が使っているんだ、開けろ。

そこを開けろ。

だが、個室の扉は開かない。

僕は、もう一度舌打ちをすると、足を蹴り上げる。

個室の扉を、蹴り上げる。

鈍い音がして、扉の表面が少しへこむ。

個室の中で、息をのむ音が聞こえたような気がした。

僕は、唾を吐いて、外へ出る。

くそっ。

股間が、熱い。

通路には、もう知波単の少女たちはいなかった。

少女たちの残り香だけが、夢か幻のように、そこに鎮座している。

それは、時間の一瞬に切り取られ、張り付けられた残滓だ。

僕はそれを標本にしたいが、そんなことは人間にはできない。

唇が緩やかに動き、知波単の少女たちが歌っていた、高田渡の古いフォークソングを口ずさもうとする。

その時、彼女たちが使っていたあの大部屋のドアがかすかに開いたままであることに気が付く。

僕は誘われるように、そこへと入っていく。

部屋の中に、少女たちの香りが、充満しているはずだ。

だが。

部屋にはもう、少女たちの残滓は感じ取れない。

くそ。

僕はまた、舌打ちを打つ。

明かりが消えた広いカラオケボックスに、青白いテレビの電子光だけが映えている。

そこには、歌の履歴が表示されている。

僕は目を凝らす。

そこには。

 

『Guess I'll Hang My Tears Out To Dry』

 

!?

 

ずらりとその曲名。

10曲分は並んでいる。

そんな馬鹿な。

そんな馬鹿な。

と、今になって気が付くのだが、カラオケボックスのスピーカーは、Guess I’ll Hang My Tears Out To Dryのピアノ伴奏を垂れ流している。

スムーズで、灰汁のないピアノ。

そんな馬鹿な。

これは冷泉麻子の演奏じゃないのか。

あの細い指で弾いた。

最後の一曲が予約されたまま知波単の少女たちは部屋を出たのか?

やめろ、やめろ。

そんな、垂れ流すな。

廃棄物みたいに、垂れ流すな。

僕は、揺らめいて、大部屋を出る。

すると、通路には愛里寿がいた。

 

「あ……」

 

少女が、僕を見つめる。

その手には、部屋の会計札が握られている。

 

「何してるの、総一郎さん」

 

少女の声が響く。

だが僕は、ずっとその膝小僧を見つめている。

珍しい、愛里寿の、丈の短いスカート。

そのスカートからは、膝小僧がむき出しになっている。

けれども。

あの、かわいらしい、綿パンツは、見えない!

 

「もう、時間だよ?」

 

愛里寿がつぶやく。

 

「10分、経っちゃった。帰ってこないから、部屋を出たの」

 

僕はあいまいにうなづく。

 

「トイレが混んでいたんだ」

 

やっとの思いで、それだけを答える。

 

「そう」

 

だが、僕の脳内は、まったく別のことを考えている。

畜生。

もっと。

もっと、あの、パンツを。

僕に見せろよ。

 

 

僕は、愛里寿から、会計札を奪うと、5階の受付へ向かう。

もう、西住と名乗る少女はいなかった。

アルバイトの時間が終わったのだろう。

似ても似つかない、ひょうきんな顔をした大学生風の女が、受付に立ち尽くしている。

僕はそこで代金を払い、愛里寿と連れ立って、カラオケを出た。

外に出ると、まだ夕刻にも達していなかった。

外の空気は明るく、相変わらず街路樹から、木漏れ日が歩道に差し込んでいる。

まるで街が、描かれて静止した絵画のように見える。

僕と愛里寿がカラオケの中にいる間だけ、別の時間が流れて、そして街に戻るとまた、時間が止まってしまうかのようだ。

愛里寿が、ぎゅっと僕の手を握った。

 

「楽しかった」

 

しみじみとつぶやく。

 

「また、遊ぼ? 総一郎さん」

 

僕はうなづいた。

 

「愛里寿」

「なに?」

「実は、君に渡したいものがあるんだ。来週、家に行ってもいいかな?」

「うん。もちろん」

 

愛里寿がほほ笑んだ。

 


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