ホテルの前のコンビニでタクシーを降り、コンビニで缶ビールとつまみを買った。
「これぐらいはあんたが出しいな」
湯浅に言われるがままに、会計を払う。
そしてホテルに入り、二人でエレベーターに乗り込んだ。
僕の部屋は、ホテルの17階だった。
エレベーターはゆっくりと上昇していく。
湯浅が鼻で笑った。
「17階かいな。お高い部屋に泊まっとるのぉ。やっぱ社長さんはぐぅ!!!!?」
ほとんど無意識だった。
僕は、強烈な右ストレートを、湯浅の顔面に叩き込んでいた。
「な、なにすりゅ、んぶっ!!!!!」
続けて、もう一発。
息も絶え絶えにうずくまった湯浅の脇腹に、今度は蹴りを入れる。
「ぶぎっ!!!!!!」
でくの坊のように転がった湯浅の体に馬乗りになり、タコ殴りにする。
殴る。
殴る。
殴る。
殴りまくる。
僕の拳の雨は、エレベーターが17階に上昇している間、延々と行われた。
※
翌朝。
部屋の鍵が開く音で目が覚めた。
僕はひどく酒に酔い、だらしない姿でベッドに横たわっていた。
鍵を開けたのは、警察だった。
※
「牧野総一郎。41歳。これで二度目の逮捕だ。あんた、もう人生詰んだな」
取調室の警官が、ニタニタと笑いながら言った。
僕は首を振った。
「二度目の逮捕? 何を言っているんだ。僕は今回が初犯だ。それに、あの夜は激しく酒に酔っていた。あの男……湯浅には、ひどい精神的苦痛を与えられていたんだ。あれはある種の正当防衛だ」
「何が正当防衛だ。ふざけんな」
警官が僕を睨む。
「20年前にも、あんた東京で暴行罪で捕まってんだろうが。忘れたとは言わさんぞ。あんたね、そういう病気なんだよ。病気。人を殴りたいって言うね。頭ん中のどっかがおかしいんだ」
「20年前の暴行!? 何のことだ! 僕はそんなこと知らない!」
「吉岡さん、そいつは、精神異常をきたしてますよ」
警官の後ろで、痩せた男が腕組みをしていた。
「あんたは……」
その男は、あの飛行機で隣に座った中年だった。
こいつ、刑事だったのか!?
「完全に妄想が入ってしまっている。統合失調症だね。どうにもね、この間接触した感じだと、自分のことをボコっていうぬいぐるみだと思い込んでるよ」
「な、何がだ! 僕は、ボコだ!」
「ボコは『僕』なんて言わねぇよ!」
中年刑事が言葉を吐き捨てた。
「気になって調べてみたんだ。あのぬいぐるみの一人称は『おいら』なんだよ。牧野さん」
「そ、そんな。それは、それは僕が、人間になったからで……」
「いいや。違うね。あんたは、ボコなんかじゃない。それどころか、ボコのことも、ろくによく知らない。ボコってのは、20年前、あんたが仲良くしてた少女のお気に入りのぬいぐるみだよ。あんた自身のことじゃない」
「な、なにを言って……」
「これ。見覚えあるでしょうが」
中年刑事が、一枚の古びた写真を見せた。
そこには、島田愛里寿の姿が。
両手で大切そうにぬいぐるみを抱きしめ、はにかんで笑っている。
「こ、この子は……」
「どうだい? 思い出したかね」
「あ、あぁ。むしろ自分の記憶に合点がいったよ。僕はやはり、ボコだ。このクマのぬいぐるみだったんだ。ここに写っているのが、僕自身なんだ。そうだ、そうだよ……思い出したぞ。島田愛里寿。僕が君を探していた理由、僕が君を懐かしいと思った理由が分かった。僕は君のぬいぐるみだったんだ。それがいつの間にか自我をもって……」
中年刑事がため息をついた。
「かわいそうにねぇ。もうネジが外れちゃってるわ。頭の」
「何が言いたいんだ!?」
僕は刑事をにらみつける。
刑事はせせら笑うような表情を見せた。
「あのね、ここは現実世界だよ。リアルワールド。ぬいぐるみは人間になったりしないよ。そんな漫画みたいなことは起こらないんだよ」
「でも僕は現実に……」
「黙れよ」
刑事が机をたたく。
「聞いてるとこっちが憂鬱になる。あんた、もういい加減、目を覚ませよ。あんたは心の病気を抱えた犯罪者なんだよ。前科者の」
「ち、違う! そんなはずない!」
「そんなはずあるんだよ。昨夜とおんなじように、人ひとりボコボコにした過去があるんだよ。それであんた、塀の向こうで臭い飯食らったんだ。出所した後、どこも雇ってくれないから、自営業始めたんだよ。それが最近はまた奇行が目立ってきてたんだ」
僕は激しく首を振る。
意味が分からない。
意味が分からない。
この男は何を言っている?
なぜ僕をこんなにも苦しめる?
これが人間という存在なのか?
ボコと比べて、なんて醜いんだ!
「違う! 違う! 違う! 僕は、島田愛里寿のボコだ。僕は最近、愛里寿に会ったんだ。愛里寿を追いかけたりもしたんだ」
「だから、それ、あんたの妄想でしょ?」
「違う! そうだ、愛里寿に、おかしな箱を手渡された。それがカギなんだ。きっと僕は、愛里寿に何かされたんだ。魔法か何かをかけられたんだ。おかしな世界に飛ばされたんだ。箱だ。ホテルの部屋に箱があったはずだ」
「これかい?」
奥にいた別の刑事が、カートに乗せた箱を運んできた。
それは、記憶よりも薄汚れ、経年劣化しているように見えたが、確かにあの箱だった。
「そ、それだ! 開けてくれ! それを!」
ため息をつき、刑事が箱を開けた。
※
その中には、ぬいぐるみが入っていた。
小さなぬいぐるみ。
傷んでボロボロの。
ボコのぬいぐるみだった。
それを見た瞬間、僕の記憶が、よみがえった。