見合いと小林、ついでに飲み会 作: 池田
「まって、もう一回言ってくれる?」
携帯を取り落としそうになりながら、私はもう一度電話の向こうにいる母に聞き返す。
「だから、お見合い。親戚のね、仲人やってるおばさんが、あんたもいい歳だろうからって言って……」
「お節介というか、余計なお世話と言うか……」
「私も別にまだいいと思うんだけどねぇ……まぁ、興味があったら受けてみなさい。返事待ってるわ、じゃあね」
「うん、それじゃあ……」
通話が切れる。後には呆然とした私が残された。いきなり母から電話がかかってきて、しかもこの内容である。仕事も終わって、さぁ寝ようかと思っていたけど、眠気なんて一気に吹き飛んでしまった。
「見合い……」
母の言葉を何度も反芻して、私の身に一体いま何が起こっているのかを確認しようとしてみたが、そんな努力は無意味であると十秒くらいで気が付いた。
恋愛の自由化が著しい昨今、随分旧態依然とした方法を使う人間がいたものだ。見合いと聞いて私の頭に思い浮かんだのは、そんな的はずれな感想だった。そして同時に、私の中の結婚と言う言葉がいきなり生々しいものになっていく。
「……結婚、かぁ」
そう言えば、自分はまだ独身だったんだな。そんな当たり前の事を、私は今更になって思い出していた。
「え?お見合い……って、小林さんがぁ?」
キーボードを叩く手を止め、わかりやすく驚く滝谷くん。そこまで意外そうにされると私もなんだか癪である。
「うん、昨日親から電話があって……今週中には返事してくれってさ」
「それで?するの?」
「いや……まだ決めてないけど」
私は画面のプログラムコードを目で追いながら、なるべく淡々と話すように努める。一応人生の一大転機を迎えているはずの私だが、まずは仕事の納期の方が直近の問題だった。見ず知らずの相手に心をざわつかせるより、目の前の仕事をやっつけるのが先だ。考えるのはその後でも遅くはない、と思う。
「しかしなぁ……小林さんが寿退社か、想像出来ない」
「それ、どういう意味?」
「そのまんまの意味だよ、それに自分でもイメージ出来ないでしょ?」
「……まぁ、確かに」
ここに勤めてしばらく経つ。結婚を理由に寿退社する人も結構いたけど、私がそうなる姿は全く想像ができない。ちょっとだけ、ウェディングドレスを着てヴァージン・ロードを歩く自分なんてモノをイメージしてみたけど、不毛にも程があるのでやめにした。なにより似合わない。それに自分で言うのもなんだけど、恋愛と言うかそもそも交友関係そのものが希薄な私を人生のパートナーにしたい、なんて人間いるんだろうか。
それに……。
「トールちゃんには話したの?」
家にいるドラゴン達の事も問題だった。
「……まだ」
「あぁ、やっぱり言い出しにくいかぁ……」
「見合い相手なんか殺してやるー、とか言い出すんじゃないかって」
「小林さんのこと大好きだもんね、あの娘」
トールは確実に騒ぐだろうし、カンナちゃんは小学生と言う生活がある。彼女たちが邪魔だとは口が裂けても言うつもりは無いが、今の私の生活は安定している反面こう言う場合の身動きが取りづらい。
「やっぱり断るしかないかなー」
「あれ、断っちゃうんだ」
「むしろ受けようって思う要素あった?」
「……小林さんらしいなぁ」
そう言いながら、滝谷くんが何故か困った風に笑うものだから。
私は少しムッとしながら「だからそれ、どういう意味」と彼に言い返した。
「おかえりなさーい!」
「ただいま……」
「お疲れ様でした」
へとへとになって家に帰ると、トールが元気よく私を出迎えた。もう夜も遅いと言うのに、キッチンの方からはいい匂いが漂ってきている。
「……カンナちゃんは?」
「先に寝ちゃいました」
「それもそうか……」
いつも通りの何気ない会話をしながら、彼女に見合いの件を言うべきか言わざるべきかを考える。普通に考えれば彼女にはそれを知る権利があり、私はそれを説明する義務がある。しかし同時に、あまり話したくないと思っている私も存在した。
「じゃーん、今日はオムライスでーす!」
ダイニングテーブルの上には、既に夕食が用意してあった。トールの料理の腕と言ったら相変わらず見事なもので、その日のオムライスも見た目から味まで素晴らしかった。ケチャップで描かれたハートのマークが少し気恥ずかしい気もするけど、それはまぁ許容範囲内。
「どうですか?今日は腕によりをかけて作りましたよ!」
そう自慢げに胸を張る彼女を前にすると、見合いの件を言おうとする私の意志がだんだんと崩れていってしまう。もう普通に断って何もなかったかのように振る舞ってしまおうか……。
なんてことを考えながら食べていたせいか、その日も私は彼女に「おいしい」と言うのを忘れてしまったのだ。
「今、お茶淹れますねー」
「おー……」
夕食を済ませた私は、寝るまでに残された時間をテレビを見ながら消費していた。適当にチャンネルを回すと、色んな番組が画面を彩る。バラエティ、ニュース、ドキュメント、通信販売。特にどれも私の興味をひく内容ではなかったので、その後も適当にリモコンをいじっていると、トールが湯呑みを私の前に置いた。お茶が発する湯気の向こう側、彼女の顔がぼやけて見える。
「……トールさ」
「どうしました?」
「もし、私が結婚するって言ったら……どうする?」
「え……」
それまで穏やかだった彼女の表情が一気に陰り、暗くなる。
あぁ、やっぱりそう言う顔しちゃうよな。私は少し後悔したけど、包み隠さず全てまるごと彼女に事の顛末を説明することにした。すると彼女の表情はさらに暗澹たるものへと変化する。
「それはつまり……小林さんが結婚する、って事ですか」
「もしもの話、ってつもりだったけど……自分でもよくわからない」
「……その、お見合いって言うんですか。絶対にやらないと駄目なんですか」
「いや、絶対ってわけじゃないし、断るか受けるかを今から返事するって感じだけど」
「じゃ、じゃあっ!」
「少し落ち着け、ほら……座りなよ」
突然の話に、彼女は軽く混乱状態に陥っているようだった。隣に座った彼女の視線は、床を見つめたまま動かない。
「ごめん、その……いきなりで」
「……なんで、それを私に話したんですか?」
彼女の言葉には、若干の苛つきが混じっていた。
「……私じゃ、やっぱり駄目なんですか?私がドラゴンだから……それとも、やっぱり男の人の方が……」
「違う」
「じゃあ、なんで……!」
私は彼女の肩を抱いた。人と同じように温かいその体が、小刻みに震えている。
「だから、少し落ち着いてってば……」
「……すいません」
落ち着けと言ったけど、実を言うと私も少し戸惑っているのだ。次は、一体何を話せば良いんだろう。心の整理が追いつかない。
「……親から電話が来た時、そう言えば私もそんな年齢なんだなって改めて思ったんだよ」
「……まだ産まれてからたった二十五年じゃないですか。ドラゴンならまだ赤子同然ですよ」
「人間基準で、の話だから」
自分の年齢を認識した時、ふと私の心に湧き上がった疑問があった。
『これからずっと、この生活を続けていくのか?』
『死ぬまで、ずっと?』
もう一人の私が、そんなことを言う。
「それで、私が三十とか四十……それにもっともっと年を重ねた時、どうなるんだろうって」
トールがいて、カンナちゃんがいて、滝谷くんやルコアさんやファフっさんや。彼らや彼女らとこれからもずっと過ごしていくのだろうか、私は。
確かに私も、気がつけば二十五歳。まだ働き盛りだけど、同級生の一部はすでに結婚して子供もいたりする年齢。私にはそんなの関係ないと思っていたけれど。これから待っているかもしれない人生の姿に対する感覚が、私にはまだつかめない。
「……トールと一緒なら、それでいいって思ってたけどさ。それはちょっと違うんじゃないかって、今は思う」
「それは……」
「勘違いするなよ、お前といるのが嫌だって話じゃない。けどさ」
彼女と一緒にいると心地が良い。カンナちゃんや、皆がいる今の生活は間違いなく充実している。だけど、いくら心が通い合っていても。
「……私達はやっぱり、どこまでいっても人間とドラゴンなんだ」
やはり、その違いが消えてなくなるわけではないのだ。心の問題は、一緒に過ごしてお互いの常識をすり合わせていけば良い。けど、私の体に刻み込まれたDNAはおいそれと変わってはくれない。それは彼女も同じこと。
体格。
能力。
寿命。
いくら一緒に過ごしていても。
私の胸が大きくはならないし、私が空を飛べる日は来ないし、私の寿命が伸びることはない。
その違いの数々が、一気に噴出する時が。
いつか絶対に、訪れる。
「心の問題を解決しただけで、それすら克服したつもりになっていた、のかもしれない」
ようは、どこかで調子に乗ってたんだろう。結婚より先に、私は
「……結局私は、自分の事しか考えてなかったんだろうな」
「それで……良いじゃないですか」
今まで黙っていた彼女が、絞り出すように言う。
「……小林さんは、もっと自分の事だけ考えても良いと思います」
声を荒げそうになるのを必死に抑えているのか、そんなトーンで。
「今はそれで良いのかもしれない。だけど……辛い話だけど、いつか私達は確実に離れ離れになる」
私は人間。寿命は長くて百年かそこら。
彼女はドラゴン。寿命は知らないが、確実に私より長く生きる。
遺伝子の違いがもたらす離別は、どうしたって回避できない。
「……その時に、私がトールに何を残せるかって少し考えたくなったんだ」
「それが……結婚するのとどう関わってくるんですか」
「もう結婚とかそう言う話じゃなくなるけど……私達って、もう家族みたいなものでしょ。一緒に暮らしているし、トールなんかもう母親みたいだし」
家族とは、絆だ。
そして絆は、呪いでもある。
互いに想うことは、時として互いを縛ることになる。望む望まざるに関わらず。
「だけどさっきも言ったけど、それはあと数十年かそこらで終わっちゃうんだ。だから、その前に……」
私の存在が、彼女を腐らせる前に。
絆が、呪いに変わってしまう前に。
「一人の人間として人生に向き合って、全うできるようになりたいなって」
彼女を私の母親にしてしまうわけには、いかないのだ。
私が死んでも、彼女は生き続ける。生き続けなければならない。
「……これから現れるかもしれない『だれか』のための居場所をしっかり空けておきたいんだ」
これから彼女が人間と関わっていく上で、もしまたトールの居場所となる誰かが現れた時、彼女が気兼ねなくその人に寄り添えるだけの余裕を捧げることが出来るのなら。
「私はしっかり生きたんだぞ、だからもう気にするな……ってトールにちゃんと言えるようになりたいな、とか思った」
自分勝手な思い込みかも知れない。ただの自己満足かもしれないが。
それがきっと、先にいなくなる私に出来る精一杯だと思うのだ。
「小林さん…………」
「とりあえず、こんな感じかな。そんな先の事言っても仕方ない気もするけどさ……」
「本当ですよ……本当に……もう……」
「……ごめん、なんか重い話になっちゃった」
「……いえ、いつかは考えなくちゃいけないことですもんね」
そう言って、彼女が私の胸に顔を埋めてくる。
「でも……小林さん」
「……なに?」
「こうしていられる間は……やっぱり一緒にいていいですか?」
「もちろん」
「よかった」
ぎゅう、と彼女はさらに強く私に抱きついてくる。
なんでこんな事、彼女に話したんだろう。自問自答すると、答えは思いの外早く帰ってきた。
きっと、こんなちっぽけな決意を、私は誰かに見届けて欲しかったんだろう。誰かの心の秘めておいて欲しかったんだろう。
「やっぱり、まだまだ甘えん坊……なのかね」
「……なにか言いました?」
「いいや。それより……今日は一緒に寝ようか?」
「いいんですか?」
「なんかそういう気分なの」
「……もちろん」
「よかった」
「それで、結局断ったんだ?」
「うん、流石に急すぎたし……」
数日後、私はいつものようにキーボードを叩いていた。
見合いの話は結局、丁重にお断りすることにした。向こうは結構やる気満々だったようだけど……。
「そうかぁ、断っちゃったか」
「寿退社は当分先になりそうだね」
「ん? それって……」
「まだする気はないってこと。深い意味はない」
そう告げると、彼は軽く笑いながら「ところで、今日の飲み会はどうする?」なんて事を聞いてきた。いつもなら断って、彼と二人で飲みに行くところだが。
「……今日は、参加してみようかな」
「……俺、耳がおかしくなったのかな」
鳩が豆鉄砲を食らったような、そんな顔をする滝谷くん。なんだか最近の彼は表情が豊かだ。
「参加してみるって言ったんだよ」
「……どういう風の吹き回し?」
「別に。もうちょっと周りの人とコミュニケーションしてみようかなって気分になっただけ」
「もしかして、見合いの件と関係あったり?」
「さぁ……どうかな……」
関係は大いにあるけども、彼に言うのはなんだか恥ずかしいのでその場は適当にはぐらかす事にしておいた。
さて、肝心の飲み会だがいつもの悪癖が出て周囲に多大なる迷惑をかけたのはここでは割愛したいと思う。
おわり。