目の前の男には見覚えがある。
貧民街(スラム)の人集りで会った人物だ。ここからじゃディヴァが見えないとボヤきながらピョンピョンと跳ねていたあの男だ。
しかしその様相はまるで違うものだった。
「ディディディバヴァ……グァ!!」
焦点の定まらない目は赤黒く、口元からはヨダレを垂らしている。人ではまずあり得ない方向に関節を曲げたその様子は、誰の目から見ても普通ではない。
「ディヴァ、おまえのファンは変わっているのがいるな。」
「グレイ…あなたの目は節穴ですか?どう見ても普通じゃないじゃないですか!!まぁ、それはいいとしてあなたは逃げてください。これは私の問題ですから。」
「…そう思うならオレのローブを握っているその手をを放せよ。」
「…」
歩き出したグレイは背中が引かれた。振り返ればこれでもかと言うほど両手でしっかりとローブを握り締めたディヴァがいた。
「ちょっと!!本当に行く人がありますか!あなたは私のボディーガードでしょうが!!」
「それは街を出るまでの話しだ!オレは見るからにいっちゃってるヤツに関わりたくねーんだよ!」
「わ、私だってあんな危ないヒトと関わりたくありませんよ!あなたは良いのですか?自分の妻が怪しい男に襲われても!」
「誰がオレの妻だ誰が!」
「ふっふっふ、私のファンを甘く見たらダメです。先ほどの街でのやり取り…風に乗り野を駆け巡り、瞬く間に世界中に拡がります。きっと今頃は国中の至る所にグレイの似顔絵(モンタージュ)付きの手配書が出まわっていることでしょうね。」
ニヤニヤと笑うディヴァ。
最初からこうなる事が分かっていてるうえでの先ほどのア・ナ・タ♡の発言であった事を、彼女の意地悪な笑みでグレイは悟る。
「旅は道連れ、美女には尽くせっていうじゃないですか」
「旅は道連れってのは無理矢理連れ回す意味じゃないからな?それと後者のは聞いたことがねえよ。第一なんでオレが無料(タダ)でそんな面倒な事をしなきゃならないんだよ。」
「見返りが欲しいのですか?は!!まさか私の肢体(からだ)が目当てだとか?私を手篭めにする気ですね?言っておきますが私はそんなチョロい女じゃありませんよ」
そう言って自分の身体を抱き締めるように後ずさるディヴァ。
「今の話の流れでどうしてそうなる!オレはオレにも旅の目的があるんだから、そこまでおまえに付き合えないって話しをだなぁ…ちょっと待て。アイツの様子がおかしいぞ。」
「ギギ…キー!!」
もはやまともな言語を話さないその男は裏返った。
文字通り皮膚が裏返えり内側からソレは出てきたのだ。
頑強な岩のような肌は乾いた土気色をしている。尖った耳、鋭い牙は不揃いに並ぶ。赤黒く輝いている。そして背にはコウモリのような羽…
「ガ、ガーゴイルか。」
絞り出すようにグレイは目の前の化物の名を口にすると、ディヴァはグレイの前に立ち振り向かずに応えた。
「よくアレの名前を知っていましたね。でもどうやらおふざけはここまでのようです。彼らの目当ては私ですから、今度は本当に逃げてください。」
彼女は懐から宝石があしらってある小さな杖を取り出し構える。この状況に於いても腰の神剣(セレスティアルソード)を抜かないところを見る限り、彼女が扱えないと言ったのは嘘ではないのかもしれない。
そんな彼女は
「今までこんなに人と楽しくお喋りをしたことがなくて…グレイとの街を出るまでのほんの少しの時間がとても楽しかったです。ありがとう…」
そんな事を振り向きもせずに言った。
それはディヴァにとっての本心だった。本当に短い間であったとはいえ楽しかった。その相手であるグレイが逃げるまでの時間を何とか稼ぐ。最悪グレイと逆方向へ逃げれば彼はきっと逃げ切れるとの思いからなのだが、当の本人であるグレイの行動はディヴァの予想外なものであった。
「ディヴァ…オレの後ろに退がれ。」
腰のカタナを抜きディヴァの前に立ったのだ。
目の前のガーゴイルに相対するために。