ゆっくり進めていきましょう。
私の母はとても強い女性でした。
今のような『女尊男否社会』になる以前から多数の事業をし、その全てを成功に導くほどに。
厳しくも優しい、私にとって一番の憧れでもありました。
それとは逆に、私の父はお世辞にも強いとは言い難かった。
婿養子で婚約したという引け目もあったのかもしれませんが、それでも人のいる前ではよく母の顔色を窺っているような男性。
でも、私は知っているんです。父は最初からそんな人物ではなかったと。
今ではもうおぼろげではありますが、幼い頃の私の記憶には、いつも仲睦まじげにしている両親の姿が残っています。
これはあくまで私の推測なんですが、父は母の立場と今の世の情勢を考えて、態と社会的弱者を演じて母を持ち上げようとしていたのではないか?
今となっては、そう思えて仕方がないんです。
事実、家での両親はどれだけの年月が経っても全く変わっていなかったから。
でも、心も体も未成熟だった幼い私には、父の姿が情けなく見えてしまった。
だからでしょうか。昔の私は自然と『こんな情けない男とだけは結婚しない』と固く誓ったんです。
勿論、今はそんな馬鹿な事なんて微塵も考えてませんけど。
昔の私は父の事を意識的に避けて……いえ、違いますわね。
あの頃の私は間違いなく、父の事を嫌っていた。
それに相反するように、母への憧れを経緯は増す一方だった。
そう……『だった』んです。
私が大好きだった両親は……もうこの世にはいない。
越境鉄道の横転事故。
一時期は陰謀説なども囁かれていましたが、当時の事故の状況がその説を呆気なく否定しました。
情報によると、その事故による死傷者は百数十人をも超えたそうです。
私の両親は、私が知らない場所であの世へと旅立った。
あの日の朝の事は今でもよく覚えています。
当時の私は、少しずつではありますが、父に対する罪悪感が出ていました。
頑張って謝って、それでまた昔のような仲良しの家族に戻りたい。
そんな気持ちがやっと生まれた矢先、父と母が一緒に出掛ける用事がありました。
仕事関係の用事なので、私は当然のようにお留守番。
父が屋敷を出る直前、私が勇気を振り絞って父に『ごめんなさい』と言おうとしましたが、その言葉が紡がれる事は無かった。
結局、私がモタモタしている間に出勤時刻が迫ってきて、最後まで父に謝る事が出来なかった。
その時の事は、私にとって最大の後悔となっています。
どうして、あんな簡単な一言が言えなかったのか。
たった一言。それだけでよかったのに。
謝る事が出来ずに両親を見送った直後は、『二人が帰ってきてから、また話せばいい』なんて楽観的な考えを持っていました。
それが今生の別れとなる事も知らずに……。
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・・
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「それからの時間は本当にあっという間でした。私の手元には両親が遺した莫大な遺産が舞い込んだのですが、それを狙う輩が後を絶たなかった。金だけを目当てに私に自分の息子と見合いをさせようとする馬鹿な者もいましたが、根こそぎ追い出しましたわ」
保健室の天井を見ながら、俺は黙ってセシリアの一人語りを聞いていた。
普段からあまり口を開く方ではない俺ではあるが、この時は特に静かにしていなければいけないような気がした。
「私は愚かな金の亡者達から両親が遺してくれた遺産と家を護る為に、必死になって様々な勉強をしました。そんな日々が続いたある日、私は政府からISの適性テストを受けるように打診を受けて、試しに受けてみる事にしました。すると、『A+』という結果が出たではありませんか。これはまたとないチャンスと考えた私は、政府から提示された国籍保持の為の多岐に渡る好条件を即断で了承しました。全ては愛する母と父の残してくれたオルコット家を護る為に」
僅かに開いた窓から涼しげな風が入って来て、俺とセシリアの髪を優しく撫でていく。
それを心地よく感じながら、俺はセシリアの話に耳を傾ける事に集中した。
「ビット兵器搭載型第三世代型IS『ブルー・ティアーズ』の第一次試験運用者に選抜され、私はISの訓練に日々を費やすようになりました。そして……」
「更なる稼働データと他国との機体との戦闘経験値をコアに蓄積させる為に日本に訪れた……というわけか」
「そうですわ」
「そうか……」
『人に歴史あり』とはよく言ったもんだ。
そんな話を聞かされても、俺にはなんて言ったらいいのか分からない。
だから、俺は俺が思った事を真っ直ぐに喋るとしよう。
「俺は……」
「え?」
「俺は、少し前まで自分のような過去を持つ人間は世界中でも極少数だと本気で思っていた。他の皆は当たり前のように幸せな日常を謳歌していると、そう思っていた」
「………………」
「でも、意外とそうでもなかったんだな。どうやら、世界とは俺が想像しているよりも、ずっと苦労人が多いようだ」
「千夏さん……」
「セシリアが色々と話してくれたんだ。俺も少し話すとしようか」
彼女がちゃんと聞いてくれるかは分からないが、それでも何故か話したいと思った。
今度は俺が独り言を言う番だ。
「俺達にも両親がいない。千冬姉さんは少しぐらいは知っているかもしれないが、俺と一夏は両親の顔すら知らない」
「え……?」
「姉さんが言うには、俺達が物心つく前に突如として蒸発してしまったんだそうだ」
「そうだ……とは?」
「なんとも情けない話だが、俺は5歳ぐらいの頃に交通事故に遭ったらしく、その時に過去の記憶を全て失ったようなんだ。だから、元から曖昧だったであろう両親の記憶は微塵も残っていない」
「………!」
本当は『転生』したから最初から知っていないんだが、それはここで言う必要は無いだろう。
「目が覚めた時は全身が包帯でぐるぐる巻きになっていてな、本気で驚いたよ。その直後に記憶に無い家族が出てきて二重に驚いたんだが」
俺の時と同様に、セシリアも黙って聞いてくれているようだ。
それなら、俺も遠慮無く口を動かそう。
「それからは本当に大変だった。ガキだった俺にとって、二人は見ず知らずの他人に等しかった。そんな人間と一つ屋根の下で暮らすのだから、精神的負担は相当だった。でも、もっと苦労したのは千冬姉さんだったと思う。なんせ、当時の姉さんはまだ学生で、俺と一夏の二人を護っていかなくちゃいけなかったからな」
あの頃の事を思いだすと、どうしてもっとスマートに出来なかったのだと思えて仕方がない。
一夏とは違い、俺には明確な意思があったのだから、色々と出来る事はあった筈なのに。
「一応、近所に住んでいた箒の御両親にも援助をして貰ってはいたが、それでも限界はやって来る。そんな時に現れたのが……」
「IS……ですか」
「そうだ。ISが台頭し始めてから、ウチの財政は一気に潤った。姉さんがISの国家代表になったからな」
「でしょうね。国家代表ともなれば、その給料はかなりの額になりますから」
因みに、今でもまだ織斑家の通帳には一般家庭では信じられない程の額が刻まれていたりする。
姉さんの給料に加え、俺の委員会代表として稼いだ金も含まれているから。
「それからも色んな事があった。本当に……色々な事が……」
箒が引っ越して、それと入れ替えるように鈴がやってきて。
ドイツで誘拐され、その後……。
俺の体に明らかな変化が出てきて、鈴が中国に帰国したと同時に俺の髪が真っ白になってしまった。
あぁ……思い出せば思い出す程に、自分の情けなさと惰弱さが浮き彫りになっていく……。
「そして、中学二年の後半辺りで俺もセシリアと同じように政府が開催した簡易IS適性検査があってな。そこで『S』なんて結果が出てしまった」
「エ……Sっ!? IS適性がSって事ですのっ!?」
「そうらしい。直後に裏の部屋に連れていかれて、色んな話をさせられたよ。その次の日だったかな。委員会の人間がやって来て、俺の身柄を護る為に委員会所属の操縦者にすると言い出したんだ」
「それで『委員会代表』に……」
「まぁな。それから簪も通っていたISの訓練施設に通う羽目になった」
「その言い方だと、あまり良い思い出が無いように聞こえますけど?」
「半々だな。簪を初めとする多数の友人たちが出来た事は、俺にとって間違いなくいい事ではあるが、それを全てぶち壊す程に最悪な出会いもまたあった……」
ヤバい。
話の流れで喋ってしまったが、頭がアイツの事を思い出そうとしている。
これはダメだ。忘れろ……忘れろ俺……!
「千夏さん、もういいですわ。貴女にとって、その『最悪な出会い』とやらは思い出したくも無い程なんでしょう? 無理して話す必要はありませんわ」
「そう……だな。すまない……」
気を使うべき立場の筈が、いつの間にか逆転してしまった。
またもや情けない一面を見せてしまったな。
「なんだか疲れたよ……もう寝る」
「分かりましたわ。どうか良い夢を……」
「ありがとう……おやすみ……」
今更ながらに出てきた疲労感に身を任せ、俺は体を横にしながら目を閉じた。
嫌な夢でも見るかと思ったが、案外そうでもなかった。
・・・・・
・・・・
・・・
・・
・
「「「「………………」」」」
千夏が眠る少し前。
飲み物を買って戻って来ていた一夏達は、保健室の入り口付近で扉越しに聞こえてきた二人の会話に耳を傾けていた。
「オルコットさんに……そんな事があったなんて……」
「そうだな……」
箒も自分が相当に不幸な星の生まれだと思っていたが、それが愚かな自惚れだと思い知らされた。
「セシリアもだけど、千夏……」
「なっちー……」
普段ならば絶対にしないであろう、千夏の自分語り。
己が知らない千夏の過去を知り、簪と本音は表情を暗くしている。
そして、それは自分が去った後の事を知らない箒もまた同様だった。
「千夏も……政府の奴等に振り回されたんだな……」
「箒……」
IS学園に来るまでは、箒も政府の『重要人物保護プログラム』によって各地を転々としていた。
だから、大人の思惑に振り回された千夏の心境を理解できてしまう。
「一夏……。千夏が言い淀んでいた部分を、お前は知っているのか?」
「まぁ……な。けど、こればっかりは幾ら箒でも簡単には話せない。俺も千冬姉も、ソレに関する話は絶対にしないって決めてるからな」
「そうか……」
「これだけは、千夏姉が自分から話す時を根気よく待っててほしいとしか言えない。ゴメン……」
「いや……謝る必要は無い。誰にだってタブーな話ぐらいはあるし、千夏の場合はそれがかなり深刻なだけだ。だから、私は千夏の事を信じて待つとする」
「私も。千夏がいつか話してくれると信じて待つよ」
「うん……そうだね。私達がなっちーを信じてあげなきゃ駄目だよね」
「皆……ありがとな……」
自分一人では無理でも、これだけの友達が支えてくれるのなら、千夏の事を本当の意味で守れるかもしれない。
僅かに見えてきた希望の光を感じ、一夏は少しだけ涙ぐんだ。
「で、どうする? そろそろ中に入るか?」
「もう少しだけ待ってやろうぜ。まだ何か話してるかもしれないし」
「そうだね」
「うん!」
だがしかし、そんな場の空気なんて全く知らない人物がここで登場する。
「あれ? 皆して廊下に立ってどうしたの?」
「ピノッキオさん。電話は終わったんですか?」
「一応ね。定期報告みたいなもんだし。それよりも中に入らないの?」
「いや、今はまだ……」
「??? なんだか分からないけど、僕は入るよ?」
コンコンとノックをしてから、念の為の確認をしてから扉を開ける。
仕方がないと諦めつつ一夏達も中に入ろうとするが、そこでは女子勢を驚愕させる事が起きていた。
「ん? なんで一緒に入ってるの?」
ピノッキオの一言では分かりにくいであろうから、ここでちゃんと説明しよう。
千夏が完全に寝入った事を確認したセシリアは、あろうことか自分のベットから降りて、そのまま彼女を起こさないように一緒のベットに潜り込んだのだ。
ニコニコしながら、正面から千夏を抱きしめる形で至福の時を満喫しているセシリアだったが、そんな横暴を簡単に許す程、少女達は甘くは無い。
「「「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」」」
「なっちーと一緒のベッド……いいなぁ~……」
「だ……大胆だな……」
「げっ!? あなた達っ!?」
途端に騒がしくなる保健室。
だが悲しいかな。この状況を注意する役目を持つ教師は、この場には一人もいない。
だというにも拘わらず、当の千夏本人は全く起きる気配を見せず、見事に爆睡していた。
「す~……す~……」
千夏の静かな寝息も、少女達の声にかき消されてしまう。
そんな光景を、この場で唯一の成人であるピノッキオは呑気な顔で見つめていた。
前回よりは長く書けた……。
結局はシリアス一辺倒にはなりませんでした。