まだ紫式部も育て上げてないのに……。
千夏ちゃんが生徒会室を初めて訪問した次の日。
私は朝から学園の中庭に足を運んでいた。
その目的は、千夏ちゃんを護衛するにあたって、最も重要な人物に会う為。
(彼ね……)
一見すると無防備な背中を晒しながら、彼は作業着を着た状態で花壇に座り込んで整備をしている。
素人には分からないかもしれないが、彼の足は少し外側に出ていて、いつでも動けるように備えていた。
私から見ても、寸分の隙も見当たらない。
下手に仕掛けようすれば、次の瞬間にはこの首を切り裂かれてお陀仏だ。
そうならないように、私は可能な限り普通を装って話しかける事にした。
「おはよう。朝から精が出るわね」
「おはよう。やっと話しかけてきたね」
「……ばれてたのね」
「それだけ視線を向けられれば、誰だって気が付くよ」
一応、近づくまでは気配を消してたんだけど……。
後ろを向いたままで気が付くなんて、彼ほどの実力者ともなれば、私ですら赤子に等しいのかもしれない。
少し緊張しながら近づくと、彼が不意に立ち上がり、こっちを向いた。
(あらイケメン)
これは……簪ちゃん達の同期の子達が夢中になるわけね。
そこら辺のアイドルなんて目じゃないぐらいに顔が整ってる。
少しだけ無気力そうな目が、またいい感じになってるし。
「君の事は知ってるよ」
「え?」
「IS学園の生徒会長にして自由国籍を取得したロシアの国家代表、そして、暗部の家系である『更識家』の現当主……でしょ?」
「……正解よ。それも貴方のお義父さんから?」
「うん。ここに来るにあたって、必要な情報は全て貰ってるから」
流石はイタリアンマフィアの大物にして、IS委員会の委員長ね……!
とことんまで抜かりがないわ。
「私は更識楯無。千夏ちゃんの事で大事な話があって、ここまで来たの」
「それって、千夏の護衛に関する事?」
「えぇ。貴方が委員長から彼女の護衛を任されているように、こっちも支部長や政府から千夏ちゃん達の護衛を依頼されてるの」
「あの組長さんらしいや。念には念を入れておく腹積もりらしいね」
「最悪の事態に備えて、手札は一枚でも多い方がいいでしょう?」
「それには同意するよ」
今のところは普通に話せているけど、少しでも機嫌を損ねたらどうなるか分からないから、一言一言に気を使ってしまう……!
「いいよ」
「え?」
「僕も、自分一人で千夏を全ての脅威から守れるなんて、思い上がった考えは持ってないから。彼女を守れるのなら僕は何でもするし、どんな事でも受け入れる」
……ここまでハッキリと言えるって、ある意味で尊敬するわ。
裏社会では知らない人間がいないとまで言われている、若き天才暗殺者『ピノッキオ』。
そんな彼にここまで言わせるなんて、千夏ちゃんも中々に魔性の美少女ね。
「そ……そう。貴方がそう言ってくれて安心したわ。それじゃ、これからもよろしく頼むわね」
「うん。お互いに出来る事を精一杯やろう」
そう言うと、彼は再び座り込んで花壇を弄り始める。
その時、私はある事が猛烈に気になったので、試しに聞いてみた。
「ねぇ……貴方って、千夏ちゃんとお付き合いしてるの?」
「は?」
思わず立ち上がった彼の素の表情を見た気がする。
でも、そんなにも驚くような事かしら?
「僕が? 千夏と?」
「えぇ。訓練所の子達は、そんな風に噂してたみたいよ」
「何を馬鹿な事を。ここの理事長さんにも言われたけど、僕と千夏はあくまでも『護る側』と『護られる側』でしかない。僕等の間には、それ以上もそれ以下の関係も無いよ」
「あなた……」
さっきの発言から、どう考えても千夏ちゃんの事を特別に意識しているのは丸分りなのに、自分の気持ちに気が付いてないのかしら?
それとも、気が付いたうえでこんな事を言ってる?
どっちにしても、色恋沙汰に関しては、かの天才も普通の人間って事ね。
(あれ……? なんで私、安心してるんだろ……)
別に千夏ちゃんと彼が恋人同士だったとしても、私には何の関係も無いのに……。
なんか、二人が一緒に並んでいる姿を想像したら、胸の辺りがチクリとした……。
「ところでさ、いいの?」
「何が?」
「食堂。早く行かないと閉まっちゃうよ?」
「へ?」
しょくどー……しまる……?
「あぁっ!?」
しまった!! 話に夢中になり過ぎて、朝ご飯を食べるのをすっかり忘れてた!!
時間は……もう8時30分になろうとしてる!?
急がないと、食べ損なっちゃう!!
「もう話は終わりでしょ? だったら早く行かないと、遅刻しちゃうかもだよ?」
「そ……そうね! 私はここらで失礼するわ!」
「ん。いってらっしゃい」
やっば~い!! 私ともあろう者が、こんな少女マンガの主人公みたいなドジを踏むなんて~!
流石に、お腹空いたままで午前の授業を乗り切れる自信は無いわよ~!
お願いだから、間に合って~!
・・・・・
・・・・
・・・
・・
・
ふむ。どこかで楯無さんの悲鳴が聞こえてきた気がするが、気のせいだろう。
生徒会長ともあろう方が、遅刻なんてする筈もないしな。
俺達は今、寮の食堂で朝食の真っ最中だ。
メンバーはお馴染みの面々に本音が加わった6人だ。
「そ……その、千夏さんが編み物がお得意だというのは本当なんですの?」
「うん。私も千夏の手作りの手袋を貰ったけど、凄く上手で暖かかった」
「他にも色々と作ってるんだぜ。千夏姉の裁縫の腕はマジでプロ級だよ」
「そこまで持ち上げるな」
「私も最低限の事ぐらいは出来るが、セーターやマフラーなんて絶対に無理だ……」
「私もですわ……。ピアノやフェンシングなどは習っていますけど、編み物なんて女の子らしいことはとてもとても……」
いや、セシリア。俺からしたらピアノもフェンシングも十分に凄いぞ。
そっちこそ普通は無理だ。
「なら、しののんもセッシーも、なっちーに編み物を習えばいいんじゃないのかな~?」
「「それだ(ですわ)!!」」
本音……今、お前は確実に余計な事を言ったぞ。
「千夏! 是非とも私にも編み物を教えてくれ!」
「私にもご教授願いますわ! 千夏さん!」
「それなら私も習いたい」
混乱に乗じて簪もしれッと混ざるな。
「はぁ……俺で良ければいいぞ」
「「「やった!」」」
後で三人分の毛糸と編み棒を用意しておかないといけないのか……?
「といっても、お互いに忙しいから、暇な時間を作らないとな」
「そうですわね。私と簪さんは代表候補生で、千夏さんも委員会代表。しかも、部活にも所属しているから……」
「必然的に時間は限られてくるな……」
俺はまだ部に所属してないけどな。
昨日は結局、裁縫部に入部届を提出出来なかったし。
だから、今日こそは届けに行こうと思っている。
「心配しなくても、どこかで必ず時間は出来るだろう。準備さえ怠らなければ大丈夫だ」
「でもさ、編み物って初心者にも出来るもんなのか?」
「そうだな……。流石にセーターやマフラーのような凝った代物は不可能だが、手袋とかだったら、そこまで模様に拘りさえしなければ、なんとか……」
ある意味、編み物と料理は似たようなものだと俺は思っている。
変に隠し味や模様を拘ろうとすると、逆に失敗してしまう所とかが。
「その辺は千夏に任せる。私達では最初の一歩すらも分からないからな」
「了解だ。材料などはこっちで準備しよう」
どうやら、思っているよりもやる気はあるようだ。
ならば、俺もちゃんと教えてやらねば。
「実は千夏さん。私からもう一つお願いしたい事があるんですが……」
「なんだ、セシリア」
彼女からお願いとは、また珍しい。
「確か、来週に一夏さんは専用機を受領する手筈になっているんですわよね?」
「千冬姉はそう言ってたな」
最近、セシリアは一夏の事を名前で呼び始めた。
別に二人が特別に親しくなったとかじゃなくて、単純に同じ名前の人間が三人も一緒だと紛らわしいから、という理由らしい。
俺と一夏と千冬姉さん。一組に織斑家集結してるからな。
「でしたら、私と千夏さんで模擬戦をして、その光景を彼に見せてあげるのはいかがかしら?」
「模擬戦……」
成る程。それは考えも及ばなかったな。
流石は学年主席。ナイスなアイデアだ。
「いいかもしれない」
「でしたら……」
「ああ。喜んで引き受けようじゃないか」
俺としても、IS学園でディナイアルを動かしてみたいという俗な欲求が無かったわけじゃない。
だから、この話は渡りに船だった。
「一夏も、俺の試合を見てみたくないか?」
「そう……だな。興味はあるよ」
「決まりだな」
「ですわね」
「だったら、試合をする日は一夏の専用機が搬入される日にするか。機体の設定をしている間に試合をすれば、一夏も暇を潰せるだろうし」
「模擬戦を暇つぶしと言える人は、千夏さんぐらいですわ……」
「そうか?」
案外、姉さん辺りも言いそうな気がするが。
「一夏。どんな理由であれ、専用機を手にする以上はお前も遅かれ早かれ試合をする事になる。訓練機とは違って、専用機の試合とはそれだけで人々の注目を集めてしまう。だから、俺とセシリアの試合を間近で見て、ISの試合をいう物を、専用機同士の戦いをよく見ておけ。嘗て俺達がモンドグロッソの会場で見た試合とは、また違った感想が必ず出てくるはずだ」
「……分かった。千夏姉とオルコットさんの試合、この目にしっかりと焼きつけておくよ」
「その意気だ」
となると、これからの予定は自然と決まったな。
「では、試合に備えて俺は体を動かして、トレーニングに励むか」
「私も、そうさせていただきますわ。千夏さんとは、最高の試合をしたいですから」
いい顔をするじゃないか、セシリア。
俺にはハッキリと分かる。今の彼女はさっきまでのお嬢様じゃない。
紛れもなく、一人の戦士だ。
「千夏は……ここまで闘志を燃え滾らせる女だったか……?」
「試合の前の千夏はいつもこんな感じ」
「簪も千夏と戦った事があるのか?」
「勿論。最初から十分に凄かったけど、今の千夏はその時とは比較にならない程に強くなってる」
「スゲェな……千夏姉。俺も負けてられないぜ……!」
一夏のやる気にも火が着いたか。
織斑家とは、どうも熱くなりやすい血筋のようだ。
「なっちーは熱血キャラだったんだね~」
「千夏姉はクールな熱血キャラって感じだな。なんつーのかな……冷たく燃える青い炎……みたいな?」
「ふむ……言い得て妙だが、不思議と納得できるな」
青い炎……か。
まさか、一夏はエスパーか?
「千夏の専用機とは、どんな機体なんだ?」
「それはまだ秘密だな。一応、対戦相手の前だし」
「あ……」
調べようと思えば、セシリアの専用機の情報を入手可能だが、そんな気は毛頭ない。
曲がりなりにもスポーツマンである以上は、ここはフェアに行こう。
「今から楽しみだな。セシリア」
「そうですわね。千夏さん」
他国の専用機持ちとの初めての試合。
勝っても負けても、得るものは必ずある筈だ。
「一応、後で千冬姉さんにも言っておかないとな」
「あの人の事だから、二つ返事で了承しそうな気がするが」
大人びて見えるが、千冬姉さんも戦闘狂染みた所があるからな。
何回か俺の試合を見ているあの人なら猶の事、笑顔を見せながらOKサインを出しそうだ。
かく言う俺自身も、セシリアに試合の事を言われた時から、ずっと胸が熱くなる感覚を感じていた。
何も感じない体に感じる『熱』は、きっと心が熱くなっているんだろう。
成る程、これが俗に言う『闘志』と呼ばれるものか。
感情が死んだと思っていた自分にも、まだこんな物が残されていたんだな。
(セシリアに出会っていなかったら、気が付かなかったかもしれない……)
大切な事を教えてくれたセシリアに、俺流の礼をしなければいけないな。
全力で戦い、勝利する事で。
ディナイアル。俺に勝利を見せてくれ。
変則的ですが、セシリアとの試合を設けました。
原作みたいな慢心は当然ないので、熱い試合になるかもしれません。