これ…大丈夫かな?
いきなり病室へと入ってきた千冬と束。
ベットの上で横たわっている痛々しい姿をした自分の妹の意味不明な反応を見て、思わず声を荒げてしまう。
それを聞いた看護婦によって落ち着くように言われたが、それでも落ち着く様子は無く、後からやって来た束の両親によってようやく落ち着いた。
その後、他の看護婦が呼んだ医師によって、千冬達四人は診察室に案内された。
その様子を件の主はポカンとした様子で見ていた。
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診察室には医師と束の両親である篠ノ之夫妻が座っていて、その後ろにて千冬と束が立っている。
「あの……先生。千夏はどうなんですか?」
「……………」
「ちょっと…黙ってないで何か言いなよ」
「束、少し静かにしなさい」
「ぶ~……」
束の父が彼女を大人しくさせるが、束は未だに不満たらたらだった。
「……回りくどい事はよしましょうか…」
「どう言う事ですか?それは…」
医師は膝の上で拳を握りしめて、苦痛の表情をしている。
一回目を瞑り、意を決したかのように話し出した。
「結論から申し上げます。確かに織斑千夏さんは目覚めはしましたが…あの子には事故による後遺症が残っています」
「後遺症……!」
それを聞いた途端、千冬は眩暈を覚えた。
咄嗟に束によって支えられたが、それでも千冬の目は焦点があっていなかった。
「……その後遺症とは一体何なのですか?」
「……非常に言いにくいのですが……」
一瞬だけ迷ったが、医師は再び口を開いた。
「事故で神経を大きく傷つけてしまった千夏さんは………味覚と嗅覚と触覚を失っています」
「「「「……っ!?」」」」
驚愕の事実に、医師以外の全員が目を見開く。
「嘘……ですよね……?」
「ちーちゃん?」
幽鬼のようにゆらりと立ち上がった千冬は、涙を溜めながら医師に話しかける。
「嘘だと言ってくれ!! 千夏が……千夏が……!」
遂には、その場に座り込んで泣き出す千冬。
その様子は誰が見ても悲痛で痛々しかった。
束も一緒に座り込んでいたが、彼女にも気になっていた事があった為、自分の気持ちを我慢して聞く事にした。
「ねぇ……お医者さん」
「……なんでしょうか」
「さっき私達が病室に入った時、なっちゃんの様子がおかしかった。あれはどう言う事?」
「……気が付いていたんですか…」
「あんな反応されれば、嫌でも気が付くよ」
束も本当は泣き出したいほどにショックなのだ。
だが、ここで自分も泣き崩れてしまえば、誰が千冬を支えるというのだ。
それを分かっているから、彼女は全力で涙をこらえている。
「……私は専門家ではない為、確信めいた事は言えませんが……」
「それでもいいよ」
「はい……。恐らくあの子は……記憶喪失になっていると思われます」
「き……おくそうしつ……!」
再び襲い来る衝撃の事実。
それは、焦燥した千冬の心を切り裂くには充分過ぎる言葉だった。
「なんで……なんで千夏なんだ!! あいつが…一体何をしたというんだ……」
「ちーちゃん……」
記憶を失い、更には五感の内の三感をも失ってしまった。
何故、千夏だけがそんなにも失い続けるのかは誰にもわからない。
「ですが……一番大変なのは…あの子がもともと抱えている症例なのです…」
「まだあるのですか!?」
「はい……。これに関しては事故は関係ありません。あの子が生まれもっているものなのです」
「生まれつきの……」
「ええ。こうして早めに気が付くことが出来たのは、不幸中の幸いかもしれません…」
「何が不幸中の幸いだ!! 千夏は……千夏は!!」
「…………」
千冬の叫びに医師は何も言えずにいた。
自分に何かを言う資格があるとは思っていなかったから。
「……先生。教えて貰えませんか? 千夏ちゃんの生まれつきの症状とは…」
「はい。千夏さんの症例……それは……」
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あの二人組が去っていた後、俺は一人で考えていた。
(あの黒髪の女……自分の事を『姉』だって言ってたな…)
確か……織斑千冬……だったか?
そして、俺の事を『千夏』って呼んでた。
なら、今の俺のフルネームは『織斑千夏』ってことになる……のか?
「千夏……ね」
女の子の名前としては比較的ポピュラーな名前だな。
苗字は逆に超激レアだけど。
ふと、棚の上に置かれたスマホを見る。
全体的にピンクに染まっていて、なんとも色が痛い携帯だ。
これは、先程やって来た自称姉と一緒にいた篠ノ之束という女学生が置いて行った。
『こんなベットの上にずっと居たら暇でしょ? だから、ここに束さんお手製の携帯端末を置いていくね! ちゃんとネットにも繋がるから、好きに使っていいよ!』
……って言っていたっけ。
ま、確かに入院生活って暇だよな。
前(前世)にも何回か入院したことがあるから、よく分かる。
試しに少し触ってみると、見た目と機能は通常のスマホと大差なかった。
だが、これは普通のやつとは違って、最新の機能やアプリが常にアップデートされる仕組みになっているようだ。
これ……どうなってるんだ?
っていうか、通信費とかってどこから出てるんだろう?
そんな風にボケーっとしていると、また病室の扉が開いた。
「…………」
そこには、さっきとは打って変わって意気消沈したさっきの二人と、見知らぬ大人達(多分、夫婦)がいた。
「えっと……大丈夫ですか?」
一応、気に掛けるフリをしてみるが、見事にシカトしやがった。
「千夏……」
「はい?」
思わず返事をすると、自称姉…もう千冬さんでいいか。
精神的にはともかくとして、肉体的には俺の方が年下だし。
千冬さんが俺にゆっくりと抱き着いてきた。
痛くは無いからいいんだけどね。
「すまない……本当にすまない……! 私が一緒にいれば……」
「はぁ……」
いきなり謝罪されても。
その時の記憶が無い俺にはさっぱりなんだよな。
なんて顔をしろと?
「千冬君、そろそろ…」
「ぐす……はい……」
男の人に促されて、千冬さんが離れる。
その目は涙で濡れていて、真っ赤になっている。
「その……大丈夫かい?」
「まぁ……はい。で、お二人は……」
「ああ……そうだな。そうだったな……」
なにが『そうだな』なんですか?
「私は篠ノ之柳韻。そこにいる束の父だ。隣にいるのが私の妻…束の母だな」
「こんにちわ」
「こんにちわ……」
この二人が『あの』束さんの両親……か。
見た感じ普通の人達だけど、どうして娘の髪が紫になるの?
突然変異? それとも先祖返り?
もしくは染めたとか?
それから軽く話して、四人は帰っていった。
千冬さんは終始、顔が暗かったけど。
もしかして、俺の感覚が無くなったのを知ったのか?
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俺の意識が覚醒してから、大体一週間ぐらいが経った。
その間も千冬さんと束さんは毎日やって来た。
正直言うと、今は一人にして欲しいのだが、それを言うとまた厄介な事になりそうなのでやめておく。
それと、理由は不明だが、俺の体は劇的に回復していっている。
少し前まではベットの上で点滴生活だったのだが、今では松葉杖を使えばなんとか歩けるぐらいにはなった。
先生も滅茶苦茶驚いていたけど。
これって…噂に聞く『転生特典』ってやつか?
いや…でも、俺って『神様』には全然会ってないんだよな。
そういや、まだ俺が助けたって言う、弟君(仮)と束さんの妹の箒ちゃんとやらに会ってないな。
何時か会えるんだろうか?
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入院生活が続いたある日の夜。
俺は急に尿意をもようして、慣れない松葉杖を使ってベットから立ち上がる。
ドアからは廊下の光が僅かに見えていて、暗い部屋を少しだけ照らす。
束さん特製のスマホを見てみると、時間は21時30分。
普通なら寝るには早いが、病院などは消灯時間になっている。
「……早く行こう」
ここ数日で何回もトイレに行っているが、未だに女性用のトイレに入るのは抵抗がある。
早く慣れないといけないのは分かってはいるが、男としての人生が長かったせいか、すっかり癖になっている。
本来ならば病室にある尿瓶や尿道に直接装着した排泄物用の管を使うらしいが、流石にそれは嫌だったので、丁重に断った。
早く女の体にも慣れないとな。
「うんしょ……うんしょ……」
ふらつきながらも、なんとかして女子トイレまで行って用を済ませる。
スッキリしてから部屋に戻ろうとすると、部屋から少し離れた場所にあるナースセンターから話し声が聞こえた為、思わず気配を消して近くまで行ってしまった。
それが、俺の運命を大きく変える切欠になるとも知らずに……。
「ねぇ、アンタ聞いた?」
「何をですか? 先輩」
「この間、目が覚めた女の子の事」
「ああ……奇跡の復活をしたって言う子ですよね。でも、味覚とかが無くなっていたって……」
「そうそう。でね、その子なんだけど…凄い事実が判明したんだって」
「凄い事実?」
こいつらが言っている『女の子』って…俺の事か?
「大先生が言っていたんだけど、あの子って実は……」
実は? もったいぶらないで早く言えよ。
「『睾丸性女性化症候群』なんだって!」
「えっ!?マジですか!?」
こうがんせい……?
なんだそれ?
「あんな小さな時に分かるんですか?」
「昔は難しかったらしいけど、現代の医療なら可能らしいわ」
凄いな、医療の進化。
あれ……これって前にも言わなかったか?
「でも、あの子ってかなりの美少女……いや、美幼女でしたよね?」
「これも大先生が言っていたんだけど、睾丸性女性化症候群の残酷な所は、なんでか全ての人間が美人に生まれる事らしいわ。だから、これまで見つかった人達は結婚している人達が多かったんですって。世の男共が絶対に放っておかないから。でも、生理が無い事や、不妊の訴えがあって、初めて判明するらしいの」
「じゃあ、今回は?」
「あの子の治療中に偶然判明したって」
「うわ……。なんちゅー皮肉……」
完全に他人事だな…。
俺も言えた立場じゃないけど。
「でも、睾丸性ってことは、あの子って女の子に見えて実は男の子だったって事ですか?」
「そうね。色々な状態があるらしいけど、えっと……千夏ちゃん……だったっけ? あの子の場合は、卵巣の位置に睾丸があるんだって。染色体は46XYらしいわ」
「XYって、それって完全に男じゃないですか!」
………思いっきり俺の名前が出たな。
この病院に他に『千夏』という子供の患者がいない限りは、間違いなく俺の事だろう。
「一応ね、私はあの子がまだ眠っている時に千夏ちゃんの裸を見てるのよ」
「どうだったんですか?」
「完全に女の子。しかも、包帯を付けてるのに滅茶苦茶可愛いのよ」
……女の体をしているのに、実は男でしたってか?
冗談じゃないぞ。
この体で実は性転換してなかったとか……どんなドッキリだ?
っていうか、何気に裸を見られてたのかよ。
今更、気にしないけど。
「実は、あの子が目覚める少し前に若先生があの子の事を診た時、凄く悩んでいたのよ。実際に触診して膣が盲端に終わっていることに気が付いて、即座に睾丸性女性化症候群だって直観したんだけど、こうして実際の症例にあたったのは初めてだったらしいの。ま、無理も無いけどね」
「どうしてですか?」
「睾丸性女性化症候群って、1999年を最後に一人も発見されなかったらしいの。でも……」
「時を経て、こうして見つかってしまった…と」
「うん。だから、急いで大先生に相談したって訳」
1999年を最後にって……そもそも今は何年だよ?
ちゃんと携帯で見とけばよかったな…。
「そういえば、若先生ってば色々と資料を探してましたね」
「そうなのよ~。私も一緒に付き合わされて、改めて勉強し直したわ」
「何気に真面目ですよね」
「うっさい。で、驚いたことに、クラインフェルターなんかのXXY症候群なんかは5000分の1、XXYY症候群に至っては2000分の1だって」
「なんですか?それ」
「確率よ。発見される確率」
「嘘っ!? 2000分の1って言ったら、つまり、2000人に1人って事ですよね!?」
「私も本気で驚いちゃった。でも、早期に見つかって却ってよかったかも」
「何故に?」
「これはね、基本的に治療方法が存在しないのよ。だから、いかに現実を受容していくかが大事になってくるの。これから精神的なカウンセリングが必須であり重要になってくるって訳」
今更、カウンセリングって言われてもね…。
素直に全てを話せば、間違いなく精神病院に直行だろうな。
下手したら『黄色い救急車』を呼ばれるかも。
「でも、あの子は何にも知らないんですよね?」
「うん。って言うか、知る必要性が無いのよ。女として生活しているのを顕在化するのは、却って好ましくないって言うのが学会の考えになってるから。だから、大先生も若先生もこの事は墓まで持っていくって言っていたわ」
「凄い決意ですね…」
「それだけ大変だってことよ。だから、あの子が無事に退院するまでは絶対に口を滑らせちゃ駄目よ? わかった?」
「はぁ~い」
「本当に分かってるのかしら…この子は……」
看護婦も、一皮むけば唯の人…か。
にしても、俺って言うか、この千夏ちゃんは凄い確率の上に生まれたのな。
もしも、この子が俺じゃなくて『千夏ちゃんとしての人格』のままだったら、確実に 途中で心を折られるだろうな。
これもまた『不幸中の幸い』なんだろうか?
俺は頭の中でさっき聞いたことを反芻しながら、静かに気配と足音を消しながらそっと部屋に戻っていった。
その日の夜は色んな事を考えてしまい、中々に寝付けなかった。
千夏の身体についてはもうちょっと詳しく説明しようと思います。
多分、次辺りになるでしょうね。