艦これ戦記 -ソロモンの石壁-   作:鉄血☆宰相

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第六話 天国に一番近い島で

 

 

 

「り、離島棲鬼!?」

 

 石壁は思わぬ展開に咄嗟に逃げ出そうとするが、体がうまく動かない。ここに至って漸く彼は己の手足が鎖で繋がれている事に気が付いたのだ。

 

「ああ、暴れちゃ駄目よ?怪我をしてしまうわ」

 

 そういって彼女は石壁に近寄ると、そっと暴れる彼の体をベッドに寝かしつけた。その優し過ぎる言葉と対応に、石壁は何が起こっているのか理解できずに目を白黒させる。大人しくなった石壁に離島棲鬼がほほ笑む。

 

「そう、いい子ね。大人しくしててくれれば、悪い様にはしないから」

 

 そういって彼女は石壁の頭を撫でてくる。人の感情に敏い石壁には、彼女に本当に害意がないのが分かる。故に混乱は加速していく。

 

(な、何が起こっているんだ……?)

 

 石壁の混乱を尻目に、彼女はベッドの傍の椅子に腰かけて言葉をかけてくる。

 

「さて、寝起きの所悪いのだけど、二三質問させてもらっていいかしら?大佐さん?」

「えっ、大佐?」

 

 なんで大佐なんだ?石壁がそう問う前に、彼女はしてやったりという感じの笑みを浮かべる。

 

「ふふ、なんで分かったのかって顔ね?」

(違います)

 

 石壁がそれを口に出さずにいると、彼女は得意げに壁を指さす。そこにはボロボロになった彼の軍服がかけてあった。

 

(あっ……階級章……大佐のままだ……)

 

 覚えているだろうか、石壁は赴任時は大佐だったのだ。だが、本当に色々あってあっという間に中将になったせいで、階級章が大佐のままだったのである。つまり彼女はボロ屑になった軍服から、石壁を帝国軍の大佐が海難事故か何かにあったと考え違いをしているのだ。まさか今正面で睨み合っている敵軍の総司令官が味方に暗殺されかけて、その結果哨戒中回収されたなどという真実を知っても冗談だと思って笑い流すのが関の山だろう。事実は小説より奇なりとは正しくこの事であった。

 

「階級章を見れば階級くらい一瞬で分かるわよ!」

 

 ドヤァ……という擬音が付きそうな位にお手本のようなドヤ顔、得意げに胸を張る彼女の姿に、先ほどまでの神秘的な空気が一瞬で消え失せる。どうやら相当に愉快な性格の深海棲艦のようであった。

 

「驚いたわよ?だって私が哨戒中の潜水艦が真っ黒こげのドザエモン担いで帰った来たんだもの。何事かと思って近寄ったらあれだけボロボロでもまだ生きていて二重にビックリしたわ。急いで医務室に引っ張り込んであげたんだから感謝すると良いわよ」

 

 うんうんと腕組して頷く彼女は、チラチラとこちらを見てくる。

 

「ええっと……その、あ、ありがとうございます?」

 

 その言葉に満足したのか、ドヤ顔が二割増し位に笑みが深くなるのであった。

 

 閑話休題

 

「で、そろそろ貴方の現状も分かったでしょうし?色々と事情聴取させて貰うわね?あ、水飲む?」

「い、頂きます」

 

 話があっちに行ったりこっちに行ったりしながら、離島棲鬼による石壁への尋問が始まったのであった。

 

「まず手始めに、名前から教えてくれるかしら?」

「ええと……い……」

 

 そこで思わず本名を漏らしかけて、石壁は言葉を飲み込んだ。『イシカベ』の名前は深海棲艦にも広く知られていることを寸前で思い出したのだ。

 

「い?」

「い、石田堅持です」

「イシダケンジね」

 

 さらさらと手元の書類へと書き込む離島棲鬼。

 

「ええと、イシダ大佐?なんであんなボロボロだったの?あの爆発した艦にでも乗ってたの?」

「ええよく分かりましたね。実は乗艦が爆発しまして……」

「ふんふんなるほど……なるほど??……え、本当にあの爆発した艦に乗ってたの!?よく生きてたわね!?」

 

 ギョッとしたように彼女が顔をあげる。

 

「か、体が頑丈だったのが幸いしたのかな?」

「爆発に耐えられたら人間じゃないわよ艦娘や深海棲艦じゃあるまいし……艦の上層部にでも乗ってたの?運が良かったわね」

 

 離島棲鬼は石壁の言葉を冗談と受け取ったらしく聴取に艦艇の爆発事故による漂流と記入していく。

 

「艦艇が爆発したとは聞いてたけど……本当に貴方が乗っていた艦なのね……不運なのか幸運なのか……」

 

 気の毒そうな顔をしながら彼女は尋問を続ける。

 

「艦娘じゃなくてなんで通常艦艇に乗っての?」

「本土の大本営から召集をうけて移動中だったんですよ」

「大本営からねえ?なに?暗殺でもされかけて船ごと爆破されたとか?」

「あはは……本当によくわかりましたね……ええ船ごと消されかけたんです」

「なんてね冗談じょうだ……はっ!?本当に暗殺されかけたの!?!?」

 

 深海棲艦にすら驚愕される己の境遇の悲惨さに、石壁の瞳からハイライトが消えていく。その表情に嘘は言ってないと察した彼女はどうしたものかと頭を抱える。

 

「ええ……なにやってるのよ大本営……あの英雄イシカベを全力支援するような、機転と能力があるくせになんで未だに暗殺なんてしてるの??」

「えっ」

 

 今度は石壁が驚く番であった。

 

「イシカベを全力支援??」

「あら?知らないの?飛行場姫との戦いであれだけ大きな支援があったじゃない」

 

 そういって離島棲鬼はデスクからファイルを持ってくる。

 

「ええっと……あったあった。『飛行場姫がショートランド泊地を一度攻めた直後、大量の物資が泊地へと送り込まれ、それに合わせる様に大艦隊を収容し得るほど鎮守府沿岸部が肥大化する。飛行場姫はこれを人類側の大本営による大艦隊派遣の前触れと判断して戦略に修正を加え、攻勢再開時期を一月繰り上げ兵力の回復を待たずに攻撃を行った。これによって人類側の大増援前に攻め込む事に成功するも、戦力の不足から攻めきれずにイシカベに敗れた』って報告がきてるんだけど?」

「ええぇ……」

 

 石壁は想像すらしていなかった事実に頭を抱えた。あの戦いは石壁達が敗戦から立ち直り、反撃の為の全ての用意を整えた直後に発生した。ギリギリ用意が間に合ったともいえたが、対応できるギリギリの戦力で攻めてくれたともいえるのだ。もしもあと一ヶ月飛行場姫の攻勢が遅れていれば策を弄してもどうにもならない更なる大戦力で磨り潰されていたのだから。

 

 つまり徳素がやった嫌がらせのお陰で、石壁は早すぎても遅すぎても意味がない本当に奇跡的な【勝ち目があるタイミング】で戦闘を行う事が出来たのだ。もう少し攻勢が遅ければ、死んでいたのは間違いなく石壁だった。それだけ飛行場姫は優秀で、有能で、完璧な将軍だったのだから。

 

「……なんか、想定と反応が違うんだけど?えっ、もしかして事実は全然違ったりするの?」

「……あはは」

 

 だが、それを素直に受け入れられるかは別問題であるのは当然の話である。

 

「ええっと、その、実は……」

 

 ***

 

 それから石壁が話しても問題がない範囲でその支援の真相を話すと、最終的に離島棲鬼は感情が抜け落ちたような無表情でフリーズしてしまった。

 

「……」

「……あの?離島棲鬼さん?」

 

 余りにも微動だにしない彼女に石壁が不安になって声をかけると、ポツリと彼女が声を出した。

 

「……色んな意味でないわー」

 

 ごもっとも。

 

「ええぇぇ……ちょっとまってよ。何?飛行場姫の奴そんな内ゲバに巻き込まれて死んだの?これ上にどう報告したらいいの?こんなんそのまま報告したら虚偽報告の容疑で軍法会議モノなんだけど??」

「……その、僕にそんな事聞かれても……困る」

 

 石壁は深海棲艦の方が軍事的にはよっぽど常識的だという事実に、思わず目を逸らすしかなかった。

 

「はぁ……まあいいわ、あと、貴方が話せる範囲で良いわ。イシカベ達について知っている事を話しなさい」

「……話せる範囲で?」

 

 てっきりこれから拷問にでもかけられて洗い浚い話させられると思っていた石壁は、その予想外に甘い言葉に困惑する。

 

「だってねえ……日本兵って無理やり拷問して情報吐かせようとしたらすぐに自決しちゃうじゃない。本当の事を話すとも限らないし、それなら好き勝手に話してもらって使えそうな情報をこっちで取捨選択したほうがマシだもの。嘘かどうかくらい目を見れば分かるし」

 

 ふざけて居る様に聞こえるが、彼女は至って真面目である。飛行場姫とは方向性が違うが、離島棲鬼もまた一角の将なのだ。先程までにひたすら会話を繰り返す中で、彼女は石壁がどういう人間なのかを概ね把握した。その上でどういう方向性で情報を引き出すのが正しいのかを理解して、こういう訊ね方をしているのだ。

 

(性根は至って誠実。こういう人間には腹芸を張っても無駄だわ。これくらいノーガードでぶっちゃけた方がむしろ情報は多く出てくる。何も話されずに死なれるくらいならこのほうがよっぽど良いもの)

 

 そして、彼女の判断は正しい。石壁は受けた恩を無下には出来ない人間であり、同時にどこまで話せば不味いか位は弁えている人間であるからだ。

 

「……わかった。どうせ僕の命は貴方の手の平の上だ。絶対に言えない情報以外はある程度話そう」

 

 ***

 

「……僕に言えるのは、これくらいだ」

 

 それから数十分、石壁は仲間の命や作戦に直結しない程度の情報を離島棲鬼に話し続けた。『調べればわかる』程度の情報と『詳しく調べなければわからない』程度の情報であり重要度そのものは低い。だが、そもそも人類側に伝手の少ない深海棲艦からすればこれらの情報は小さなモノではない。

 

「ふむ、なるほどね」

 

 離島棲鬼は手元の資料にさらさらと文字を書き加えると、こちらを向く。

 

「大体聞きたい事は聞けたわ。ありがとうね」

 

 そういってほほ笑むと、彼女は石壁の頭に手をおいて撫で始める。

 

「えっと……?」

「寝起きに色々聞いて悪かったわね。しばらく寝てなさい」

 

 そういって優しく頭を撫でてくる彼女に困惑している石壁だったが。暗殺未遂による漂流は想像以上に石壁の体力を奪っていたらしく、数分もすれば意識が薄れ始めてくる。

 

「……おやすみなさい」

 

 石壁が寝た事を確認すると、離島棲鬼は部下を呼んで調書を渡し、指示を出す。

 

「この人はオーストラリア本土へ送るわよ。相当に重要人物だと思うから丁重に護送しなさい」

「はっ!」

 

 部下が部屋を出て行った後、彼女は椅子に腰かけて石壁を見つめる。

 

(出てきた情報と、出さなかった情報。そして彼の現状から鑑みるに、戦略に影響が出るレベルに重要な将で間違いないわ)

 

 彼女の人物鑑定眼は正しい。短い間の交流で石壁が並大抵ではないレベルで有能な将官である事を察していた。

 

(恐らくは、イシカベに相当近しい人物ね。彼の作戦の骨子に組み込まれるレベルで……いったい何者かしら?)

 

 実は石壁本人です。などという事実は当然ながら彼女にも分からない。

 

(まあいいわ。どの道、オーストラリア本土に送っておけば関係ない話だし……それに、ここに拘留していたら戦いに巻き込まれてしまうもの)

 

 彼女は深海棲艦ではあるが、意思疎通が出来ない怪物ではない。むしろ、下手な人間より性根は真っ直ぐな女性であった。故に同じく根っこが善良な石壁には強い好感を抱いており、彼を戦闘に巻き込むのは本意ではなかったのである。

 

「ここも……そしてオーストラリアも、いつまでもつのかしらねえ?あーやだやだ」

 

 彼女は自分たちの行き先が敗北以外にない事を既に察していた。そしてそれが自分一人ではもうどうにもならない話である事もよく知っていた為、ただため息を吐くしかなったのであった。

 

 ***

 

「イシダさん、貴方にはオーストラリアへ行ってもらうわ」

 

 石壁が意識を取り戻した数日後、彼は離島棲鬼にそう告げられた。

 

「オーストラリアへ?」

 

 相変わらずベッドで拘留されている彼は、離島棲鬼にご飯を食べさせてもらいながら言葉を返す。

 

「ええ、ここはその内戦場になるわ。貴方なら多分知っているでしょうけど、ここが落ちるのは時間の問題なのよ」

 

 それは石壁もよく知っていた。ニューカレドニア島攻略に向けた部隊の準備は着々と進んでおり、その規模は南洋諸島方面軍からの援軍も入れて相当のモノになっている。ニューカレドニア島に存在する深海棲艦戦力もそれなり以上のモノだが、歴戦の提督達を食い止めるには力不足と言わざるを得ない。

 

「貴方みたいな高級将校を戦闘に巻き込んで殺すわけにもいかないのよ。まあ安心しなさいな、うちのリーダーは話が分かる奴だから……オーストラリアが陥落するときには返して貰えるわよきっと」

 

 そういって笑う彼女に、石壁は思わず問いかけてしまう。

 

「なぜ、そうまでして……敵である僕に気を使ってくれるんだ」

 

 石壁はここで目が覚めてから一度として粗末な扱いを受けた事が無かった。捕虜としての扱いは極めて人道的どころか、敵の司令官である離島棲鬼手ずからにあれやこれやと世話をやいてくれる程だ。今も石壁の安否を心配してこの様な対応までしてくれているのだから、彼の疑問も当然であった。

 

「……未練、かしらねえ」

 

 離島棲鬼は暫く石壁の顔を見つめた後に、諦観を顔に滲ませて呟いた。

 

「……ここ、ニューカレドニア島って、元々なんて言われていたか知ってる?」

 

 離島棲鬼はそういって、窓の外をみる。そこに広がっているのは、南国らしい素晴らしい風景。世界中で戦争が行われているなどとは信じられない程、穏やかな光景が広がっている。

 

「天国に一番近い島……そうよばれていたの」

 

 石壁はその言葉に強い納得を抱いた。確かに天国という場所があるなら、きっとこんな光景なのだろう。

 

「私はこの島を根拠地にして生まれた深海棲艦よ。生まれてからずっと、ここで生活していたら……戦いとか憎しみとか……ばかばかしくなっちゃってね……」

 

 そういって彼女は悲し気に微笑む。風に揺られた彼女のドレスが、まるで草花の様にはためいた。

 

「本当はもっと色んな人と仲良くなりたいし、殺し合いなんてしたくない……でも、言ったところでこの戦いは止まらない……だからせめて、貴方みたいな優しい人とは仲良くなりたかった……そんなところかしらね?」

 

 離島棲鬼はそういって寂しげに微笑んだ。石壁の心根の善良さは少し語り合っただけでも彼女には本当によく感じられた。その温かな彼の善性に惹かれて、ついつい彼女は世話を焼いてしまっていたのだ。

 

 石壁の善性は同種の心をもつ存在を惹きつける。それは深海棲艦とて同様であった。否、むしろ鈴谷達の例からもわかるように心が冷え切ってしまう深海棲艦であるからこそ、その熱量に惹かれてしまうのだ。暗く冷たい水底で冷え切った心が、太陽の光で温められるように。

 

「……」

 

 石壁は、その諦観に満ちた笑みに思わず俯いてしまう。彼女はこれから、彼の仲間に討たれるのだ。どのような言葉をかければいいというのか。敵である自分をこうも厚遇してくれた彼女に、知らぬ存ぜぬで平気な顔を向けられる程石壁は器用でも厚顔でもないのだ。

 

「ああもう、そんな顔しないの。本当に心配になるほど善良な人ねえ?軍人でしょ?心に棚を作らないと潰れちゃうわよ?」

 

 石壁のそんな姿に、離島棲鬼は苦笑しながら頭を撫でてくる。己より小柄な少女でありながら、彼女は既に覚悟を決めているのだ。

 

「じゃあね。もう会えないでしょうけど、運が良ければまた会いましょう?さようなら、優しすぎる軍人さん」

 

 そういって、離島棲鬼は石壁をオーストラリアへと送り出したのであった。

 

 ***

 

 オーストラリアへと向かう船旅の間に、石壁は隣で自分を監視している深海棲艦へと話しかけてみた。

 

「ねえ、一つ聞いてもいい?」

「む?どうかしたか?」

 

 護送役のル級は石壁に話しかけられてどうかしたのかという顔をする。彼女の顔にも、特に憎悪は見えない。今まで石壁に向けられた深海棲艦の瞳とは、明らかに違う。

 

「何故、君たちは戦うんだ?」

 

 何故戦うのか、そんな石壁の漠然とした問いにル級は考え込む。

 

「そうだな……生まれた時から戦う事を宿命付けられていたから……いや、違うか?」

 

 改めて問われて暫く考え込んだ後、ル級は合点が行ったという様に顔をあげた。

 

「……仲間を、離島棲鬼様を、死なせたくないから。だな」

 

 若干恥ずかしそうに、彼女はそういった。

 

「あのお方は少しばかり善良に過ぎる。護ってやらねば、直ぐに死んでしまいそうだからな」

 

 その言葉に、今度は石壁が考え込んでしまう。

 

「どうしたんだ?」

 

 その様子にル級は心配そうに言葉をかけてくる。

 

「……いえ、深海棲艦の大半は……人への憎悪で戦うモノだと思っていたので」

 

 その言葉に、ル級は頷く。

 

「……そうだな。私達は種族として、どうしても人類への憎悪が強くなるように出来ているのは否定出来ない」

 

 深海棲艦は水底に沈んだ艦艇達が変性して生まれてくる生物だ。故に多くの場合、過去の戦争に起因する強い憎悪の念を心に抱いている。

 

「だが、人の心が千差万別であるように、深海棲艦も全く同じではないんだ。南方棲戦鬼様の様に憎悪が強い深海棲艦もいれば、離島棲鬼様の様に憎悪が弱い深海棲艦も居る。オーストラリア近海には我々のような、人を憎むのに疲れた連中ばかり集まっているんだ」

 

 殺して、殺されて、壊して、壊されて……そんな憎悪と悲しみの連鎖に疲れ切った者達の駆け込み寺が、離島棲鬼を始めとしたオーストラリア方面軍なのである。

 

「人類だって、一枚岩じゃないんだろう?それと同じさ」

「……そうだね」

 

 ル級のその言葉は真理だった。もし人類が一枚岩だったなら、そもそも石壁は南方に来る事さえなかったのだから。そうやって暫し会話をしていると、ル級は少し考え込んだ後に、躊躇いがちに声をかける。

 

「……なあ、貴方は重要な立場の将官であった事は私に分かる。だから、もしも……もしもだが……」

 

 ル級はそれを言うか、言わないかで迷いながら言葉を紡ぐ。

 

「もしも……貴方が向こうへ帰った後、離島棲鬼様の運命を決定付ける様な立場になったのなら……ほんの少しで良い……彼女を……」

 

 そこまで言ってから、ル級は口をつぐんで俯いた。

 

「……いや、すまない……なんでもない」

 

 まだ戦いすら終わっていないのに、自分たちの虜囚となった敵将に命乞いをする。その愚かしさに思い至った彼女は、それ以上言葉を続けられなかった。そこまで恥知らずにはなれなかったのだ。

 

「……受けた恩は、忘れません。返せるかは、分かりませんが」

 

 石壁のその言葉に彼女はもう一度すまないと謝って、それ以降口を開くことはなかった。

 

 船は二人を乗せて、深海棲艦の手に落ちた大地へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 オーストラリア方面軍最高司令官、港湾棲姫の待つシドニーへと。

 

 

 

 

 

 

 

 




●ちょっとだけ小話
 史実における大日本帝国軍人の皆様は『生きて虜囚の辱めを受けず』という教えは受けていたが『実際に捕虜になったらどうふるまえば良いのか』は教わっていませんでした。
 結果『捕虜として丁寧に扱われた』場合、『命を救われたらそれ相応の何かを返さねば』と割とボロボロ情報を吐いてくれたそうです。
『理想重視で無理な命令を出しても無理なもんは無理だ』という当たり前の話でした。

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