白騎士パラドックス   作:ゴブリンゾンビ

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3.再会、しかし

 王都を脱出した三人は数日の逃避行の末、北の砦へと辿り着くことが出来た。砦の北には女神神殿を内包する森林が広がり、更にその向こうには、シビラ姫が治める北の大国が存在する。かの砦は王国と北の大国との窓口の役割を持っていた。

 

 守兵達から歓声を受けながら入城したアリシア達三人は、王子に謁見する運びとなった。砦の一室へと通され、人数分の椅子が用意される。煉瓦造りの堅牢無骨な砦だが、彼女たちにとってはようやく辿り着いた心休まる地である。だが――

 

「あ、えっと……あぁ……」

「……どうしたのですか。そわそわして」

 

 椅子に座るアリシアは、誰から見ても怪しいくらいに挙動不審であった。髪の毛をしきりに弄りだしたり、身だしなみを忙しなく確認したり。ゴブリンの血飛沫を浴びたマントに関してはどうしようもなかったが。突然そんな事を始めれば、疑惑の眼差しを向けられるのも無理はない事だった。

 

「だ、だって! 王子とお会いするなんてそんな機会、滅多にないじゃないですか」

 

 アリシアは身振り手振りを駆使して誤魔化そうとするものの、クレイブらの疑惑の眼差しは晴れない。彼女にとっては図らずも積年の目標を達成し得る機会が転がり込んできたに等しい。近衛騎士になったとはいえまだまだ幼い彼女に、平静さを保つことなど出来ようはずがなかった。とはいえアリシアが語る内容と、兵士達の持つ王子像とは随分と乖離があるのも事実である。

 

「……私が知る頃の王子は、よく兵士に混ざって鍛錬をしていたように思いますが……ヘクター。どうでしたか?」

「あ、はい! 確かに我々兵士は頻繁に稽古をつけて頂きました」

 

 クレイブは「そうですよね」と相槌を打ち、改めて現在の王子が自分の王子像と変わっていない事を再確認する。アリシアだけが取り残されていた。

 

「あ、あれ? 私近衛騎士になってから会った事ないんですけど」

「……失礼なのは承知ですが、本当に近衛騎士なのですか?」

「はい……そうは見えないとよく言われます……」

 

 先ほどまでの浮かれ方から一転、がくりとうな垂れるアリシア。裏を返せば、真面目に近衛騎士として勤めていれば新米の身でも割とすぐに会う機会があったかもしれないという事なのだが、今の彼女には難しい発想の転換だった。

 

「……話は変わるがヘクター。君は深緑の町の衛兵だったな。どうして王都に?」

「定例報告の為に出向していたのです。偶然みたいなものです、兵士長と同じく」

「……そうか。そうだな」

 

 ヘクターとクレイブが笑い合う中、アリシアはただ一人、基本的な事を知らないが為に蚊帳の外といった状態だった。

 

「あの……深緑の町って?」

「御存じありませんでしたか。ここからすぐにある、森を切り拓いて出来た田園都市です。北の要所といっていいでしょう。この砦と同じく北の大国との交流拠点でして、平時は活気のある所なんですよ」

「へぇ。ヘクターさんって結構田舎の人なんですね」

 

 アリシアの発した言葉は子供の質問のように素直で、しかし場を凍らせる力を持っていた。アリシア自身も見下すつもりで口走った訳でないが、ヘクターがたった一言で受けたダメージは、彼が何一つ反応出来ず閉口してしまう程だった。アリシアの従姉譲りの、天然ものの毒舌癖である。気まずい沈黙が流れて数分、木の扉が音を立ててゆっくりと開いた。白銀の髪が足音と共に流れる。部屋に入って来た女性。頭部には赤いヘアバンド。首にはフリルの施されたチョーカーがついており、胸元は大きく空いている。顔はアリシアと瓜二つであったが、装いや雰囲気はだいぶ異なっていた。女性は部屋にいたアリシアを見るや否や息を大きく飲む。

 

「――アリシア!?」

「アンナお姉様……!」

「アリシア! あぁ、良かった……!」

 

 二人は衝動的に抱き合った。入室した人物、政務官アンナはアリシアの従姉である。アンナは今は亡き国王と共に城下の視察をしていたが、魔物の急襲に遭い王の遺言を預かった後、城に戻り彼の逝去を王子に伝えている。その後王子が素早く城を脱出し、付き従った彼女はこうして此処に辿り着いたのだった。彼女からしてもアリシアは行方知れずになっていた大切な存在。抱きしめる力も自然と強いものになっていた。

 

 二人の高揚が程々に落ち着いたのを見計らってクレイブは口を開いた。

 

「政務官殿。救援ありがとうございました……あれが無ければ今頃我々は、デーモンに殺されていたでしょう」

「……えっと、何の話でしょう?」

「なんですと……」

 

 クレイブとヘクターが顔を見合わせ目を瞬かせるが、少なくともアンナが嘘を語っている様にも見えなければ、そうする理由も無かった。クレイブは王都脱出直前の光景を想起する。

 

 ――恐ろしいまでの力を持つ勇者達を従え、襲い来るデーモン達を鎧袖一触した王子とアンナ率いる王国軍を。大地を抉り雲を穿つ夢幻などあるはずもない。だが同時にあれだけの戦力が王国内に存在するはずもないことも事実であり、いっそ白昼夢として片づける方が余程現実味に溢れていた。

 

 ただこの場においてアリシアだけはデーモンという言葉に思い当たる節があった。とはいえあの半身人間半身悪魔のデーモンはすぐさま魔法陣の彼方へと消え失せており、関連こそあれ主犯クラスでない事は確実なことは彼女の視点から理解できていた。それに何よりそれを話せば自身のサボりについても露見する。ひとまず黙っておこうとアリシアは考えた。

 

「失礼。どうも我々は窮地にあって在らぬものを幻視したようです。お忘れください」

 

 クレイブはそう言って話題を切り上げるより他なかった。そしてそれとほぼ時を同じくするように靴音が響く。魔物達の起こした狂騒とは対照的な気質の、意識を覚醒させるような気配。"彼"が部屋に現れた瞬間、室内の空気が引き締まる。前髪で目元が隠れた青年。飾り気のない鎧を纏い右腰に長剣を差している様は"王子"という形容を躊躇う無骨さがある。そこに、資料室で一人本を読んでいた無口の少年の面影はなかった。

 

「……」

「王子……!」

 

 王子は歩み寄ってクレイブ、ヘクターと続けて握手を交わし、そこでようやく口元を緩めた。

 

「……よく戻って来てくれた。クレイブ、ヘクター」

 

 深々と頭を垂れるクレイブ達からゆっくりと視線を動かす。先ほどまで抱きしめ合っていたアリシアとアンナの方へと。

 

「この娘はアリシア。新米の近衛騎士で、私の従妹にあたります」

「は、はじめまして! 近衛騎士団のアリシアです!」

「……無事でよかった」

「あっ……」

 

 王子にそっと手を取られ、それを両手で握られるアリシア。これまで積み重ねた様々な感情が入り混じりながらアリシアは、茫然と手を握られていた。

 

「……初対面だな? よろしく頼む」

「あ、はい。精一杯お守り致します」

 

 徐々に微かな違和感、認識の相違はその時点で決定的となった。アリシアがそれ以上言葉を紡ぐ前に王子は手を放す。

 

「アンナ。クレイブ達に今後の予定を伝えておいてくれ」

「了解しました」

 

 アンナの返事を受け取って、王子は部屋を去って行った。一連の出来事は僅か数分足らずの間に行われ、しかし大きく影響を与える。それが王子という男の在りようだった。そんな中、特にアリシアには絶大な影響を残していくこととなった。

 

「……あれ。もしかして、あれ?」

 

 長きに渡り想い続けた相手に忘れられていた。硬直してしまったアリシアを傍目で見たアンナは、軽く咳払いをする。

 

「今後の予定ですが――この砦の守備をベルナール重歩兵長に任せ、王子は少人数の精鋭を連れ女神の神殿を目指します」

「ベルナール重歩兵長ですか、心強いですね。残す兵数は?」

「兵士220名、重装歩兵130名、弓兵120名、魔術師22名。周辺町村から徴募した衛兵や民兵も含めて、これが精一杯です」

「素人込みで500名弱ですか……」

 

 王国内の各町村には山賊などの対策として衛兵隊というものが現地出身の住民によって結成されており、今回はそれを予備役として利用した形にある。だが衛兵隊の規模は所属する町村によって変動する。深緑の町のような比較的大きな町ならば集団を指揮する経験がある者もいるが、過疎村の衛兵隊など精々数人単位である。いきなり兵士長のように扱うのも酷であった。結果として指揮官不足に陥るのはやむを得ない事であるが、それすら最重要課題には上らない程度に状況は切迫していた。

 

「重歩兵長は、周辺地形も利用して1週間は遅滞可能との見解を示しています……」

「私も同意見です。ですが懸念も」

「……強大な魔物が現れてしまったら、手の打ちようがない」

 

 王都で目の当たりにしたゴブリンやオーガなど比較にならない怪物。人間の倍の体躯を持つ杖を持った骨の魔物と、同程度の体格の翼の生えた山羊の魔物。それらについては現時点の戦力では対策のしようがない。

 

「この国が独立を維持する最後の賭け、それがアイギス様。私はそう信奉しています」

 

 それは何も、アンナが敬虔なアイギス信徒であるからだけではない。最早この騒動は人智に余ると誰もが薄々勘付いているのだ。王子を、現在半ば放棄されていた女神の神殿へと向かわせるという狂った方針が平然と受け入れられている事が、何よりの証明である。

 

 王国軍――そしてクレイブにとっては、一つ片付けねばならない事があった。

 

「クレイブ前兵士長。今一度、国の為に剣を取っては頂けますか」

「元よりそのつもりです。この剣、この国の未来の為に捧げましょう」

「ありがとうございます。正式な任命は、追って」

 

 アンナは、クレイブから快い返事を貰えた事にほっと息を吐いた。クレイブはかつて兵士長だったが、現状ただの傭兵でしかない。指揮を執る者が軒並み王城を離れていた為、異変を察して王城へと参じた際に王子とアンナから暫定的に指揮権を預けられたに過ぎなかった。兵士達が皆クレイブの顔を覚えていたから出来た荒業である。だがここは北の大国に近い辺境。王国の、国家としての体裁は半ば崩壊しているとはいえクレイブの正式な地位を認めておく事は重要であった。

 

「……ありがとうございます。女神の神殿へは王子と私、クレイブさん、ソーマさん、アリサさんで赴こうと考えています。ヘクターさんはこの砦に残り、ベルナール重歩兵長の指揮下に入ってください」

「了解しました!」

 

 色よい返事をしたヘクターとは対照的に、クレイブは難色を示す。

 

「現地の指揮はよろしいのですか? 私は残るべきでは」

「……万が一、女神の神殿で何の成果も上げられなかった場合、王子には北の大国へと亡命して頂くこととなります。行軍速度を早めるために少数精鋭の体を取りますが――だからこそ腕利きが必要です」

 

 クレイブの顔つきがさっと変わる。女神の神殿に赴き、一体何が起こるのか。それが分からない現状で最もとる可能性が高い方針が、この地に集う兵士を犠牲にした亡命。現実的ではあるものの、受け入れがたい話であった。

 

「それとは別に、敵の侵攻の本格化までには往復出来るよう進路の最適化を行っています。一剣士、戦闘員としての能力を買っての要請です」

「承知しました」

 

 クレイブの了承を聞き受け、アンナは放置していた従妹の方へと視線を向ける。

 

「後はアリシアですが……」

「行きます!」

 

 アンナは予想外に勢いの良い返事が返って来た事に驚いた。先ほどまで硬直していたアリシアの目には既に生気が戻っている。

 

「私は近衛騎士ですし、王子の傍にいるべきだと思います」

「……そうね。では王子にもそのように伝えておきます。少し休息時間を取った後、女神の神殿を目指しましょう」

 

 ――四方は暗陰に覆われ。英雄譚の幕開けはまだ遠く。


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