その後の模擬戦は一方的な蹂躙だった。前線の指揮官と最後方の司令塔がほぼ同時に機能停止した軍勢に、統制という概念はない。治癒が途絶え、メイジアーマーが天馬騎士に拘束されていたこともあって、山賊はおろか、それまで優勢を保っていた王国軍の兵士や弓兵にすら押し込まれる有様だった。
夕方には王国軍と武装神官団が完全に陣を引き払い、喧騒に溢れていた田園は静寂に包まれる。田園には、入り乱れる兵たちの足跡のみが残されていた。そんな、ある意味役割を終えたといっていい場所にアリシアが足を踏み入れたのは、とある人物を探すためだった。とはいえ元々平野の田園であり遮蔽はない、探し人はすぐに見つかった。
夕陽に照らされた艶やかな髪は、戦場に在ってその彩を微塵も失わない薄紅。聖なる覚醒を発動した時に纏う蒼光は、朝よりもより一層煌めきを増していた。聖なる覚醒によって巻きあがる土煙すら、彼女を穢すことはできない。マリーベルの姿はまさしく不可侵の聖女といった風体だが、そこは朝に刃を交えた仲である。アリシアは特に気負うことなく声をかけた。
「マリーベルさん」
声をかけられたマリーベルは、聖なる覚醒を解いてアリシアに振り返る。
「なにかしら」
「そろそろ夕食ですので、呼びに来ました」
「そう」
マリーベルの反応は素っ気ないものだった。とはいえそこに敵意などは籠っておらず、素の彼女が顔を出しただけの話。
「伝令兵にでも任せればよかったのに」
「そう思ったんですけど……なんだか、頼まれちゃいました」
アリシアは苦笑いを浮かべながらそう言った。いくら相手がマリーベルとはいえ、平時の連絡など近衛騎士の仕事ではない。事を頼む側から侮られていて、頼まれる側が素直に了承しなければ今のこの場面は有り得ないのだ。アリシアの騎士らしからぬ華奢で可憐な容姿と纏っている柔和で子供っぽい雰囲気が、少なくとも直接刃を交えたことのない者からの侮りを慢性的に生んでいた。その点は、同じ女性でありながら強者の雰囲気を纏っていることで畏れられているマリーベルと対極と言っていいだろう。
「……戻りながら、少し話さない?」
マリーベルから持ち掛けられた提案に、アリシアは頭に疑問符を浮かべながらも首を縦に振った。二人は隣り合って夕陽を背に歩き出す。
「貴女、近衛騎士らしくはないわよね」
「うぐっ」
まさか実力を知っているはずのマリーベルにまで、ここまで露骨な一言を受けるとは思っていなかった。大方いつも通りの、容姿と雰囲気の話だろう。そうアリシアは考えたが、その予想はすぐに覆された。
「田舎娘の偏見なら謝るけれど。近衛騎士って、ずっと王族の傍らで護衛しているものだと思っていたわ」
マリーベルが口にしたのは至極もっともな疑問だった。戦場に立つアリシアの力は確かに本物だということを、マリーベルは身をもって知っている。敵のいなし方一つとっても、それが王族を護ることを念頭に置いて確立された戦闘法であることを疑う余地はない。だからこそ、アリシアの近衛騎士としての力を、王子のすぐ傍で用いないことに違和感を感じて当然なのだった。戦闘中に限れば、マリーベルの疑問は王国軍の懐事情を知らない無知からくるものとして片付く話なのだが、今現在、平時におけるアリシアの在り方が話をややこしくしている。
「……そうですよね」
アリシアは肯定しながらも口ごもる。アリシアとて本音ではそう思っている。自分の力を、王家を守るために使いたいと。
模擬戦の終盤、マリーベルの突破を許したアリシアが本陣に駆けつけた時にはもう勝敗が決していた。どこか怯えているようにも見えたケイティとアンナ、武装を解除したマリーベル、そして、ほぼ粉砕された肩アーマーの下から血を流し、アリサの治癒を受ける王子の姿。動揺するアリシアを責める者は誰もいなかった。その事実が、アリシアにとっては耐え難かった。王子にもう二度とあんな怪我をさせない、アリシアはそう誓った。だがその誓いに直接繋がることを、何一つできていない現状もまた現実だ。
「王子は普段からあまり護衛をつけたがらないんです。それにお傍にはいつもアンナお姉様がいて……」
「アンナお姉様……? 言われてみたらそっくりね」
「従姉妹なんです。私たち」
「王族と政務の要がいつも一緒にいるなんて、なおさら守るべきだと思うんだけど」
「そ、そうなんですけど……」
アリシアの脳裏に浮かぶのは、王子とアンナが二人で話している姿。隣に立ち、互いに向き合って話し合う二人。そこに他者が介在する隙間はなく、そして、遠き日には自分がその場所にいたのだと、アリシアに強く意識させる光景だった。実の姉のように慕っているアンナと、恋焦がれた王子。二人が同時に遠くに行ってしまったような錯覚が、アリシアに二の足を踏ませるのだった。
「……なんだか、居場所がないような気がして」
アリシアは言葉を濁したが、表情まで隠せるほど大人ではなかった。言葉の裏に隠れた意をうっすら読み取ったマリーベルは、それ以上の追及をしなかった。
「絶対に解決しなきゃいけない問題なのは、分かってます」
「……なるべく良い形で解決することを祈るわ。この国のためにも」
アリシアの弱々しい返事に、戦場で武器を振るっていた時の覇気は微塵もなかった。
同時刻。ケイティとベルナールは同室にて作業を行っていた。主だった作業は、王国軍の傘下に下った神官戦士団の名簿作成と新設される部隊の編制である。
神官戦士団に模擬戦で勝利したことで、彼らの指揮権は王国軍に委ねられることとなった。それまで指揮を執っていたドルカによる一任も受けている。ここで王国軍には二つの選択肢が生まれた。神官戦士団を、一つの軍勢としてそのまま運用するか、既存の重歩兵を中心とした部隊に神官戦士団の人員を加えて再構成する運用だ。各兵士長は協議の末、満場一致で後者を選択した。兵士長らの、指揮官として神官戦士団と戦った彼らの見解は、示し合わさずとも一致していたのだ。
神官戦士団は、現状のままでは軍勢として機能しない。
軍団の規模に指揮系統が全く釣り合っていないのだ。現状の彼らははっきり言ってしまえば『個人単位』で『独立』して戦っていると言っていい。当然それは軍団とは呼べず、このままでは王国軍の連携など望むべくもない。反面、一人一人の能力は優秀そのものだ。黒鎧を身に纏う重歩兵は、個人としては王国の重歩兵を上回る能力を有している。メイジアーマーの雷の魔術による魔法による攻撃力、ヒーラーの治癒能力は王国軍にとって喉から手が出るほど欲しかったもの。鉄球を投擲する重歩兵も、近接戦闘と飛び道具を兼ね備えた強力な兵科である。
そういった経緯もあり、兵士長らは神官戦士団を一度解体することを選択した。王国軍の軽歩兵、弓兵に、重歩兵、メイジアーマー、ヒーラーをバランスよく組み込んだ部隊を編制することが決まったのだ。
「そちらも終わりましたか」
「……はい、助かりました。ベルナール重歩兵長」
「いえいえ」
ベルナールは手元の書類を見下ろしながら微笑んだ。安堵の滲んだ、以前では考えられないような優しい笑みだ。神官戦士団、総勢431名。王国軍が魔物復活後に徴兵した新兵込みで約300名、山賊が50名ほどであることを考えれば、彼らの陣容がいかに桁外れか一目瞭然だろう。勝利できたのは前述した理由あってだが、その弱点を王国軍に取り込む形で克服した以上、その影響は単に兵数が倍になっただけには留まらない。守勢を維持することは勿論、攻勢に移ることだって視野に入る。兵数は確かに王国を脱出した頃よりも少ないが、マリーベルのように兵差を覆せる強者の存在もある。絶対数では言い表せないほどの戦力向上、そしてなにより敗戦ムード一色だった王国軍内に勢いが出て来た。
「我が軍の陣容も見違えましたね。無いのは騎兵くらいでしょうか」
「騎兵は……ある意味仕方ありません。あまり運用経験がありませんから」
騎兵。一般に地上を走る馬上にて武を振るう兵士を指し、エスタのような天馬に跨る騎士は、一般的に天馬騎士と呼称される。騎兵の衝突力は唯一無二、重騎兵の突撃は地上戦の花形ではあるが、ログレス王国の歴史の中にそれを運用した経歴はなかった。主となる理由は三つ、経済的な理由、地理的な理由、そして外交的な理由である。
一つ目の経済的な理由として、現代のログレス王国は農業を主力産業とする小国であったこと。平時より騎兵部隊を編制できるほどの馬を養い、騎馬隊を訓練するほどの財力を有しなかった。二つ目の地理的な理由として、王国の土地がそもそも騎兵の運用に適さないことが挙げられた。ログレス王国は全体的に地形が起伏に富んでおり、森林地帯の開拓も十分でない。騎兵のように悪路の影響を強く受ける兵科よりは、弓兵のような飛び道具が強い地形だ。突撃の衝突力を十分に生かせない立地の中で、騎兵という金食い虫の優先順位が下がったのは当然だった。そして最後に外交的な理由として、王国は平和だった。唯一の火種である南方の紛争に介入することもなく、自国の防衛を念頭に置いた軍備しか整えておらず、攻勢のための兵科を優先する理由もなかった。
それらの帰結として、王国にとって部隊単位の騎兵は不要であり、最精鋭たる近衛騎士が馬術を扱える程度でよかったのだ。だがそれも平和だった頃の話。天馬騎士が寡兵でありながら優秀な働きをみせる等、王国軍が復活する過程で"魔物襲撃前に戻る"では最早足りない。新しい軍隊への脱皮が必要なことの必要性を、軍を指揮するものとしてひしひしと体感させられた模擬戦であった。
「……そろそろ夕飯の時間でしょう。行きましょうか」
ベルナールに促され、書類を片付けたケイティらは食堂へと向かった。ひとときの休息といってもいいその合間にも、二人は軍務の話を止めない。何処までも堅物で色気に欠けた、似た者同士だった。
「神官戦士たちは我が方の陣容を受け容れるでしょうか」
「そこはドルカ殿の手腕に期待しましょう」
とはいえ、そちらについてはそこまで難しい話ではないとケイティは考えていた。終わってみれば終始優位に立ちまわっていた山賊は勿論、終盤には王国軍本隊による逆襲も行ったことにより力は示した。模擬戦の後、神官戦士団はあくまで自主参加とした訓練には多くの重歩兵が集った。ケイティ直々に風評を集めて回ったものの、王国軍に対して悪い感情を抱いている者は意外と多くなかったのだ。彼らの不満は大方、山賊という得体のしれない非正規兵への疑念であり、そちらは模擬戦を通じて実力を身を以て知ることで解消できていたとのこと。とはいえ『山賊如きに負けていてはならぬ、もっと強くならねば』といったモチベーションの兵士もそこそこの数がいた。
「……あとは山賊ですね」
ベルナールの言葉に首肯を返すケイティ。
味方の問題と言えば山賊――しかし渦中にあるのは、純粋にはモーティマ山賊団ではない。王子がモーティマ山賊団の団員に対する恩赦を認めたという噂が広まっており、小規模の山賊団や個人単位の無法者がモーティマ山賊団に入団しつつあるのだ。今やモーティマ山賊団の構成員は初期の彼らの倍以上にまで膨らんでいる、セシリーから伝えられた情報にケイティは頭を抱えた。山賊団への恩赦など迂闊が過ぎる、団に入るだけで簡単に恩赦を得られてしまうではないか。憤ったケイティはその日の昼食前に王子を呼び出して詰問したものの――
『王子は人同士が争っている場合ではないとお考えです』
と、王子の隣にいるアンナにスパッと切り捨てられた。王子の恩赦は、山賊『団』への恩赦だとかそんな言葉遊びを弄する次元以前の問題だったのだ。モーティマが面倒見ていられる人数の間はいいが、その均衡がいつまでも続くはずがないとケイティは考えている。山賊団の力は今の王国軍に必要なものだからこそ、なるべく早く対策を講じる必要があった。
屋敷の外へ出たケイティらを、沈みかけの夕日が出迎えた。深緑の町に神官戦士団を含めた兵力を収容できる施設がないため、兵たちは郊外に設営した野営地で暮らしている。そして食事については、接収した町の酒場で作り、それを数十人単位ずつにグループ分けされた兵たちが順番に取りに来るのだ。
ケイティは酒場に辿り着く。町の規模の割に席数も多く広々としているのは唯一の飲食店というのもあるが、この深緑の町が北の国との交通の要所だというのも大きい。かつて北の国との交易を担う様々な国の人々が酒を酌み交わした、そんな酒場に今集っている王国軍、神官戦士団、山賊といった国籍も生活も違う者たちだというのも因果かもしれない。
「んぁ、ケイティと……もしかしてお前、金ぴかか?」
酒場に入ってすぐ、モーティマが入り口からケイティたちを見つけた――厨房の向こうから、金色の鎧を纏っていないベルナールに怪訝なまなざしを投げかけながら。
「ベルナールだ。ちゃんと覚えてもらおう」
「ところで貴方。どうして厨房に立っているのですか?」
「神官共の飯も作らなきゃいけねぇから手ぇ貸せって、ユリアンに呼ばれたからきたんだが」
ケイティたちは顔を見合わせたが、当然彼らの知る所ではない。元々ユリアンはその辺りの相談はルーズな方だ。そして彼がケイティたちに、悪い言い方をすると忖度なしに行動すればするほど、大抵の出来事は上手く回ってしまうのもまた事実だった。
「おい」
ガタイの良い男が、モーティマに声をかけた。
「ん? てめぇ見ねえ顔だな。神官か?」
「……あぁそうだよ! てめぇんとこのデカいのに、危うく殺されかけるとこだったぜ」
「あー、フューネスが相手だったか。災難だったな坊主。ほれ、詫び代わりにちょっと大盛りにしてやるよ」
「え、あ、あぁ……ありがとう」
面食らいつつも感謝を述べ、その場を後にする。ケイティらの心配をよそにモーティマは上手く立ち回っていた。モーティマという人間は基本的に人情家である。賊という響き通り冷徹で残酷な面を見せる一瞬もあるが、それはむしろ山賊としての体裁を守る場面であることが多い。その人となりを知らしめる上で、神官たちが絶対に立ち寄らねばならない厨房に配備したユリアンは慧眼だと内心で褒めると同時に、自分の選択肢にはないものだとケイティは思う。
そしてなにより山賊のみで回している厨房で、なおかつ食材も十分でないはずであるのに、王国軍の炊飯よりも美味だったことに、ケイティとベルナールは、口に出さずとも複雑な感情を抱くのだった。
「あー、てめぇクリフトファーだったか」
「おや。覚えていてくださりましたか」
「そりゃお前、その今にも死にそうな肌の色見たらな……確かお前さんの飯はもう渡したはずだが」
「えぇ。ドルカママからの伝言です。今ようやく鎧を洗い終えた方がこちらに来ます。30食ほどお願いできますか」
「あぁ分かった。これで最後の30食だな? まぁ何とかしよう」
去っていく神官を見ながら、モーティマがぼやく。
「ようやく神官共の顔もちょっとずつ覚えて来たぜ……向こうは絶対俺のこと知ってるってのが不思議だが」
「それはそうでしょうね……」
彼の容貌を一度見て忘れられようもないだろうことは自明だった。ケイティは染みついた苦笑を浮かべつつも、豆と獣肉のスープを完飲する。
「飯終わった奴からとっとと寝所に戻れー! 従わねぇ奴からそこのアリシアにぶちのめさせるからな!」
「ひ、人をそういう扱いしないでください! 私は近衛騎士で、この力は王家を護るためにあって――」
モーティマが酒場中に響く大声で叫びつつ、カウンターのアリシアを指さした。指を差された側は可愛らしい抗議の声をあげる。理由は単純で、酒場の半数の席は既に食事を取り終えた者で埋まっており、中には何処からか入手した酒を飲んでいる者までいた。居残っている大半は山賊だが、一部には王国の兵士や神官の姿もある。モーティマが号令すると、それらは渋々席を立ち始めたが――
「おぉ~、嬢ちゃん、ちんちくりんだが顔は中々いいじゃねぇの……!」
「おい馬鹿よせ、アレだけは止め――」
もう一人の制止を振り切り、一人の山賊が頬を真っ赤に染めながら朧げな足取りでアリシアににじり寄った。明らかな酩酊状態だった。彼はアリシアに手を伸ばし――
振り向きざまにアリシアが放った正拳が、男の腹を突き刺し、一瞬地から足が離れる。それは即ち、外からかけられた力を減衰する手段が消滅するということ。足払いの力、その場で車輪のように一回転したのち、無慈悲にも地面に叩きつけられる。
「――私がハルバートを持ってなくてよかったですね。そのお腹に風穴が空いてるところですよ」
結局その山賊は、他の山賊らに引きずられるように、店を後にした。アリシアに冷ややかな眼差しを送られながら。一部始終を、アリシアの隣席で見守っていたマリーベルは、ほとほと呆れたとばかりに目を伏せつつ、苦言を呈す。
「言ってることがさっきと真逆じゃない。そういうところが積み重なって、子供っぽいって舐められるのよ」
「むぅ……」
頬を膨らませてから食事を再開するアリシアの背中は、子供っぽいと形容せずにいられなかった。
「いやしかし、流石近衛騎士ということでしょうか。あの無法者たちからも一目置かれているとは」
一方、肯定的な言葉を口にしたのはベルナールだった。
「……これは使えるかもしれませんね」
「ケイティ殿……?」
ケイティはほくそ笑んだ。