白騎士パラドックス   作:ゴブリンゾンビ

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11.不穏

「――魔物だ、魔物が来るぞ!!」

 

 難民団の最後方から男の声が上がると、彼らは追われる羊のように走り出す。

 

「北の連中は王子に救われたって言うのに、俺たちはこんなところで死ぬのか!」

「ジジババはどきやがれッ!」

 

 両脇を崖に挟まれ、薄暗く影が落ちる荒れた旧街道。半狂乱となった人々は互いを押しのけあい、我先にと前へと進む。そんな過酷な旅路で幼子がふるい落とされるのは、ある種の摂理であった。

 

「誰かっ、誰か娘を――」

 

 母の声は喧騒により虚しくかき消される。一団から弾き飛ばされた少女や老人などは、もれなくゴブリンの群れの目前へと晒された。そんな中に一人、場違いな人の姿があった。藍色のドレスに身を包んだ白銀の髪の麗人。その手には金色の杖が握られ、周囲には白羽の蝶がたゆたう。どこか俗世離れした雰囲気を醸す女性だった。

 

「グギャギャ……」

 

 精々10匹程度のゴブリンの群れである。その先頭にいた、粗末な杖を持ち髑髏の首飾りをかけた個体。それがゴブリン特有の鳴き声を漏らし、天高く杖を掲げた。ゴブリンの握る杖の先には、鳴き声に呼応するように肥大化する火球の姿があった。

 

「そうか。()()()()()使()()()()()()()

 

 藍のドレスの女はその光景を前に、そんな俯瞰的な言葉を零す。それと同時、彼女の持つ杖の先端にあしらわれた紅玉が光を放った――

 

「……グギャ?」

 

 ゴブリンの握る杖頭にて膨張を続けていた火球は、風船がしぼむかの如く減衰した。自身の魔術が不発に終わったことに首を傾げるゴブリンと、何が起こったのか未だに理解できない民衆。その狭間に割って入るように、女はゆるりと躍り出る。

 

「魔術師……様?」

 

 女の握る杖を見てか、老人の一人がそんな事を呟いた。女はその言葉に振り向くことも無く、魔物を見据える。

 

「殿は引き受けてやろう。足早に進路を進むといい」

「あ、ありがとうございますっ、魔術師様!」

 

 逃亡する難民たちに振り返ることも無く、女はただゴブリンの群れを睨む。

 

「……私はお前たちとも関わる気は無いのだが」

「グ、グギギギャッ」

 

 ゴブリンらに戦意喪失の気配もなく、女はひとつ溜息を零して杖を突きつける。そこから生まれ出ずるは紅蓮の業火。煉獄を幾重にも折り畳んだかのような渦巻く豪炎、天性の魔術師が織り成す魔術は、先ほどゴブリンが試みたそれが児戯に等しいものだと雄弁に語る。

 

 流石のゴブリン相手であろうと、実力差を示すには十分であった。そそくさと背中を向け、来た道を引き返していくゴブリンの一団。

 

「……物分りがいいようだな」

 

 女はその後背へと魔術を投げかけなかった。彼女の生み出した火球は収束をはじめ、残滓の熱のみを残して消滅する。

 

「……時期としてはその辺りか。ならば王子は北だな」

 

 女は大掛かりな手荷物を拾い直し、難民たちが進んだ道を、新緑の町へと続く旧街道を歩むのだった――

 

 

 新緑の町を中心とした周辺村落の制圧は順調に進んでいた。しかし順調に事が進めば進むほど、加速度的に"兵員不足"の問題は表層化する。現在の兵数は新兵込みで300人にも満たなかった。当然この兵数では王都奪還どころか、攻勢に転ずることすらおぼつかず、頭を悩ませる。

 

 王国軍にとっての朗報が届いたのは、あの決戦から丁度1週間が経過した頃だった。

 

「戦術教官ケイティ。遅ればせながら、女神の導きにより馳せ参じました」

 

 金髪を靡かせる眼鏡の麗人。王子の戦術指南役であったケイティが、女神の啓示を聞きつけ、旧街道を渡り避難民を連れて馳せ参じたのだ。王都陥落以前からの既知との再会に、王子は胸を撫で下ろした。正規兵を率いることが出来る将校が一人増えたのは、軍全体にとっても僥倖であった――

 

「――今後の方針ですが。皆さまの意見を伺いたいと仰っています」

 

 王子の傍らで立つアンナの声が、円卓の上を滑る。列席しているのは合流したケイティ他、ユリアンやベルナール、そしてクレイブ前兵士長といった王国軍指揮官の他、山賊頭モーティマや行商人トトノといった非正規戦闘員の主の姿もあった。

 

「西の連中と、それから北の大国やら西の大国やらの軍勢引き連れてバシッと王都を奪い返せばいいんじゃねぇのか。その、北と西に関しちゃ王子の親戚筋なんだろ?」

 

 口火を切ったモーティマの意見は単純明快。限りなく最善手に近く、的外れな意見だ。すぐさまケイティが異を唱える。

 

「……西の大国の救援は現在以上には望めないでしょう。北の大国に至っては伝手すらありません」

「はぁ、英雄ってのは身内にゃ恵まれねぇんだな。そこは同情するぜ」

 

 肩を竦めてみせるモーティマを、ケイティは露骨に睨みつける。これまで治安の悪化しか起こさなかった山賊が、魔物相手に確かな活躍を見せたというのは、伝聞のみでは信じがたいことだった。直接彼らが戦う様を見ていないケイティが彼ら山賊を嫌うのも無理はない。

 

「……でもどちらにせよ、単独戦力では難しいんですよね」

 

 次に口を開いたのはトトノだった。

 

「西と北双方に利益をチラつかせてみてはどうでしょう」

「……例えば?」

「そうですね……何かしらの利権、例えば一部主権、売買権とかでもいいです。肩入れすればそれが手に入ると双方に圧をかければ、乗る派閥は必ず――」

「取り戻す国に、売約済のタブを付けろと言うのか!!」

 

 部屋を埋め尽くすようなベルナールの激昂。それを向けられたトトノは小さく悲鳴をあげた。

 

「あ、あくまで増援を引き出そうとするならこうトレードするなぁって話です、何か色々とごめんなさい!」

「い、いやすまん……冷静さを欠いた」

「ベルナール重歩兵長の怒りは尤もですし、トトノ殿の案にも相互の交渉・連絡をどうするかなど課題もあります。ですが他国を動かそうと思うなら、それ相応の対価が必要な事も事実でしょう。この状況下で、自国の防御力を裂くのに見合う対価が」

 

 クレイブの言に一同は頭を悩ませる。そもそも亡国にそこまでの価値が残っているのか、魔物と戦争をして亡国を蘇生するリスクに勝る利益を提示出来るか。難しい問題だった。

 

「……貿易」

 

 政務官であるアンナが、最も早く答えを出した。

 

「北の大国に対しては海を用いた貿易について、西の大国に対しては東方の国々との貿易について」

「貿易か……確かに案としてはあるが、余りにも実現が遠い。国を救うのみならず、他国をも完全に救わねばならんな」

「何より貿易のみなら、国家主権も飲み込んで傀儡とすれば済む話。例え国家を復興できようと、そこに独立はありません」

「……ですね。尤もです」

 

「王子は何か意見無ぇのか?」

 

 モーティマが唐突に切り出した事により、会議室内の空気は一変する。誰もが固唾を飲んで、王子の言葉を待った。

 

「……北、西、双方を説得する他ない」

 

 王子が出した答えは、そんな有り触れたものだった。幾ら王子として教養を受けたとはいえ、彼はまだ若輩である。場数も碌に踏んでいない素人であることも事実だった。

 

「王子……」

「つまり俺と同意見ってことで良いんだな!」

 

 王子はその後も口をつぐむ。

 

 

 

 

 

「ふぁ……」

 

 ほのぼのとした陽気に当てられ、アリシアは欠伸を漏らす。会議室に悲痛な空気が流れる中、屋敷の外は平和そのものであった。勿論魔物の襲撃の合間の、束の間の平穏である事は周知であるが、それでも人々には活気があった。

 

 アリシアは北の砦に少数の兵と山賊を連れて駐在している。この砦の守将であるベルナールが、新緑の町に出向している為代理で彼女が派遣されたのだ。近衛騎士という事で最低限の地位と教養はあり、山賊達の覚えもあるので、ある意味もってこいの人事であった。

 

 執務室にはアリシアの他に、弓兵ソーマと癒し手アリサの姿があった。アリシアは執務机で本を読み、応接席の方ではソーマはアリサにぬいぐるみの縫い方を教わり時間を潰していた。過度の危機感は毒であるから方針が固まるまでは極力普段通りの日常を過ごせと、王子が生存者全員に命じたのだ。

 

 緩やかな時間が流れる中、きっかけとなったのはソーマの視線がふとアリシアの方へと向いたことだった。

 

「あ、その花……」

 

 ソーマが唐突にそんなことを口走り、アリシアはびくりと肩を震わせる。花、というのは当然、アリシアの持つ押し花の栞である。

 

「確か王城前に生えてたような?」

「ど、何処にでも生えてる花だと思います」

「へぇ……」

 

 それまで裁縫に興じていた二人の意識は、今や完全にアリシアの持つ栞へと注がれていた。

 

「えっと……なら別に誤魔化さなくても良かったんじゃ」

「あっ」

「ふーん……?」

 

 ソーマが更に追求の手を伸ばそうとしたその時だった。

 

「アリシア」

 

 その声は、まるで最初からその場にいたかのように放たれた。

 

「セシリーさん!? ど、何処から!?」

「そんな事より一旦物見台に上るといい」

 

 砦内にある物見塔には兵士の他、山賊の野次馬の姿もあった。ガヤガヤと囃し立てるモーティマ配下の山賊達を兵士達が鬱陶しそうに押しのけ、アリシア達の場所を作る。そこからの眺めは、壮観そのものだった。

 

 森の出口から重歩兵の縦列が連なっている。鎧の軋む音はさながら合唱の様であった。アリシア達の視界に入っている範囲でざっと400人はいるように見える重装の軍勢。その武装にはいずれもアイギス信仰のモチーフが施されており、彼らが宗教関係の軍勢である事が分かるようになっていた。その先頭に立つのは、打って変わって軽装の桃色の髪の女性であった。

 

「――あ!」

 

 彼女を視界に収めたアリサが驚嘆の声を上げる。すぐさまソーマが反応した。

 

「アリサ、どうしたの?」

「えっと、多分私の知り合い、かも……」

「えっ……」

 

 事態は彼女らが動揺する間も与えない。重歩兵隊は砦の門前まで迫り行進を停止した。

 

「私は聖戦士マリーベル! 女神アイギスの啓示を受け、武装神官団と共に、北の大国より馳せ参じました!」

 

 物見台にはっきりと届くよう、マリーベルは宣言する。桃色の長髪が風になびく。彼女はひと際軽装だが、他の兵よりも遥かに存在感を示す。そんな彼女を前にして――

 

「う、わぁ……」

 

 アリシアの顔は僅かに引きつっていた。他国の宗教団体が駆け付けるなど前例も無ければ、そんな面倒な事案のノウハウが蓄積されている訳もない。武装神官団の中に一人でも遠方からの読唇が出来る者がいれば大問題に発展しかねないが、流石にそういったご都合主義も無い。何をどう報告したものかと頭を抱えつつもアリシアは、マリーベルらを招き入れるのだった。

 

 

 

 

「アリサちゃん、久しぶりねぇ」

「ドルカママ……! 三年前のあの事があって、私……!」

「……? 詳しく教えてくれるかしら」

 

 アリサとドルカ。親と子の感動の再会、アリシアの目にはそんな風に映った。ドルカママと呼ばれた神官服に身を包みし女性は、並々ならぬ母性を醸している。一際目を引くのは服の上からでも容易にその全貌を把握出来る巨大な乳房であった。

 

「すっげぇな……えぇおい」

「あぁ、ありゃすげぇぜ」

 

 それは否応なしに山賊から好奇の視線を浴び――

 

「全く。あそこでふんぞり返ってる自称近衛騎士と同じ性別とは――」

「止めておけ。フューネスみたく腹に風穴開けられたいのか」

 

「アンナお姉さま超えはともかくとして。礼儀のなってない人は後で〆ます」

 

 胸に関しては姉にコンプレックスを持つアリシアの心に深い傷を残すのであった。当然そんなことは、アリシア対面に座るマリーベルの知るところではない。

 

「神官学校の出の者は、皆ああしてドルカママ……あの人をそう呼びます」

「……つまりドルカさんは、ああ見えて大物ってことですね」

 すぐにアリシアは自分が失礼なことを口走ったことに気づき、表情が引きつる。

「えっと……ところで女神の啓示というと?」

「私達皆が、一夜の間に同じ夢を見たのです。女神の加護を得た英雄の力となるように、と」

「な、なるほど……」

 

 アリシアとしては夢一つではるばるこんな所までやってくる者の気が知れないという要素はあったものの、女神の加護を得た英雄というのはほぼ間違いなく王子の事であり、彼らほどの軍勢が力になるのならば心強いことは確かだった。なにせ寄せ集めの王国軍残党とほぼ同等の人数を擁する重歩兵、癒し手の部隊である。

 

 一方のマリーベルも思うことが無いという訳ではなかった。

 

「……私も質問していいでしょうか」

「なんでしょう?」

「見た所、正規兵ならぬ存在がいるようですが。これは一体……」

「えーっと、モーティマ山賊団の方ですね。山賊頭のモーティマさんが、個人的に王子に協力してくれています」

「……その王子という方と、一度お会いしたいものですね」

「分かりました! 新緑の町にいらっしゃるので、一度早馬を走らせますね」

 

 山賊を見るマリーベルの目が厳しいことに、アリシアはついぞ気づくことは無かった。

 

 

 

 

「……王国暦308年、3月の8日? そんな事あるはずない――だって私達が啓示を授かったのは、305年の1月よ?」

 

 アリサから今日の日付を聞いたドルカは目を丸くするが、今日は紛れも無く308年3月8日である。アリサは暗い表情の中で、口を開いた。

 

「ドルカママ、落ち着いて聞いてね。ママ達は……三年前に失踪してるの」


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