口調や呼称は読みやすさ優先で書いておりますので、皆さんで置き換えていただけると幸いです。
後今回結構不快な話の流れですから、避けて頂いたほうが良いかも知れません。
時系列は多分05ぐらい。
ある春。私はいつもどおり大学に通っていた。この国で大学まで通えるのは一握りで、それは家にお金があるか、文字通り血を吐くほど勉強して奨学金を得た人間のみだ。
私は前者だが、かと言って勉強を怠けたつもりはない。中高と精力的に勉強に取り組み、部活動にも打ち込んできた。だからこそ私は胸を張って大学の門をくぐることが出来る。だけど当然、家柄に任せて勉強を怠けた、いわゆる"ボンボン"もいる。そういった人たちはお金に余裕があるからか、危ないものに手を出している人たちもいる。当然そんな人たちには近寄らないが、いわゆる見た目が整っている部類に入る私は近寄らなくても向こうから来てしまう。
「ねぇ美波ちゃん、今日この後暇?」
「ごめんなさい、今日もちょっと予定があるので…」
極力全て断るが、中には強引で、それでいて薬物や酒におぼれているような人もいる。この人もその類だともっぱらのウワサな上、ここのところしつこく絡んできている。正直突き飛ばしてでも立ち去りたかった。
「そっかー。それじゃあさ、よかったらこれだけでももらってよ。良いものだからさ。」
「ちょっと、何するんですか!」
男が私の鞄に何かを無理やり突っ込んできたので、押し飛ばして距離を取った。流石に騒ぎになったのか、周りにいた女子生徒が集まってきて男を詰り始める。形勢不利と見た男はそのまま走り去っていった。
「美波ちゃん、すぐ来れなくてごめん!怪我とかなかった?」
「大丈夫です、助かりました。」
「お節介かもしれないけど、やっぱり忙しくても誰かと一緒に帰ったほうが良いよ、一人じゃ危ないって。ただでさえ美波ちゃんは目立つんだし。」
心配してくれる優しい先輩との会話も程々に切り上げ、私は家路を急いだ。
* * * * *
家に着くと、私は突っ込まれたものを探すのも忘れて部屋の片付けと料理を始めた。久々にアーニャちゃんが来るのだ、どうせならしっかりもてなしてあげたい。彼女も何をしているのか、特に最近は帰っていないことが多い。久々に帰ってくると言うので、どうせなら一緒に過ごそうと提案したのは私だった。彼女は肉じゃがが好きだそうだから、それだけは昨日の晩から仕込んでいる。
細身な割にガッツリめな物が好きなようだから、もう一品加えよう。冷蔵庫の中身的には唐揚げか鶏天か…メニュー的には鶏天だろうか。解凍するために台所においておいて、その間に手早く洗い物と炊飯を済ませる。そして鶏天の仕込みも済んで後は揚げるだけというころ、インターホンが鳴った。カメラ越しに確認すれば、待ちわびていたアーニャちゃんの姿が。鍵を開けて迎え入れる。
「久しぶり、アーニャちゃん。」
「ダー。久しぶりですね。」
「ご飯、もうちょっとかかるから先にシャワー浴びちゃって?」
はい、と彼女は笑って風呂場へ向かう。彼女がシャワーの栓を音で確認した私は、鶏肉を揚げ始める。その途中でタオルを準備していないことに気がついたので、素早く脱衣所に届けておく。
「アーニャちゃん?タオル置いておくね。」
「スパシーバ、ありがとう、です。もうすぐ出ますね。」
脱衣所からキッチンへと戻る途中、自分の鞄を見てふと昼間のことを思い出した。食事前のこの時間に嫌なものを見たくはないが、鶏天を油から上げたら忘れぬうちにやっつけてしまおう。
鶏天を油から上げ、皿に盛り付けてからカバンの中身を一つづつ出していくと、底の方に見慣れぬものが入っていた。みればそれは何かのお菓子のようだが、そんなものを入れた覚えもないし、他に覚えのないものは入っていなかった。手に持って首を傾げていると、アーニャちゃんがこっちを見ていた。彼女は私の手にあるものを見ると、恐ろしい表情でこちらへ近づいてくる。そして彼女は私の手から菓子らしきものを乱暴に剥ぎ取ると、私の理解できない言葉をつぶやいた。
「ミナミ、いけません!なんでこんなもの持ってますか!?」
そう叫んだ彼女の顔は、今までに見たことのないほどの恐ろしさだった。
「待ってアーニャちゃん、どうしたの!?これ、ただのお菓子じゃないの!?」
あまりの剣幕に、思わず私も大きな声を出してしまう。その声を浴びた彼女は、はっとした表情でこちらを見る。
「ミナミ、これは…ナコーチキ…ドラッグ、です。それも、とても強い。こんなもの、どこで手に入れましたか?」
「…大学の先輩から、押し付けられたの。その時はこれは見えなかったし、急いでたからその場で捨てることもしなかったの。」
「そうですか。…これはアーニャが預かりますね?」
そう言うと彼女は、薬物を自らの鞄に放り込んだ。
「ごはん、食べましょう。せっかくミナミが作ってくれました。これは肉じゃがの匂いですね?」
彼女はいつもどおりの笑顔で、私に微笑んだ。
食事も終わり、いざ寝る寸前になると彼女は薬物を渡してきた人物は誰か、と尋ねてきた。確かサトウだという名前だったと思う、と答える。おそらく警察系の仕事に就いているのであろう彼女のことだ、彼を逮捕するのだろうか。手を出さないであげて、と言うと彼女は「優しいですね」と微笑んだ。
* * * * *
夜が明け、朝日で目が覚めた私は彼女に大学に行く旨を伝えると、彼女はしばらくゆっくりするそうなので、合鍵を預けておいた。そして大学に行くと、件の男が近寄ってきた。無視しようと思っていたが、
「ねえ美波ちゃん、プレゼント気づいてくれた?」
にやけた顔でそんなことを言ってくるものだからついカッとなって、
「ふざけないでください。今回は見なかったことにしますけど、次は警察に通報します。もう、近寄らないでください。」
と言ってしまった。その言葉を聞いた男は、顔を真っ赤にして私を突き飛ばしてきた。たかだか学者の家の分際で、ちょっと見た目が整ってるから、だとかなんだと言われた気がするが、流石に周りにいた人たちが止めに入る。
そしてそれ以降、ふとした時に人の気配を感じることがある。帰り道や大学構内と、様々な場所で気配を感じる。気のせいであってほしいがストーカーだろうか。一応、アーニャ含め周りの人には知らせてあるし警察にも相談したが、ここしばらく気が気でなかった。最近はアーニャちゃんも忙しいようであるし、家の近所に知り合いが居ないのは困る。一応セキュリティは強固な家に住んではいるが、外で襲われたりすれば意味は無いのだ。
そうして少しの恐怖を感じながら一週間を過ごした頃、再びアーニャちゃんと夕食を共にすることになった。大学の帰り、スーパーで食材を買って家路を歩いていると、突然前に男が現れた。男はフードを目深に被っており、その顔を見ることは出来ない。
あまりの気味悪さに来た道を戻ろうかと思ったが、ひとまず道の反対側に避けて通り過ぎようとする。そして通り過ぎようとした時、
「───どうしてなんだ。」
男が突如喋り始めた。
「どうして僕と仲良くなってくれないんだ。どうして僕を避けるんだ。」
あまりの気味悪さに、とうとう私は足を止めてしまった。
男がポケットから何かを抜いて、私の意識はそこで途絶えた。
次に目が覚めた時、私は男臭い部屋の中にいた。ガムテープによって手足は縛られ、口は塞がれている。そして目の前には、サトウの姿があった。サトウは目の色を変え、いかにも興奮していますといった状態だ。
「おはよう、美波ちゃん。わかってると思うけど、騒がないでね。騒がれたら、僕が何するか僕もわからないんだ。」
嫌だ、こいつとここにいてはいけない。本能でそれを察し、私は逃げようともがくが手足を縛られているのでどうにもならない。そしてサトウは、私の服に手を掛ける。
「君が僕を拒絶するからだよ、だったら無理矢理にでも手に入れるしか無いじゃないか。」
私は全力で抵抗する。すると、足がサトウの腹に当たったのかサトウが腹を抑えて後ろに転がった。
それが更にサトウを興奮させ、サトウは少し大きな声を出しながら私に馬乗りになり、私の頬を叩いた。カッとなった私は全力でサトウの股間を蹴り上げ、怯ませる。そして、全力で叫ぶ。口が塞がれているのであまり大きな声にはならないが、外の誰かが気づいてくれることを願って全力で叫ぶ。
「無駄だよ、この部屋の壁は厚いからね。そんな声じゃ隣の部屋にも聞こえないさ。」
そして体勢を立て直したサトウが再び私に馬乗りになり、今度は頬を拳で殴ってきたその時、大きな音とともに扉が開け放たれた。
その扉から入ってきたのは、拳銃を携えた女性だった。
*─────*
夕飯を一緒に食べようと美波が誘ってきたのに、部屋に帰って来ない。電話しても出ないのでスーパーまで歩いていけば、美波の買い物カバンが道端に落ちていた。
──しくじった!
美波に男がつきまとっているのは知っていたが、うかつに動いて正体を知られるわけにも、追われる要因を増やすわけにも行かなかったので警戒を強めるだけにとどめていたが、これならば最初から男を始末しておくべきだった。
ただのボンボン薬中に度胸は無いだろうと高を括ったのは大きな間違いだった。急いで自分の家に走り、ヘルメットも程々にバイクに跨る。ナビは男の家に設定し、スロットルを全開まで回す。
──どうか間に合え。奴の手が美波に触れる前に。
* * * * *
男の家はアパートだ。実家が金持ちなおかげかセキュリティが少し固いが、幸い日も落ち十分な暗さがあるのでパルクールで3階の内廊下に飛び込む。予め調べておいた男の部屋の前にたどり着くと、どうやらアナログ錠のようだ。ピッキングしてやろうと懐に手を突っ込むが、今日は道具を携帯していなかった。やむを得ないので一度外に戻る。そしてあることを思い出した私は、携帯電話を取り出してコール。時間が惜しいので肩で挟んで相手が出るのを待ちながら、工具をツールボックスから出し、部品に偽装しておいた消音器をバイクから外す。そしてそのタイミングで相手が電話に出た。
「シキ、遅い!」
「にゃーっはっはーごめーん。ご飯食べてた。なんか用?」
「アナタの知り合いに使える警官いましたね?この間調べさせた住所にそいつをよこしてください。ミナミが捕まりました、今から乗り込みます。」
ちょっとタイム、と彼女は電話を離れる。急いでいるのでイライラするが、向こうでなにか話している様なので件の警官に連絡しているのだろう。
「おっけー。10分で着くって。それまでに逃げなきゃ追っかけられちゃうよ?」
私は電話を切ると、ポケットに放り込む。ヘルメットをかぶり直して、再び3回までよじ登る。そして静かに鍵をピッキングして、静かに玄関を開ける。玄関に入った時、美波の悲鳴が聞こえた気がした。
思わず廊下を突き進む。静かにやるつもりだったが、悲鳴を上げている美波に居ても経っても居られなくなった。ガン、ガン、と靴を踏み鳴らして一番奥の扉を蹴破る。
ヘルメットのシールド越しに見えたのは、誰かに覆いかぶさり、拳を振り上げている男の姿。男越しに見えるのは、亜麻色の長い髪。何時かみた色の服。
躊躇せず引き金を2回引く。放たれた弾は男の右肩に2つとも命中し、男が倒れ込む。左手で拳銃を構えたまま、右手で男を投げ飛ばして下敷きになっていた人物を見ればやはり美波で。声を掛けて抱きしめたい衝動に駆られるが、流石に殺しを見られた以上この場で正体を明かす訳にはいかない。苛立ちを抑えながら、美波にシーツを掛ける。このまま残りたい気持ちに引かれながらベランダに出て、雨樋を伝って降りる。一刻も早くここを離れるべきだ。
そして、美波が帰って来たときに安心できるように、家にいるべきだ。そう思いながらバイクで走り去る。
*─────*
バシバシ、と乾いた音と共に、サトウが突如として私に倒れ込む。何が起きたのかわからず、そのまま呆けていると
フルフェイスのヘルメットに阻まれて顔は見えないが、やはり女性だ。彼女はそのままベランダから飛び降りたと思えば、バイクのエンジン音が遠ざかっていく。どこか聞き覚えのある音だと思ってベランダに駆け寄ると、床にあるものが落ちていた。これは見覚えがある。間違いなくアーニャちゃんの持ち物だ。
でも何故、ココに落ちているのだろうか。考える暇も無くまた足音が聞こえ、私は物陰に隠れる。部屋に飛び込んできたのは、髪の長い警察官だった。警察官らの姿を見て、安心して涙を浮かべてしまった。
警察官に保護された私は、そのまま救急車に乗せられて検査入院となった。殴られた他には特に外傷もなく、縛られていた部分も特に問題はないらしい。
入院中に事情聴取を受けたが、サトウを撃った人間に関しては何も知らないと答えた。しかし、それは嘘だ。私はあれがアーニャちゃんであることを心の中で確信している。
1日の検査入院を終えて帰宅した私は、現場で拾った、キーホルダーを眺めていた。それはアーニャちゃんの携帯に付いているものと多分同じで、白いキーホルダーだ。
このキーホルダーは、私がアーニャちゃんにプレゼントしたものとよく似ている。彼女の髪をイメージした、雪の結晶のような形をしている。
もし本当に、私を助けたのがアーニャちゃんなのだとしたら、何故彼女はあそこがわかって、拳銃を持っていたのか。もし司法職員なら、なぜ犯人を拘束せずにベランダから脱出などしたのか。
ひょっとしたら、彼女も裏社会の一員なのかもしれない。そんなこと思いもしなかったが、彼女の行動が後ろめたいなにかを抱えていることを示している。やはり本人に聞くべきなのだろうか。
だが彼女はこれまでそういったことを明かすどころか、匂わせることもしなかった。黙っているということは、探らないほうが良いのではないだろうか。
長く考えていたつもりはなかったが、直に夕飯の時間になってしまう。ひとまずキーホルダーをテーブルに置いて、私はキッチンに立つ。今日はあの日の埋め合わせとしてアーニャちゃんと夕食をとるのだ。どうしても気になってしまえば、そこで聞いてしまえばいい。
* * * * *
アーニャちゃんとの食事も終え、食後のティータイムを過ごしている時、私はキーホルダーのことを尋ねてみた。
「ねえアーニャちゃん、携帯のキーホルダー落とさなかった?」
「あー、はい。ここ数日の間に、どこかに落としてしまったようです。イズヴィニーチェ、ごめんなさい。せっかくもらったものなのに…」
彼女はシュン、とした様子で落ち込む。やっぱり、と私はテーブルにキーホルダーを置くと、彼女は顔を明るくした。
「ミナミ、拾ってくれたんですね!スパシーバ!」
彼女はその場で携帯にキーホルダーを付け直している。
「…ねえ、アーニャちゃん。それどこで拾ったと思う?」
やめろ、頭の中で声がする。聞くべきではない、自分がそう言っているがもう止まれない。
「アー、どこでしょう?」
「それね、私が一昨日捕まっていた部屋で拾ったの。私を助けてくれた女の人のポケットから落ちたんだ。それと、その人はバイクで走り去っていったの。」
彼女の顔が凍りつく。
「ねえ、アーニャちゃん。もしかして、助けてくれたのは、アーニャちゃんなの?」
言ってしまった。彼女はうつむき、その髪で表情をうかがい知る事はできない。しかし、肩が震えている。テーブルに置かれた手は、拳を強く握りしめている。
「もし、そうならお礼を言わせて。ありがとう。それと、こんな追い詰めるようなことをしてごめんなさい。きっと、隠していたよね。ごめんね。」
そしてしばらくの沈黙が部屋を包んだ。お茶冷めちゃったね、と淹れ直すために立とうとすれば、彼女が突如と立ち上がって、私の袖口を掴む。
「謝らないで、ください。結局、私はミナミを守りきれませんでした。」
そして彼女の、独白が始まった。
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家族がロシアンマフィアの一員だった私は、その生活が嫌で家から逃げ出してきた。しかし幼い私にはまっとうな稼ぎを作る術もなく、結局裏社会へと堕ちてしまった。
そして私が美波の家の近くで倒れていたあの日、私は美波の優しさに溺れてしまった。その優しさに依存してしまった。本来ならすぐにでも縁を切るべきだったし、そもそも関わるべきではなかった。
そんな呟きに近い弱音すらも、彼女は受け入れてくれた。
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アーニャちゃんの独白を聞き、一緒に眠りに付いた次の日の朝、私が目覚めると彼女は既に起きていた。
そして朝食の途中で、彼女は街を出るという。私に正体を知られてしまったし、迷惑をかけるかも知れないからだというが、私はそれを引き止めた。
私は彼女のことを恐れていないし、一人にしたくなかった。私は彼女のことを強いと誤解していたが、彼女はむしろ弱かった。だからこそ、一緒に居たい。
そう伝えた彼女の顔は、微笑んでいた。