一ノ瀬志希は情報屋である。前職は研究者であった。研究者だった時に取得した特許のお陰で、道楽をするぐらいの財産も築くことが出来た。
情報屋を始めた理由も「おもしろそうだから」程度の理由だったが、情報の精度が高く幅広いおかげなのか客は少ないものの実入りも悪くないし、情報屋家業で知り合った相棒とも馬が合う。
研究者時代の専門は化学だったが、今はある薬物の解析に勤しんでいた。ココ最近、最近と言っても1年も前の話だろうか。街にある薬物が入ってきた。その薬物は非常に厄介で危険な代物のようで、警察では「346番目のヤバイ代物だった」ことから、語呂合わせで「ミシロ」と呼ばれているらしい。
基本は覚醒剤やコカインのような精神刺激薬で、大量摂取か長期的な摂取をしなければその本性は表さない。しかし一度大量に摂取すれば、幻覚や幻聴、痛覚の麻痺、激しい興奮作用と言った症状がある。これだけ聞けばよくある麻薬の一種だろう。
しかしこの
前述の通り痛覚麻痺の作用もあるため、これを
当然認知しているのならば警察も本腰を入れて捜査しているハズなのだが、お偉方が鼻薬でも嗅がされているようで
そう、恐ろしいのは薬効だけではなく、警察の頭に鼻薬を嗅がせ続けられる財力のある組織がこの薬物を流しているということだ。挨拶もなくこの土地で商売を始めたため、元からいた裏社会の人間や団体は大変お怒りで、薬物中毒者も最近はミシロに流れ気味なので収入も減った、とは周子の談だったか。
次に、ミシロを管理している組織は「プロダクション」と名乗っている。確かにプロダクションとは「制作会社」や「制作物を供給する会社」といった意味がある。考えた人間のセンスはさぞかし高いことだろう。プロダクションの連中もうまいこと情報を隠しているようで、なかなか尻尾がつかめない。系列組織や儲け優先の雑魚を何回か通して持ち込むようで、バイヤーを締め上げても結局泥沼になって大本には行き着けない。
前置きはともかくとして、ミシロを作り出した人間はよっぽどの天才のようだ。もしくは偶然の産物か。でなければこんな「暴れさせるための代物」を作れるはずがない。
* * * * *
「なーんだっかなー。」
思考が脱線気味になり始めた志希は、数時間前からデスクの上にあるコーヒーカップへと手を伸ばした。最近の裏社会では「ミシロ」や「プロダクション」でもちきりなのである。なんとしてでもミシロのルートを潰し、プロダクションを袋叩きにしたい地元組織は有益な情報を得るために賞金まで掛けたという。プロダクション系列の組織を特定した地元組織が近々カチコミを掛けるらしいが、良くて空振り。悪ければ蜂の巣になって返ってくるだろう。
何しろこんなトンデモを売りさばいて、かつ独占し続けていられる組織だ。当然大所帯で統制もされているだろうし、さぞかし武器も充実していることだろう。ひょっとすれば軍隊並みかもしれない。
プロダクションについての情報が欲しい、と考えた志希はある人物に電話をする。数コール後、相手が電話に応じた。平日のこの時間では出ないと思ったが、案外暇なのだろうか。
「あー、奈緒ちゃん?あたしあたし。志希ちゃんだよー。」
『なんだよ、志希か。どうした?』
「奈緒ちゃん、今週空いてる?遊ぼうよ。」
『今週なら日曜しか空いてないな。13時半ぐらいにいつものとこでどうだ?』
「おっけー。じゃあ週末にねー。ばいばーい。」
盗聴に備え、この相手と通話する時は暗号を織り交ぜた上で最小限に済ませるルールにしている。デジタル全盛期の現代では電話の盗聴は表向き不可能とされているが、何事にも例外はある。
週末の予定が出来たことを相棒に伝えなければならないが、夕食の際にでも伝えれば良いだろう。
志希の相棒とは、フレデリカのことである。フレデリカは情報屋ではなかったが、あるきっかけで志希と知り合い、共に仕事をする内に今では暮らしも同じくする仲になった。フレデリカと生活を共にして長いが、彼女の過去はあまり知らない。一般家庭の産まれで無いことは聞いているが、それ以外は殆ど話さないのだ。
もちろん志希も無理に聞くつもりは無いし、家事や荒事の苦手な志希にとっては炊事洗濯掃除も、多少の荒事もこなすフレデリカの能力は今では無くてはならない存在だった。現にフレデリカが居なければこの部屋はホコリの積もる汚部屋と化しているだろうし、食生活も悲惨なこととなっていたに間違いない。
他にも情報が勝敗を分ける現代では情報屋と言うのは非常に脅威度の高い存在である。なにより情報屋と言うのは色々と恨みを買う。趣味嗜好から下着の色まで、様々な相手の情報を集めては売りさばくと言えば誰だって嫌うか恨むぐらいするだろう。おかげで志希も何度か危ない目に遭ったので、現在では拳銃を扱うぐらいはできる。
ただし志希の射撃センスは頭脳の良さに反比例でもしたのか、頭を狙えば爪先に当たり、足を狙えば眉間に当たると壊滅的なもので、果たしてその時にきちんと身を守れるのか、自分でも疑問に思っていた。
ミシロについての解析もまとめ終わり、プロダクションについて考察していた志希は、今度ばかりは危機感を覚えたのか日頃は放置気味の拳銃の点検を慣れぬ手つきで始めた。
* * * * *
日曜日、奈緒との約束の日だ。志希はフレデリカの運転する車の助手席に乗り、今日話すべき内容を脳内で巡らせていた。その志希の腰には拳銃が入ったホルスター。もしプロダクションが本気を出して襲撃してきたなら拳銃があったところで変わらないだろうが、気休めに持っておく。何より志希は荒事が不得手で、抵抗ままならぬ内にやられる未来が見えるので一人ならまず逃げるが勝ち。
一方フレデリカも銃の腕が良いかと言えば並かその少し上程度だし、持っている武器も拳銃だけ。やはり二人揃っていても逃げるが勝ち。
二人が合流地点に到着する前に奈緒は来ていたようで、コンビニで購入でもしたのかサンドイッチを頬張っている。奈緒は二人を認めると、軽く手を上げて挨拶をした。
奈緒は志希が珍しく腰に拳銃を刺していることに気がついたようで、
「珍しいな、志希が拳銃持ってるなんて。」
「にゃははー、ちょっとね。最近
「そーだろうな、アタシも最近ひどい目にあったばっかりだ。で、今日はなんの用だ?」
「奈緒ちゃん、こないだミシロの取引見に行ったっしょ?あれ末端じゃなくて系列組織から現地バイヤーに渡すとこだったんだよね。だから奴らについての情報が欲しいんだー。もちろん、対価は払うよ。」
奈緒がプロダクションについての情報を話し始める。非常に重武装であること、訓練を受けた人間であったこと、監視に気がついて襲撃してきたこと。奈緒の主観を交えたナマの情報は、とても有益な物だった。
そういえば、と奈緒は思い出したように周子という人間を知っているか、と聞いてきた。狐のような印象を受けたらしい。
「あー、やっぱ行ったんだあ。誰か敵にならなさそうな警官紹介してくれーって言われたから、奈緒ちゃん紹介したんだ。言ってなかったっけ?」
聞いてねーよ、と苦情が殺到するが、どこ吹く風と聞き流す。
「でも、周子ちゃんは悪い人じゃないし、繋がり持っといても損はないと思うんだけどにゃー。あとすごい強いし。」
「そこだよ、志希。アイツは何者なんだ?えらく人間離れした動きしてやがったぞアイツ。まさか化け狐とかじゃないだろうな、本当に人間なのか?」
「わかんない。でも化物の類ではないと思うから安心していいよ。それはさておき、今回の情報料どうする?なんかと交換?それとも、貸しにしとく?」
「貸しにしといてくれ。今は特に欲しい情報もないし、今度なんか入ったら教えてくれればいい。他に何もないならアタシは帰るぞ。」
他に何もないとを告げると、奈緒は「そうか、じゃあな」と言って歩き出した。すると突然、フレデリカが奈緒に向けて叫びだした。
「奈緒ちゃん!」
「なんだよ、大きい声出しやがって。」
「寄り道せず帰るんだよー!知らない人についてっちゃダメだめだよー!」
奈緒は一瞬驚いた様子。次に苦笑いをし、アタシは子供かよ、と歩いていった。志希は何事かと隣にいるフレデリカを見ると、彼女は自身の右肩を指差した。どうやら、監視がついているらしい。
「奈緒ちゃんにちゃんと伝わったかなー?」と聞けば、伝わったでしょー、とフレデリカ。自分たちもあまりのんびりしていられないと急ぎ足で車に戻る。あの尾行が奈緒に付いていたのか、自分たちに付いていたのか、今はまだわからない。
しかし、どちらにせよどちらも追われることになるようで、何らかの気配が自分たちをツケているのは確かだ。気配は二人か三人、残念ながら相手は出来ない。さっさと車に乗って尾行を撒くしか無いだろう。
「フレちゃん、気配幾つ感じる?」
「うーん、三人…かな?後ろだけじゃなくて前にもいるねー。前は一人だけだから殺っちゃうよ。」
そう言うとフレデリカは胸にあるホルスターから、
男が取り落とした拳銃を遠くへ蹴り飛ばし、二人は停めてあった車に乗り込む。スマートキーでありがたいことにボタン一つでエンジンスタートだ。エンジンが掛かったことを確認したフレデリカは、リバースレンジに入れると車の方向転換。方向転換をしたタイミングで、後ろから追ってきた男達が追いついたのか車に向かって撃った弾がドアに当たる。しかし防弾化された車の装甲に食い止められ、放たれた弾頭はひしゃげて地面に落下し、車は防弾車とは思えぬ強烈な加速でその場を離れていった。
「いやー防弾さまさまだねー志希ちゃん。」
「ほんとだねーフレちゃん。囮ハウス2号に逃げ込んじゃおうか。晶葉ちゃんに貰った例のアレも試したいし。」
「あいあいさー♪」
ご機嫌な返事を返したフレデリカは、舵を「囮ハウス2号」へと向け、警察に目をつけられないよう法定速度で走る。道中も追跡されているようだが、あえて適度に追跡させる。流石に市街地では撃ってこないようだが、長々と追跡されるのは気分が悪い物があった。
何度か同じところを周回し、郊外にある囮ハウスへとたどり着く二人。当然車を降りるということはせずに、そのままガレージに駐車、ガレージのシャッターを閉める。一人殺している上、尾行を完全に撒かずに来ているのだから襲撃待ったなしだ。
当然だが、二人はこの家に住んでいる訳ではない。名前の通り、いくつかある囮の1つだ。囮とは言っても、もちろん居住も可能だが、本領は尾行者を完膚なきまでに叩きのめすための家である。まだ明るい時間かつ、この地域には一般人の目がある。今すぐ来ることはないだろうと、迎撃システムを起動した二人は棚から菓子類を取ると、一息入れるのであった。
* * * * *
当然襲撃されるとわかっている場所に長々と留まるほど二人も愚かではなく、二人は地下道からこっそりと脱出し、セーフハウスでゆっくりとくつろいでいた。
志希は監視カメラやセンサーから送られる情報が映されるモニターを眺めている。今のところまだ押し入ったりされていないようではあるものの、囮ハウスの近くに不審なバンが止まっているようなので時間を見計らっているのだろう。
結局連中は深夜までおとなしくしていたようで、日付が変わって2時間してからようやくセンサーに侵入者が感知された。玄関扉がピッキングによって開かれたようで、玄関のカメラ映像に切り替えてみれば武装した人間が4人ばかり侵入していた。
外にバンが止まっているが、そちらにもまだ居るのだろう。侵入した犯人たちは二手に分かれて、一組はリビング。もう一組は寝室へと向かっていった。
───まずはリビングからだ。リビングに居るシステムを起動させる。モニタの表示が切り替わる。システムは正常に動作したようで、家具に偽装していた自動銃座が、突如としてマシンガンを生やす。それを見た犯人たちは突然のことに驚いているのか、銃座をみて固まる。
「攻撃開始♪」と志希はコンソールのキーを押す。砲台に取り付けられたカメラが、自動で犯人たちを追尾し、シュタタタタタ、と
いくら減音器で音が小さいとはいえ家の中ではごまかしきれなかったのか、寝室に向かったグループもリビングへと進路を変えていた。カメラ越しに彼らを見ていれば大して訓練されているとも言えない、雑魚といった感じである。装備も貧弱で、サブマシンガン程度だ。
志希は更にシステムを操作し、目標をこのグループに定めた。部屋の中は暗いので、銃座を動かさなければよっぽど気づかれないだろう。案の定、リビングに入ってきた二人組は既に物言わぬ状態となった仲間を見ると、リビングの中を探し回り始めた。
残念ながら自動銃座に気がつくことは出来なかったようで、この二人も一方的に銃座の餌食となるのであった。「お次は外の車かな?」と志希は自走地雷を屋外へ放つ。あとは何もしなくても自走地雷が片付けてくれるだろう。
───映像が低解像度化処理されたものでよかった。もしそのままであれば、銃座によって蜂の巣にされる犯人らの姿をしっかりと見る羽目になっていただろう。
自走地雷が車を吹き飛ばしたことを知らせる通知がモニターに現れた。これですべての敵を排除しただろうが、爆発で消防や警察が集まる前に少なくとも囮ハウスの死体は処理しなければならない。
予め手配しておいた処理業者に連絡すると、5分あれば撤収まで完了するとのことだった。この国の優秀な警察でも、5分ではたどり着けまい。処理方法も任せることを伝えた志希は電話を切り、モニタールームを後にするのだった。
「志希ちゃん、終わったー?」
どうやら相棒はリビングで連ドラを見ていたようで、テーブルの上には空になったスナック菓子の袋が2つも放置されていた。
「終わったよー、あとは処理してくれる人に任せたし、尾行してた連中の大元も周子ちゃんに頼んどいたから、すぐ潰れると思う。今回はもう手を出すことはないかなー。」
「晶葉ちゃん謹製のロボットのおかげだねー。でも、フレちゃん今回はちょーっと疲れたかな?じゃあ、今日はもう寝るね?」
既に眠気たっぷりだったのか、フレデリカは珍しく会話を短く切り上げると自分の部屋へ歩いていった。しかし志希は、まだやることがあるためにコーヒーを愛用のカップに注ぐと、ラボへ歩く。
今回の襲撃はどの組織の犯行なのだろうか。少なくとも押し入った連中を見る限りでは訓練されているようには見えなかったし、自分たちに恨みを持つ連中の犯行だろうか。ならば周子だけでも大丈夫だろう。
そう思っていた矢先、仕事用の電話から着信音が鳴る。
「はいもしもしー?どちら様?」と聞けば、周子であった。
「志希ちゃん?あたしあたし、周子だよー。ちょっと任された仕事で問題があってね、手が足りそうにないから腕のいい人紹介してくんないかなーって。」
話を聞けばプロダクション系ではないようだが、数が多いので念のために腕のいい人間を紹介してほしいらしい。
「そうだねー、それなら一人紹介するよ。ただ向こうにも聞いてみるから、ちょっと待っててくれる?」
「おっけー、待ってる。」
志希は電話を切断すると、今度はある人物へ電話を掛けた。やはり寝ているのか、いつもよりコールが長い。ようやく相手が出たかと思えば、ロシア語で罵られた。
「ごめんごめん、アーニャちゃん。お仕事の依頼、良いかな?ある人と一緒にカチコミを掛けてほしいんだ。」
「シキ、今、何時ですか?まさか時計も読めなくなりました?」
「だからそれはごめんってば、お題は相場の倍払うから、お願い。急ぎなんだよ。」
相場の倍、と言う言葉に揺られたのか、渋々と言った体で了承の返事が来る。落ち合う場所と時間を伝えた志希は電話を切断する。周子にも同様の場所と時間を伝えたので、後は二人に任せれば良いだろう。
二人の仕事の成功を確信した志希は、早くも一件落着と言わんばかりに眠りに就いた。あの二人ならば、ちょうど目がさめる頃に片付いていることだろう。