地盤を叩き割る轟音が鳴り響く。
飛び散る礫や土砂に巻き込まれないよう、男は人気のない林の中を必死に駆け抜け、背後に迫る破壊者から逃げ惑う。
「くっ……、この化け物めっ‼︎」
振り向きざまに男は呪文を唱え魔術を行使するが、追手は速度を緩めることなく体捌きだけで躱してみせる。その尋常でない敏捷性は正に野生の獣だ。
この展開は男が追跡されてからずっと続いていた。幾ら魔術で反撃しようと相手には掠りもしないのだ。そして、追手は隙を見て攻撃に移り、逃走を始めた当初は四人いた仲間達は続々と倒され、気付けば残ったのは男一人という状況に陥っていた。
「あのガキ、一体何者なんだっ⁉︎」
焦燥が滲む表情で男は追跡者を睨み付けた。
黒を基調とする軍服を纏った、淡青色の髪を靡かせる少女である。見た目だけで判断するのなら、恐らく十五にも満たないであろう。その幼げな容貌は殺し合いの舞台に明らかに場違いだ。
しかし、少女は常識という概念を何処かに放り投げているのか、その華奢な細腕で身の丈程の大剣を悠々と振り回していた。それの餌食になった仲間達は残らず叩き伏せられている。
最初に取るに足らない少女と判じて侮ったのが運の尽き。
少女は荒れ狂う暴風の如き天災であったのだ。
このままでは状況は好転しない。間違いなく仲間達の同じ轍を踏むことになる。
そう確信した男は決死の覚悟を決めて少女と向き合った。
「《紅蓮の獅子よ・──……》」
その場に留まり呪文を唱え始めた男を見て、少女は一息に距離を詰める。肉薄と同時、上段に構えた大剣を躊躇いなく振り下ろす。
「《憤怒のままに・──》」
豪快な一撃を男は紙一重で避けた。命の危機に直面しながら呪文を唱え続けるその胆力には眼を見張るものがある。
少女は返す刃で男の胴体を狙うが、読んでいたのか男は流れるように後方に跳躍しやり過ごす。
次の一節で呪文は完成する。ゆっくりと、だが確実に魔力を込めながら紡いだ魔術は、この土壇場においても最高威力を発揮するだろう。
行使するのは『ブレイズ・バースト』。人間なら消し炭すら残らない大火力の
男は獰猛に嗤う。
千載一遇、起死回生の一幕。
その状況で、少女は一切の迷い無く踏み込んだ。撃たせる前に倒すとでも言わんばかりの特攻である。
相手が並みの魔術師で尚且つ勝利を目的にしていたら、気合いで全てを薙ぎ倒す少女が完璧に勝っていただろう。
少女にとって予想外だったのは、男が純粋な勝ちを捨てていたことだ。
「──っ!」
此処まで無表情だった少女の瞳がほんの僅かだけ見開かれた。
少女の特攻に合わせて、男が更に一歩進み出たのだ。
男の狙いは相討ち。
死なば諸共。実力で及ばない少女ごと、地獄の底へと道連れにする外道の所業。
「《吼え狂え》ッ‼︎」
手の先に構成された円法陣が唸りを上げる。
殆ど密着した現状で少女に魔術を躱す術はない。男も大剣による剛閃で倒れるだろうが、ただ負けるのではなく相手に致命の一撃を与えられるのだ。
散る間際の悪足掻きとしては望外の結果。
男が狂気に顔を歪ませた。
「死ねぇええええっ‼︎」
手の先に炎熱が収束し、完成した魔術が解き放たれる瞬間。
浮かぶ円法陣がガラスのようにパリンと砕け散った。
「──なっ……がはっ⁉︎」
驚く間も無く、男の胴体に振り抜かれた大剣の腹が直撃しボールように吹き飛んでいく。鈍い音を立てて大樹に衝突した後、此処まで逃走し続けた努力虚しく呆気なく頽れた。
戦闘の終わりを迎え、少女はゆっくりと歩みながら男に近付く。一仕事終えた今でも、その表情に喜怒哀楽は映らない。
態と生かされた男は顔を持ち上げ、その人形のような少女を見つめ直した。
「……なんで、殺さなかった?」
「殺せという命令じゃなかった。暗殺は好きじゃない」
「……ハッ、やっぱ、ガキじゃねぇか……」
口に溜まった血を吐き出す男は侮蔑を込めて嘆息する。こんな甘い考えの少女にやり込まれたことが屈辱で仕方がなかったのだ。
相変わらず無表情な少女は男の態度には全く頓着せず、事務的な口調で淡々と喋る。
「天の智慧研究会
「…………」
「無言は肯定と受け取る」
「……勝手にしろ」
「そう、じゃあ聞く。
ぴくりと反応示した男は、不愉快な顔で少女を嘲笑った。
「ハッ、しらねぇよ、ガキが」
「……そう。じゃあ、お休み」
呪文を紡ぎ少女は男の首元に手を添える。使うのは初歩的な電撃の魔術だが、この至近距離ならば気を失わせることぐらいは可能であった。
最後まで甘い少女に男は呆れたが、実力と心根に差異が目立つ少女に少し興味を持った。
「……おい、ガキ。お前、一体何者だ?」
その問いに、やはり少女は淡々と答えた。
「帝国宮廷魔導士団特務分室所属、執行官ナンバー7、《戦車》のリィエル=レイフォード。……あでゅ〜」
……自身の耳がバグったことを自覚した後、男は意識を失った。
「リィエル!」
「……グレン、お疲れ」
「お疲れ、じゃねぇ! お前さっき滅茶苦茶やばかっただろーが!」
「痛い。いきなり何するの?」
リィエルと同じ軍服を着た黒髪黒眼、長身痩躯の青年──グレン=レーダスは、少女に足早に近付きその頭をスパーンっと叩いた。
全く感情の篭っていない声音で文句を言うリィエルに、グレンは悪びれずに更に責める。
「お馬鹿に説教してるんだよ! 俺のフォローが間に合わなかったらさっき死んでたかもしれないんだぞ? 分かってんのか?」
「……? グレンが助けてくれるのは織り込み済みだった。だから危なくない」
「……お前なぁー。……はぁ、もういい」
盛大に溜め息を吐いたグレンは頭をがりがり掻いて、気を取り直したように表情を引き締めた。
倒れている男の容態を窺う。死んではいないが、完全に意識は失っていた。この様子なら暫くは目を覚まさないだろう。
無力化に成功したとはいえ万が一が考えられる。グレンは手際良く【マジック・ロープ】で男の身体を縛って自由を奪い、【スペル・シール】を
「……リィエル、どうして生かした? 殺した方がもっと楽に処理できただろ?」
「暗殺は好きじゃない。グレンもそう。だからなるべく殺さないようにした」
「……そうか。ありがとな」
「別に」
何でもなさそうにリィエルは応対するが、グレンは彼女が成した結果に戦慄を覚える。
通常、敵を無力化するのに最も効率が良いのは殺すことだ。そうすれば二度と自身に立ちはだかることがないのだから。
それに比べて意識を奪うとは、殺さず、致命傷を与えず、されどその一歩手前の攻撃をしなければならないという絶妙な加減が求められる技術である。
少なくとも、魔術の才能乏しいグレンには容易にできない無茶な芸当だ。生死を賭けた戦場において、そんな一手間を加えている間に自分が殺されては話にならない。
だが、リィエルはその無茶を今回の任務で倒した敵全員に実現したのだ。
如何にリィエルが化け物レベルの実力を誇っているかが分かるだろう。
「セラとアルベルトは?」
「後始末の最中だ。その内合流できるだろ」
「そう。今日はこれで終わりだよね?」
「あぁ、研究所はぶち壊したし、最後に此奴ら運ぶだけだな」
「……それは面倒。グレンがこれ持って」
「ざけんな、俺は別のやつ運ばなきゃなんねぇんだよ。お前が持て」
「……んー」
このまま押し問答しても意味ないなと判断したリィエルは、グレンが縛った男の襟首を無造作に掴んだ。どうやら引きづって運ぶらしい。
いくら相手が情状酌量の余地もない外道魔術師とはいえ、その扱いには流石のグレンも口元を引き攣らせた。もやは悪鬼の所業である。
とはいえ、止めろという気はさらさらない。二人は集合場所を目指して、途中でグレンが縛った男の仲間を拾いながら移動することにした。
「…………」
二人無言で歩き続ける中、グレンはちらりとリィエルを盗み見る。
表情が死滅したと評判のリィエルは口数も少なく、自分から積極的に話し掛けるタイプでもない。時々淡々と人を揶揄うというか、おちょくるというか、妙に喋る時もあるが、その時も基本的には無表情だ。本当に偶に表情を変えたときは物凄く悪い笑みを浮かべている、そんな捉えどころのない少女である。
付き合いは大体半年になるだろう。ある事情で天涯孤独となり、そのことも知らない無垢な少女を保護したのはグレン自身だ。
他に術がなかったとはいえ、こんな血みどろの、世界の闇しかない場所で生きることとなったリィエルには、申し訳ないという気持ちで一杯だった。
今でこそ特務分室の仕事を平然と遂行しているが、初めて人を殺した時のリィエルの表情は忘れられない。そして、それに慣れてしまった少女の歪な人間性には歯噛みする想いだった。
「グレン、どうしたの? 私の顔に何か付いてる?」
「……いや、なんでもねぇ」
見られていることに気付いたリィエルがグレンに声を掛けるが、内心を正直に吐露する気になれなかったグレンは少女と自身を誤魔化すように首を振る。
普段であれば「そう……」の一言で終わる場面。
しかし、機嫌が良かったのか何なのかは分からないが、リィエルは二の句を継いだ。
「嘘。グレン、なにか隠してる」
「隠してねぇよ」
「私の顔ジロジロ見てた。嫌らしい眼差しで見てた。グレンはロリコンだったの?」
「んな風に見てねぇよ! あとロリコンでもねぇッ‼︎」
「……そうだった、グレンはロリコンじゃなかった。ごめん、グレン……」
「……分かりゃいいんだよ」
「グレンが好きなのはセラ、だからグレンはロリコンじゃない」
「そういうことでもねぇからッ‼︎」
怒鳴るグレンの頰には僅かに朱が差している。それを見てもリィエルは無表情だが、グレンには何故かニヤついているようにしか見えなかった。
続け様に物申そうとしたグレンだったが、遠くに見える仲間たちを見付けて口を閉ざした。
「グレン君、リィエルちゃん!」
「……遅いぞ、二人共」
涼しげな民族衣装を纏う美しい女性と、鷹の目のような鋭い目付きの男性が待っていた。
新雪のような真っ白な髪を靡かせる、頰や腕に描かれた赤い紋様が特徴的な美少女──セラ=シルヴァースと、グレンと同じく長身痩躯で藍色掛かった黒髪が似合う青年──アルベルト=フレイザー。共に特務分室に所属するリィエルやグレンの同僚である。
今回の任務は特務分室のエース四人がかりの大仕事であったのだ。
「どうやら一人残らず捕らえたようだな」
「あぁ、リィエルが大体やってくれたがな」
「そうか」
「アルベルト、褒めていいよ?」
「……自分で言うな」
「もう、アルベルト君は素直じゃないんだから。私がリィエルちゃんを褒めよーう! いい子いい子ー」
「セラ、そんなに褒めても何もでない」
「……お前ら、気を抜きすぎだ。帰還するまでが任務だ」
「相変わらず固えなぁ、お前は」
「……アルベルトって、偶にお母さんみたいなこと言うってバーナードが言ってた」
「黙れ、リィエル」
他愛もない漫談に華を咲かせる。任務の終わりに、四人共張り詰めていた緊張がほぐれたのだろう。
暫くの間は雑談を交えながら情報交換に勤しむ四人。これ以上此処に留まる意味がないと判断し、アルベルトが代表して上司に連絡を取った。
後は帰還命令が降りれば本当の任務終了である。
ふぅー、と一息吐いたグレンとセラを見て、リィエルはこんなことを口走った。
「セラ、聞いて」
「ん? どうしたの、リィエルちゃん?」
「私、さっきグレンに殴られた」
「むぅ、グレン君、どういうこと?」
「殴ったんじゃねぇ、説教してやったんだ。魔術の詠唱が終わった相手に突貫するリィエルが悪い」
「むぅ〜、それは確かにリィエルちゃんも悪いけど……」
「あと、さっきグレンにいかがわしい視線でジロジロ見られた」
──途端、先程までの和やかな空気が一気に霧散した。
リィエルが放り投げた爆弾は、セラの正常な思考を停止させるには充分なものであったらしい。
完全に目の色が変わったセラを見て、グレンはダラダラと脂汗を流す。
「お、落ち着け白犬! 今のはリィエルの冗談だって。なぁ、そうだろリィエル!」
「全身を舐め回すように見られた。犯罪者と同じ目をしてた……。セラ、私、グレン怖い……」
「てめぇマジでぶっ飛ばすぞっ⁉︎」
「……グレン君、どういうこと?」
ふらりふらりとグレンへ近付くセラ。
光を失った瞳。
可視化されたような怒気。
説得は無意味とグレンは察した。
「《グレン君の・バカァァァアアアアアアアア》──ッ!」
「ぬおぉおおおおおおおおおっ⁉︎」
巻き起こる暴風。吹き飛ぶグレン。
毎度恒例の痴話喧嘩が始まった。
「…………随分と愉しそうだな、リィエル」
「……そう?」
「あぁ、珍しく口が笑っているぞ」
「……そう、気を付ける」
性格悪そうな笑みを隠すリィエル。
馬鹿騒ぎする同僚と、何考えてるのか分からない同僚を見て、溜め息を吐きそうになる気持ちを抑えるアルベルトは苦労者の気配が滲み出ていた。
☆★☆★☆★☆★
うん、やっぱりセラグレは至高だね。
ポイントはグレセラではないところだ。セラのデレデレお姉さん押し、グレンのツンデレヘタレ受けがいい。……うん、まぁ完璧に個人的な趣味なんだけどね!
死滅した表情が思わずニヤけるくらいだ。私の内心の歓喜は計り知れないだろう。まさかアルベルトに指摘を受けるとは、やるなこの仏頂面イケメン。
いやー、原作読んでた時からセラのヒロインとしてのポテンシャルは超優秀だと思ってたけど、まさかここまでとは。この身体になって半年くらいだけど心底実感した。
目の前で楽しそうにグレンとはしゃいでるセラを見ると、絶対に殺させてなるものかと思う。……あの正義厨、早くなんとかしなければ。
それはそうとして、ふと、ここまで長かったなと感慨深い気持ちになった。
さっき、この身体になって半年と言ったが、あれは本当だ。リィエルの肉体年齢は優に十を超えているが、それは元々この少女の身体が自分のではないからだ。
私には前世(?)の記憶がある。
単刀直入に言うと、私は憑依したんだ、リィエル=レイフォードの身体に。
……アレだよアレ、ハーメルンとか二次創作とかによくあるオリ主もののアレだよ。
最初はちょっとした違和感しかなかった。
起きたら見覚えのない白い天井だったし、薬品特有の匂いがするから病室ぽかったし、なんか見たことあるような二人の男が側にいるんだもん。
一体どこで見たのかと二人を凝視している最中にクールなイケメンは立ち去るし、もう一人は急に重苦しい空気を醸し出して話し掛け辛いしで内心の焦りは半端なかった。
手持ち無沙汰でなんとなく周りを見回した時、ちょうど鏡が目に入ったから私は自分自身の姿を見た。私は固まった。
此方を見詰めるのは、眠たげな瞳をした感情の欠片すら読み取れない無表情な少女だった。
ろくに手入れのされていない伸び放題の青髪。……青い髪とかリアルで初めて見たわ、とか思った。
アンティーク・ドールのように整った精巧な細面。……何この美少女、とか思った。
この時点で、根拠はないけど確信していた。これは本当の私じゃないと。何故か自分の顔は思い出せないけど、違うということだけは判った。
首を傾げる。鏡の少女も首を傾げた。
片手を挙げる。鏡の少女も片手を挙げた。
どうやらやっぱりこれは自分らしい。
……てか、この顔も見たことあるぞ。
いや、特徴的だから率直に言って判ったかもしれないぞ?
この子、リィエルじゃない?
去っていったのって、アルベルトじゃない?
そして、目の前にいるのってグレンじゃない?
……………………………………。
……………………………。
……………………。
──……ここ、もしかしなくても『ロクでなし魔術講師と
前世の知識にあるフィクションの世界だと気付いた時、私は内心で絶叫を上げていた。
色々パニクって超オロオロしちゃったし、驚いているはずなのに一切表情動かないから顔をもみもみしてたらグレンに訝しげな目で見られるしで、とにかく私の目覚めは散々なものだった。
まぁ、その後はなんか上の方で色々あったらしく、選択の余地なく私の特務分室所属が決定し、見事外道魔術師討伐の専門家になった、という感じだ。
最初は魔術スゲーとか、どこか現実感ないふわふわな心情だったけど、仕事をしていく中で、私はこの世界で生きていくしかないし、死なない為には現状を打破する力を身につけなければならないと強く実感した。
原作も結構コメディ要素強かったけど、生死を賭けた戦い(主にグレンだけ)は高頻度であったし、そもそも原作は二年後くらいだから何の役にも立たない。
しかも特務分室の任務なんて基本命懸けだから毎日がレッツパーリー状態。
……なにこの人生ハードモード、グレンが精神擦り切らすのも納得だわ。
幸い、私の性格は図太く、身体自体も高性能だったのでなんとかやれている感じだ。
ただ、日々惰性のように任務に励み、せっせと人殺しをするだけの社畜にはなれなかった。というよりなりたくなかった。
これはグレンのように何か自分だけの癒しを見つけなければと思い立ったその時、私は見たのだ。
グレンとセラがいちゃいちゃしている場面を。
──私の頭に電撃が迸った(気がした)。
……これだ、これしかないっ‼︎
この砂糖吐きそうな二人をくっ付ける。なるべく二人と行動を共にしてイジる。そして、ニヤニヤしたい。
しかし、原作ではセラが死んでしまう。あの頭のおかしい正義厨の発作に巻き込まれてしまう。それだけは駄目だ。絶対許さん。絶許である。
その為に、約一年後にあるだろう『
必要なのは力だ。だから私は強くなる。
だけど、重要なのはそこじゃない。
私にとって重要なのは、グレンとセラの関係を見守ってニヤニヤしたい、それだけなのだ。
魔術のあるこの世界はバトル・ファンタジーだと誰が決めた?
この世界は私がニヤニヤする為のラブコメにしてやる!
私はリィエル=レイフォード。
ロクでもない魔術世界のニセ《戦車》である。
なお、ラブコメまでは遠い模様。