リ・エスティーゼの魔王   作:steel fury

1 / 2
プロローグ

 現実世界から仮想現実へ飛び込むと、目の前にはいつも通りの光景が広がっていた。

 ナザリック地下大墳墓の最下層に位置する豪奢な玉座の間。両端の壁にはいくつもの旗が掲げられ、刺繍された多様な紋章が彼の視界に入ってくる。

 かつては、その度に胸を締め付けられていたが、いまや彼の心は揺れ動かない。寂しいという感情さえも慣れが訪れるもので、一瞥すると決まりきった作業を開始する。

 彼の――モモンガの『ユグドラシル』で過ごす日常は単調であった。フィールドを徘徊してはモンスターを倒し続け、ダンジョンに潜ってはアイテムを回収する。そうして集めた小銭をナザリックの維持費に充てていた。

 すべては、様々な事情で離散していった『アインズ・ウール・ゴウン』のメンバーのためだ。彼等が帰ってこれる場所を残すことがモモンガの行動原理であった。しかし、気がつけば宝物庫に保管された金貨は膨大となり、資金面でのナザリックの存続は安泰となっていた。

 それでもモモンガは同じ毎日を繰り返していた。機械のように動き続けることが彼なりの現実逃避だったのかもしれない。やがて、終わりは唐突に訪れた。

 

「――もう、誰も戻ってはこないのだな」

 

 その日、玉座に座り込んだままのモモンガが零した言葉には何の感情も込められていなかった。

 彼は傍らに控えるアルベドに眼を向けた。ギルドメンバーであるタブラ・スマラグディナが制作したNPCは、相変わらずの微笑を浮かべている。錯覚だろうが、モモンガを憐れむような表情に見えた。

 

「勘違いするな。 ギルド長としての義務感でやってきたんじゃない」

 

 モモンガは自嘲気味に答えると、天を仰いだ。

 

「勇気がなかっただけだ。 リアルから逃げた俺は、この世界にしがみ付くしかなかったんだ」

 

 壊滅的な環境汚染。労働者を極限まで搾取する社会。蔓延する戦争やテロ。貧困層と富裕層の絶対的な格差。まるで救いようのない地獄が現実には顕現していた。そんな状況下ではDMMO-RPGという理想の仮想現実にのめり込むのも当然の話だ。

 

「でも、皆は違う。 ちゃんとリアルと向き合って、ユグドラシルを去っていった」

 

 夢を叶えるためというものから、仕事の激務に追われて仕方がなくというものまで、事情は人それぞれだった。共通しているのは、まやかしの楽園に背を向けて、苦痛しかない現実に立ち向かう勇敢さを持っていたことだ。

 モモンガは片手で顔を覆い、流れ出るはずのない涙を隠した。

 

「――だから……もう、誰も戻ってはこないんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 自室の窓から外を見下ろすと、目の前にはいつも通りの光景が広がっていた。

 刻まれた歴史を感じさせる王都の重厚な街並み。複雑に伸びるいくつもの通りを人々が行き交う様は、せせこましく動き回る蟻を連想させる。

 かつては、その度に不快感に苛まれていたが、いまや彼女の心は揺れ動かない。光を失った瞳には少しばかりの関心すらも映っていなかった。

 彼女の――ラナー・ティエール・シャルドルン・ライル・ヴァイセルフの『リ・エスティーゼ』で過ごす日常は苦痛に満ちていた。彼女が言葉を発すると、相対する誰もが薄気味悪いものを見たように白眼視する。幼い少女であるラナーにとって、あまりに残酷な仕打ちだった。

 すべては、ラナーが常軌を逸した天才であるがためだ。理解者がいない孤高の存在ほど辛いものはない。人が及ばぬ才能を得てしまった故に、彼女の内面は歪み続けた。やがて、限界は唐突に訪れた。

 

「――私は、皆とは違うのですね」

 

 その日、王城の中庭で立ち尽くしたままのラナーが呟いた言葉には何の感情も込められていなかった。誰かが耳にしたら何事かと訝しんだろうが、彼女の周囲には色とりどりの花が静かに揺れるだけだ。

 

「どうして今まで気づかなかったのでしょう。 おかげで無駄な時間を費やしてしまいました」

 

 ラナーの独白は淡々と続く。

 

「理解してもらおうというのが間違いでした。 彼ら如きに分かるはずがありませんもの」

 

 最初は自分の言っていることが伝わらないのが悲しかった。悲しみは寂しさに変わり、やがて苛立ちに豹変した。瞬間的に燃え上がった怒りはすぐに鎮火し、結局は空しさが残った。そんな状況下で少女が全てを諦観するようになるのも当然の話だ。

 

「周りは劣った生き物ばかりなのに、私には自由がない」

 

 どれだけ優れた頭脳を持っていようが、第三王女という力なき立場では、愚鈍な連中の道具として一生を終えるのは明らかだった。それが運命というならば、彼女は断じて受け入れることはできない。

 ラナーは両手を胸に添え、深い溜息をついた。

 

「――嗚呼……なんて退屈な世界なのかしら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれからモモンガのユグドラシルへの傾倒はより深くなっていた。

 現実世界での辛い出来事が重なるにつれて、疲れ果てた心身が癒しを求めて仮想現実へとのめり込んでいく。睡眠時間は極端に短くなり、日中の仕事にも支障をきたすという悪循環が彼の健康を損ない始めた頃。その知らせはモモンガのもとに届いた。

 

「ユグドラシルのサービスが終了……?」

 

 初めはその一文を上手く読み取ることができなかった。頭では理解していても、それを受け入れることはできなかった。これまで当然のように存在していた世界の終焉を告げられた時、モモンガの心中を占めていたのは困惑だった。

 

「何かの間違いだろ……糞運営ならやりかねないからな」

 

 彼は自らに言い聞かせるように呟いたが、一度生じた疑念と不安は消え去ることはなかった。

 しばらくはいつもと変わらない日々が続いた。ギルドへの執着を捨てたことで、ナザリックにもあまり立ち寄らなくなったモモンガだったが、定期的に宝物庫へ入っては収集物の保管を行っていた。

 アインズ・ウール・ゴウンのためにナザリックを存続させなければならない、そんな強迫感から解放されたモモンガにとって、もはや地下大墳墓はただのアイテムボックス扱いだ。その証左に、以前ならおいそれと触ることできなかった<スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン>も気軽に持ち出している。

 ギルド武器を片手にあちこちを闊歩するモモンガは、ユグドラシルを心の底から楽しんでいた。九つの世界を縦横無尽に行き来し、時には強力なモンスターに単身で挑み、時には未知を求めて探索を繰り返す。極まれにプレイヤーに遭遇すると、相手は必ずと言っていいほど驚いた。

 

「うわっ!? アインズ・ウール・ゴウンのモモンガ!?」

 

「どうもー」

 

 知らぬ者がいない悪名高き異形種がギルド武器を持って単独で歩き回っているのだ。誰しも瞠目して当然である。

 一昔前ならばギルド武器破壊によるアインズ・ウール・ゴウン崩壊を狙って容赦なく攻撃が加えられていただろう。しかし、現在ではそうした事態に発展することはなかった。過疎が進んだ事により、数少ないプレイヤーの間では奇妙な仲間意識が芽生えていたからだ。

 モモンガもそんな親近感から、気が向けば即席のパーティーを組んで一緒に行動を共にしたりもした。人間種と異形種が仲良く遊んでいるなど、かつての仲間達が見たら仰天するような光景だ。

 まるでユグドラシルの最盛期に戻ったような気持ちだった。久しく忘れていた多幸感は、運営がサービス終了までのカウントダウンをゲーム内で始めるまで続いた。

 

 

 

 

「――そんな……嘘だろ、おい」

 

 視界に浮かぶ日数に、モモンガは凍りついた。

 身体を大きく揺さぶられたような錯覚を感じ、ふらつく二本の足が頼りげなく思えた。気を抜けば倒れしまうほど、彼が受けた衝撃は大きかった。

 これまで無意識に遠ざけていた事実を眼前に突きつけられ、彼はユグドラシルの終焉を受け入れざるを得なかった。

 

「ありえない……十二年続いたんだぞ……なんで、今更……」

 

 それでも、納得などできるはずがない。ユグドラシルは彼にとっての全ててあり、人生の半分を過ごしてきた場所なのだ。

 心臓が激しく鼓動し、息苦しいほどに呼吸が浅くなる。ほどなく、状態が危険な域に達したとシステムが判断したのか、モモンガは強制的にゲームからシャットダウンされた。

 

「――……ユグドラシルが、終わってしまう」

 

 VR機器を装着したまま、男は絞り出すような声で呻いた。

彼は雑然とした狭い部屋に横たわったまま、微動だにしない。唯一の外部との繋がりである窓には、有毒性のスモッグによって薄汚く淀んだ世界が広がっていた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。