「誰が否定しようとも、貴女は確かにジャンヌ・ダルクです」
ジャンヌはもう一人の自分に手を伸ばす。髪が指先が触れても拒絶は受けない。そのまま手を伸ばし続け、優しく包み込むように彼女の頬に掌を添えた。
「あの子を救うために、一緒に立ち上がってくれませんか? 貴女となら、あの子を救える………そんな気がするんです」
慈悲深く、それでいて親しみの熱か入り交じった目でもう一人の存在を見つめるジャンヌ。
その瞳に誘われるように、オルタは呆然とした表情で頬に添えられた手を重ねると、その手を掴んで………
力強く払い落とした。
「えっ?」
「私が………ジャンヌですって?」
ジャンヌを払い除けて大きく後ろに下がるオルタは、何が起こったのか理解できない表情で見つめてくる目の前の存在を睨み、吼える。
「上から言ってんじゃないわよこの偽善者が!!」
憤怒の形相とは今のオルタの事を言うのであろう。
そう思えるほどに、彼女は強くその目をジャンヌへと睨み付けていた。
「ペラペラと下らない能書き垂れれば誰もがアンタに頭を下げるとでも思ってるのかしら? ありがとうございます聖女サマ。貴女のお陰で目が覚めました…………醜悪過ぎて涙が出そうだわ」
「何を………」
ジャンヌとオルタには決定的な意識の相違点があった。
確かに二人はローズリィ・ゲールと言う存在を憎からず思っているからこそ成り立つものがある。けれど二人は立場が違う。考えが違う、想いが違う。
ジャンヌはオルタとわかり会えると考えていた。いや、考えてしまっていた。己がただの偽物と悲しむオルタが、ローズリィによって無意識に支えられていたなら。自分の言葉に共感してくれるかもしれないと。かつての自分と同じようにローズリィを止めてくれるかもしれないと思ってしまった。
「気持ちいいかしら? 他人を救った気になって自己満足でもしてるのかしら? ハッ! とんだ聖女サマもいたものだわ!?」
「違う! 私はそんな気持ちで言ったわけじゃ………」
「私の事を想って? それとも諭された私がアンタの味方になって、リィルを止めるために? それとも両方かしら? 二人救えばハッピーエンドだとでも?」
オルタは知っている。仮に今のオルタがあの光景を知っていなければ、ジャンヌに少しは傾いていたかも知れない。
だけど、決定的な溝がソコにはある。ジャンヌすら知らない、ローズリィがひた隠しにしてきた真実が二人の袂を分ける。
「救う!? 何時からお前はリィルを救えるほど偉くなったつもりだ! いつまでお前はリィルを救える側だと勘違いしている!! とっくにあの子はお前に助けを求めてたのよ!それをお前が全部、全部、全部!! その手で振り払って見捨てたんでしょうが!!
「!? そ、それはどういうことですか!? 貴女は一体……何を知って―――」
「五月蝿い! お前の能書きは聞き飽きた! その独善、不正。骨の髄まで燃やし尽くしてやるわ!!」
フランスで犠牲となった人々の怨念が。オルレアンに蔓延る憎悪の残滓が。そしてこの場にあるローズリィの魔力と憎悪がオルタの周囲に渦巻き収束し、彼女の魔力へと変換されていく。
その圧倒的な魔力の高まりはサーヴァントであればすぐにわかるだろう。宝具を発動する前兆だと。そしてわずかにであれ
「アレは……」
「復讐の刻は来た!」
それを見たジャンヌも彼女が放つだろう宝具を予想し、己の旗を掲げた。
それと同時にオルタが持つ赤黒い魔力とは正反対の、白金に輝く魔力が周囲を照らし始める。
その旗はジャンヌが誓った証。一人の少女を護るために、国を救い平和な世に少しでも変えると誓った彼女の誇り。
何者も汚すことの出来ない聖女の旗。
「主の御業をここに」
「ッ―――全ての邪悪をここに!!」
ジャンヌが纏う聖なる姿に、オルタは吼えた。
未だ偽りの神に祈りを捧げるジャンヌに怒りが止まない。
何故その祈りを少しはローズリィの復讐の為に使わないのだと憎悪を抱かずに要られない。
ごめんなさい
怒りと憎悪の感情は魔力へと変換され、オルタの力へと代わる。
「我が旗よ、我が同胞を守りたまえ!」
祈りを捧げ、ジャンヌの魔力が神聖な力へと変換されていく。
全ての災害から大切な物を護る加護を。ローズリィを救うために己に力を。
助けてよ
憎悪と信仰。復讐と守護。悪と聖。相反する力が衝突する。
その時、確かに
「
「
ごめんなさい
ごめんなさい、ジャンヌ
助けて………助けてよ
とある桃色の髪の少女の、叫びが聴こえた。
無惨に泣き叫ぶ一人の少女が映った。
「―――リィ、ル?」
それは自分は助からないと諦め、謝りながらそれでも大切な存在を護るために戦い続けるローズリィの姿。
それは虐待を受けて心が折れ、自分に助けを求めるローズリィの姿。
「
一瞬止まったジャンヌに、真っ黒な炎が彼女を呑み込んだ。
人と化け物の戦争。
英雄と英雄の苛烈な戦い。
伝説のドラゴンに挑む英雄達のお伽噺の再現。
それらの戦いを信頼する仲間達に託し、立香はマシュと共に魔力の渦の中心地であるオルレアン宮殿へと向かっていた。
邪竜を倒し、とうとう追い詰めたと思われたジャンヌオルタは撤退した。まだまだ敵側に戦力があるとは言え、追い詰めたジャンヌオルタを倒しこの人理を修正すれば全てが解決する。
絶望的な状況から僅かな光を頼りにここまで来た彼女達に残るのはジャンヌオルタとの最終決戦だけ。
まだ世界を救う戦いなんて告げられても現実味が湧かない立香ではあったが、それでも彼女なり精一杯頑張ろうと、やる気は十分だった。
ただ一つ立香に気になることがあるとすれば………ジャンヌとローズリィの事であった。
後生に残る彼女の行いは、最も有名な聖人の一人と呼ばれる程。故に、この人理を修正することはジャンヌにとって義務感すらあっただろう。
そのジャンヌが、聖人として・英雄としてのあり方よりも己の私情を選んだ。世界の危機よりも、大切な人を選んだ。
たった短い期間であったが、仲良くなり信頼し合った立香やマシュが気にならない訳がなかった。
『さあ、最後の戦いだ立香君。緊張するななんて言葉は言わないよ。でも、後悔だけはしないよう頑張ってくれ』
「…………」
『あれ? 無反応? 今僕結構良いこと言ったつもりだったんだけど?』
『本当に空気が読めないねロマニは。取り敢えず土下座したら良いんじゃないかな?』
ロマニの余計な一言が、ローズリィの事について傾きかけていた立香の心を揺らす。
後悔するな。自分の出来ることをしろ。
そう強く思えば思うほど、二人の事が頭から離れないのだ。
もっと出来ることがあったんじゃないか。何か二人を助ける方法があったんじゃないか。そう思わずにいられなかった。
いくら考えても答えは出ない。これから最終決戦に向けて覚悟を決めなければならない場面ではあるが、まだ魔術師としても素人の彼女にとって気になることに意識が傾いてしまうのは仕方がない事だろう。
だから立香は気付かなかった。
「ッ先輩!」
ふいに、そんな立香と共にいたマシュから切羽詰まったような声が掛かる。
「どうしたのマーーーー」
「止まってください!」
後ろを振り向いたまま歩こうとする立香の腕をマシュは引き寄せる。突然の彼女の行動に驚きながら立香はマシュの顔を見上げた。
彼女の瞳には自分の姿は映っていない。あるのは彼女の目の前に広がる光景のみ。
立香はマシュの視線の先が気になり、前に向き直る。
「何……これ…………」
世界が崩れていた。
大地は抉れ、亀裂が迸り、底が見えないほど深巨大な谷底が出来ていた。あった筈の森は火事でもあったかのように全焼し、灰色と黒の混在した不完全な木炭の山に変わり果てている。
この特異点をずっと覆っていたドス黒い雲は、その付近だけ吹き飛ばされたように無くなっていた。太陽の光が死んだ大地を無慈悲に照らし続けている。
「来ましたか……」
そんな場所に彼女、ローズリィはいた。
まるで立香とマシュを待っていたように、彼女は破壊された地の前で佇んでいた。
「……ローズリィさんッ」
『ちょっと待ってくれ! 何でここにローズリィがいるんだ!? ジャンヌは!? スカサハは!?』
「そう狼狽えなくとも答えて上げますよ、遠方の観測士殿………。ジャンヌは既にオルレアン宮殿にいることでしょう。勿論、もう一人の邪魔者は殺しました。だから、今ここにいるのは私と貴女方だけです」
「ッッ」
わかっていたことだ。大地に刻まれたこの爪痕から想像だにしない激闘が繰り広げられ、それに勝利したのがここにいるローズリィ以外あり得ないこと等、彼女の姿から簡単に理解できていた。
元々ジャンヌが説得に失敗すれば彼女は退き、ローズリィとスカサハが一対一で決闘を行う事を二人は知っていた。
だから、この結末もあると予想することは出来ていた。
それでも
「あのスカサハさんが……殺された……」
「ええ殺しました。あの女だけが唯一の私の障害でしたので…………ですが、私を邪魔する者はもういない」
マシュは恐れずにはいられなかった。
果たして自分一人で立香を護りきれるか。今の彼女に頼れる
あのスカサハと戦ったのだ。当然ローズリィも無傷ではなかった。頬には一筋の深い傷が残っており、彼女が着ている鎧もボロボロ。露出している手足には無数の打撲傷や切り傷があった。
それでもローズリィは疲労を感じさせない足取りで二人に近付いてくる。敵対している者同士とは思えないほど緊張感もなく気軽に、散歩でもするように二人に迫る。
マシュはそれを見て
侮られている。
わかっていても、マシュに怒りは湧かなかった。むしろ、それがより恐怖を増長させる。
なぜなら二人にはそれほどの力量の差があるから。
英雄としての知名度や格等ではない。もっと別の、英雄としての在り方。戦いにおける心構えや経験が圧倒的に違うのだ。
これが竜殺しのジークフリート等と言った戦いを日常とした英雄であればまた違っただろう。しかし、マシュは英霊として力を得てからまだ少ししか経っていない。さらに、殺し合いの経験や戦術を覆すほどの、高いステータスや特別な宝具があるわけでもない。
「神殺しまで後少し…………その間、ちょっとだけ相手をしましょう」
「クッ………サーヴァント、ローズリィ・ゲール来ます! マスター、指示を!!」
マシュが
ランサーのクラスと遜色無い速さによる突進、それにより加速されて突き出された細剣の刺突。その刺突は正面に構えられた盾の中心へと突き刺さる。
「ぐぅぅ!!」
その衝撃はマシュの予想を超えていた。あまりにも重い一撃は彼女を後方へと下がらせ、怯ませる。
(レイピアの一撃がここまで『重い』なんて!!)
速さは力……厳密に言えば衝撃に変換される。特にローズリィの操る細剣の速度はサーヴァントの中でも類を見ないほどの速さである。その一撃は当然強い衝撃だ。
しかし、剣の中でも比較的軽い筈のレイピアの突きがここまで
マシュはソレを想像して思わず唾を呑み込んだ。
「硬い………それに体勢を崩しませんか。なるほど、貴女の宝具は守ると言う一点において想像以上に優れた物のようですね」
ローズリィは己の一撃を防いだマシュに驚いた様子であった。
しかしそれは予想より上回ったからと言う驚きで、彼女の想定以上ではない。
「フッ!」
「あぐッ!!」
戦闘開始早々、マシュは防戦一方となっていた。
反撃するタイミングが無い。ローズリィが刀を振り切った時には既に彼女は次の攻撃に移っている。その間の間隔があまりにも早すぎる。
暴風のような絶え間ない攻撃にマシュは耐えることしか出来ないでいた。
「マシュッ」
立香も見ている事しか出来ない。
本来なら魔術や令呪を用いてサーヴァントの援護をするのがマスターの鉄則ではあるが、今の彼女に出きることはなかった。
立香も魔術礼装を用いて、マシュのステータスを一時的に上げる魔術を使用している。しかしそれ以外打つ手がない。
令呪を用いようとも、この状況を打破できるほどの力は無かった。
「そこです」
「かはッ!!?」
保っていた均衡が崩れ去る。
ローズリィの剣を意識し過ぎていたマシュの腹に、強烈な鋭い蹴りが突き刺さった。
「げほッ、けぼッ」
「未熟ですね」
「クッ!」
「………貴女には脅威を感じません。例えるなら、巨大な壁………しかしそれだけです。どんなに硬い城壁でも、護るだけではいずれ崩れる」
片膝を突いたマシュを見下ろすローズリィ。既に勝敗はわかりきっていた事だが、それでもあまりの実力差にマシュは絶望するしかなかった。
もう用がないとはがりにローズリィはマシュを視界から外した。彼女が見るのは、守るものが無くなって孤立した
「えっ?」
「無防備となった王とは……なんとも哀れなモノですね」
頼りの
ここは既に戦場。孤立した敵大将を見逃す程、彼女は甘くないのだ。
「マスタぁぁあああ!!」
「さようなら。最後のマスター」
マシュが庇うよりも早く、ローズリィは立香に迫りその剣を振り上げる。
「あ――」
斬られる。
視界の端ではマシュが精一杯自分へと手を伸ばすのが見える。間に合わない。この無表情で剣を振りかぶっている騎士は躊躇いもなく確実に自分を斬り捨てる。
抗いようのない現実を理解し、斬られる恐怖に立香は思わず目を瞑った。
しかし予想に反して届いたのは斬られる痛みではなく、後ろから襟首を引っ張られる衝撃だった。
直後、高鳴る金属のぶつかり合いの音。
「目をつぶっちゃダメよ小ジカ! まだライブは終わってない………これからが本当のラストステージなんだから!!」
「安珍様を殺そうとするなんて…………許せない、許せない。許せない許せない許せない許せない許せない許せない許許許許許憎憎憎憎憎憎――――」
それは二体のサーヴァント。
戦場だと言うのに任されたソレを放っぽりだして、自分がアイドルとして一番輝ける立香達の下にやって来た
普段は問題児以外何者でもない二人だが、この時だけは最も頼もしい瞬間だった。
「新しい、サーヴァントですか………」
「はぁい、陰気な騎士様。アタシのライブ、見てってくれる?」
「貴女、嘘をついておいでですね? …………焼き殺してあげましょう」